第七話・継彦の結婚
両家で話し合いの末、近畿大学農学部一年生の豆島継彦は同じ大学の四年生の粕田芳江との婚姻が決定した。継彦はそのまま学生を続け、芳江は卒業を前に退学、来春五月の出産に備えることになる。
粕田家では新毛本町の豆島家との縁組を喜び、豆島家も素封家である粕田家との縁組も悪くないと思っている。姉さん女房というのがネックだったが、両家それぞれの神社の神主や懇意の占い師から相性があうといわれて軟化した。なによりも豆島家の中心となる次女、美富子が芳江と直接話し合い「あの子やったら、家柄も文句ないし、性格も悪くないからええ」 といったのが大きい。
元々豆島家は農家で当主の豆島芳夫や夕子には教養はない。それでも近畿自動車道建設に当たり、豆島家所有の用地が買収されたことで成金になった。美富子は、まだ若いのに新毛農協組合員にとって用地買収に関する相談相手のようになっていた。買収の交渉は昭和三十年代から開始され、新毛本町でも十数軒あった。そこで新毛農協職員かつ地元民の娘の美富子がソフトな物腰ながら、道路公共団体相手に交渉に同席してくれる。そして農家の言い分をきちんと伝えてくれるという口コミがあった。美富子もボランティアでなく、業務上のメリットがあった。売却により多額の金額が農協の貯金や保険に流れてくる。つまり、「みっちゃんのおかげで無事土地が売れてお金が入ってきた。当面は新毛農協に預けておく」 となる。
そういうわけで、新毛農協職員の中で紅一点の美富子の成績がトップだ。その上、貯金をしない相手に対して本家の遠縁にあたる市内の不動産会社と組んで別の土地の購入をする斡旋もする。すると一、二年後にそれが全部高騰した。園鉄大阪線の延長や企業の誘致、大型スーパーなどの計画が次々と立ち上がり、難波、梅田を睨んだ東大阪のベッドタウン化をもくろむ園鉄鉄道の活動が伝わってくる。結果として美富子の勧める土地は必ず値上がりするという、うわさがでた。それを信じた組合員外の背譜町や八尾本町からも美富子を指名して相談にきたりする。おりしも昭和四十年後半はバブルのはじまりでもあり、株やゴルフの会員権、宝石、金貨、外貨、とにかく何を買っても儲かる。美富子自身も親から預かった土地の売却費用の大半を別の土地の購入費に充て、それを短期で転売している。美富子の周囲には景気のいい話が転がっており、美富子は貪欲に投資を続けている。
一方、豆島分家の唯一の男子である継彦は学生でもあり、金の運営に関してはまだ無関心だ。年頃の男の子らしく、趣味はドライブ。
運転免許を取るとすぐに美富子から外車を購入してもらい、休日になるとドライブを重ねている。外車はベンツだったが大学まで運転するようになると急にもてだしたという。その中で気が合ったのが粕田芳江だった。早期の妊娠は計算外だったが、迷わず責任を取る形で結婚する。
昭和の最中の話では、まだ婚前の妊娠はふしだらな女と言われることも多い。が、子どもを下ろすことは許せない。しかも親戚が集う地蔵盆の日に妊娠を公表してしまった。最終的に豪勢な結婚式をあげるならば非難されることはなかろう。
式には両家とも百人ずつの客を呼び、難波にあるナニワニューホテルで盛大に行った。浴元国会議員はじめ大阪府会議員、東大阪市会議員、美富子の勤務先からも新毛農協の組合長、役員、同僚も全員呼ぶ。農協からの出席があるのは、美富子のコネで継彦が卒業後に就職することが決定されているからだ。継彦も姉のあっせんに異論はない。新毛本町での有名人の美富子に万事頭があがらぬ。
結婚式ではもちろん卦配家も全員出席した。留めそでを着た春子は、糖尿病を患う公男が残した料理までしっかりと食べ、同じテーブルにいる秋子夫婦としゃべる。隣のテーブルには春子の従姉妹の鈴子夫婦、久子夫婦、夏子夫婦がいる。その後ろには葉奈子の祖父母と美富子、豆島本家の当主夫妻が座っている。春子にはなけなしの貯金をはたいて購入したダイヤの指輪が輝いている。美富子の豪華な縦爪ダイヤには及ばなくてもある程度の収入があることを誇示したいのだ。葉奈子は春子の虚栄心を理解している。それをとがめない公男の立ち位置の弱さも理解している。
秋子の胸元には、生まれたばかりの赤ちゃん、江里がいる。葉奈子はその隣にいる。それ以外の子どもはいず、一人で座っている。目の前のテーブルの花に向かって「どこから来たの」 と心の中で声をかけている。白いユリの花は「海の向こう」 、赤い薔薇は「暖かい部屋」 と答える。目の前のごちそうにも「おいしいわ」 といいサイコロステーキたちも一個ずつ「それはよかったねえ」 と葉奈子の胃の中に飛び込んでいく。春子による他人のうわさ話や縁談に目を輝かして話す内容には興味がない。何よりも声を出すなと言われている。江里の小さな手と小さなあくびに微笑み、文金高島田姿の芳江を交互に見てケーキをほおばるだけだ。
テーブルの後ろには祖父母がいるが、ひとまわり小さくなったようだ。春子たちもそれを感じたようで「年を取ったわね」 と言いあう。美富子が各テーブルに順番に酒を注いで回る。葉奈子にはジュースをついでくれた。春子が「お父さんって式の前からもう酔っ払って。それにお母さんは最近やせたし大丈夫か」 と聞いた。美富子も声をひそめて「うちも心配してるねん」 と言った。それが聞こえた葉奈子はうっかり話に入ってしまう。
「毎晩泣いているからでしょ」
美富子がぎょっとして後ろに一歩下がる。春子や秋子夫婦が訝し気に葉奈子の顔を見る。しまったと思い顔を伏せたが遅かった。根拠もなしに、地蔵盆の夜からの連想を出してしまった。ややあって、美富子が姿勢を正し、腰を曲げて葉奈子の耳に口をよせる。
「……このめでたい席にそないなこと、普通言うか。最低な子や」
思わず美富子の顔を見る。葉奈子を真正面に見て睨んでいる。目の中に己の顔が映っている。頭に赤いリボンがのせられているのもちゃんと見える。それは一瞬で、すぐ俯く。春子も冷たい目で睨む。見えなくともわかる。公男は不思議そうな顔をしている。秋子は江里をあやしながら聞いていなかったふりだ。
以後、美富子は葉奈子のいるテーブルに近寄っても葉奈子を見ない。すぐ後ろのテーブルにいる夕子は沈み、芳夫は式の中途で寝てしまう。美富子はすべてのテーブルをまわり、招待客への気配りをこなした。
式の仲人は近大の学長夫妻に依頼した。結納の儀式もきちんとやり、結納金も一千万円を渡す。粕田家もそれにこたえ、京から桐の箪笥、布団、着物一式を全部誂え、家電もすべてナショナルの一番良いものを購入してよこした。豆島家では改築後、まだ誰も使用していない部屋があるので、そこに継彦夫婦に住まわせることにした。芳江は家事見習いとして同居し、五月の終わりに無事女の子を産んだ。四季子である。
芳江は義両親の芳夫、夕子夫妻のみならず、気が強い美富子によく仕えた。美富子は結局どんな縁談にも首を縦にふらず、自宅と職場の新毛農協、所有の田畑をまわり忙しくも充実した日々を過ごしている。
春子が美富子のお金を羨んでも勝てぬ。美富子は転売や株で儲けた金を全部宝石や着物などの贅沢品に使う。そして国内外の旅行に行く。葉奈子にとっては気前のよい叔母として小学生にしてはもったいないような上等な生地のワンピース、ヘアアクセサリーなどを買ってくれる。しかし、もうちょっと目がぱっちりしていればかわいいのに。もうちょっと愛想がよければいいのにという余計な一言が必ずセットでついてくるので喜べない。
四季子誕生後は、葉奈子へのプレゼントが明らかに減った。あてにしていた春子が愚痴を言うが、葉奈子は平気だ。美富子よりも祖母の夕子の方が好きだ。外孫である葉奈子と、内孫である四季子と立場が違っても、美富子のようにあからさまな差別は一切しない。
芳江は次いで男の子を二人産んだ。太朗と治郎である。良いことは続き、継彦が何気なく描いたデザイン画が市役所のシンボルマークに採用されて多額の賞金が入った。新毛農協は職員も増えて大きくなり、美富子は女性で第一号の支店長となる。会長には市役所の助役をしていたという大林という男性が定年で天下りをしてきた。豆島一族が後援している浴元議員は何期も続ける。浴元は祖父の代から議員をしていたこともあり、強固な地盤があり、選挙は必ず当選する。市内では政治家として一番の知名度があり向かうところ敵なしだ。また美富子とは布施高校の同級生で国会議員になっても気さくに「みっちゃん」 と呼びかけてくる。
やがて美富子は浴元議員の後援会の仕事や寺院の世話役を通じて顔を広げ、就職のあっせんもする。時には独身であるにもかかわらず他家の縁談の世話までする。
その分、豆島家所有の田畑の世話ができない。その上芳夫や夕子が老いて足腰が弱ってきたため、週末は公男を呼び出して世話をさせるようになった。公男だけではなく、稲刈りの季節では継彦も大学を休ませ手伝わせる。そういう采配は必ず美富子がする。誰しも美富子には頭があがらない。
春子も夫の公男の土日を全部つぶしてまで当たり前のように田畑を手伝わせた。公男は決して逆らわぬ。春子は公男が働いている間も三食昼寝付きの生活を楽しむ。体重は百キロはあるだろう。運動をまったくしないこともあり、異様な体型になった。それでもなお春子は始終甘い食べ物を寝そべりながら口に入れて過ごす。結果、虫歯になり歯科や腰を痛めて整形外科の常連になる。糖尿病が進むにつれて公男はやせ細り、その分春子が肥っていく。
秋子夫婦は自営業だからという理由で美富子に頼まれても手伝うことはない。葉奈子はその事情がわかってくるにつれ、実父の公男の環境をかわいそうに思った。