第六話・祖母の質問
葉奈子はふすまをそっと開ける。
六畳間の部屋に丸いちゃぶ台があり、祖母の夕子は一人すわっていた。テレビはついていない。扇風機はまわっている。丸いちゃぶ台の上に、小皿とおはしがある。巻きずしとおいなりさん、そして枝豆と飲みかけのビール。畳の上には新聞が広げられている。座布団は一枚。
天井とかべはぴかぴかで新しい。しかし見知った古い木のたんすが並べられていて葉奈子はほっとした。
「おばあちゃん」
豆島夕子は葉奈子を認めると、短く切った白髪を振り向け相好を崩して手招きする。しかし目と鼻の周りが赤い。近寄る葉奈子に夕子はくぐもった声で話しかける。
「はあちゃんか、よう来たな」
「うん。広間にいなかったので、さがしに来てん」
「そうか。大きな家になったさかい、迷ったやろ」
「ねえ、おばあちゃん、しんどいの?」
「いや、そやない。きのうから地蔵盆のために台所で料理ばかりしてた。明日も盆踊りがあるし忙しいやろ。ちょっと休もうと思てな」
わきに四角いちり紙が袋ごとおかれ、横のごみ入れは丸まったちり紙でいっぱいだ。葉奈子はやはり具合が悪いのだと思った。
「鼻水が出るん?」
夕子はしわだらけの手で葉奈子の頭をなでた。
「よう見てるな。いや、鼻水とちゃうで。ちょっと泣いてただけや」
いつも笑顔の夕子に泣くことがあるなんて、信じられないことだった。
「こけたん? それとも、頭が痛いん?」
「はは。葉奈子の顔を見たら治った。大丈夫やて」
「そんならよかった。お菓子食べよう」
「地蔵盆でもろてきたやつか」
「そや」
葉奈子は袋をがさがさとあけた。いちごの形をした毒々しい赤色をした棒付きあめ、穴のあいた笛吹ラムネ、きなこ棒、のしいか、えびせんべいの小袋が出てきた。
「二つずつある。半分こしよう」
「二袋も、もろたんか」
「うん、豆島さんによろしくって私だけ二袋もろた。でも誰かわからへんでお母さんに怒られた」
「春ちゃんも、それぐらいで子供を怒らんでもええのにな」
夕子は葉奈子を抱きしめてくれた。手と口元から甘い酢の匂いがする。たぶん今日のために昨日から台所に立ってお寿司を作っていたせいだろう。祖母と孫は二人向き合って、お菓子を食べた。夕子はいつでも葉奈子に優しい。葉奈子も夕子のそばにいると安心する。大好きだ。
「おじいちゃんは何をしてた」
「本家のおじいさんとお酒飲んで寝てはる。顔が真っ赤やで」
「しようがないじいさんやな。公男さん、いや、はあちゃんのお父さんはお酒飲みはれへんからええな」
「うん、お父さんはお酒もたばこも飲まへん。せやからお母さんは結婚したといつもいう」
「じいちゃんの酔っ払いぶりを見てたらそうなるわな。あんな飲んべは、ばあちゃんかて嫌いや」
「あはは、でも私、おじいちゃんも好きやで」
「そうか、それで広間から聞こえてくる騒ぎはなんやったん」
葉奈子は耳をすませる。もう騒ぎは聞こえてこない。継彦が粕田先生を連れて帰ったのだろう。しかし話をするのは禁じられている。だから言わない。夕子もそれ以上は問わなかった。
葉奈子はえびせんをばりばりとかじる。お菓子がおいしい。葉奈子はお寿司よりもお菓子が好きだ。夢中で食べている。葉奈子の勢いに押されたように夕子もえびせんの袋をやぶり、ばりんと音を立ててほおばる。
葉奈子は部屋を見回す。
「この部屋って静かや。おばあちゃんはおじいちゃんと一緒にこの部屋で寝てるんやろ。前の時より広くて新しいええ部屋やん」
夕子は手をとめてため息をついた。
「はあちゃんはこの部屋が気に入ってるか、ええ部屋か」
「うん」
「なあ。はあちゃんは大きくなったら何になる?」
急に話が変わり思わず葉奈子は夕子を見上げる。夕子は真剣な顔だ。葉奈子はえびせんべいの塩気のついた指をなめながら答える。
「うーんとね。花屋さんか絵を描く人。ついでにお医者さんになりたいな」
夕子は笑った。
「三つもあるのか。しかも全然違う職業やん」
「花屋さんはお花がきれいだから。それと絵が好きだから。お医者さんは毎月病院へ行くから。でも私は不細工やし、勉強もできへん。だから何になれるかわからへん。お嫁さんでも無理かなと思う」
「はあちゃんは不細工でもなんでもないで。かわいらしくて賢い子や」
葉奈子は気分が暗くなった。しゃべりすぎた。おばあちゃんは優しいのでそういうが、春子はそうは言わぬ。それどころか父親の公男に似てしまったと文句をいう。確かに母のように目がくっきりと大きくはない。そして細い。学校でもコケシみたいだとからかわれる。葉奈子は己が美しくないことはもうわかっている。
夕子もあめの袋を開けてしゃぶった。
「まあええ。何になってもかまへんけどな、葉奈子は銀行員とかにはなりなや」
「銀行員? ならんけどなんで?」
「人のお金と自分のお金の区別がつかんようになるさかいな。いつか警察に捕まって手錠嵌められてブタ箱に入れられるで」
「私はそんなことせえへん」
「それが当たり前や」
夕子の手が震えている。葉奈子は不審に思った。
そこへ足音がして、ふすまがさっと空いた。美富子、次いで春子、秋子の三人だ。葉奈子は母親を認めて笑うが三人とも怖い顔をしている。夕子は驚いて居住まいをただした。
「あんたら、どないした?」
美富子が声を張り上げた。
「今な、継彦が女連れて結婚したいて。本気やて。相手は年上でしかも妊娠してる」
「今二人とも逃げ帰ったわ」
秋子が美富子に向き直って告げる。
「そりゃみっちゃんが、あないなきついこと言うから」
「なんであたしのせいにするねん。お父さんも酔っ払って話にならんし、お母さんは部屋にこもって休んでいるし、結局あたしが聞くべきことを聞かなあかんがな」
夕子は座ろうともしない娘たちの報告に驚いている。
「継彦の子どもがお腹にって、ほんまか」
春子があとをついだ。
「ほんまみたいや。でも女の身元はしっかりしてる。石切のええとこの子や。けど、どないしよう。この豆島の跡継ぎの嫁にするか」
美富子がため息まじりでいう。
「お父さんたら、大事な時にお酒でぐでぐでや。とりあえず、正式な話は後日ということになった」
秋子が言葉をついだ。
「みっちゃんがつぎつぎと質問ばかりするので、二人して逃げた」
また美富子が怒りだす。
「しつこいやん。なんで全部私のせいにするねん。学生の身分で結婚せなあかんようなことをする方が変やろが。外聞も悪いし」
こうしてみると今まさに、豆島の采配を振るっているのはこの美富子だ。葉奈子は小学校の教育実習のあいさつにきた粕田先生は覚えている。優しそうで笑顔がきれいだ。まさかお兄ちゃんと同じ大学の人で奥さんになるとは思わなかった。でも二人が結婚するなら美男美女でお似合いだと思う。
夕子は背筋を伸ばして美富子に問う。
「粕田と言うたか。その娘の身元を言うてみ」
「石切の映橋の米屋の娘。本家が知ってた。一人娘さんやけど下に双子の弟さんがいてはるらしい。二人とも継彦と同じ近大で構内で知り合ったらしい」
「ほんまに妊娠してはるのか」
「継彦は十八才、相手は二十一才、あきれてもの言えん。子供同志みたいなもんや。どないしよう」
「昔ならありえるが、学生結婚は早いやろ。女だてらに近大へ四年も行かせるような家は間違いなく金持ちやろと思うが」
母親と叔母、ついで祖母と四人でがやがやと話し合う。葉奈子は部屋にすみにいって、新聞の広告を眺めながらお菓子を食べ続ける。そこへ本家の夏子が入ってきた。
「みっちゃん、浴元先生が来られました。あ、奥さんと息子さんも一緒です。早う、お出迎えを」
美富子が即座に反応して小走りで部屋を出る。ついで夕子も襟元を正しながら急ぎ足で出ていく。次いで春子、秋子が出る。会話が遠ざかっていく。
「浴元先生がわざわざ豆島の家になあ」
「というより、みっちゃんにあいさつやろ」
「東京にずっといらしたが、お盆で大阪にかえってきはったんや」
「いくら国会議員でも地元の後援者あってこそ。私らを大事にせなな」
「こんなときにお父さんたら寝てばかり」
「だから豆島家は男より女がしっかりしてると言われるんや」
一人残された葉奈子は新聞を前にねころび、天井を眺めながらあめをしゃぶる。新しいたたみの匂いがする。新しい押入れも、電灯もどこもかしこもきれいだ。でも、前の家の方が好きだ。上を眺めると黒くて太い材木が組まれているのが見えていた。この新しい家は天井が扁平で低すぎる。それも口には出さないけれども。
古いたんすがいきなり話しかけてきた。
「わしの引き出しは札束でいっぱいやで……見たかったら開けて見てもええで」
葉奈子は首を振る。そして残り少なくなったお菓子の袋を覗き込む。




