第五話・継彦の婚約者
継彦は頭をかいた。
「この子は同じ大学の人だよ。名前は粕田芳江さん。結婚しようと思ってるねん」
美富子の目つきがとがっている。葉奈子の母親の春子も。秋子たち。叔母たちは全員同じ目つきになった。豆島の跡取りと言われる継彦が前触れなく女性を連れてきたので驚いている。粕田という女性は場の雰囲気にのまれ、伏し目になった。春子たちは構わず視線を芳江に置いたままで声をかけあう。
「ふうん、粕田の芳江さんな」
「まあまあの美人や」
「あの小さかった継彦が女連れて、びっくりや」
「今年の春に大学生になったばかりやんけ」
「あんたは、たったの十八才や。結婚なんか早いんと違うか」
継彦はそれを聞くと怒った。
「せやからここに連れてきたくなかったんや。でもみっちゃんが皆が集まる地蔵盆に連れてこいとうるさいから」
美富子が応戦した。
「あんたが今朝、いきなり好きな女ができたというからや。変な女だと心配やからや」
春子が太い肩をぐいとだして聞いた。
「で、その子、どこの出なん?」
初対面の人間に向かっていう言葉ではない。春子のその第一声は、ずっと年下のまだ学生の弟が女を連れてきたという驚きよりも、女への好奇心が勝っている。しかし、本人には声をかけない。継彦がむっとした顔をしつつ、説明をする。
「ぼくらと同じ東大阪の人だよ。石切に住んでいる」
ついで秋子は声を出した。
「石切は大阪と奈良との県境やな。確かに同じ東大阪や。ご両親は何をしてはるん?」
女の返事を待たずに美富子が声を張り上げた。
「さ、ここにいるのは全員豆島の家のものや。継彦はこの家の跡取りや。今後も結婚前提でつきあうんやったら、あなたの口から直に皆さんにごあいさつなさい」
髪をのばしほっそりとしたその女性は、継彦の後ろに隠れるように小さくなっていたが、それでもはっきりとした声で自己紹介をする。その場にいた全員が耳をすました。
「はじめまして、みなさん。本日はお招きありがとうございます。粕田芳江と申します。住まいは石切の映橋のたもとで両親と祖父母と暮らしています」
ひげを生やしたおじいちゃんが声を出した。酔っ払っていて寝ているとばかり思っていた。本家の豆島一夫だ。
「映橋のたもと、粕田……あっ、もしかしてあんたの親御さんは米屋か」
「はい、そうです。継彦さんとは大学の授業で知り合いました」
ついで一夫の妻、葉奈子の祖母の姉である本家の朝子も声を出す。
「粕田さんやったら身元もしっかりしてはるで」
春子が興味津々で聞く。
「芳江さんといったか、継彦と同じ農学部なん?」
「いえ、教育学部です」
葉奈子はようやく思い出せた。一学期の終わりに新毛小学校に数日きていた教育実習生だ。葉奈子のいたクラスではなかった。特殊学級の担当だったので接触はあまりなかった。目があうと、やっぱりそうだった。口元のほくろが目立つ。葉奈子は思わず「学校で見たよ」 と声を出した。広間の視線が今度は葉奈子に向き、葉奈子は赤面した。春子は葉奈子をにらみつける。突拍子もなく言葉を出したからだ。帰宅後は春子に怒られるだろう。
継彦は葉奈子に笑いかけた。
「はあちゃんのいうとおりや。先月に新毛小学校で教育実習があったと聞いている。芳江さん。この子は姪の卦配葉奈子だよ」
美富子は大学に今年大学に入ったばかりなのにもう実習があるんかと聞いた。継彦が芳江のことを改めて、三歳上の来年卒業予定の女性だという。美富子は驚いたように「あんた、年上かあ」 と言う。
春子も追い打ちをかけるように「三つも上やてな」 と秋子にささやき、秋子や鈴子、夏子、久子もうんうんとうなずく。まだ小学生の葉奈子ですら、こんなに怖い叔母たちがいるのに、粕田先生、よう来れたなと思うぐらいだ。
美富子が言い放つ。
「みんな聞いたげて。この子、妊娠したんやて。まあ、誰の子か知らんけど。それで継彦と結婚したいんやて。今日のところは、せっかく来てくれはったし、みんな気遣ってあげて」
あまりな言葉に芳江が顔を覆って泣き出した。継彦は怒り出す。
「みっちゃん。そうやっていじめるために、家に連れてこいというたんか」
しかし美富子に加え春子、秋子も応戦した。
「結婚相手にするんやったら、手順というものがあろうが」
「先に妊娠ってありえへんがな」
「三つも年上のくせに、今年の春に入学してきた何もしらん年下の子とよくもまあ」
なごやかだった広間は騒然とした。
「まあ、ええがな」 という人あり、「うちの女房も五才上やで」 という人もある。
継彦は美富子をつきとばし、芳江の手を引いてろう下を引き返す。美富子も、しりもちをついたまま「痛いがな。継彦、あんたは一体どういうつもりやあ」 と怒りだす。春子が美富子に駆け寄る。宴会はめちゃくちゃになった。
葉奈子はやっと広間を出て祖母の夕子をさがすことにした。しかし、広間どころか台所も納戸にもいない。こんなことは初めてだった。葉奈子がいるときはいつでも広間のちゃぶ台か、台所にいるのに。
昼間だと絶対に畑にいる。しかし夜だから、増築した新しい部屋にいるのだろう。あんなに人がいっぱいだったのに、奥のろう下には人気がまったくない。暗い階段を通り過ぎ、反対側の部屋をさがす。ろう下に赤いものがちらと見えて葉奈子はそこに向かう。着物や洋服が広げられて足の踏み場もない部屋だ。かべに沿っておかれた三面鏡にはきらきらとしたネックレスやブローチが鈍い光を放っている。どれも高価そうな品物だが、無造作に置かれている。多分これが美富子の部屋だ。春子がどんなにがんばっても、こんなにたくさんの宝石を持つ美富子には勝てない。そう感じた。
葉奈子はぐるりと周囲を見回す。しかし金魚や花のように葉奈子に気さくに話しかける品物はなく、無言でその場にいるだけだ。それでも葉奈子はいろいろな色が混ざったシャンデリアが床に置かれた感覚がした。一歩踏み込むと何か足にさわった。鈍いクリーム色の色彩を放つ真珠のネックレスだ。美富子はこれまた高価なものを床に放りっぱなしにしている。葉奈子はしゃがんでよく見ようとしたが、これ以上ここにいてはいけない、とネックレスに話しかけられた。あわてて飛び出し、再度ろう下をうろつく。途中で春子が言っていた言葉を思いだして不安になった。
……おばあちゃんたら、新しい家が建ってから気分がふさいで部屋にばかりいるんや。年のせいかな、病気やったら、いややな……
薄暗いろう下を横断している光がある。ふすまから光がもれている。葉奈子は、ここだと思って「おばあちゃん」 と声をかけた。