公爵夫人は未来に希望を見つける
使者を使用人が屋敷から追い出すのを見届けると情けなくも呆然としたままの夫に平手を一発お見舞いしてやる。
「あら、いい音するじゃない」
「ななな、何を?!」
叩かれたほうの頬を押さえ、こちらを見上げる夫にそのまま言い放つ。
「アイリスのところに行くわよ」
「はぁっ?! え、というかどこに行ったのかわかるのか?」
娘のことを理解しきれていない夫にため息を吐く。
「それくらい簡単よ。帝国でしょうよ。あちらにはこの国よりも権威の高いレースがあるんだからあの馬狂いが行くとしたらそこでしょうね」
なるほどと盲点を突かれたというふうな夫を放っておいて使用人たちに端的に指示を出した。
「この国を出るわよ! 荷造りの用意をなさい! この国に残りたい者は申し出なさい! 止めはしません!」
公爵家に代々仕えてきた家の者たちで構成された使用人たちは誰一人として残ると言い出さず公爵夫人の指示に一言の疑問も口に出さずに従いそれぞれの仕事を始めた。
さて、自分が出来ることをするかと侍女を連れて自室に向かおうとした時、夫から引き留められた。
「ちょっと待て! 国を出るならなんでアイリスと縁を切ると言ったんだ?」
はて? 私はアイリスと縁を切ると言っただろうかと少し悩んですぐに思い至った。
誰と縁を切るかは言っていなかったことに。
「アイリスと縁を切るのではなくてよ?」
「どういうことだ?」
本気でわかっていない様子の夫に言い聞かせるように言う。
「私たちが縁を切るのは国王陛下です」
異論は認めませんと言い捨てる。
数瞬後、私の答えを理解した夫が絶叫するのにもかまわず背を向けた。
*****
荷造りが終わり、魂が抜けたようになっている夫を馬車に詰め込んだ。
アイリスが公爵家名義の馬を全て連れて行ってしまったため馬車を引く訓練を施された馬が十分な数を用意できなかったがまあいいだろう。
馬車には数をできるだけ絞った家財を乗せ、乗りきれなかった使用人は騎馬で移動してもらうことにした。
「奥様、この黄金の馬は一体? 初めて見ましたが……私たちが乗ってもよろしいのですか?」
出発直前にどうしても気になったのか侍女頭が恐る恐る聞いてきた。
「いいのよ。アイリスの結婚祝いに贈るはずだった馬たちなのよ。美しいでしょう? アイリスにバレないように数を増やすのに苦労したわ」
「……お嬢様の結婚祝いですか。よくあの馬狂いのお嬢様にバレませんでしたね」
侍女頭は馬のことに関しては異常に嗅覚が鋭いアイリスに知られていないことに純粋に驚いたようだった。
「アイリスに知られたくないことはあの馬鹿な甥っ子を絡ませておくといいのよ。近づきたくないからか怪しいと思っても深くまで踏み込まなかったみたいね」
「なるほど。あの王子殿下も嫌われたものですね」
この説明で侍女頭が納得してしまうくらいアイリスの馬鹿王子嫌いは筋金入りで公爵家の者たちにはよく知られた話であった。
「ふふっ、あそこまでアイリスが嫌っていた馬鹿と国のためとはいえ結婚させようとしていた私たちも馬鹿だったのよね。アイリスが逃げてくれて良かったのかもしれない。おかげで純粋にあの子の幸せを願うことができるわ。親としてね」
侍女頭が満面の笑みで言う。
「ではようございました。私から見れば奥様もお幸せそうに見えます。今までは気を張り詰められていたようですね。国のためにと」
あらと驚いてパチパチと瞬く。
「そんなつもりはなかったのだけど。わかりやすかったかしら?」
「私が奥様と何年一緒にいると? 嫁がれてからもう20年にもなりましょうか。奥様はもう十分に国に尽くされました。あとは国王陛下や王妃陛下、王子殿下のことはもはや自業自得でございますれば。それに使用人一同、皆旦那様と奥様の幸せを願わぬ者はいないのですよ。もちろんお嬢様も含めてです」
侍女頭の言葉にまだ少しだけあった国を捨てる罪悪感がすっきりと消えたような気がした。
「そう。アイリスは心のままに今を生きているはずよ。私も旦那様もアイリスに謝らなくてはならないわ。今まで悪かったと。アイリスの許しを得て初めて私たちは本当の幸せを手に入れて良いのだと思うことができるのよ」
それにはまず旦那様を正気に戻さなくてはともう一発平手を入れてやろうかと貴婦人らしからぬ考えが頭に浮かんだ。
「奥様、お嬢様なら簡単に許してくれます」
そんなにやすやすと許してもらえるようなことではないように思うのだが……
「どうしてそう思うの?」
「馬狂いのお嬢様なら黄金の馬を謝罪の証だと言えばイチコロですよ」
「物で釣るのはどうかと思ってしまうけど……アイリスならそれで許してくれそうね」
元々アイリスに贈るつもりだった黄金の馬たちだ。
こちらに損はない。
馬たちもアイリスに大切にされるなら本望だろう。
この国を出た未来には黄金色の希望が満ちている。
国に尽くしてきた公爵夫人は国を出て初めて本物の自由を得たのだ。
*****
公爵夫妻
「アイリス今まで本当に悪かった。お詫びの印の馬だ」
アイリス
「許す。だからその馬に早く乗せろ! まさか本当にいるとは思わなかった! 黄金の馬! なんて美しいんだ!!」
公爵夫妻
「……本当に馬で許しちゃうのか~。そっか~。我が娘ながらチョロい」(小声)
アイリス
両親の言葉を聞いてない
「いい! いい! 最高だ! ダートで走らせればよく走りそうだな! よし! まずは競争馬登録からだな!」
ジュラ
「おぉ、黄金の馬か~。初めて見た。アイリス暴走してんな~。どうやって止めよう……」
*****
馬たちの会話
「どうも初めまして、僕シトリンって言うんだ。一応ここの群れのボスだよ。よろしく~」
「ど、どうも。えっと何も知らないままに連れてこられたんですけどここどこですかね?」
「そうなの? ここは『世界最高のレース』がある国だよ。君たちもレースに参加しに来たんじゃないの?」
「それがオレたち、走る練習はしていたんですけど……レースに出たことはなくて。どうなんでしょう?」
「う~ん、まぁご主人の馬に仲間入りするみたいだから。レースは出ることになると思うよ」
「ご主人?」
「ほらあそこで君たちのお仲間さんに乗ってはしゃいでる人だよ。にしても見たことない毛色してるね~、ご主人がいつもより興奮してるのもそのせいかな」
「この毛皮は生まれつきでして……オレたちはみんなこうでしたから。珍しいんですかね?」
「珍しいよ。僕は初めて見た。さてご主人が乗り飽きて帰って来るまで案内するよ。ひぃ、ふぅ、みぃ……10頭くらい? 10頭様ご案な~い」
「シトリン、おまえってさちょっと前まで新しいやつが来るたびにご主人が構ってくれないってすねてなかったっけ? ちゃんと案内までして、熱でもあるのか?」
「ん? あぁ慣れた。というか慣れざるをえなかった。あいつらに当たってもしょうがないし。毎年、毎年子馬が生まれるたびにご主人それにかかりっきりになるしさ。まぁレース前には僕に乗りにくるでしょ」
「……本音は?」
「…………僕もあいつらみたいな黄金の毛皮が欲しい」
「で?」
「ご主人に一日中! いや! 毎日! 毎朝! 毎晩! 構って欲しいんだよ~!! なんで新入りばっかり~~!! ちっくしょ~!」
「だよな~。このご主人様バカがそんな殊勝なこと考えてるわけないよな。だと思った」
黄金の馬はアハルテケという品種の馬が実際にいます。
競争馬は基本サラブレッド種ですがご都合主義ということでご了承ください。