98事後処理※
その後も目まぐるしかった。
失神して倒れていると思われていたニゲラ団長は、そういうフリをしていただけだったらしい。すぐさま身を起こすとたくさんの魔術の手紙を飛ばして、第二騎士団の仲間を呼び集める。すぐに結界ごと頑丈な檻に宰相を詰め込んでしまい、さらに黒い布を上から被せた上で部屋から運び出してしまった。
私は、未だ頭の中の整理が追いつかない。ずっとずっと私達を苦しめてきた悪党がようやく捕縛された。どう考えても、今後のクレソンさんの人生において障害にしかならない人物だった。悪事は、王族に対する謀反だけに留まらない。私利私欲でしか物事を考えず、地方の政治は完全に放置され、王都を中心に貴族、役人の間では賄賂が横行し、汚職で溢れかえっていた。おそらく、真の意味で国民の生活が顧みられたことは一度もないだろう。
だから、どこかで対決を果たして、負うべき責任を果たしてもらい、何らかの形で罪を償ってもらわねばならないとは思っていた。だけど、こうもトントンと話が進んでは、これが現実のことと受け止めきれないというか、また思わぬところから宰相の味方が現れて、クレソンさんを苦しめるのではないかと不安になってしまう。
でも、あの様子では第二騎士団も相当な警戒態勢が敷かれているようだし、もし私の結界がふいに解けてしまったとしても、宰相が逃げ出したりすることはできないだろう。
きっと大丈夫。もう大丈夫。これで、一つの時代が終わったにちがいない。時代の変わり目って、案外こういうものなんだよ。そう何度も自分に言い聞かせる私だった。
「クレソンさん、これで、終わったんだよね」
私はこわごわと尋ねてみる。終わったと言ってほしい。クレソンさんは、やっと王子に復帰できたのだ。もう、こんなの嫌だ。赤い血も緑の血も、目に焼き付いて離れない。私はトラウマになりそうだった。
「いや」
クレソンさんは、穏やかな表情を作ろうと努めているようだったけれど、まだ硬さが残る。
「まだ終わっていない」
「え?」
「エース、宰相の始末は僕に任せてくれないかな?」
私は少し考えて、小さく頷いた。
私はその始末とやらの方法を知りたかったけれど、敢えて尋ねずにおいた。たぶんこれは、クレソンさんの胸のうちに留めておいた方が良い話なんだと思う。彼の瞳に一層強い炎が灯っているように見えた。後は、クレソンさん自身ができるだけ悔いのない手段を選んでほしい。
★ここからはクレソン視点でお届けします。
トリカブート宰相を捕縛した翌日。王都ハーヴィエルは、再び驚愕の渦に巻き込まれていた。
『トリカブート宰相、大蜘蛛にその身を差し出す』
ハーヴィータイムズ臨時増刊号のトップに出たこの見出しは、国民を大いに興奮させている。これは、僕がハーヴィータイムズへ直接提供した情報だ。宰相を葬るにも、やはりできるだけ綺麗なストーリーを立てる必要がある。大蜘蛛が未だ息絶えずに、いずれ復活すること、そして強い人間を要求されていることが国民にも知られている今、奴は人身御供となってもらうのにぴったりの人材だ。
冒険者だけでなく、各騎士団から集まったよりすぐりの猛者でも倒すことができなった大蜘蛛。しかしその存在はあまりに危険すぎる。また、別の場所でこのような突然変異種の魔物が現れるかもしれないという恐怖も、国の中では広がっている。これを危惧した宰相が、我こそはと身を差し出すことを決心したという筋書き。これは、面白い程好意的にに王都の人々へ受け入れられた。
相変わらず強固な結界に包まれたトリカブートは、檻ごと特注の馬車に乗せられて、王都のメインストリートを進む。他国から要人が来た時と匹敵する豪華さで、馬車の前後を百名以上の騎士たちが警護した。通り沿いにはたくさんの野次馬が詰めかけて、奴に感謝する声、見送りの声がひっきりなしに続いている。
国民など一顧だにしてこなかったトリカブートが、最後の最後で国民から熱烈に拍手されることになろうとは。あまりにも皮肉で、我ながら良い判断をしたと思う。
このパレードも王都を出るとすぐに簡素なものになる。見世物であるのはここまで。ここから先は、数日かけて大蜘蛛の元へ向かうこととなる。
今回、エースは城へ留守番させた。大切な女性に見せたくはない光景になることは明らかだったからだ。
到着すると、大蜘蛛は以前と変わらず小山のような図体でじっとしていた。赤い光はまだ灯されていない。まだ魔石の修復はそれ程進んでいないものと思われる。できれば、すぐにでも奴を引き取ってもらいたいのだが、会話はできるだろうか。試しに声をかけてみた。
「古より今にまで命を繋ぐ賢き魔物、大蜘蛛よ。我が名はクレソン。ここ、ハーヴィー王国の第一王子である。約束通り、そなたが望みし『強い人間』を連れてきた。魔力を吸い取るなり、餌とするなり、好きにするが良い」
すると、仄かに蜘蛛の目元が赤く光った。
『早かったな。もっと近くに連れて来い』
良かった。比較的冷静に話を進められそうだ。
僕は他の騎士に命じてトリカブートの馬車を大蜘蛛の間近くにまで寄せた。そこで馬車を引いていた馬を回収し、彼だけをその場に残す。
『確かにコイツは強いな。普通の強さではない。妬みや執着心、そういった歪んだ黒いものを踏み台にした、とてつもない強さがある。うまく飼えば、しばらくは魔素の補充も楽になりそうだ』
「喜んでいただけて何より。間もなくこちらでは、世界樹の次期管理人が世界樹を目指す旅に出る。そなたを苦しめている世界の不均衡も、遠からず改善して住心地も良くなるだろう。今しばらくソレで辛抱してほしい」
『良いだろう。できればお前もここに残しておきたいが、あいにく戦う力が回復していない。しかもお前は、あの女の匂いがする。また白の魔術に閉じ込められるのもまっぴらだから、今回は話を飲んでやろう』
「協力に感謝する」
僕は、すぐに自分の馬車に戻り、城へ帰還する指示を出した。ものの数分で、王都からの一行は馬首を南に向けて進み始める。馬車の窓から身を乗り出して振り返ると、大蜘蛛は早速奴の馬車を解体していた。檻もすぐにバラバラに壊され、白い光に覆われた結界が現れる。その状態のまま、大蜘蛛の腹の下へ引きずり込まれていくところまでを見届けた。
トリカブート、感謝するがいい。お前がまだ大蜘蛛に八つ裂きにされずにいるのは、エースのお陰だ。エースは、一時期だけでも交流があったアルカネットに情を移し、それ故あれだけ強固な結界を今も保てている。しかし、大蜘蛛の復活はおそらく間近だ。結界の中で餓死する前に引きずり出されることだろう。せいぜい死ぬよりも恐ろしい地獄の中で生きながらえて、最後には魔物の糧となるがいい。
◇
王都に戻ると、まずコリアンダー副隊長に奴の最期を伝えにいった。腐っても彼の父親だ。僕のことは殴り倒してもいいと言ったのに、逆に「手間をかけた」と言って頭を下げてくる。そして再び上げた顔は、どこかすっきりしていた。どこまでが本心かは掴み切ることはできないが、彼の心もこれで一区切りすればいいのだが。
さて、次は王だ。これは、報告のため。僕が王都に戻ってきたのを知っていたらしく、珍しく自室に引きこもらずに玉座の間にその姿があった。
「逝ったか」
「はい」
正確には、辛うじてまだ存命かもしれない。だが、衰弱しきった奴があの大蜘蛛の包囲網を掻い潜って逃げ出すことは不可能。それよりも、奴は魔物化が進んで、もはや宰相であったことや、人間であったことすら頭から抜け落ちている状態かもしれない。もう、死んだと言って間違いない。
「となると、次の新しい宰相を決めねばなりません」
エースに言った通り、奴の力を無効化するだけでは本件は終わったとは言えない。奴から奪い返した王国のこれからの礎を整えて初めて、新たな時代の幕開けとなるのだ。
「既に心積もりがあるのだろう?」
「はい。かの息子はいかがでしょう。あの人は信頼できます。父親のことは反面教師としか思っていないようですし、これまで王城、ひいては王家の防御に貢献してきた実績も多い。血筋も確かなので、老齢の貴族人も表立って嫌とは言えないかと」
「だが、武官に文官の長が務まるのか」
「ここだけの話ですが、元々武官よりも文官に向いている人です」
オレガノ隊長がすべき書類仕事も一手に引き受け、魔道具制作といった研究分野にも明るい。もちろん剣や槍も使えるが、エースがこちらへ来た当初、城内外にの情報操作で最も腕をふるっていたのは彼だ。名門貴族だけあって顔は広いし、駆け引きも上手い。あの父親をのらりくらりと交し続け、決して悪に染まらずにいたことだけでも、彼の力量が伺い知れるし信頼がおける。
「ですが、以前のように権力が宰相に一極集中するのは良くありません。あくまで王の補佐として、様々な人の意見を集約する役目に徹するべきです。この役目には、私の側近のラムズイヤーも加えたく」
最近のラムズイヤーは、すっかり裏方に徹している。しかし、絶対に必要な裏方だ。決して華やかではなく、周囲からはその功績が認められにくい地味な役回りにも関わらず、ずっと宰相派の動向を探り続け、新たな国の体制で必要になる人事を考え、根回しをし、ディル班長を通じて孤児達の組織の運営も上手く回している。彼の頑張りと熱意には、僕も頭が下がる思いだ。
「そうか。これからの体制まで考えているとは頼もしい。どうやらトリカブートの同志は、トリカブート捕縛の噂で散り散りになり、自決したり逃げたりしたものが多いらしいからな」
王は、身の回りの侍女や侍従からの噂で知ったらしい。
「国外へ行った者もいるのではとの話だが、これは厄介だな」
「それは既に手を打っています。ミネラール王国のオニキス王子経由で近隣諸国には触れを出しました。逆賊なので、見つけ次第それぞれの国で捕縛し、始末して良いと」
裏切り者は、どこへ行っても裏切り者だ。新たな主を見つけても、結局また悪さをする。そういう病に取り憑かれているのかもしれない。そういった者達の習性を、周辺国ももちろん熟知しているので、それ相応の処分を下し、二度とハーヴィー王国の地を踏めないようにしてくれるだろう。
とにかく、周辺国は考えていた以上に僕に対して好意的だ。何しろ、トリカブートは飢饉の際に周辺諸国から支援を取り付けたにも関わらす、未だにその礼をしていない。今回は、僕が王子として復帰することで、その代償を支払うことを約束したので、話を聞いてくれたという面は大きいだろう。
「それでクレソン、その代償はどうするのだ?」
父上はすっかり頭が回らなくなっているのか。内心ほとほとため息をつきながらも笑顔で返答する。
「米や醤油といった和食調味料などです」
これらは、魔力増強効果があるレアものであるし、今のところハーヴィー王国でしか手に入らない。米は他所で栽培しようにも、気候が合わなかったり、ノウハウがないので、すぐに真似されて競争力が落ちることもないだろう。その辺りの舵取りや他国への運搬手配については母上と、第八騎士団のディル班長率いる元孤児の組織も協力してくれる予定だ。きっと上手く行く。
なのに父上の顔色は冴えない。まだまだ憂慮すべきことがあるのは分かるが、ひとまずは成果を上げたつもりなのに。すると。
「子どもは知らぬ間に成長するものだな」
当たり前だ。僕は父上から離れ、ただの騎士として多くの時間を過ごし、庶民がどんな生活をし、何を不安に思い、何を楽しみにして、どんな価値観で生きているのかを目の当たりにしてきた。そして、全てを諦めかけていた頃、エースと出会った。今振り返れば、王子がさらに上を目指すにあたり英才教育を受けてきたようなもの。王族は、礼儀やマナー、文化的学術的な知識と、回りくどい駆け引きや交渉術だけでは立ち行かない。それを認めてもらえたようで、僕は自然と笑顔になれた。
「さて。褒美の話をしよう」
僕は父上の声を受けて、居住まいを正す。
「望むものはあるか」
ある。
これを言うのは、きっと今がチャンスだろう。
ふっと頭にエースの顔がよぎった。
迷いは無い。
前進あるのみ。
「はい。王座を、頂戴したく」
翌日から、王になる準備が始まった。
★おまけ小話★
宰相が第二騎士団に運ばれ、エースを第八騎士団の方に向かわせた後、クレソンはニゲラの姿を探していた。
「こんなところにいたのか。お前も魔物になりたいか? それならば、今の内に斬ってやろう」
クレソンさんは、ニゲラをもうしばらく手駒として使う予定にはしていたが、ここで失ったところで些細なこと。既にエースの預かり知らぬところで和食広め隊とも言える孤児たちの一部は、そういった暗部に特化できるよう秘密裏に訓練されているため、代わりはいくらでもいる。それも、真にクレソンとエースに忠誠を誓う者達が。
ニゲラは、城の庭の茂みに隠れるようにして蹲っていた。どうやら、アルカネットが操る黒の魔術の影響を受けぬよう、他国から取り寄せた中和薬を服用していたらしいが、クレソンやエースのように白の魔術のほほ笑みを受ける者のようにはいかない。体に薄っすらと纏う黒きモヤは、時間が経てば消えるだろうが、その漆黒に染まった左手は、もはや手遅れに見えた。
「こういった事に強い者がうちの隊にもいる」
ニゲラは、暗に問題ないとクレソンに伝えたいらしいが、その表情には余裕がない。冷や汗をかきながら、いつも以上に醜い顔をクレソンに向けていた。
クレソンは、内心「こちらにもいる」と思った。もちろんそれは、エースのこと。エースであれば、かつてソレルにやって見せた様に、末期の黒魔術に犯された者も救うことができる。だが、例えエースがやりたいと言い出しても、ニゲラにその力を使うことは許さないつもりだった。ニゲラも、クレソンの仇の一人であることにはちがいないのだから。
クレソンは腰から剣を抜くと、その刀身を地に向けたまま、ゆっくりとニゲラへ近づいて行った。
「何、今から素人に毛が生えたようなものに見せたところで、お前の騎士として、人としての寿命はそう長くないだろう。ならば、ここで僕が親切にも処置してやるのが、王を目指す者の情けというもの」
次の瞬間、ニゲラの目の前に銀色の残像が残る。声を上げる暇も無く、その左腕の肘から下は消え失せていた。いや、地面に転がっていた。その切り口は驚くほど美しくスッパリとしたもので、なぜか出血は少ない。追って、強烈な痛みがニゲラを襲った。
「その痛み、その傷を忘れるな。お前を救ったのはこの僕だ。僕がわざわざ生かしてやった意味をゆめゆめ忘れないようにすることだな」
ニゲラは言い返したい気持ち以上の痛みと失血による負担で、反撃することも叶わない。呻くだけ。
「滅多なことは考えるな。僕は、いつでもお前の首をとれる。大人しく僕の役に立つことをすれば、もう少しだけ長生きさせてやろう」
そう言うと、クレソンは右手の指をパチリと鳴らす。途端に、空へ赤い火花が打ち上げられた。これは第八騎士団共通の緊急信号だ。これで、すぐにニゲラは他の騎士達に発見されることとなるだろう。
クレソンは去り際、一度だけニゲラの方を振り向いた。
「これぐらいならば、エースも許してくれるかな」
クレソン自身、本来は黒い影のような仕事を得意とはしていない。宰相を二人分も葬ったかのような疲労感を引きずり、今度こそその場を離れたのであった。
〈おしまい〉