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99生きる意味※

★今回はリンデン視点のお話です。


 魔術師棟の中は閑散としていた。少しカビ臭い書庫。薬瓶が並ぶ年季の入った戸棚。読み差しのまま放置された魔術書。食べかけた後、片付けを忘れていたのか腐食物を盛り合わせた皿の上を小蝿が忙しなく飛び回っている。窓から差し込む陽の光はあたたかで、あのお方の定位置であった飴色の椅子を日だまりが包み込んでいた。


 また、ふと何か思いついて出かけてしまったか。もしくは、宰相のために相も変わらず誰かの前で悪役を演じているのか。数時間後、遅くとも明日にもなればここに戻ってきて、顔を見ることができるにちがいない。きっと今は、少しどこかへ雲隠れしているだけだ。ふらっと何食わぬ顔で戻ってくるのを、僕は大人しく待っていればいい。この部屋にいる、主を失った多くの物たちのように。


 初めは、頭痛がした。次に味覚を失い、空腹感というものも無くなった。気づいたらここへ辿り着いていた。雑多な狭い空間が酷く広く感じられる。ここだけは、時が止まっている。


 トリカブート宰相は、アルカネット様の魔石を抱いたまま、大蜘蛛に取り込まれていった聞いた。


 そんなの、嘘だ。

 あれ程のお方が、自分が開発した薬を飲み干して魔物になり、殺されてしまうなんて。こんな事があっていいものだろうか。


 机の引き出しを漁った。もしかすると、自分に何か書き置きしてくれているのではないか、と。出てきたのは、薬の調合のメモ、魔道具制作で必要な技術の方程式、そして、トリカブート宰相に向けた手紙だけだった。


 自分宛ではない手紙を読むなんて、趣味が悪いにちがいない。けれど、一文字でも僕に関することが書かれていればと思って、紙をそっと広げてみる。


 本当に彼らしい手紙だった。淡々と、トリカブート様の心と体を労る文章が綴られていた。もし、薬開発の実験の失敗でご自身が死んでしまった時のために、遺書として残してあったもののようだ。もしアルカネット様が亡くなってしまったら、この魔術師棟は焼き払い、その炎を一生覚えていてほしいと書かれてある。


 執念のような、愛だった。初めから、報われるはずのなかった愛。宰相の視線は常にローズマリー姫に注がれ、きっと他のものは全てモノクロの景色としか捉えられていなかったにちがいない。なのにアルカネット様は、性別を捨て、己の心を無視し、ひたすら献身的にトリカブート様を支え続けた。愛する人の心に入り込む余地が無いことは、とっくの昔に知っているのに。一途すぎる愛。


 近頃はトリカブート様に集う仲間も数を減らし、離散だけならともかく、裏切りもあり、非常に厳しい状況だった。それでもトリカブート様が正気を保ち、胸を張り続けていられたのは、紛れもなくアルカネット様のお陰なのではないだろうか。そして僕は、そんな無謀で真面目で真っ直ぐな彼を尊敬し、時に可愛らしく思い、時に歯痒い思いで見守って、陰ながら応援し続けてきたのだ。


 それも、終わった。


 僕の想いも、ある意味アルカネット様と同じだった。最後まで通ずることがなく、そしてその結果は初めから予想されていた。理論的には理解できるにも関わらす、なぜか受け入れられない。自分自身が大きな音を立てて崩壊していくのを、少し離れたところから冷静かつ客観的に見つめているような不思議な浮遊感がある。


 その浮遊感が、僕の背を押す。行くなら今だ。その窓辺から飛び立って、今度こそアルカネット様が心から笑える幸せな世界に旅立つ。そう、今ならいける。今こそ僕は――。


「馬鹿野郎!」


 一瞬視界が暗転したかと思うと、目の前を無数の星が飛び散った。


「オレガノ……隊長?」


 気づいたら、僕の体は埃っぽい床に打ち付けられていた。摩訶不思議な文様の天井の壁紙と、こういった学術的な空間に全く似合わない隊長が僕をギロリと見下ろしている。


「どうして、ここに」

「どうしてもこうしてもあるか! お前、勝手に死んだらタダじゃおかねぇぞ!」


 何を言っているのだ、この人は。名家の次男であり、長年ハーヴィー王城防御の要たる第八騎士団第六部隊を率いてきた実力ある騎士。戦士という言葉の方が似合うかもしれない。部屋の中にいれば、ただ図体がデカイだけのオッサンだが、ひとたび魔物が来れば、たちまち頼もしくなる我らが隊長だ。


 この人は基本的に筋肉バカという解釈で間違いないが、全てがそれに当てはまるわけではない。意外とデリケートな心も持ち合わせていて、エース絡みのこととなると途端に嗅覚が強くなったり、なよなよして湿っぽくなったりと、お茶目なところもある。それを全て体調室でずっと見せつけられてきた僕は、少々見誤っていたのかもしれない。


 まさか、僕がアルカネット様と繋がっていたことがバレていたなんて。


 いつからだろう。どうして僕を今の今まで生かしておいたのだろう。それとも、今僕をここで発見したのはたまたまだろうか。それならば、自死を止めにかかる理由も薄っすらと理解できる。この人は何だかんだで世話焼きで人情深いところもある。それがカリスマ性のような形になって、第八騎士団第六部隊を纏め上げている。決して良い子とは言えないむさ苦しい男共をだ。


 僕は頭が混乱したまま、しばし瞬きを繰り返していた。すると。


「どうして、か。そんなの簡単なことだ。お前がアルカネットを崇拝していて、頻繁に奴の手下と手紙の交換をしていた。そしてアルカネットが死に、奴の手下も蜘蛛の子を散らしたように国内外に散らばって、お前を繋ぐ鎖は跡形もなく消え去った。お前は、寄る辺がなくなって、ふらふらした挙げ句、馬鹿なことをしようとしていた。それを全て知る俺が、待ったをかけた。これが全てだが、質問はあるか?」


 今、オレガノ隊長が愛用の槍を持っていたとしたら、きっと今頃僕の顔から数ミリのところにある床にソレが刺さっていたことだろう。彼の怒りがビリビリと空気を通じて伝わってくる。


 でも、やはり不思議だ。どう考えても、僕は消えるべき存在だ。そしてここは、ひっそりと消えるのに最適な場所。オレガノ隊長にとっても、都合の良いシチュエーションなのに、なぜ。


「質問は、あります」

「何だ」

「どうして、僕を殺さなかったんですか」


 隊長は、鼻で笑った。失礼な人だ。こちらは真面目に尋ねているというのに。


「リンデン、世界は、広くて狭い。お前を大切にしてくれる人は奴だけじゃないぞ」


 そんな酔狂な人、そうそういるものか。綺麗事には疲れ切っている僕は、剣呑な視線を隊長に向けた。


「そして、苦しんでいたのもお前だけじゃない。見ろよ、クレソンを。お前みたいに真面目でもなかったちゃらい騎士が、明日には王だ。こんなこと誰が想像できた?」


 クレソンは、嫌いだ。特に、あの胡散臭い笑顔。女性はアレを好むようだけれど、作り物めいた表情に僕が動かされるわけもなく。王が何だ。結局のところ、元の生まれが雲の上だから、そういうことになっただけなのだろう。きっと初めから決まっていた運命。僕とは違う。


 同じ隊にいて、同じ食堂で飯を食らい、同じ人を上官と仰いできた。それでいて、僕よりも戦線に出て、何度も死にそうになったはずなのに未だに生きていて、いつの間にかその背中は手を伸ばしても届かないぐらい遠くなっている。どうして、こうも違うんだ。僕が文官だから? クレソンよりも若いから? そういう問題ではない事が直感的に分かってしまう。


「まぁ、そう悔しがるな。男なら出世した奴を妬んだり、自分の方がと思うことも珍しくない。むしろ、これは良い傾向じゃないか。死ぬどころじゃなくなっただろう?」


 隊長の言葉にハッとして、思わず唇を噛みしめる。クレソンが、指一本動かさずに僕を翻弄しているという事実が、悔しすぎた。


「リンデン、強い感情は生きる糧になる。魔術だってそうだろ? お前の気持ちはお前のものだ。死んだら、それすら無くなるだ」


 言われて初めて気づく、喪失感。そうだ。これまでいろんな物が奪われ、この手から零れ落ちていったけれど、一番大切な方まで失ってしまってしまって――。


 そうだ。アルカネット様は、お亡くなりになったのだ。

 これが、事実。


 目頭が熱くなって、生ぬるい液体が頬を伝い、慌ててそれを制服の袖先で拭った。


「俺もな、お前が今後どうなるかなんて全く分からん。クレソンとか、エースみたいな例があるからだ。奴らは規格外だとか思ってるだろ? でも、案外付き合ってみると普通の人だ。普通に怒るし泣くし……それに、脆い。だからこそ、お前にもまだまだ可能性があるってことだ」


 あの二人が、脆いだって?


「そうだ。ちょっとはマシな顔つきになってきたじゃないか。とりあえず生きてみな。全てはそれからだ」

「生きる意味なんて……」

「リンデン!」


 最後までは、言わせてもらえなかった。


「お前は本当にそれでいいのか? 今となっては、あいつらは悪党としての側面しか世間に知られることなく逝った存在。別の一面を知るお前まで死んだらどうなる? 誰からも忘れられる。それがどれだけ虚しいことか。もうわかるな? お前がすべきことは」


 そっか。まだ死ぬ権利すら貰えないのか。暫し頭の中で逡巡する。うん、それで良いのかもしれない。


 生きていれば、ずっとアルカネット様のことを想っていられるのだから。この神聖な気持ちは、誰にも渡さない。僕と、アルカネット様だけのものだ。


「立て」

「はい」


 僕は、自分の力でその場に立ち上がった。


「リンデン、できないこと、弱いことを人のせいにするな。過去を振り返ってくよくよするな。そして、自分の可能性を信じろ。さらに、周りの人間を信じろ。この国はこれから絶対に良くなる。ついでにお前も生まれ変われるさ。今なら、な」


 周りの人間か。素直に、俺のことを信用しろと言わないこの上官は、確かに信頼に値すると思う。僕は控えめに頷いた。


「オレガノ隊長、頭撫でてください」



   ◇



 それから一ヶ月ぐらいが過ぎた頃。国内外の貴族、近隣諸国の王侯も祝いのために詰めかけてきて、王都は凄い賑わいとなる。城に届いたおびただしい数の祝の品々も、置き場所の確保に困るぐらいだ。そんな中、ハーヴィー王城では、盛大な戴冠式が執り行われた。


 僕は式典などに参加できるような身分も役職も無かったのだけれど、オレガノ隊長の無駄な計らいで騎士服を着せられてしまい、式典の警備に割り当てしまった。お陰様で、クレソンがその頭に王冠をつける瞬間まで見てしまうことになる。遠目に見ても眩いほどの輝きを見せる王冠。あんなものが似合うなんて、つくづくあの男は鼻につく。


 王冠を授けたのはローズマリー姫だった。世界樹を神体としている神殿の偉い人が出張って来るのかと思いきや、姫様だったのは驚きである。けれど、遠からず世界樹の管理人となるお方に勝る相応しい方など、世界中探してもいないだろう。


 この国は、本当にこれから変わっていくのだろうか。アルカネット様のいない国が、どこまでやっていけるのか。僕は命ある限り、それを見守っていくことになる気がする。



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