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第四章:壊れた黒剣人形

 第四章【壊れた黒剣人形】



 彼は夢を想う。それが眠れない彼が見られる夢。

 レイがレイラだった頃、父は、シェムだけに対し、よくこういった。

『お前はお兄ちゃんなんだから、レイラを護ってやらないとな』

 そう言われる度、疑問に思った。どうして兄だからって、妹なんかを守らなきゃいけないのか。シェムだって思う所はある。レイラは女で、シェムは男だから。男が女をマモるのは格好良いから。だけどレイの方が体は大きいし、足も速い。手先が器用だから何でもできるし、ケンカをしてもシェムが勝てた試しは無い。

 本当にレイラをマモる必要があるのだろうか。

 自分がレイラをマモる事ができるのだろうか。

『ねぇ父さん、オレよりも、レイラの方が大切なんだよな?』

 一度だけ、レイラがいない所で訊くと、父は奇妙な顔をした。父も、自分が妹をマモるだけの強さがない事を把握していた。それでもレイラをマモれというのは、つまり妹の方が大切だからだと、シェムは自然に考えた。

『お前は、レイラを護りたくないのか?』

『んー、よくわからない。だけど……』

 その後、自分が何て答えたのかは憶えていない。答えを知っているはずの父は殺され、あの時の答えを知る者は、もう、どこにもいない。

「今のオレなら、何て答えるだろうな」

 シェムは言葉を落とした先を見据(みす)える。密集する木々がそこだけはだけ、乾燥した空気が通り抜けるそこは、森の中でありながら、明るかった。その陽の下に残されていた弩弓(クロスボウ)

 一週間ほど前にこの場所で別れ、血が付着した弩弓(クロスボウ)は酸化して黒ずんでいた。シェムは拾ったそれ片手に構えると、あの時自分がいた場所を照準(しょうじゅん)する。片割れが何を思って引鉄を引いたのか。それを確かめるように弦を引くと、弓鳴りだけを響かせた。

「バンっ……」

 口で銃声を真似、あの夜の自分を撃ち抜く。シェムは弩弓(クロスボウ)と矢筒を背負うと、進路をカーネルの家に取る。レイは錬金術士の家にまだいるのだろうか。ちゃんと飯を食べているだろうか。独りでも寝付けているだろうか。訪れた自分を見て、どんな反応をするだろう。また殺されかけるかも知れない。どうするべきか何て、わかるはずもない。

 でも、行って何を言うかだけは、決めていた。

 歩き続けると森を抜けてしまった。黒装束の少年少女達が、また襲撃してくるかと用心していたのだが、そんな気配も無い。

 錬金術士の家が見えてくる。しかしその様子が、少しおかしかった。

 今日は、雲一つ無い澄み切った天気だと言うのに、洗濯物が乾されていない。もう昼過ぎだというのに、子供達のはしゃぎ声が聞こえなかった。

 やけに静かな門柱まで辿り着き、抱いた違和感は、確信に変わる。嗅覚を過ぎる血臭。シェムは狗剣(ライカ)を握る腕に力を込めると、呼び鈴も鳴らさず中庭へ押し入る。すると数日前にアイリ達と座っていた長椅子の前に、(ころも)を真っ赤に染めた少年が倒れていた。

「ゼンリ!」

 駆け寄って覗き込んだ顔には見覚えがある。レイのロケットを勝手に開いたやつだったから、名も憶えていた。呼吸を確かめると、その前に呻き声が返ってくる。

「ゼンリ、おい、どうした。いったい何があった!」

「シェム、兄ちゃ、ん? いたいよ……こわいよ……さむい、よ」

 片目を薄く開いた少年は、焦点が定まらない瞳でシェムを見上げると、ずっと溜め込んでいた涙を流した。ゼンリの出血は肩と脇腹からだ。傷口自体は深く無い。だが範囲が広く、早く止血をして医者に駆け込まなければ命に関わる。

「何があった。カーネルのおっさんや、アイリ達はどうした?」

「わから、ない。みんないなくて、化け物がいて……」

 化け物。その単語ですぐに連想されたのは、ロイであり、自分だ。

「でもね、変なんだ。見えないんだけど、そうおもったんだ。みんなが、みんなが……」

 うわごとのように呟くゼンリの声を、シェムはもう聞いていなかった。

 その位置から顔を上げた先に広がる(あか)い海。死屍累々と横たわる、子供達の残骸。千切られた内蔵を撒き散らし、投げ出された手足が沈むそこに、生者の気配はもはや無い。

「みんなが、化け物の、中にい――」

 脊髄反射的にシェムが飛び退くと、黒い巨剣がゼンリの身体を巻き込んで大地に沈む。

「ゼンリっ!」

 血飛沫が噴き上がり、胸の位置で上下に分断されたゼンリは、パクパクと口を開閉させた後、目を開いたまま動かなくなった。狗剣(ライカ)を構えて振り返ると、右腕を黒い巨剣に変えた少年が、無表情のまま剣を大地から持ち上げた。土埃と一緒に鮮血の糸を引かれる。そしてゼンリに一瞥もくれてやることもなく、双眸(そうぼう)に填め込まれた緋色(ひいろ)の瞳は、シェムを見た。

「……何で、だよ、ゼンリは、お前の家族じゃなかったのかよ。この惨状は、てめぇの仕業かよ、ロイッ」

 ロイは巨剣を脇にすると、三歩で距離を詰め一閃。シェムが手繰り寄せた狗剣(ライカ)と火花が散らし、生身と人工の筋肉が(きし)む。病み上がりのせいか、前よりも剣が重い。巨剣を全身のばねを使って跳ね退けると、切り返された剣先がシェムの二の腕を撫でた。

「あぶねっ!」

 掠めた左腕の皮膚が切り裂かれて、下から鈍色が覗く。この機械の腕は、損傷が蓄積されたらそのままだ。装甲ならばともかく間接を壊されたら、そこでお終いだ。

「……メイリーフと同じ色」ロイは呟いた。「お前は、メイリーフの何だ?」

「誰だ、そりゃ?」

 意志の疎通の代わりに剣が交じり合うと、一合、二合と鋼が弾ける。むらがなかった剣筋が崩れ、ロイの左手が(ゆが)む。狗剣(ライカ)が受け止めた右の巨剣から力が抜かれ、反転しながら顕現した左の巨剣が薙がれ、シェムは義手から展開した曲刀でそれを受けた。

「……っ、なろぉっ!」

 肩の接合部に痛みが走る。牽制に振るった狗剣(ライカ)が避けられ、間合いを取り直す。

 悔しいがロイの方が強い。やるならば、向こうが本気を出し尽くす前。そしてこちらが体力を消耗する前。なるべく早くに片を付けなければならない。

「レイラは、どうした?」

「……そうかお前が、お前こそが、メイリーフを奪う者か」

 厳かな声が答えた。そこに込められた想いの正体までは判らずとも、シェムは初めて、ロイの感情を垣間見た気がした。そして両腕に巨剣を生やした黒い少年は、大地を蹴る。

「やらせない、傷つけさせない。ぼくは、ぼくは、メイリーフを護るのだから!」

 すると巨剣の重さと手数を増えた。何かを訴えかけるように巨剣を振り回す様は、癇癪を起こした子供そのものだ。そんな彼の顔が、クシャリと(ゆが)む。今まで抑制されていた物が一気に弾け出すように、巨剣の鋭さが増した。

「でないと……そうでないと、メイリーフが、死んじゃったんだっ!」

 これから起きる未来と、既に起こった過去をごっちゃにした慟哭は、魂を裂く悲痛に満ちていた。そして突き出された黒い巨剣がついに狗剣(ライカ)を越え、身を(よじ)ったシェムの脇腹を掠めて血が弾ける。脳に伝わる灼熱感。シェムは背中に伸ばした手で弩弓(クロスボウ)を取ると、引鉄を引いてロイの肩を射抜いた。黒い少年が仰け反り、飛び退いた先でシェムは片膝を付く。

「ぐっ…あぐ……」

 抑えた(てのひら)の内から滲み出た赤が服を染め上げていく。

 内蔵まで届いてはいなかったが、切り口の深さは薄皮一枚どころでは無い。

「……はっ、そんなでかい包丁使ってこの程度か。大根切るのにも使えねぇなおい!」

 軽口の返事は、黒い巨剣が代わりに答えた。振り落とされたそれを、地面を転がりかわすと、シェムは孤児院へ駆け込む。巨剣の破壊力と身軽さは恐ろしいが、身の丈もあるそれは室内では使いづらいはずだ。幸いにして孤児院には、身を隠すのに丁度良い広さがあった。

 なりふり構わず突き進み、何度か扉を潜り抜けた先で辿り着いた部屋は、窓辺に寝台が置かれ、どこか生活感から離れた客間だった。手近にあった布を引き裂き止血のため脇腹を縛りあげ、それから側にあった椅子に腰掛ける。孤児院がこの有様で、レイだけが無事と考えるのは虫が良い話だ。しかしあれだけ執着していたロイが、レイを殺すわけは無いし、そのつもりならば、既にその機会は何度もあった。

 一息をつけてから立ち上がると、片手に弩弓(クロスボウ)を構えながら、息を潜めて廊下へ滑り出る。腰に吊した狗剣(ライカ)の代わりに、義手の曲刀を(かざ)す。五指を開閉させ異音が(きし)む。ロイの一撃を受けてから、義手の調子がおかしい。所々の皮膚が()がれた腕は、鈍色の人造筋肉と鉄骨を晒し、もはや装飾機能を失っている。こんな事なら、最初から戦闘特化型を付ければ良かった。曲がり角の度に息を殺し、体重のかけ方に気を配りながら、長い廊下を壁伝いに歩く。数日前の日だまりの家は、恐ろしいほど静かだった。

 それから迷路を辿るシェムの足が止まった。何もかもが静まり返った家屋の中で、そこだけが違った。まるで巨大な獣が暴れた跡のように、その廊下だけが破壊し尽くされていた。

 陥没した壁は、内側から()ぜたような有様で、廊下を剔る傷跡は、百槍の嵐に貫かれたみたいだ。死ぬ間際、ゼンリが化け物がどうのと言っていたが、これもロイがやったのか。

 廊下をよく見ると、陥没した壁の向こうに空間がある。警戒しながら穴を覗くと、下へ続く階段が見えた。元々、この壁はこの階段へ続く隠し扉だったらしい。そして廊下の惨状は、この階段の下から伸びていた。

 シェムの左手が狗剣(ライカ)の柄に伸び、トントン、とその先端を弾く。

 それから秒針を何拍かだけ逡巡すると、シェムは口を開けた奈落へ、降り始めた。



 ------(あか)い、妹よ。

 そう、誰かに呼ばれた気がした。

 羊水の中で微睡(まどろ)んでいたレイが目を開くと、そこはどこまでも続く白い闇の中だった。

 シェムが、すぐそこにまで来ている。だがレイを呼んだのは、彼じゃない。

 ここはアイリの器の中だ。本来なら、ここには、彼女の色が満たされていなければならない。だけどここにあったのは、この白い闇。これがアイリの心なのか。違うということは、たゆたう中ですぐにわかった。

 心は想いが強ければ強いほど光を放つらしい。この白い闇に満たされた想い。そこから聞こえる声は、どれもアイリのものでは無い。誰のものでも無い。闇は何十もの声が折り重ねられ、様々な心の光が織り重ねられ、もはや誰のモノか境界線も曖昧な、この白い闇となった。

 ずっと聞こえている想いの唱和。哀しみと絶望、夢と希望を粉砕された魂の慟哭。

 心が行き着く先を見失った時。それが自らの内側へ向けられた物じゃなかった時。人はその想いを、何と呼ぶのだろう。

 苦しい、辛い、痛い。生きたい。なんで。どうして。わたしは生きたいだけなのに。

 奪われた。盗られた。使われた。殺された。失われた。嫌だよ。憎いよ。

 彼らの魂は求めた。生の渇望を、生者へ抱く激しい嫉妬を逃す方法を。

 生きたい。命が欲しい。断片に過ぎなかった彼らの願いに、想守者の血は応じた。

 白い闇に融けていく(あか)い流脈。は緋色(ひいろ)咀嚼(そしゃく)する度に、様々な色に転がった。波止場に打ち付けられた波のように弾けては、闇の飛沫が様々な色を映し出す。それは自分から流れ出した命の色。そう、この白い闇を活性化させているのは、レイの血に含まれた想いそのもの。彼らの声は、ずっと聞こえている。

まだ足りない、まだ足りない、まだ足りない、まだ足りない。命を得るには力が足りない。だからちょうだい。力をちょうだい。あなたの魂をちょうだい。心をちょうだい――どんな言葉でも良かった。

〝いいよ、ボクを全部、あげる――だからボクに終わりをちょうだい。〟

 ゆっくりと、だけど着実に自分から流れた命は擦り減っていく。心が削られていく感覚は、思っていたほど辛くは無く、逆に、微睡むような心地よさを与えてくれた。このまま何も考えずに消えていく。そのはずであり、レイはそれを望んでいた。

 ------ワタシの、(あか)い妹。

 それなのに、いつまでも止まない『ちょうだい』の中に、その声は響いた。

 女の子の声。この白い闇の中に埋もれても、響き渡る確かな声。

 ------ワタシの心を聞いて。

 振り返ると色が見えた。(あか)い瞳を持った黒髪の少女。アイリではない。レイを求めるみたいに伸ばされた両手は透明で、向こう側が透けて見えた。

「これが欲しいの?」

 レイは自分から流れる命を差し出す。だけど目の前の少女が、それで(かぶり)を振ることは解っていた。彼女が欲しいものは、想血(ポーション)では無い。

 ------あなたの、心が欲しい。

「ボクの心? もう、あげているじゃないか」

 違う、と少女は再び(かぶり)を振る。

 ------見て。

 彼女の指先が下を指すと、今まで気付かなかった大きな穴が空いていた。穴はよく見ると薄い膜で(おお)われていた。正確に言えば、目が極めて細かい網に近い。

「……あれを塞いでいるのは、キミなんだね」

 網と同じ色をした少女。本来ならばとっくに流れ出しているはずの魂を必死に押さえ込んでいた網の目が、少しずつ解れていく。原因は、暴れ出したこの白い闇。ひび割れたフラスコはもうすぐ壊れる。器が壊れたら魂はどうなるのか。

「それで? 終わりを求めるボクの心は、あの穴を塞ぐつもりはないんだ」

 -----わかってる。もう、この世界の崩壊は止まらない。

「ならなんで」

 -----悲しすぎるから。

 レイは顔を上げて、少女を凝視(ぎょうし)した。

 ------知らないまま奪われてしまったこの子達に、あなたが持っている温かいモノを、感じさせてあげてほしい。それが、わたしが求める、あなたの心。

「それなら、無理だよ。だってボクもそんなものは、持って無かったんだ。今までそうだと思い込んできたモノは、誰かに造られた偽物だった。自分が一番に愛したモノは、自分を愛してくれたフリだけだった」

 それでもいいと思い込もうとしてダメだった。もっと愛されたい。二人きりじゃダメだ。世界を敵に回しても良いと言う彼が恐ろしい。彼は自分が愛した世界まで、愛してはくれない。

「キミが、ロイの本当の想守者(ヘリオトロープ)だろ?」

 ロイにも想守者がいたことは、カーネルから聞いている。

 何よりも自分を〝(あか)い妹〟と呼んだのだから、そうなのだろう。

「ならキミも、ホントは知っている。人形(シェム)はボクらを愛してくれなんかしないって。彼らを構成する全てが全部、見せかけなんだって。彼らが護りたいのはボクらじゃなくて、ボクらの血なんだって」

 人形に組み込まれた心は所詮、機械仕掛けの感情(プログラム)。そんな造られた愛で、こんな紛いの愛で、この子達は満足するのか。しかし(あか)い少女は、口元を綻ばせた。

 -----わたしは、愛されていたよ。紛いものでも偽物でも無い、本物の、温かい愛に。

 レイは何の冗談かと思う。シェムよりもよっぽど人形らしいロイが、温かいだなんて、到底信じられなかった。どういうことか尋ねかけたその時、急に背後を振り返った少女の姿が(かす)む。

 ------ほら、来たよ。

 何を、と尋ね返さなくても、レイにも判っていた。

 ------あなたを愛してくれる人が、来た。



 三階層ほど下った先、石壁に体温を吸われながら降り立った所で、鉄扉が口を開いていた。

 爆発でも起きたかのように、内からこじ開けられていた扉の先から漏れる光と、血臭。

 シェムは周囲を(うかが)いながら扉を潜り、入り込んできた光に目を細めた。天井から照らされた電気仕掛けの光の行列。そこは地下だというのに、とても広い空間だった。何に使うのか判らない、雄牛並の機材が並び、まるで巨大な(もり)で刺されたみたいに、火花を散らしながら大穴を穿(うが)たれていた。ここで何が起きたのか。人の気配は無くそのまま歩を進めると、赤く染まった床を見つけ、シェムは立ち止まる。

「……おっさん」

 縦に体を引き裂かれて死んでいたのは、紛れもなくこの孤児院と研究所の主である、カーネルだった。だが彼を無惨な姿に至らしめたのは、周囲を穿(うが)った〝何か〟とは違う。両断されたこれは、穿(うが)たれてなるものじゃない。

「これもロイがやったのか?」

 大の男を〝両断〟できる物なんて、それこそロイの巨剣くらいしか思いつかない。だがそれでも、シェムは周囲を穿(うが)つ穴が気になった。穴の形は真円。これはあの巨剣では無い。

 コトリ。背後に聞こえた物音に振り返る。その先には生け贄を捧げるような台が鎮座していた。その上で膝を抱えて座る真っ白な少女。戴きを(おお)う髪から、一糸纏わぬ肌まで雪原の如くの白に染まった彼女は、いつからそこにいたのか、(ある)いは最初からそこにいたのか。

 誰だ、と問い掛ける直前、その顔に見覚えがある事に気付く。

「アイリ……」

 シェムが名を呟くと彼女の体が(ゆが)んだ気がした。シェムは既視感を憶え、それがロイが腕を巨剣に変えた時だと思い出すと、脊髄反射で体を反らし、空気が裂けた。

「なっ」

 弾け出たのは、一本が丸太ほどもある白い剛槍の群れだ。地響きを立てシェムの背後に大穴を穿(うが)つと、白い塊だった槍は、雪花のように霧散する。

「ぐっ……ゼンリが言ってた化け物って、こいつか!」

 体勢を立て直すと同時にまた空間が(ゆが)み、白い驟雨が降り注ぐ。無理な体勢から二転、三転と床を転がり、立ち上がった先にも槍が飛来。狗剣(ライカ)の剣先で槍の軌道を逸らすと二の腕が悲鳴を上げた。そしてふんばりが効かず、シェムの体は壁に叩きつけられる。

『あなたの命をちょうだい』

 顔上げた耳元で、そう囁かれた気がした。

『にくい』『どうして生きられないの』『羨ましい』『苦しい』『辛いよ』『ちょうだい』

 迫る声、声、声――アイリのモノじゃない。一つ一つが別々の誰かの声。槍は機材の残骸や壁に突き刺さっては声と一緒に形を失う、狗剣(ライカ)を杖に、痛む背骨に鞭を打ちながら立ち上がると、白い少女は真っ直ぐにシェムを見ていた。

 そこにいたのは、化け物だった。

 質量が違いすぎる。受け止められる分、ロイの相手をする方がまだマシだ。いずれにしても分が悪い。幸いにして階段側の出入り口は塞がれておらず、ロイとの鉢合わせを覚悟して撤退するだけの道は残されていた。

『どうして、来たんだ?』

 そう(きびす)を返そうとした途端(とたん)、耳に入ってくる囁きの中に、片割れの声が聞こえた。

「レイラっ!」

 足を止め、幾シェムは片割れの名を叫ぶ。そこにいるのは白い怪物と化したアイリしかない。だが人生の全てを共に過ごしてきたシェムが、レイの声を聞き違えるはずもない。片割れの姿はどこに。捜そうとして、迫る殺気に身を(よじ)ると、鼻先を黒い巨剣が過ぎった。距離を取り、両手で狗剣(ライカ)を構え直した先に、アイリとは対称的な黒光りの剣が床に沈む。

「メイリーフに近寄るな」

 氷の牢獄から響くような声。巨剣と化した腕を床から引き抜いたロイは、陽炎のように立ち上がると、切っ先をシェムへ向ける。

「大丈夫だメイリーフ。ぼくは今度こそ、あなたを護る。もうあなたを殺した者はいない。殺させた者もいない。殺そうとする者は、今、ぼくが排除する」

 あのアイリに似た白い少女を、ロイはメイリーフと呼んだ。だが彼女がそうじゃない事をシェムは知っている。いや、判っていた。

「おい、ロイ……どうなってやがる。」

 目の前の少女が誰なのかを、心の奥底が叫んでいる。

 そんな事はあり得ないと頭で判っていても、心が確信してしまう。

「何で、アイリの中に、レイラがいるんだよっ!」

 踏み込んできた巨剣を狗剣(ライカ)で跳ね上げると、翻った黒い剣が袈裟斬りに落とされる。間一髪で後退した所に巨剣を軸にした回し蹴りが放たれ、狗剣(ライカ)長柄(ながえ)で受けたシェムの体が後へ吹っ飛んだ。シェムは勢いのまま後転。手を付くと逆立ちの要領で跳ね上がり、渾身を込めて振り落とした狗剣(ライカ)を、黒い剣身が受け止めた。

 一閃、二閃と鋼が交じり合う度に不協和音を奏で、散った火花が空間を彩る。

「メイリーフを奪う者を、ぼくは許さない」

「そいつはアイリだろうがっ!」

 互いの剣が跳ね上がり、すかさず双方の蹴りが交じり合う。そのまま弾けるように距離を取ると、狗剣(ライカ)を水平に構えたシェムと、黒剣を胸の前に掲げるロイの視線が交差する。気がつけば、白い槍の雨は止んでいた。アイリの姿をした白い少女は、黙したままシェムとロイの闘争を見守っている。

「アイリは……もう、いない」

 ポツリと落とされた言葉は、どこか錯乱気味だったロイが、今日初めて正気に戻ったかのようだった。

「もう、ずっと前からいなかった。メイリーフが死んだあの日から。彼女に入ってしまったあの日から」

「なら、そこにいるヤツは、誰だって言うんだよ!」

 問いにロイは答えない。今の今まで、彼女を〝メイリーフ〟と呼んでいたのに。ただ唇を噛み締めるようにして、真横へ伸ばした左腕も黒剣に変えるだけだった。本当はもう、ロイは気付いているのではないだろうか。ロイの剣を誰のために振られているのか。

 シェムはメイリーフを知らない。だがロイにとっての彼女が、シェムにとってのレイラに等しい事は、何となくわかった。どういう経緯があったかは知らないが、彼のメイリーフはもう、いないのだ。そして彼は、アイリに彼女の代わりを求めている。その中にいるレイラにも。

「お前は、狂ってしまったんだな」

 自然と口から出てきた言葉は、嫌悪も侮蔑も無く、ただ事実だけを述べていた。

 死んでしまった人間の代わりを、誰かができるはずも無い。ロイが口を(つぐ)んだのは、それを判っている彼が、彼の中にいるからだ。

 両腕を剣と化した彼は、次で畳み掛けてくるつもりだろう。シェムは曲刀を展開させた己が左腕を見やる。手首を翻す度、指先を曲げる度、違和感はハッキリとした異音となって返ってくる。脇腹に巻いた布は真っ赤に染まったまま、抑えきれずに溢れ出た分がチタチタと床を濡らす。生身の体も、作り物の腕も、もう限界に近い。

「そいつは、お前が護るメイリーフってやつじゃ、ない」

 直後、ロイが両腕の巨剣を携えて飛び出し、狗剣(ライカ)と左腕が巨剣を止め、即座に力の方向をずらして受け流す。正確無比だった剣が、彼を否定するように煽った途端(とたん)、剥き出しの感情が載せられた。剣の重さが、彼の感情の振れ幅とは何とも解りやすい。

 打ち付けられる力と力。双方の剣に載せられた想いが鋼の硬度でぶつかり合う。

 その闘争は、きっと機械が演じる出来の良い人形劇にしか見えなかっただろう。それほどまでに二人の攻防は淡々としていた。師から伝えられ、シェムを支える剣技も、いかに動作を最適化して敵を追いつめるかの手段でしかない。ロイの巨剣もまたしかり。そして最適化においては、ロイの性能の方が上だった。

 照明の光を剣身に返し、互いの刃が跳ね上がる。袈裟斬りに振り落とされた黒い巨剣を狗剣(ライカ)が受けると、翻された剣身が直角に落ちる。黒剣の腹が眼前に迫ると視界で火花が散り、シェムは大きく仰け反った。二方向からやってくる黒い軌跡(きせき)は、かわす事もできなければ、受けきる事もできない。するとそれまで黙していた白い槍が二人の間を(さえぎ)った。反射的にアイリを見た矢先、壁際に追い込まれたロイの四肢を固定するように、白い槍が壁に突き刺さる。

「がっ……メイ、リーフ?」

 危機を逃れたシェムが(ひたい)の拭うと、手の甲が赤く汚れた。舌の上に鉄の味が広がり、口腔(こうくう)に溜まったモノを吐き出すと、白い物が交じる。舌で触った歯の感覚が変わった。割れたのが永久歯だったら嫌だなと思いつつ、シェムは立ち上がる。

「助けてくれたわけじゃ、ねぇな」

『キミもしつこいね。一度殺してあげたのに、なんでまた来るんだよ』

 見上げた先のアイリの唇がレイの声を紡ぐと、彼女の横にレイの姿が重なった。数日ぶりに再会したレイは、シェムが知る片割れでは無かった。一糸纏(まと)わぬ姿は、最後の夜に見た夜と変わらない。だが彼女の声に、今までシェムがレイだと思っていた部分が、どこにも無い。

『ボクはまたキミを、殺さなければならない』

「ばーか、二度目のアホは受け付けねーよ」

『キミは、キミがキミとして生まれた理由を、考えたことある?』

 問われて、足が止まる。

『ボクはずっと考えていた。ずっと、お父さんとお母さんに望まれて、この世界に生まれたんだと思ってた。でもお母さんは見たこと無くて、お父さんも殺されて、ボクと、ボクの幸せを望んでくれた人はいなくなった』

「……オレは?」

『キミじゃ、ダメなんだ。キミはあまりにも、ボクに近すぎる。それにね、シェム。そもそもボクらは〝幸せ〟を望まれて、この世界に生まれたわけじゃないんだ』

 イチゴから聞いた想守者と守護人形(シェム・ゴーレム)の関係は、力の源と出力装置だ。幸せに生きるための〝力〟が、ロイの巨剣や、あの日、狩人を一方的に虐殺した巨人の姿なわけが無い。

『俺達から奪う存在を、俺は許せん』今ならば、あの傷の男が叫んだ言葉の意味が解る。つまるところ自分達は〝誰かの幸せ〟を奪うために造られた。

『ボクはこの世界に居場所が欲しかった。ここにいても良いんだよって、誰かに言って欲しかった。師匠を捜すのだって、そのためだった。それなのに――』

 シェムはレイラをレイの中に押し込め、あまつさえ、レイラを護るためなら世界の敵にすらなっても構わないと宣言した。他ならぬ妹の居場所を奪おうとしたのはシェムだ。それは世界を望むレイにとっては〝殺される〟と同義。いや、レイの中に潜んでいた以上、実際にレイラという存在は、社会的に殺され続けてきた。

「……だから、お前はオレを殺そうとしたのか?」

 レイラの表情が、唇を噛み締めるように、くしゃりと(ゆが)む。

『ボクはもう、嫌なんだ。護られるために、縛られる事に。ボクは、あたしだ。レイラなんだ。キミのことも、うんざりなんだよ』

 レイはまるで差し伸べるように両腕を伸ばす。直後、シェムの元へ殺到した白い槍。

 (ゆが)んだ空間から現れたのは、槍だけでは無い。媒介とされたアイリを中心にして白い塊が展開され、それは徐々に形を作られていく。白い塊が膨れあがり、レイとアイリの姿が、白い枝葉の群れに囲まれる。

『だからもう、これで終わりにさせて』

 それは一つ一つが意志持つ大蛇のようにのたうち回り、シェムを目がけて猛烈に伸びた群れが、龍の(あぎと)よろしく噛み付いてくる。シェムは横転してそれを避けると、次に襲い掛かってきた枝を切り払う。レイ達を(おお)う白い枝葉は絡み合いながら複雑に伸び続け、徐々に人の形を作り始めた。そして樹木で編み込まれた白い巨人が姿を現すと、茨の群れが咆吼を上げる。その巨体は、子供達が草木の蔓で編み込む花冠と同じように、数百の茨で構成されていた。

 ――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……

 何よりも織り込まれていたのは、禍々しいほどの幾多の声。目眩がするほど濃密な憎悪(ぞうお)。頭の中に直接叩き込まれてくる想いに、吐き気が込み上がる。

『見なよ、シェム。これが、ボクらが望まれた理由だ』

 巨人が両腕を掲げると、五指から生えた幾十もの茨が餓狼(がろう)の群れよろしく放たれる。全部を切り払う余裕は無い。幸い一度目標を外した茨は白槍と同じく粉雪と化して霧散する。だがそうやって必要最低限を斬り飛ばしつつ、枝葉の群れから逃れるように動いていると、不意に、真後ろに巨大な憎悪(ぞうお)が生まれた。

 全身の枝葉と〝声〟を(きし)ませて跳躍した白い巨人。迫る拳に気付いたときには、シェムは体を反転させ、防ぐように狗剣(ライカ)を真横に突き出すしかできなかった。振り抜かれた巨拳に為す術もなく跳ね飛ばされると、背中から床に叩きつけられる。全身を穿(うが)つ衝撃に意識を持って行かれそうになるが、皮肉にも剔られた脇腹の痛みがシェムの思考を繋ぎ止めた。

『これがこの子達の憎悪(ぞうお)の姿だ。でもどうだい、なかなか素敵な姿じゃないか?』

「カハッ…なん、だ、その、でくの坊。お前の造型センス、腐ってんじゃねぇの?」

 倒れるシェムを見下ろして、白い巨躯は悠然と立っていた。そしてシェムの小さな体を叩き潰さんと、両腕を天井ギリギリの高さにまで掲げた。シェムは巨人の中央。幾重の茨に囲まれたレイの姿を見上げる。すると口元を自嘲気味に(ゆが)めた。

「あー、めんどい、しんどい、もうやめたい」

 仰向けのままシェムは四肢を投げ出した。さっきから口の中は鉄の味しかしない。内蔵もやられている。脇腹だって泣きたくなるほど痛い。義手は指の開閉がほとんどできなくなっている上、肘も神経の命令よりも二十度以上余計に曲がっている。出血だって軽くは無い、そろそろ目蓋を動かす事さえ億劫(おっくう)になってきた。

 だが――

「そんなに病んでいたのか、我が片割れは」

『はん、今更だよ』

「そうだな、今更だったんだろうな」

『なに? 諦めて殺される覚悟ができたの?』

 フッと、結んだ口から空気が漏れる――シェムの(あか)い瞳が、まっすぐに片割れを見据(みす)えると、僅かに、本当に少しだけ、白い巨体が揺らいだ気がした。シェムは大の字に横たわったまま、口の()を吊り上げる。

「お前さ、自分が生きる理由なんてそんなもん、他人に求めたりすんじゃねーよ。そんなのバカらしいってわかってるんだろ?」

『キミに、ボクの何が解るっていうんだ』

「オレがお前の全てを解らないわけねぇだろ!」

 巨人の片腕が降られると、冗談みたいに舞ったシェムの体が壁に叩きつけられる。

 今日は何回叩きつけられただろう、いい加減に衝撃にも慣れるかと思ったが、そうはいかない。シェムは口に溜まった血を吐き出しながら、片膝を付いてレイを見上げる。既にシェムの体は至る所が赤く染まり、杖にした狗剣(ライカ)がなければ、いつ倒れてもおかしくはない。

『何を言い出すかと思えば、そんなのキミの勝手な思いこみだ。見当違いも(はなは)だしい!』

「そっちこそ見くびるな。離れていても体は別々でも、オレ達は繋がっている」

『そんなわけあるか!』

「ならその腕はいつになったら、オレに振り落とされる?」

 ギシリと、巨人の腕を構成する枝葉が(きし)む。

「今だってそうだ、殺したいなら、その拳をオレの脳天に叩き付けば良かったんだ。その質量だ、即死は免れないだろうよ。だけどお前はそうしなかった。ホントは、お前はオレを殺したくなんて無いんだよ。ははは、お前はほんっとめんどくせーな!」

 レイがどうしようもないほどシェムの排除を望んでいるならば、それに任せても良かった。この命をくれてやっても良かった。いかなる意味で、レイラの守護を至上とするならば、それもまた彼女を〝護る〟のだ。それも本能のどこかで選択肢にいれていた。

 だがシェムは、確信した。

『そんなこと思ってなんか、すぐに殺してやる!』

「ならその涙は誰のもんだよ!」

 言われて初めて気付いたのか、自分の目元に手をやったレイの指に水滴が付く。そして一度気付いたそれは、決壊したように止めなく溢れ出る。

 レイはずっと泣いていた。泣きながら戦っていた。そんな妹の姿を見て、誰が諦めようか。他ならぬシェムが諦めるはずもない。だからシェムは覚悟を決める。

「オレは全て知っている! オレを撃ったお前の悲鳴を、お前の心の痛みを! お前も本当は全部知っている。オレが今どんな気持ちで、何でここにいるのか。言葉で伝えるよりも的確に、お前は全部知っているんだ!」

 全身が震えるようだった。床に突き刺さった狗剣(ライカ)を引き抜き、両手で構えて立ち上がる。

 焦点をレイの瞳に合わせたまま、血と瓦礫が散乱する床を蹴った。

「生まれた理由が何だ! 造られた理由なんて知るか! 見ず知らずの誰かが残した過去の残滓に囚われて生きるだなんて、まっぴらだ!」

 全身を(きし)ませた白い巨人が咆吼をあげ、伸びた白い枝葉の槍が、疾走するシェムを目がけて殺到する。あと五十歩。シェムは致命傷だけを、狗剣(ライカ)で捌いて突き進む。三十二歩。幾重に張り巡らされた槍衾がシェムの肉を容赦なく剔るが、それでもシェムは止まらない。

『来るなっ!』

 二十七歩。巨人の右腕が変化し精製された特大の槍を避けきれずに左肩に異音。生身と義手の接合部の皮膚が捲れ、千切れた鉄線に食い込まれた肉が裂けた。シェムは体の痛みを無視して跳ぶと槍の上に着地。二十三歩。その上で再び疾走。その先で待ち構える茨の群れの先を目がけて突撃する――残り九歩。

 腕の中の狗剣(ライカ)が嗤い、主の期待に応えるように、()えた気がした。そして狗の剣が閃くと、シェムを貫こうとしていた茨の群れが一掃される。

「聞けレイラ! 生きる理由を作るのは、オレ達自身だっ!」

 五歩。枝葉で構成された外殻が、今度はレイを包むように閉じかける。瞬間、シェムは殻が閉じきるそこに左腕を強引にねじり込むと、鉄線で構成された人工筋肉の手が、レイの眼前に突き出された

『ひっ』

 そのまま出力制限装置(リミッター)を解除した義手の仕込み刃が、茨の殻を縦に引き裂く。手の届く位置に現れた青銅(あおがね)の髪、狼狽える緋色(ひいろ)の瞳が、まっすぐにシェムを凝視(ぎょうし)する。

『やめて……来ないでっ!』

「うるせぇっ! とっとと戻ってこいレイラ!」

 殺到した新たな茨の群れが次々に左腕を突き刺していくが構わない。そのまま力任せに茨の壁を引き剥がし、過負荷に耐えきれなくなった義手が、ついに間接から千切れた。もはやシェムとレイの間を(さえぎ)るモノは何もない。狗剣(ライカ)を手放した右手を伸ばし、レイの左手を掴んだ。

「お前はオレと一緒に生きたいんだろうがっ!」

 そして巨人からレイの体を引きずり出すと、幾重にも絡まった蔦を引いて、巨人が断末魔の悲鳴を上げた。巨人を編み込んでいた枝葉が一斉に崩壊を始める。二人の足場を支えていた部分も消え失せ、レイを抱き留める姿勢で、シェムは背中から落ちた。次々と霧散していく白い瓦礫の中、その向こうで黒髪の少女が横たわる。左腕を失い、レイを抱き留めたまま仰向けに横たわるシェムは、腕の中に問いかけた。

「おい、諦めたか?」

「どうしてなんだよ!」

 シェムの胸に顔を埋めるようにして、レイがしがみつていくる。一糸纏(まと)わぬ片割れは、シェムの血に塗れる事も構わずに、震えた指をシェムの胸にたてつけた。

「許さない」

「ああ」

「ボクは、怒ってるんだ」

「悪かったな」

「寂しかったんだ」

「跳ねっ返りがもの凄く痛い」

「ずっと心が寒かったんだよ!」

「だから今――抱き締めている」

 腕の中のレイが涙で()らした顔を上げると、シェムはそんな片割れの頭を手櫛で梳いた。一度、二度と指先が髪の毛を往復すると、次にその腕は、レイを自分を引き離す。

「そろそろ、重いからどけ」

 冷たい床に座り込んだ片割れは、憔悴しきったように肩を落とし、顔を(うつむ)かせていた。シェムはそんな妹を見下ろしながら立ち上がると、その頭の上に手を載せて撫で繰り回す。

「オレは誰よりもお前を愛しているよ」

 シェムから零れた言葉は、あまりにも唐突だった。何を言われたか判らなかったらしいレイに呆けたように見上げられると、シェムは急に気恥ずかしくなってそっぽを向いた。

「……ねぇ、もう一回、言って」

「バカ、何度も言えるか」

 オレはお前と違うのだからと続けようとしたその途端(とたん)、背中を灼熱が貫いた。そして間髪を入れず、血肉と骨を引き連れて、黒い切っ先が鳩尾を食い破る。

 続けようとした言葉の代わりに口から出たのは、血塊だった。

「メイリーフッッッ!」

 名を叫んだ声は慟哭にも聞こえた。シェムから切っ先が引き抜かれると、体が重力に従って崩れ落ちる。振り返る事もできなかった。すぐ耳元で片割れの悲鳴が上がるが、体がもう動かない。()ぜた血肉の中に内臓の欠片が見えた。止血でどうなる話じゃない事は、急激に薄れていく意識の中でも理解した。

 大切な人をようやく取り戻したのに。ここまで啖呵きったばかりなのに。

「やめて、いっちゃいやだよ」

 漆黒に塗れた視界のすぐ横でレイラが泣き喚いている。いつもはうるさいくらいに生意気なくせに、ここぞという所ですぐに泣く。これからだ妹ってのはずるい。だが自分を抱き留めてくれる体温と、いつの間にか膨らみ始めていた柔らかな感触が心地よい。

「そうだよ、大当たりだよ、やっぱりボクは、キミと生きたかったんだ。キミのことが好きで、どうしようもないくらいに、大好きで――愛してるんだからか、当たり前だろっ!」

 さっきまで何度も何度も自分を殺しかけておいて、よく言う。これだからレイは、気紛れで我が儘で、大切な事を最後の最後にまで溜めておく、大莫迦者なのだ。そこで自分も他人を言えたものではないと自嘲に気付いたシェムは、やはり自分達は繋がっているのだと感じる。

 この繋がりを失いたくない、温もりから離れたくない。

〝|護りたいか(生きたいか)?〟

 そう問うてきたのは、狗剣(ライカ)の声によく似ていた。

 返事をするまでもない。すると狗剣(ライカ)の声はそれだけで嗤った気がした。

「だからこんなの嫌だっ、いかないでよ、シェム……シェムってば!」

 レイの言葉に呼応するように、シェムは大きく(あぎと)を開いた。そして自分の内から込み上がる声に命じられるまま眼前の温もりに、剥いた犬歯を埋め込む。柔らかい場所を食い破り、プツリと切れた所から、舌の上に緋色(ひいろ)の甘みが広がり出した。

「あぐっ……あ…ぅ……」

 苦痛に耐える(あえ)ぎ声がレイの口唇から漏れた。漆黒の視界の中、シェムは温もりだけを頼りに妹の肌に舌を這わせ、突起にふれたそこから掬い取ったそれを一口、二口と嚥下(えんか)する。その度に意識が融けた。それは身体を満たし、五臓六腑に浸透し、心臓の奥底が、火照ったように熱くなる。目蓋を開くとその下に瞳孔が現れた。

 互いに流れる血潮と同じ色をした瞳は、何よりも(あか)かった。



「メイリーフ……メイリーフ!」

 あってはならなかった。融けていく白い残骸(ざんがい)の群れの中で横たわった黒髪の少女。それが誰かなんて関係ない。その中に交じっていたメイリーフの魂が、急速に色あせる。

 もう二度と失ってはいけなかった。もう殺させてはいけなかった。彼女が死んでしまったら、造られた自分は、どうして生きていられるのだろう。

 メイリーフを奪った者から剣を引き抜くと、横たわる彼女の元へ駆け寄り、跪く。

 呼びかけても返事はない。もう彼女が自分の名前を呼んでくれることもない。それを理解した瞬間――自分の思考の中に混沌とした雑音(ノイズ)が混じった。唐突に視界が悪くなる。ポタリと、アイリでありメイリーフでもある少女の(ほお)に水滴が落ちた。一つ、二つ、ロイはそれが何だか把握できなかった。それが自分の瞳から溢れ出た物だと、判らなかった。

 雑音が苦しい。苦しくて苦しくて苦しくて、全てを吐き出したくなるほど、流し尽くしたくなるほど、苦しく、胸の奥が煩わしい。もう二度と失ってはいけないモノを失って、ロイの心を構成する歯車は、最後の一つが(きし)みを上げ、今、砕けた。

 この感覚は何だろう。この思考を()き乱す雑音を、どうやったら拭えるのだろう。

 彼は考えた。思考の最適化を目的として。だが考えれば考えるほど、心臓の奧にかかる(もや)は濃く、広がっていく。そして彼が彼として、最後に残ったのは、彼を造り上げている本能そのものだった。護衛者として、想守者(ヘリオトロープ)を護るために、想守者(ヘリオトロープ)の敵を討ち滅ぼすために、造られた存在として。

「そうだ――殺せば、良いんだ」

 少年の姿が、周囲の空間を巻き込んで(ゆが)む。すると精製された黒い装甲が彼の形をなぞるように展開され、膨張していく。彼が自分を認識した時に与えられた、騎士の姿。メイリーフの想いによって与えられた、守護者の形。

『殺してやる。メイリーフを奪う者を、全て残らず』

 彼女を護るために、彼女によって与えられた剣は今、血によって濡れていた。

 黒い(かぶと)の下に(あか)い光が灯る。そして剣の巨人は、雄叫びを上げた。



「そん、な……嫌だよ。嫌だった、のに」

 レイを貪るシェムの唇が、(あか)い糸を引いて突起から離された。だが腕の中のシェムの体は未だ冷え続け、虚ろな瞳は光を映さぬまま何も変わらない。最後の奇跡は足りなかった。遅かった。全てがシェムに言い当てられた通りだったのに。まだ二人で生きていけたのに。

『そうだ――殺せば、良いんだ』

 氷塊に物を喋らせたような声を、レイの耳は拾った。振動する空気に視線を上げると、アイリの手前で跪いていた黒い少年の全身が(ゆが)み、その姿が膨張する。現れたのは、黒鎧の騎士。それがあげた咆吼に、レイの脳裏を、父が殺されたあの日が過ぎる。

 黒騎士の姿が、眼前に立つ全てを傷つけたあの日のシェムと重なる。

『殺してやる、メイリーフを奪う者を、全て残らず』

 (かぶと)から覗く(あか)い単眼が明滅し、振り返ると同時に切っ先が向けられる。

 気がつけば震えが止まらない。機関車ほどもある巨体と、両腕に剣を生やした異形の姿。だが何よりも、その〝黒〟に塗り込められた感情――向けられた殺意が恐かった。彼を(おお)う装甲には、アイリの中に渦巻いていた憎悪(ぞうお)と同じくらい濃密な想いが塗り固められている。

 レイは立ち上がると、シェムの亡骸(なきがら)を横たえてロイと対峙する。シェムを置いて一人だけ生き延びるつもりは最初から無かった。

「ねぇ、シェム。もう聞こえてないだろうけど、もう一度、言わせて」

 もう逃げ道なんて無いと、黒い巨人は一歩一歩を踏みしめてやってくる。

 振り上げられた黒い巨剣からレイは目を逸らさなかった。

「あたしもね、この世界の誰よりも、キミのことが(いと)おしい」

 剣の狙いはどこだろうか。顔だったら嫌だな。自分に死をもたらすその剣の動きは、やけに遅く見え、ああ、これで死ぬのかと他人事のように思った直後、レイの視界を(さえぎ)って、黒い巨剣を青銅(あおがね)の装甲が受け止めた。

『ばかやろう』〟

 振り返った先にシェムの姿が無い。代わりにレイを庇うように屹立していたのは、青銅(あおがね)甲冑(かぶと)に身を固めた隻腕の巨人だ。一つ一つが木の(みき)ほどもある五指が巨剣に食い込むと、宙に持ち上げ、そのまま壁に叩きつけた。黒い巨体の上に、崩落した瓦礫が降り注ぎ、けたたましい騒音を奏でる。全身を(おお)積層装甲(せきそうそうこう)。右手には、あの日の狩人達を引き裂いた破壊の爪が生え。人の体液を髣髴させる緋色(ひいろ)の瞳が、光となって(かぶと)の下から覗く。

『ぼさっとするな。まだ終わってねぇ!』

 頭の中に直接響く声にレイの意識は戻される。聞き慣れた声だった。見上げた先の青銅(あおがね)の巨人――シェムの瞳が、(かぶと)の中から向けられる。その瞳は、レイラから全てを奪ったあの日の憎悪(ぞうお)と違う。どこまでも自分の兄であろうと意地を張る、シェムの目だった。

『来るぞ!』

 シェムが巨大な拳を構えた先、崩れた瓦礫を押し上げて、黒い巨体が起きあがった。双方に開いていたはずの距離が、一歩で詰められ、振り抜かれた剣と拳が打ち付けられる。力と力、鋼と鋼のぶつかり合いに弾けたのは、同時だった。

 振り払うように()がれた黒い剣を、シェムの肩を(おお)う装甲が受け止める。青銅(あおがね)の巨人が右足を踏み込むと床が割れ、その足を軸に放たれた膝蹴りはロイの巨躯(きょく)を宙へ浮かした。追い打ちをかけるように伸ばされた破壊の五指に、ロイは振り下ろした巨剣で応じる。打ち合わされた剣と爪が火花を散らし、それが、数度続くと交わって停止。しかし硬直は長くは無かった。

 違和感に気付いたロイが後退すると、彼を追って黒影だけを()いだシェムの爪が地面を剔る。

 シェムが付けた爪跡に、焼いた鉄の臭いが広がる。見れば割られた床が灼熱し、シェムの右手を包む空気が、不自然に揺らぐ。ロイの剣の中腹、いったい、そこにいかなる熱量が加えられたのか、爪に掴まれていた部分が、飴細工(あめざいく)のように溶けている。

 シェムが構えていた劫火(ごうか)の爪を地に降ろすと、ロイに呼びかけた。

『なあ、もうやめにしないか? お前の護るべき人を奪ったのは、オレ達じゃない。この戦いでオレ達を殺しても、なにも残らない。それに早くしないと、アイリがもう……』

 話し合いのため冷静を努めているシェムだが、言葉の最後だけには焦燥(しょうそう)が交じる。

 シェムは戦況に優位を見出したがために、提案したわけじゃない。さっきまで取り込まれていたレイは勿論、巨人化したシェムも、そこに横たわるアイリが消えかけている事を解っていた。カーネル亡き今、急速に衰弱(すいじゃく)するアイリを救う手だては無い。だがこのままでいいはずも、無かった。

『知ってたさ』

 静かな声で、ロイは応えた。

『そんなのもう、何年も前から知っている』

『なら――』

『それでもぼくらは、造られた』

 シェムに立ちはだかるよう、黒騎士は横たわるアイリを背にした。

『護るべき人は、そこにいる。造られたぼくはここにいる。討ち滅ぼす敵は、眼前にいる。ならばどうして、ぼくが戦わずにいられようか? ならばどうして、ぼくの剣が収まろうか!』

 普段の無機質な抑揚は変わらない、それなのにレイにはどうしても、彼が泣いているようにしか聞こえなかった。両腕の巨剣を胸の前で交差させると、消されていた殺気が息を吹き返し、黒い剣身に収束する。その殺意の先にいるはシェムじゃない。黒鎧の中から覗く緋色(ひいろ)の瞳は、真っ直ぐにレイを凝視(ぎょうし)し、意図を察したシェムが、片割れを背後に庇うのと、ロイが床を踏み砕いたのは同時だった。

『それが護れなかったぼくの役目。残された人形の役目だ!』

『この、おおバカやろうッ!』

 劫火(ごうか)の右腕を掲げたシェムの右手に、溶かされた剣が差し込まれる。その剣先が今度こそ刃としての機能を失った刹那、もう片側の剣が袈裟斬(けさぎ)りにシェムの脇腹を()ぐ。それを右手で迎え撃とうとすれば、今度は溶かされた剣がシェムの(かぶと)穿(うが)つ。仰け反る勢いで距離を取ろうとすると、開いた差をロイが詰め、突き出された剣が灼熱の手をすり抜けて、シェムの腹部に突き刺さった。はたから見ていたレイの目には、踏み込んできた所から、剣が急激に伸びたように見えた。しかし実際はそう見えただけで、剣の長さは変わっていない。

『がっ』

 ()いだ右手を警戒するようにして、ロイが跳び退く。自身を〝人形〟と定義したロイの動きは、それこそ機械のように淡々としていた。灼熱(しゃくねつ)の右手で牽制(けんせい)するシェムも反撃までには至らない。それどころか押されている。それはそうだ、今までシェムは、あの狗剣(ライカ)で戦ってきたのだから。格闘ならレイの方がよっぽど強い

 次は脇腹に黒い巨剣が突き立てられると、青銅(あおがね)の装甲の隙間(すきま)から、緋色(ひいろ)が垂れる。そして巨剣をシェムに掴まれる前に、再びロイは離脱(りだつ)。体が変化しようと、どこまでいっても実力はロイの方が上なのだ。いくら頑丈な姿になったシェムとはいえ、このままでは(なぶ)り殺されるのを待つだけだ。

『おい……お前、何年も前から知ってたなら、どうしてその時に動かなかった。何故アイリがそうなったかは知らねぇが、カーネルのオッサンなら、何とかできたんじゃないか?』

 ロイの猛攻に、一瞬だけブレが生まれた。それでも(すき)をつけるほどでは無く、青銅(あおがね)の装甲を寄せてシェムは、ただ耐え続けるしか無かった。

『父さんは解釈を間違えていた。結果、想命機関(エーテル・エンジン)による延命処置は失敗。メイリーフも想血(ポーション)の過剰供給によって衰弱し、自分の命を維持できなくなった。メイで補うことによりなんとか蘇ったアイリも、不安定状態の魂を定期的な簡易想血(シム・ポーション)の補充で安定させるしか無かった』

『おっさんが不足していた知識が、お前にはあったのに、何故それを教えなかった!』

『言えなかった。動けなかったんだ。ぼくらは、想守者(ヘリオトロープ)に関する機密を、自分から口外できない。ぼくらは血を護らなければいけない。同時に、奪われてもいけないんだ!』

『アホか! 家族だったんだろ、親だったんだろ! 何が奪われるだよ!』

『カーネルは他人だ! 想守者(ヘリオトロープ)の肋骨を元に、機材の中で合成されたぼくらに、親なんて者は存在しない』

『それがドアホだっつってんだよ!』

 振り落とされた一撃を、シェムの右腕が掴む。

『血が繋がってなくたってなぁ、ガキのために命張る親もいるんだよ!。掛け替えのない家族だって、愛してくれる人はいるんだよ! そんな人をどうして他人って言えるんだ!』

 音速にも迫る切り返しで降りかかってきた一撃が、シェムの肩装甲を砕く。それでもシェムは剣を掴んだまま離さず、引っ張ると同時に膝蹴りを放つ。至近距離から発射された砲弾にも等しい一撃に、ロイの黒い装甲が陥没(かんぼつ)した。

『何が役目だ、血がなんだよ。お前がお前の大切な人を護るのは、それだけじゃないだろ!』

 右手を囮に、体当たりを仕掛けると、双方が重心を崩して踏鞴を踏む。叩き潰すように弧を描いた劫火(ごうか)の右手を、黒い巨剣が受け止める。

『ぼくの役目は、メイリーフの血を護ること。ぼくはそのために造られ、そう望まれて彼女の横にいた!』

 爪と剣が数合打ち付けられ、六合目でついに、溶けた巨剣が折れて光の粒子と化す。だがロイにはまだ、もう一振りの剣が残っている。彼は剣の耐久力を削る劫火(ごうか)の爪を、ただ闇雲に受けていたわけじゃない。狙いはこの一瞬。敵が爪を振り切り、霧散した剣が双方の視界を僅かに奪ったこの瞬間、巨剣が突き出された。

『お前が護りたいものは、血でも情報でもなくて、メイリーフってやつだったんだろうが!』

 唐突に、ロイの動きが止まった。だが彼を止めたのはシェムの言葉だけじゃ無い。ロイの広く大きな背中に突き刺さる、小さな一矢。銃弾すら寄せ付けぬはずの鎧を穿(うが)ったのは、(あか)()れた(やじり)だ。振り返ったロイが見たのは、シェムが背負ってきた弩弓(クロスボウ)を構えたレイの姿だった。

 そして守護者を(ほふ)る猛毒が、レイの手の平から流れ、装填された次弾に垂らされた。

「ロイ――ごめんね」

 放たれた(あか)い毒矢は真っ直ぐに伸び、紋章が描かれた黒い巨人の(ひたい)穿(うが)つ。刹那、黒い巨人の絶叫と、青銅(あおがね)の巨人の雄叫びが重なった。

 そして灼熱の爪が、巨人の黒い胸甲を砕き、貫く。

 勝負は、そこで着いた。



 粉々に砕けたガラス細工みたいに、霧散する甲冑の中から、黒い少年が浮き上がった。

 その形はほとんど原形を留めてはおらず、上手く再構築できなかった膝下や足首はぼやけ、右腕は肘から先が無かった。胸に空いた大穴。動力源たる想命機関(エーテル・エンジン)が破壊され、自分を維持するための支えを失った身体は、少しずつ崩れ始め、末端から砂礫(されき)と化していく。

「めい、りーふ……あい、り」

 それでも少年は、崩壊していく己の身体を省みることなく、最後の力を振り絞って身体を這わせる。その先で横たわる黒髪の少女の元へ。一人の中に二人がいた、少年が護るべきだった大切な存在(ヒト)。護れなくて、動かなくなってしまった大切な女性(ヒト)

「ごめん……ごめん、なさい」

 少年は詫びる。己の無力を、そして、貰ったものを返せなかったことを。

「ぼくは、まもれなかった、きめたのに、できなかっ、た」

 少年はずっと気付いていた。気付いていながら、それが何なのか判らなかった。二人がずっとずっと、絶えずくれていた、温かいもの。彼女から補充する想血(ポーション)の中にも満たされていた、心地よいもの。あれは心が産み出すモノだとしか知らなかった。

「かえせな、かった……!」

 ずっと作り続けていた花冠。あれは二人の喜ぶ顔が見たくて、そのためだけに作っていた。そうやって貰ったものを返したかった。でも冠は、もう受け取って貰えない。

 だからロイは、彼女達を護ることで、貰ったモノを返そうとしていた。だって、心がない自分に、あの温かいものを返せるはずなかったから。あの温かいものと同じくらいのものを、自分の全てを使って返したかった。ぽろぼろと、秒刻みで形が零れていく手を、冷たくなった彼女達の遺体に伸ばす。せめて最期に、この体に残った体温だけでも返したくて。

------ちゃんと、もらっていたよ。

 伸ばした手が、ふと温かさに掴まれた。

 もう何年も聞いていなかった、メイリーフの声が、鼓膜を叩く。

------ちゃんと、わかっていたんだよ。

 今度はアイリの声に、顔を上げる。既に光のほとんどを失った瞳に映った姿は、ぼやけていた。そこにいるのが、もはやどっちなのか解らない。そんな自分の体が引き寄せられると、抱き締められた。感覚器官はもう死んでいる。それなのに、その腕の中は温かい。

------ありがとう、キミは本当によく、がんばってくれたんだね。

 不思議な感覚だった。今まで途切れていたモノが繋がっていた。もう存在しないはずの核のその奧から、自分のものじゃない何かが溢れてくるようだった。それは決して不快なものじゃない。二人からずっと貰っていたモノ。それが内側から込み上がってくる。

------でも、疲れたね。だからもう、一緒に眠ってもいいんだよ。

 頭の上に手が載せられた。もう何年もそうされていたかのように、手櫛が往復する。すると微睡むような眠気に、少年は目を閉じる。守護人形(シェム・ゴーレム)として造られた体は睡眠を必要としない。しかし初めて訪れる目蓋の重みは、心地よいモノだった。

「ねぇ、メイ、アイリ。ぼくは、ふたりを、あいせた、かな」

 最期に求めた答えに、二人の少女が互いに顔を見合わせた気配がした。

-----キミはとても不器用でへたっぴだった。とても合格点は上げられない、かな

 だけどね――そこで少年の聴覚は死に、思考が急速に(かす)んできた。だがその最後の言葉は、最期まで繋がっていた想いで解った。だからもう 聞けなく ても良かった。

 それ が、わか レば、モウ じゅ ウぶん。

 だケど、モうスコしだけ この おモい をカンじ て いたカっ―――― 



「――だった、よ」

 少年が微笑んだ。

 その笑みがひび割れると、アイリの亡骸(なきがら)の上で砕け散る。最後に残った口元は満足そうで、それでいながら、とても悔しそうだった。少年を抱き締めていたレイの腕の中に、彼だった砂が残る。だがそれもすぐに色あせて、消えていった。

「終わった、か?」

「うん、……ボクの中にいた二人も、いなくなった」

 そう言ったレイはしばらく、ロイの残り香を確かめるように、その場に座り込んでいた。アイリ達と繋がっていた時に、レイラの中に、少しだけ、ほんの一握りだけ流れ込んできた、彼女たちの心。レイラの中に残った彼女たちの想い。レイはロイの最後に、彼女たちの心を伝えるために、二人に身体を貸した。そして今、最後の想いを使い切って、二人も消えた。

「どこかでさ」

 訪れた虚無感(きょむかん)を埋めるように、ポツリと、レイは言葉を落とした。

「世界には悪者がいて、その悪者を倒したら、何もかもが円く収まるんだって、みんな幸せになるんだって、思っていた。だから、敵を倒すのは正しいんだって、ずっと、それが当たり前だと信じてた」

 アイリの上に(おお)い被さっていたロイの砂は、体温に触れた雪のように、空気の中に融けていく。彼を残すものは、もうじき全てが無くなる。人の手によって造られた人形は、その最期に何も残さない。

「でも、そんなことは、なかったんだね」

 そう言ったレイは、どんな顔をしていたのだろう。

 ロイもシェムも、お互いの大切なものを護ろうとしただけ。アイリも、その中にいたメイリーフも敵では無かった。殺し合った訳はあっても、殺し合う理由はなかった。

「ああ、そんなことは、無いんだな」

 どれか一つでも、運命の歯車が入れ替わるだけで、誰かが死ぬなんて無くなったかもしれないのに。この二人と、もっと友達にもなれたのに。それなのに、それらの未来はもう、永久に訪れない。ロイがいたと指し示すモノも、何も残らない。片割れはまだ、振り返ろうとはしない。シェムは、その小刻みに震える背中に寄ると、冷えた背をそっと抱き締める。

 折聞こえてくる片割れの嗚咽を、シェムは目を瞑りながら聞いていた。

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