終章:想いのゆくえ
終章【想いのゆくえ】
厚手の生地の中へさえも入り込む冬の息吹に、森はしんしんと色あせていく。
闇を彩る斜陽の影。枝葉に映る黄昏は、徐々に鈍色を覗かせた。
パキリと、枯れ枝を踏んだ朱い青年が、それまで勧めていた歩を止める。
彼が背中に手を伸ばしたのと黒い刃が閃いたのは、同時だった。金属が噛み合う不協和音が、数度鳴り響く。引き抜かれた漆黒の大剣と黒塗りの刃が交じり合うと、青年はそれを力ずくで所有者ごと弾いた。宙空で二転した小柄な影が、片手持ちの黒い曲刀を構え紺の茂みに着地する。面に括りつけられた仮面の奧から、無感動な視線が投げられる。青年は一分の隙も無く兇手を見据えると、漆黒の大剣を振りかざす。
兇手が持つ黒塗りの剣は、暗闇に剣の軌跡を隠すことが目的だ。対して青年の大剣は、見る者に畏怖を与え、存在感を強調する漆黒――相反する目的で打たれた二振りの剣が対峙し、先に硬直を破ったのは兇手だった。とても人とは思えぬ瞬発力は、数メートルはあったはずの間合いを無いものとし、応じて振り落とされたように見えた青年の大剣が、小柄な兇手の影だけを薙いで地面を剔る。すぐに引き寄せても遅い。小回りが利くのは兇手が持つ曲刀だ。下段から切り上げられた黒塗りの刃が、青年の喉元を寸分の狂い無く切りつける。その直前、青年が大剣の柄を捻った。
再び、金属が噛み合わせられる。だがそれは途中で金属の悲鳴に変わった。黒塗りの一撃を防いだのは、漆黒の大剣の中から更に引き抜かれた片刃の剣。その白い剣身は真冬の湖に見間違う水晶状の光沢を放ち、噛み付いてきた黒塗りの刃が折れる。瞬時に後退を選んだ兇手を追い朱い裾先が伸びると、その靴先が仮面を引っかけた。カラン、と渇いた音を立て面が落ち、纏められていた亜麻色の髪が舞う。半ばから折れた剣を構え、何事もなかったかのように朱い青年――イチゴに対峙していたのは、黒衣を身に纏った少女だった。年齢は十代の前半から半ばといった所か。随分と幼いが、感情を失った瞳をみれば、大方の事情は察せた。
「人形、ね」
カーネルが実験をしていた生体兵器。心を空にした人体に人工生命体群を流し込み、身体能力の向上と耐久力を増し、封入した本体さえ無事ならば、何度でも新しい体に入れ替えて使える、経験値維持に特化した兵隊人形。武器を破壊したとは言え、彼女の肉体は素手であろうと凶器そのものだ。まだ戦いは終わっていない。
イチゴがこの化け物と戦ったのは、これが初めてじゃない。シェムを助け出しに赴いた際にも、森の中でも襲われた。倒すためには首を切り落としてやるしかない。
イチゴは白い剣を構えた。だが目の前の少女人形とは明後日の方向に右腕を向けると、その五指が咆える。放たれた不可視の弾丸が木々の枝葉を追っては、幹を貫き薙ぎ倒していく。その上で高速移動する物体――枝の上から飛び出してきた影は、今度は大男のモノだった。
「それが噂に名高い〝風妖精の腕〟か。そのサイズの機構でこの破壊力とは、恐れ入る」
少女と同じ、黒い装束は替わらない。しかし生気に満ちた瞳は人間のそれだ。立ち上がった巌の姿は、ゆうにイチゴの二回り以上は大きい。男は、攻撃を仕掛けようとした少女を手で制すと、イチゴを見据える。
「ようこそ〝影の砕き手〟快くは思わないが、歓迎はさせてもらおう」
「……カーネルさんの研究には、様々な不審な点がありました。例えば流体人形の素材はどこから手に入れているのか、一体その研究資金はどこから提供されているのか。それらを調べている内に、あなたの事も上がってきました。ジェイクさん――いえ、アルフ准尉」
黒装束を纏った彼は、宿で酒場の対応をしていたあの男だった。だが今は、妻を窘める苦労性の夫でも、娘を思いやる父でもなければ、愛情表現が不器用な男でもない。
「アルフ=クレイ。第七兵団特殊歩兵部隊所属。十二年前、東方での作戦行動中に殉職。軍に残されていたあなたの資料です。死んだはずの亡霊がこんな田舎町の宿の片隅で、飯屋のおっちゃんなんかやってて驚きました。でも、あなたの本当の役目は〝水の魔法使い〟に、あなたの後ろにいる人物からの伝達役や、製造された流体人形の教官役だ」
義手に内蔵された圧搾空気砲が、寸分たがわずジェイクの額を照準したまま動かない。
「抵抗、はしないでください。あなたに、聞きたいことが、たくさんあります」
「〝白翼〟よ、それを全部聞き尽くしたら、俺は今度こそ世界から消されるのだろう?」
その呼ばれ方にイチゴが片眉を上げ、ジェイクが口の端の片側を持ち上げる。
「僕は、違う」
「だがお前の上司は違う。それに白翼と言えば敵を確実に排除するために派遣される政府の大剣。お前がそうだと言うならば、政府が俺をどうしたいかなんて、見えきっている」
白剣を握り締める生身の手に力が入る。ジェイクが言っている事は正しい。
国を仇成す者を、人知れず屠るのが〝影の砕き手〟だ。国に〝害有り〟とされてしまえば、ここでイチゴが手を下さずとも、後で誰かが手を下す。それに今まで自分がこなしてきた任務のほとんどは、既に処理段階に入ったものばかりだ。
「教えてください。貴方達の後ろにいたのは、誰ですか?」
尋ねて、彼が答えてくれるはずがない事は解っていた。もはやジェイクが預かる命は、彼だけのものではない。だから彼は降伏できないし、彼の背後を裏切れないと、イチゴも知っている。ジェイクはポケットから紙巻きを取り出すと咥えて火を付ける。闘争の最中にも関わらず一息をつき紫煙を吐き出すと、眼差しを上げた。
「そいつの名前は、フレッタという。やつがここに残した人形も、それが最後だ」
ジェイクは、イチゴの背後を視線で指して唐突に言う。そこでは主に制止された少女が、次の命令を待ち、攻撃体勢のまま待機していた。
「なかなか可愛い子だろう。俺が育てた中では長生きしている方でな、そいつに教えたのは戦闘技術だけじゃない。炊事や洗濯、調理、戦闘人形には必要ない情報や技術も少しだけ叩き込んで、堂々と店で使ったこともある。一度ハンバーグを作らせてみたら、評判も悪くなかった」
紙巻きを指に挟んで、得意げ笑う彼の顔は、我が子を自慢する父親のそれだった。何故そんな話をするのか。再び紙巻きを加えると、燃えた先端が灰になって落ちる。
「リーリアも、あと数年でこいつと同じくらいの歳になるな」
吐き出した煙と一緒に口から短くなった紙巻きが落とされると、ジェイクの気配が変わり、イチゴも身を引き締める。もう、目の前にいるのはイチゴが討ち滅ぼすべき政府の敵なのだ。
「お前は色々と知りすぎた。だから殺さなければならない。あの想守者達も捕獲せねば」
「僕は、あなたが作るハンバーグが、好きでした。あの二人にもいつか食べさせてやりたいと思うくらいに」
「ああ、俺も贔屓な客が来てくれる、ただの飯屋のオヤジでありたかった。ひょっとしたら、表面上だけでもそうなれる日が来るんじゃないかって、思ってすらいた」
残った火を靴の裏で消し、腰の後ろから引き抜いた黒塗りの短刀を左右の手に携えると、重心を落として一歩を詰める。
「そうだったら、よかったのにな――とても楽しい、夢だったよ」
大木のようなジェイクの太腿の筋肉が軋む。イチゴの右手が咆え、放たれた空気の弾丸の見えない軌道を紙一重でかわすと、地を蹴った大男の体が一瞬で距離を詰めた。
二方向からやってくる黒塗りの軌跡を片方は身を捩り、もう片方は片刃の白剣で受けると、水平に薙がれた蹴りがイチゴの足下を掬う。体勢が崩れた所に短刀が落ちてくるが、寸前のところで引き寄せた白剣が黒刃を弾き、地に着いた右手が木の根を掴むと、機械仕掛け膂力で飛び退いた。距離を開けた所にジェイクが再び詰めてくると、イチゴは迎撃の一振りを放つ。
「目覚めぬ夢は無い。どんな夜にも朝は訪れる。どんな影にも光は差す!」
無理な体勢から斬り上げられた一閃だと言うのに、それを交差させた両手の短刀で受けたジェイクの体を宙へ浮かせたた。両手が痺れる感覚に顔を顰めたジェイクが、懐から出した小刀を投擲し、咆えたイチゴの右手に撃ち落とされる。
「大した力だ。得物は剛体結晶素材製、体の基盤は膂力特化の強化兵と言ったところか」
僅かに刃こぼれを起こした黒刃を見て、ジェイクがぼやく。そういう彼は、瞬発力特化の強化兵だ。巨体に似合わぬ俊敏さで、舞うような二振りの小刀の動きは変則的で、振り落とされは払われ、突かれて薙がれ、変幻自在に落ちてくる。練り上げられてきたその実力は、確実にロイよりも上で、イチゴは右手の白剣を用いてその軌跡を捌くので精一杯だった。大剣から片手剣に持ち替えて、いくらか手数が増えた所で、短刀の二振りには及ばない。
「どうした白翼。お前が砕くべき影はここにいるぞ。その剛剣を俺の胸に突き立ててみろ」
至近距離から投擲された短刀に気を取られた刹那、振り抜かれた拳がイチゴの側頭部を殴打する。一瞬飛びかけた意識を繋ぎ止め、倒れかけた足を踏ん張り直す。だが一度できた隙を見逃してくれるほどジェイクは甘くなく、突き出された短刀が、イチゴの左肩を剔る。
本当は心臓を狙われていたが、咄嗟に動いた生存本能が絶命を免れさせてくれた。〝風妖精の腕〟が咆えると、イチゴの左肩に短刀を残したまま、ジェイクが後ろへ跳ねながら距離を取った。肩から短刀を引き抜いてそのまま右手に構えると、ジェイクも腰から予備の短刀を抜き、逆手に構えた。
「そろそろ仕込みの時間だ。終わらせてもらうぞ」
強化人間の膂力で放たれた投擲剣の群れを、白剣で弾いたイチゴの眼前に、黒刃を振り上げた体勢のジェイクが現れる。イチゴが成功したのは、右腕を引き寄せるところまでだ。刃で受け止められず、鋼鉄の右腕の上を黒刃が滑り、すかさず放たれた拳打が、青年の鳩尾にめり込んだ。くの字に折れた体勢に、上からさらに追い打ちの肘鉄が加えられ、地に臥せる。
振り落とされた短刀を、横に回転し寸前の所でかわすと、地に両手をつき、下から跳ね上げられた靴先から飛び出た仕込み刃を、短刀が受け止める。そして跳ね起きると同時に振り抜いた右手の黒刃がジェイクの肩を貫いた。血飛沫が飛び、イチゴは得物を両手で握ると、渾身の力を込められた白剣が短剣を跳ね上げる。
しかし口の端に笑みを結んだのは、大男の方だった。武器を失った手が構わず朱い青年の胸に突きつけられ、その袖の中に隠されていた刺突剣が伸び、青年を貫いた。
咄嗟に身を捩ったので心臓は僅かに外れたが、喉から込み上がる血塊に、口元を緋色に塗らす。それでも白剣を向けてくるイチゴの切っ先を読んで避けると、ジェイクは傷つけた懐に向かって蹴りを放ち、強化人間の力に吹っ飛ばされた朱い体が、ついに白剣を手放して、大木の幹に叩きつけられた。
「がっ……」
咳き込むと同時に赤い吐瀉を撒き散らす青年を見下ろし、出血する肩を押さえながら白い剣を拾うと、動けないイチゴの元へ向かう。ジェイク自身、イチゴに恨みは無い。むしろ自分の料理を本当に美味しそうに食してくれるこの青年に、好感さえ抱いていた。
歩み寄ると、青年の口元が動き、何かを呟く。
「すぐに楽にしてやる。さようならだ、青年」
「ええ、さようならです――貫け、フラガラッハ」
するとジェイクが振り落とした片刃の白剣を白い翼が受け止めた。次の瞬間、ジェイクの体に、いくつもの灼熱感が生まれ、今度、血を吐いたのは彼の方だった。
「は、はは……、そうか。朱い衣を纏い、漆黒の大剣を背負うお前が何故〝白翼〟なんて呼ばれているのか、不思議だった。そうか、これがお前の〝翼〟か……お前は……」
木の幹の懐に背を預けていたイチゴが立ち上がる。その周囲に展開されていたのは翼の形をした白い剣の群れだった。貫かれたジェイクから剣の一本が抜き取られると、体を緋色に染めた男はその場に跪く。
「頼みを聞いて、くれないか?」
「……何ですか?」
「あいつらになにも、しらせないでく、れ」
その言葉を最後に崩れるように倒れ込んだ体が爆散した。
爆風に周囲の木々が揺れ、煙が急速に立ち籠める。辺りが再び森の静寂を取り戻す頃になると、黒煙の中から白翼に護られたイチゴだけが残された。敵を巻き込んでの自爆にしては火薬の量が少ない。恐らくは情報の漏洩を防ぐために埋め込まれたのだろう。
イチゴが力を抜いたように息をつくと、背中の翼が霧散する。
白い剣を漆黒の大剣の中へ納めると、彼の顎を、一筋の滴が流れた。
「こんなのって……こんなの、あんまりだよ」
全ては偶然じゃ無い。元から疑いを持って、イチゴはあの宿を取ったのだ。あそこで何日かを過ごし、快闊に笑う女将や、振り回されながらも幸せそうに日々を送るリーリアを見て、この人じゃなければいいと、ずっと思っていた。あの笑顔を奪いたくなんて無かった。
「終わったのだ。長き懊悩の果てに、その男も終焉へ辿り着いた。そして貴様の足跡はまた一つ緋色に染められた。慣れろとは言わぬ。だが死者の前だ、その情けない顔はまだ収めておけ」
突然声をかけられても、イチゴは驚きもせずに袖口で目元を拭いながら言葉を返す。
「首尾は、どうなりましたか?」
「見事に尻尾を切られたよ」
ほとんどが紺色に塗り潰された茂みの中から現れたのは男だった。それはイチゴに絡み、シェム達に追っ払われた破落戸達のリーダー。だがそれはこの町での諜報活動用に仕立てた姿だ。彼もまた〝影の砕き手〟であり、イチゴの直属の上司だった。
「だが一歩を詰めた。恒久に開くことが無い一歩を。これだけの命を奪って手に入れた、たったの一歩を、な。されど我らは打倒する。この世の影を砕き続ける。なぁ、そうだろう?」
自嘲気味に言葉を重ねる上司は拳を握り締める。
事の発端は、各地の現場から上がってきた奇妙な証言からだった。
ここ数年、斬っても突いても怯まない兵士が用いられる事例がいくつか報告されていた。
痛覚を遮断する技術ならいくつかあるが、実際に戦闘した者によれば手応えが異なるものらしい。それらを調べていくうちに、裏の市場で取引されていた商品の流れの一部が不自然であり、また奇妙な兵士の死体に満たされていたスライム状の物質が、カーネルが開発したスライムに似ていた事が判明した。
基本的に錬金術士が自らが練った技術をどのように利用するかは術士の自由だ。しかしその技術が国家を脅かすというのであれば、話は別だ。イチゴの任務は、事態の把握を努め、必要ならばカーネルと、その背後に連なる者達を排除することだった。〝影の砕き手〟は主にそういった活動のために編成された組織で、調査を続けていく内に、これが一人の錬金術士による小遣い稼ぎでなかった事を知った。
その一つが、流体人形の量産だ。カーネルは孤児院を経営していたが、素体のほとんどは外部から入手していた。とても田舎町に拠点を構える錬金術士が一人で行えるような規模じゃない。製作資金や、研究所に残されていた資材などは、どれを見ても外部からの援助が無ければ不可能な物ばかりだ。
「それでお前の収穫は?」
「……すぐ〝ミラージュ〟に、この三日の貨物の行き先とその受取人を調べさせてください。調整済みの流体人形の本体が、どこかにまとめて送られた可能性が高いです」
流体人形は本体が残る限り、体さえあればいつでも再利用が可能だ。ジェイクはここに残った流体人形はフレッタが最後だと言った。受取人を調べればまだ尻尾くらいなら捕まえられるかも知れない。上司は軽く頷くと、体内経由で通信機に呼びかけ、駅で待機している部下に指示を飛ばす。とにかくこの町でやる事は終わった。そして通信を終えて踵を返そうとした上司に、イチゴは問いかけた。
「それよりも、良いんですか?」
「何がだ?」
「あなたが呼んだ、あの二人です。もう随分とあなたの事を探し回っているみたいですよ、クロウさん」
本当は〝影の砕き手〟内においての別の名前を持つ上司だったが、意地の悪い口調でイチゴにそう呼ばれた彼は、足を止めて振り返る。今回、シェムとレイの二人は、想命機関に固執していたカーネルの尻尾を捕まえるためだけに、クロウがそれとなく自分の情報を流して呼んだのだ。当然、最初に破落戸に絡まれたのもイチゴが二人に近づくための演出。何もかもを芝居がかった大仰な演出にしたがるのは、この上司の悪い癖でもあるが、それを頼りに二人がこの男を捜している事を知った時は、吹き出しそうになる自分を堪えるので精一杯だった。
「あいつらはもう、子供じゃない」
「いやいやいやいや、まだ子供ですって」
「ふん、時代の移り変わりは、人々の価値観までをも変える。俺が生きた世界では、あの歳に達すれば巣立つものだ。価値観がどうあれ、可能だという事実は変わらぬよ。それにやつらは独りじゃない」
今は三十代前ほどの若い男の顔をしているが、全身を機械に置き換えたこの上司の元の性別や容姿、年齢や素性などは一切が不明だ。すくなくともイチゴが生きてきたこの時代で、十四歳は子供の扱いだが、一体彼の子供時代はいつだったのか。そこでふと、クロウの表情が固まる。どうやら体内通信がかかってきたらしい。
「カーネルの娘と、剣の人形が死んだ」
そして告げた。カーネルの研究所に派遣していた〝タイタン〟からの報告だったのだろう。予測していたとは言え、イチゴは胸が締め付けられるような想いに俯く。
カーネルの娘、アイリもまた想定外の存在だった。魂のほとんどが抜け落ちた体を、無理矢理埋め込んだ想命機関と簡易想血によって維持するなんて、前代未聞だった。流体人形の流出よりも、死者さえも蘇らせる可能性を秘めた、この技術の流出の方が恐ろしい。
「不景気な世だというのに仕事は山積みだ。全く、有り難すぎて涙腺が緩むな」
人の想いを馬鹿げた力に変えてしまう想命機関の技術は、絶対に外部に漏らしてはならない。何故カーネルが想守者と守護人形を保護していたのか。彼に託した人物は誰か。持ち帰るべき仕事には、これらの事も含まれていた。
「さて、お前にはまだここでの仕事が残っているようだ。」
そしてふと、クロウがイチゴの背後を見やる。
「人形は全てこれを処分とす。この命令は変わらない。だがその方法は貴様に委ねよう。早く済ませて追いついてこい」
そう言って取り残されたイチゴが振り返った先では、最後に命じられてから、今までずっと傍らで全てを見ていたフレッタがいた。爆風で飛んできた破片が当たったのか、その頬には一筋の緋い線が引かれている。
「怪我、してるじゃないか」
「わたしを破壊するならば、どうぞ」
少女が発した言葉に、青年が凍り付いたように止まった。
「……君の命を不当に奪うんだ。抵抗しても構わないんだよ」
「抵抗しろ、とまでは命じられなかったので」
「君に命令できる者はもういない。君はどうしたい?」
問われて、少女は少しだけ考えたようだった。表情の変わらない彼女が、何を思ったのか、イチゴの知れるところではない。すると少女が、何か、力を抜いたような顔をした気がした。
「人だったわたしは殺された。道具として造られたわたしが、今更人間として生きることなんて、できない。だからわたしは、道具としての処分を望みます」
折れた黒刃を捨てて、なんの警戒心もなく近寄ってきた少女は、イチゴの間合いに入った所で歩みを止める。イチゴが大剣を抜くと、フレッタは自然と目を閉じた。
「……わかったよ」
彼女は気付かない。その時の自分が、笑みを浮かべていた事を。これでようやく自由になれる。嫌なことしかなかった人生から解放される。もう二度と生まれたくなんて無い。そう願って終焉の訪れを待つ――しかし待ち望んだ終わりが、訪れることはなかった。
「なら、君は今から、僕の道具だ。君の動力源たる簡易想血もないわけじゃない、と思う。若干、というかだいぶ成分は違うだろうけど、まあ効果的には同じような物だよ、うん。そうに違いない」
振り上げた大剣を地面に突き立て、朱い青年が言う。言葉の後半は自分に言い聞かせるように勝手に納得して、いそいそと大剣を鞘の中に納めた青年を唖然と見上げながら、フレッタの胸の奥底にふつふつとした物がこみ上げる。
――ふざけないで、よ。
それは近くにいたイチゴでさえ聞き取れないほど小さな声で呟かれた。ようやく終われると思ったのに。楽になれるはずだったのに。この男はフレッタの懇願が成就される機会をあっさりと奪い取った。そして、今までの人生の記憶――人形になる以前、愛玩用として扱われた頃のまでの日々――を思い出す。人形になってからは、あの頃のような扱いはされないようになったが、主人が替わる度、いつでもフレッタが脳裏に思い浮かべるのは、カーネルに流体人形を封入される前、男達の慰み用の玩具として扱われていた、あの頃の記憶だ。
この男もかと、フレッタは失ったはずの心のどこかで、落胆する。
そして冷え切ったまま視線のまま彼を見上げた。
「わかりました。それでも構いません。どうせわたしは――」
心を持たぬ人形だと言いかけた言葉は、無理矢理抱き留められて塞がれてしまった。
ポタリと、頬に触れる冷たい滴。
「お願いだよ。もうこれ以上……死のうとなんかしないで」
抱き留められているので、彼がどんな顔をしていたのかは見えなかった。何故そんなものを流しているのか理由が見つからない。だがフレッタは、微かに残っていた心の残滓は、悪くは思わなかった。青年の頭の上に手を載せる。
何故自分がそんなことをしたのかも解らない。
「…………わかりました、マスター」
フレッタが最初に学んだことは、この新しい主人は、泣き虫だという事だった。
車窓に流れていく緑の景色を、窓際に頬杖をつくレイは眺めていた。
ガタンゴトンと鉄路を筐体が走る。入り込んでくる風に、青銅の一房が撫でられ、するとふと、ずっと眺められていた事に気付いた片割れが、頬を膨らませた。
「何だよぅ、まだ笑うのかい?」
「いやなんだ。慣れてくれば、その格好も悪くないと思ってな」
「ボクはこれが元々なんだ。少しは気を利かせて、似合ってるとか言ってみたらどうなんだい」
「はいはい、似合ってる似合ってる。キャーステばるひっ!」
ダンッと木張りの床が響き、レイの踵がシェムの足を踏み潰す。今日は他の座席にも、ちらほらと乗客がいるせいか、なんとか悲鳴を堪えると、加害者たるレイは口を尖らせてそっぽを向く。
「な~んか、や~な感じだったので、バツでーす」
「おま、ちったぁ手加減ってものを」
「ここまで一緒にいて、まだ女心が解らぬとは……ああ、難儀なやつめ」
無駄に芝居がかった仕草でヤレヤレと首を振る。
言葉遣いはまだ男のままだが。レイは〝レイラ〟に戻っていた。もう片割れを見て少年だと思う人間はいないだろう。青い生地を基調としたブラウスと、チェックのスカート。街で着飾るような派手さは無いが、袖口や襟元の刺繍、釦の形状など、細部の装飾に凝りが入っている。トレードマークだった鍔広帽子も、今はシェムの膝の上にある。元々、これを被せたのも男を演じる上での小道具だったのだが、今の姿には似合わない。
「それにしてもこれ、上段に蹴ったら見えちゃうじゃないか。デザイナーのミスだね」
「それがスカートってもんだろ」
「ほんっと、めんどいよね。スースーするのにも慣れたけどさぁ。パンツの方が楽でいーや」
「お前、村を出るまでは毎日そんな服だったんだぞ?」
「そんな昔のことは忘れた。ああ、女の子らしくするのも大変だ、この苦労を是非ともキミに分かち合いたい。なんならキミが着てみるかい?」
「全力で辞退させてもらう」
「まあまあ、意外と可愛くなるかも知れないよ、っていうか可愛くして、あ・げ・る」
「いらんわっ! きしょいわっ!」
「そしたら、セレナお姉ちゃんをキュンっとできるかもよぉ?」
う、と言葉が詰まると、レイはケラケラと面白がる。普段ならば、怒濤のおちょくり攻撃が来る所だが、やはりまだ本調子では無いらしい。でも口数が増えた分、これでもまだ、元気になった方だ。あれから四日。あの後、アイリやカーネルを埋葬していると、イチゴが現れた。全ての事情を知っているらしい彼は、後は任せろと言った。それから二人は、都会で自分達の帰りを待ってくれるセレナの元へ帰ることにした。
一度、荷物の回収と宿代の支払いのために宿へ戻った時、一騒動が起きた。シェムは左腕が無かったし、レイはさすがに衣服を纏っていたが、元の服はどこを捜しても見つからず、しょうがなく、家にあった物を勝手に拝借させて貰った。レイのことをずっと男だと信じていた面々、とくにリーリアの反応が素っ頓狂なことこの上なく、そういえば彼女はレイにお嫁さんにおいで宣言されていたのを思いだし、シェムは複雑な気分になった。
皆、カーネルの家で何があったのかは、聞いてこなかった。ただ女将さんにだけは、もうカーネルもアイリもロイもいなくなってしまった事だけを告げると、そうかい、とだけ返された。
思えば、よく無事に帰してくれたと思う。実際にアイリとロイを殺したのは、自分達のようなものだ。特にロイに至っては、言い逃れはできない。見送ってくれた中に、何故か、親父さんの姿が見えず、彼のハンバーグを楽しみにしていたレイはとても残念がっていた。
結局捜していた師の行方も手がかりも解らず終いだ。そう言えばイチゴが、自分達を知っているような素振りだったが、あの時に何か聞き出しておけば良かった。
「ねぇ、シェム。帰ったらさ、お父さんのお墓参り、行こうか」
車窓の外に想いを馳せていたレイが振り返る。
「そうだな、女に戻ったお前の姿を見せに行こう。それまでに、その日だけでも良いから女の子らしく振る舞えるように練習しとけよ。可愛がってた娘が、弩弓や短刀を振り回すじゃじゃ馬に育ってるって知ったら、父さんも草葉の陰で泣くだろうしな」
「ムカッ、キミの減らず口は相変わらずだね」
女の子らしく、のくだりがあったせいか、今度は踵は跳んでこなかった。代わりに、貫くように睨まれる。女に戻ったとはいえ、男を振る舞うより前のあの頃は、もう少し可愛げがあったと思ったが、なんという剣幕か。本当に今のレイを見せたら、父は泣くかも知れない。
「キミもそろそろいい加減に、女の子が清楚で可憐で大人しい生き物だって幻想を捨てて、現実を見なよ。忠告させてもらうなら、そのうち痛い目に遭うよ?」
「それならこないだ、身を以て経験した」
「否、家族からのモノは愛の鞭だよ。大切にとっておきたまえ」
今日は、やけに尊大な言い方をする片割れに辟易としながら、弾けたのは鞭では無く矢だったと言いたかったが、止めた。全身が内側から引き千切られるようなあの苦痛は、そう思い出したいものじゃない。他にも吹き飛ばされたり、壁に叩きつけられたり、刺されたり、片腕をもがれたような気もするが、兄としての寛大な心で、全て許してやろう。
そうだ、このくらいを許してやれなくては、兄は務まらないのだから。
「はいはい。ありがとうござんした。もう二度といらねぇや」
「ふーむ、反応が薄い。ならばもう一つ、教えておこうでは無いか」
そこでレイは口の端を邪悪に吊り上げて、意地の悪い笑みを浮かべた。
「いいかい、弟とは、姉に黙って従うものなのだよ」
「はぁっ!?」
一体何を言い出すのかと、それまで適当に受け流していたシェムが身を乗り出した。
記憶障害でも起こしたのか。だが同時に、シェムはイチゴに説明された自分とレイの関係を思い出す。聞かされた瞬間、深く考える前に凍結した事実――曰く、守護人形は、想守者の肋骨を核に作られるという話。
「つまりはだね、キミはボクが先に生まれていないと、生まれてこれないのだよ。しかもそれって絶対に、数分の差とかでも無いよねってことは、ああやはり、間違いなく、紛れもなく、疑いようがなく、天と地がひっくり返ろうとも、本当は、ボクがお姉ちゃ――」
「信じねえっ! オレはそんな理不尽は絶対に認めない!」
「ああ、憐れな、世の真理が判らぬか。所詮この世は、先に生まれた方が年上なのだ。さあ弟よ、その偽りの座を我に譲り渡し、これからは我を姉として敬いた~ま~え~」
「譲らねぇっ! お前なんか妹ですら欲しくなかったわ!」
「現実逃避はよくないぞ、お・と・う・と・く・ん。いやはや、こないだのキミを考えれば、まだキミの成長進度は赤ちゃんと呼ばれても過言は――あ」
意味不明な事を宣いかけた片割れの言葉が、不自然な位置で止まる。
「は? 赤ちゃん?」
「あ、その……えっと、や、やっぱり何でもない!」
レイにしては珍しく、奥歯にものが詰まったかのような言い方だった。
違和感を憶えたシェムが追求しようと口を開きかけた途端、レイは胸を隠し、しまったと顔を引きつらせる。一体何が。服を着た状態で隠されても、今更レイのささやかな物なんて見慣れている。だいたい今まで、こっちが気にする事はあっても、気にされた事もなかったし、さらに言うなら、あそこではレイはずっと全裸で――そこで、シェムの思考は、完全に停止した。
あの時、死にかけていたシェムは、レイの血を吸って生き延びた。視覚は死んでいたし、意識もほとんど無かった。憶えているのは、柔らかさと温かさ、そして突起の感触。
「そ、そう言えばキミの腕、新しく作り直さなきゃいけないねっ! 今度はどうする? 思い切って今どき古風なクラブアームとかどうだい?」
「ちょ、ちょっとまて。オレは、あの時どこを――」
「うるさい! 言うな! 聞くな! このムッツリドスケベ、ケダモノめっ!」
思わず伸ばしかけた手に、レイの犬歯が沈み込む。そして響いた汽笛の中に少年の悲鳴が折り重ねられ、鉄の筐体は今日も黒煙の尾を引きながら、鋼の道を走っていった。




