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厚木真理子は、その日母に頼まれて、彼女が忘れたピアスを彼女の働く店に持っていった。
うら若き16歳の娘を、酔っ払いが横行する繁華街に呼び出す母の神経を疑いながらも、彼女に従う以外生活の術がない真理子は、腹立たしくイライラしながら、急いでこの界隈から抜けたくて、家までの帰りに近道の裏路地を選んで早足で歩いていた。
角を曲がった時、その背中が真理子の視界に入った。
数歩前を行く彼女を、真理子は知っていた。
高校でクラスは違うけれど、学年は一緒の子だった。
名前は確か、“えり”それしか知らない。
廊下で彼女が友人から呼び掛けられる声を数回聞いただけ。この辺りで何度か見掛けた事があって、知らないうちに顔と背中を覚えていた。
彼女とは話したこともないのに、この裏路地で見かけた事で、真理子は彼女と自分は似たような境遇ではないかと密かに思っていた。
(あなたもお使い?)
そんな事を思った時、突然クラクションの音が背後から鳴り響き、真理子はビクリと体が硬直した。前を行く彼女も止まっている。
何?そう思った瞬間だった。
真理子と衣里は、暴走した車に一緒に空中へと飛ばされた。
◇◇◇
「マリィ、マリィ!」
自分が呼ばれたような気がして、真理子は瞼を開けようとするけれど、ピリリと頭に痛みが走って、直ぐには開けられなかった。ゆっくりと開いていく瞼、ぼやけた視界に最初に映ったのは、白い天井だった。
(私、死ななかったんだ)
あんなにハッキリと跳ねられた実感があるのに、死なないどころか、頭が痛むだけで他に痛いところがないと感じられるのは、麻酔のせいなのかな?じゃあ何で頭だけ痛いの?そんな事を思いながら、白い天井をずっと見つめていると、再び誰かに声をかけられた。
かけられたのだが⋯。
「マリィ!気付いたのね、良かった。先生マリィが目覚めたようですわ」
マリィって⋯⋯誰?私?は?
そう思ったら、真理子の脳内に誰かの人生が走馬灯のように流れてきた。そしてその誰かが自分であると根拠もなく理解する。生まれた時から何故今このベッドに寝かされているのかその理由まで。
脳内に流れた情報は、真理子が転生したことを物語っていた。何故なら、自分と思しき走馬灯の人物は、小説や漫画の世界でしか知らない、貴族の令嬢のようなドレスを纏い、容姿も少し鈍色掛かった金髪で、目鼻立ちもくっきりとした美形。日本人だったときにこの目鼻立ちだったら、絶対モデル事務所にスカウトされただろうと、ついあり得なかった“たられば”を考えてしまった。
(マリィってさっきから呼ばれているから、それが今の私の名前よね)
走馬灯では消音の画像を流されたように、音や声がなかったから、名前は想像するしか出来ない。自分の名前はわかったけれど、この呼びかけてくれる人物の名が真理子いやマリィには分からなかった。
「あの、どなたでしょうか?」
この素朴な質問で、マリィは頭を打ったことによる記憶喪失と診断された。
医師からいくつかの質問をされても、マリィは分からないと答える。実は頭を打った時の事は、先程の走馬灯で出ていたから、分かってはいたが、おかしな言動をしても怪しまれないようにと知らぬふりをした。
質問をされてる時に、ふと視界に入ったのは隣のベッドで、そちらにも人が寝ているのが分かった。おそらくその人は、押されて倒れたマリィの巻き添えをくった人だと想像できた。
(私のせいではないけど、ごめんね)
表立って謝ると、記憶喪失の設定が崩れる為、心の中で謝罪する。
未だに目覚めていないようで、寝ている彼女の顔は青白い。
マリィの視線に気付いた医師が、マリィ達に起きた事を説明してくれたけれど、真実は伝わっていないようだった。
「あなたが足を踏み外して、下段にいた隣の方に倒れ込んだんです。階段が10段もないところだったから、これだけで済んだのですが。記憶がないといってもあなたの命の恩人です。彼女が気が付いたらお礼を言うと良いでしょう」
マリィを非難しているのか、少しキツめの言い方の医師の言葉に、マリィは理不尽さを感じたが、それは設定上言えない。それが悔しくて唇を噛み締めていると、頭上から医師ではない人の非難の声が降ってきた。
「記憶をなくしてるんだって?それでも助言されてそんな顔をするなんて。記憶がなくてもお前の醜悪さはかわらないんだな」
目線を声のする方に向けると、走馬灯に出てきた人物がそこにいた。だが名前は分からない。ただこの人は、もっと前の子供の頃からマリィと知り合いだったはず。ここは異世界だからひょっとしてマリィの婚約者なのだろうか?
ただずっと見つめ続けるマリィに、流石に言い過ぎたとでも思ったか、フイっと彼は視線を反らした。そして隣のベッドを見ると、そちらに直ぐに移動していった。
彼の行動をマリィは、視線で追う。
彼は未だ目覚めない彼女の手を握り、その手を自分の額に当てて祈るような格好をしている。
「ごめんな、エリーゼ。マリィなんかを庇って、こんな目に合うなんて、可哀想に。君は優しすぎるんだ」
マリィとの接し方とは雲泥の差があるこの男が、もし本当に想像したように婚約者だったら、絶対婚約破棄してやるとマリィは心に誓った。




