第1話
ある夕方のことだった。
ただ単に、対立する二者が、街中で激闘を繰り広げていた。
一方は元始魔族と呼ばれる魔族。分類の際に様々な魔族に枝分かれする前のその根元、祖の魔族。個体数は少ない。
もう一方は雷業種と呼ばれる魔族。両方、人型だ。と言うより人と大差ない姿をしている。
どちらも譲らぬ闘い。
この二者が、道をゆく誰かにぶつかりそうにもなる。車にも。
そんな中、もう少しで陸橋を上りそうな、歩道にいる少女へと、稲妻が走った。
少女は特別な存在でも何でもない。ただの高校生。
ゆえに、彼女自身が避けることなどは叶わなかった。跳ねるような動きがあったあとで、倒れてしまう。
決闘は、その後の元始魔族の申し訳なさと怒りによって収まった。なかなかの巨躯の雷業種の身動きを、周囲から伸びた素材、そこにあるそのものの延長物で縛ったのだ。できうる限り力強く。
そしてもうひと手間、
「これ以上させるな」
相手の胸元に元始魔族の手が触れた、その瞬間、
「わかった。わかったよ。俺が悪かった、もういい!」
恐怖による声。
争いが収まってすぐの頃、少女はけろりと立っていた。
そうさせたのは元始魔族。少女の細胞を、稲妻を受ける前の状態に戻したのだ。正確には、自分のよく知る無事な細胞へと変化させた、ということに近い。酷い火傷があったが、それももうない。そして立たせた。
少女は目の前に二人の種族を見て、
「痛いとか言うレベルじゃないし怖かったんですけど」
と当然のように言えたことにほっとしつつ身を震わせた。
「済まない。ほら、お前も」
元始魔族が雷業種の肩を押した。
「あ、ああ。悪かった。済まん」
(したくもない稀な経験)
そう思った少女の名はヒビ。
ヒビは帰り着き、団地の三階の、とある一部屋の扉を開けた。
「ただいま」
普通の、いつもの一日が過ぎる、妙なことはあったけれど。ヒビはそう思った。だが、彼女が寝る前のラフな姿でいると、その部屋の呼び鈴が鳴った。
セミロングの髪を揺らしながら小走りにヒビが玄関へ。
「はぁい」
防犯用のチェーンがついたまま、とりあえず対応。
扉の向こうにいるのはスーツの男性だ。その声が。
「石山ヒビさん、あなたをとある学園に強制的に通わせなければならなくなりました」
「え?」
「今日、魔導種と接触があったでしょう? そんなことがあると稀にあるんですよ、稀に。体質が変わってしまうんです、完全に」
(そんな、嘘でしょ。え、待って、そんなの急過ぎる)
とヒビが思った直後。
「窓の外を見てみてください。あ、西のほうです」
行って見てみると。
「え? え? 何あれ」
ヒビが驚いたのは無理もなかった。陸に幽霊のように浮遊する船がある。フェリーほどの大きさ。こんなものについて習ったことがないのだ。
そしてその船から、迎え入れるための、折り畳まれていた階段が伸びてきた。その端は道路とほぼ段差がなくなった。
そこから乗れるらしい。そして当然のように物をすり抜けている。
陸を泳ぐ船。
何の波に揺れているのか。ゆっくりと上下している。
(そんなものが本当にあるなんて)
と思っているヒビの横に、その母と、さっきの客とが並んだ。
ヒビにとって、今の学校を離れることは嫌ではなかった。まだそんなに深い関係の友人もいない。ただ、別の所に通わなければならないのが強制なのが気に喰わなかった。
「どうしてもですか?」
靴を脱いで上がって来ているスーツの男性に向けてヒビがそう言ったその時、彼女が手で触れている窓ガラスのほんの一部が伸び縮みをした。
その様はまるで、霜が付いた葉がそこに現れるかどうか迷って現れたかのようだった。そしてパキリと折れる音までした。
床に、透明な欠片が落ちている。
それを見たスーツの男性は、
「暴発を防ぐためです」
そう言って、ヒビにもその母にも目を向けた。そして向け直した。
その際の視線の先を、ヒビは見た。窓からガラス製の花が咲いていた。
(そんな)
触れてみる。確かにそこにある。できてしまった。これまではこんなことができなかったのに。
「なってしまったのね、魔導種に」
ヒビの母は事態を受け入れていた。
「ええ。寮生活になります」
とは男性が。
「そういう学園があることは知ってますけど、これ、そちらの界隈の詐欺じゃないですよね?」
ヒビが念のためにそう言うと、男性は、陸を泳ぐ幽体船へと目を向けた。
「こんな大掛かりなことあります?」
「まあ、それこそない……か」
そう言ったヒビもまた船に目を向けた。
別れはあっけないものだった。電話一つで手続きが済んでしまい、惜しむ間もない。なら作る。
(もう少し、どんな人か知りたかったかも)
まだ高校生になったばかり。最近知った同級生や教師を思い浮かべながら、ヒビは船に乗った。スーツの男性とともに。
中に入った存在を外から見ることはできない。見ることができるのは元始魔族などの魔導種たちのみだ。
その船が動く。やっぱりすり抜けていく。この動いている状態になってしまえば、魔導種にも触れられないし見ることもできない。ぶつかる心配もない。
学園。新しい場所。
そこへ着くと、まずはそこの中央付近の大階段前にある案内板へと連れられた。ヒビがそれを見ていると、さっきと同じスーツの男性が、
「確かあっちの寮だ」
と。後ろのほうを指差した。
10号と書かれた寮。その一室が割り当てられた。
朝になって起きてもまだ何か夢のよう。
寮母が用意をしてくれた朝食を済ませると。
「大階段の向こうの校舎へ行ってね。職員室に行って、まずは制服を受け取って」
ズボンは灰色に深紅の細長い控え目なチェック柄。ブレザーは薄茶。
職員室内の、女性教師らしき人物の手の上にそれらがある。彼女はそれらをヒビに見せると、
「じゃあちょっとついて来て」
と歩き出した。
ついて行った先は体育館の更衣室。一時的に使わせてもらい、そこで着替えた。
「これからはこれが」
あたしの――とヒビは実感した。もう今までの普通が基準じゃない。
サブバッグを渡され、私服をそこに入れると、今度は教室へと案内された。
1年A組。
「はぁいホームルーム~。あと転入生の紹介ね~」
女性教師の軽さに助けられながら、ヒビは全体を見渡した。
窓際の奥に、額縁の中にいそうな美しさでヒビのほうを見ている者がいる。両者の目が合った。そして、ヒビは、相手の口角が上がるのを見た。
(まあ、クラスへようこそ程度の意図だろうけど)
実際そうだった。どうもしないのもどうだろうなという程度の、迎え入れるための笑顔。
クラス全体を見たあと、彼の短い白髪から、ヒビは何となく目を逸らせずにいた。
(なんか、あの近くは嫌だな、思い切って話す? でもなあ)
「石山さん、あそこの席ね」
それは、あの白髪の男子の後ろの席のことだった。
言われた通りの席に座る。と、どうしても、前に見える背中や首筋、さらさらな白髪が気になって仕方なかった。
彼が後ろを振り向きそうになる。そしてそうはならなかった。
その瞬間。椅子のパイプの横に花が咲いたのが、触れて分かった。
(戻れ、戻れ)
ヒビが念じると、それは、普通の椅子に何とか戻った。




