異端の来訪者 前編
井ノ坂晋太郎は、かれこれ10年近く日本のあちこちを放浪してきた。初めの目的地は、香川の坂出、白峯寺である。崇徳天皇、日本の三大怨霊とされる人物が眠る地に、少しばかり興味があった。ちょうど、孤独を呪い、世界を呪っていた頃だったというのもあるだろう。
こうして何年も放浪を続けていると、自分が特殊な人生を歩んでいるような、それこそ、物語の主人公になったような気がしてくる。
事実、日本国民の大半は、旅に出たくとも労働や学業に縛られる生活を送っているのだから、晋太郎が特殊な立場にあることには変わりない。
だが、旅に出た理由と言えば、ありきたりなもので、「どこかに行きたい」という漠然とした感情からであった。
学生時代は、それはもう情けないものだった。
上手く友人を作れず、休み時間は机に突っ伏して寝たふりをしてやり過ごし、修学旅行の半決めはいつも余って、ペコペコしながら人気者のグループに混ぜてもらった。
地味で学力も中の上といったところで、目立って何かすることもなく、ただ空気になろうと徹していた甲斐あって、いじめられることもなかった。
皆、無関心だったのだ。
自身の孤独に気づいたのは、高校を出て、唯一の趣味であった油絵を学ぼうと決意して進んだ美術短大でだった。
油絵を学びに来たのだから、友達付き合いなんて必要ないという考えは、実に浅はかだったと思い知らされた。高校ではまだ、1日に2、3回は誰かと話せていたのに、大学に入った途端誰とも会話をできなくなった。自分から話しかけず、「話しかけないでください」というオーラをまとっている者にわざわざ話しかける好事家はいないのだ。
その頃から始めたアルバイトでも、要領の悪さから先輩や店長に頭を下げ続け、ほぼ同時期にアルバイトを始めた高校生の女の子たちには笑い種にされた。
こういう時友人がいれば、少しは気が晴れただろう。
だが、自宅とバイト先、大学の往復で、父は夜遅くまで接待という名のキャバクラ通い、母はスナック経営という環境は、日に日に晋太郎の精神を蝕んでいった。
気づけば、筆を手に取ることさえできなくなっていた。
アルバイトも、やめると言えないままやめてしまい、いよいよ人間生活というものが送れなくなり始めた。
しばらく、いわゆるニートというやつになり、親族からも白い目で見始められた頃、両親が交通事故に遭った。2人で車に乗っている最中に、後ろから運転手のくも膜下出血により制御不能となったトラックに追突されたのだ。
突然の両親の死により、自分が思っていたよりも多額の遺産を相続することになった。
その時にはすでに30代になっており、まともな職歴もないため、就職も困難だった。
どこかに行きたい、そう思った。
自身の孤独は、自分の情けない、至らない点が招いた、自業自得の結果だと気づいてはいた。
だが、その反面、親が、教師が、世間が、人との関わり合いの正解を教えてくれなかったせいではないのか、他人の無関心と不寛容が原因ではないのかとも思っていた。
思うようにしていた。そうやって他人のせいにしないと、いよいよ自分さえも自分の味方じゃなくなると、本能が悟っていたから。
だから、旅に出ることにした。すべては自分を守るためである。
点々として、明日の朝ごはんだけを考えて眠るような生活を送れば、自分を顧みなくてすんだ。
北は北海道、南は沖縄。たくさんの場所を巡った。
そうしてふらふらとし続け、40代に差し掛かり、体力の限界が来た。
(暮らすなら、瀬戸内がいいな。あそこの潮風は特別心地よかった)
そうやって格安で一軒家が売りに出されていた島に、飛びつくように移住した。
晋太郎の日課は、昼間の散歩である。
本当は絵を描きたいと思うが、なかなか勇気が出なくて、ずっとカバンの底にしまわれたままだ。
普段は海鳥がうるさいこの島が、今日はやけに静かだ。
「あ、」
島民がほとんどいないこの島は、近所づきあいというものがあまりない。
生活リズムの違いなんかのせいだろう。
こうして毎日散歩をしていても、喫茶店の店主の老婆と一度ばったり出会っただけである。
だが、珍しく今日は自分より10歳は年下に見える女と出会った。
なぜか上機嫌で、小さく歌を歌っているようだった。
「旅人さんでしたっけ」
声をかけられた。こうして尋ねられるのは、この島に来てから初めてのことだった。
「放浪中でしたけど、もう体力が持たなくて、ここで最期を待とうかと」
(ああ、しまった。まただ。また余計なことを話してしまった)
こういう時、「はい、そうです」と言えない自分が嫌になる。
「なんか、しんどそうですよ」
「え?」
「あ、いや、その……顔色悪いというか、何というか。いやまあ、大丈夫ならいいんですけど」
「ああ、きっと夢見が悪いせいです」
「へえ。あ、えっと。あそこ、喫茶おれんじ、不思議なコーヒーを出してるんです。願い事が叶う、不思議なコーヒー」
あんまり夢見が悪いなら行ってみたらどうだ、と提案された。
「不思議なコーヒー、ね」
またそのうち行くと、当たり障りのないことを言って、その場を後にした。
***
「ナツキ、大丈夫?」
シャルロッテは夏樹の背をさすった。
昨晩から、夏樹は咳が止まらなかった。
「う、うん。ごほ、だい、じょ、ぶ」
体を起こしても、横にしても、一向に咳が治まらない。
「ねえ、やっぱり《精霊石》を……」
「だから、ごほ、いい、って、ば!」
夏樹は「風邪を引いただけだから寝れば治る」と主張しているが、そもそも寝付けないほどの咳が出ている。
「私はいいから、店に立っといて」
半ば追い出すように、シャルロッテを部屋の外に出す。
「で、でも」
「いいから」
渋々、シャルロッテは店に行った。
テーブルを念入りに拭いて、店の前の掃除をしようとドアを開けると、1人の男が立っていた。
遠野よりも若く見えるが、先日訪ねてきた、夏樹が犬飼だと教えてくれた青年よりはうんと年上のようだ。
「開いてますか」
男は無愛想だった。
「あと10分もすれば開けれますよ」
「そうですか……。不思議なコーヒーってありますか」
「不思議なコーヒー?」
「前、若い女の子に出したやつ。願い事が叶う、不思議なコーヒー」
シャルロッテは、不思議なコーヒーと呼ばれ始めていることに驚いた。
「ええ、ありますよ」
「じゃあそれ」
「願い事は何でしょうか?」
「……人間になりたい。まともな人間に」
おおよその外見年齢からは考えられない、子供っぽい話し方の男の願いを、叶えられるのなら、叶えたいと思った。
「かしこまりました」
***
夏樹が布団の上で、止まらない咳のせいで涙が浮かんできた時、ごとん、と鈍い音が居間の方から聞こえてきた。
(え、何?シャルロッテが何かしたのかな?まさか泥棒?でもそんなの来るわけないし……)
おそるおそる、今を覗く。
咳こまないよう口を強く抑えているせいで、呼吸が出来なくて頭がふらふらした。
居間には、人影があった。
(え、ちょ、マジで不審者⁉)
驚きのあまり、一歩後ろに下がると、床がミシミシと音を立てた。
「そこの者、怖がることはない。出てこい」
高圧的だが、どことなく品のある話し方だった。
ちょうど窓からの逆光で見えなかった顔が、向こうがこちらに近づいてきたこともあり、はっきりと見えた。
サラサラとした白色の髪に、灰色の瞳。鼻が高く、眼窩も深い。どこからどう見ても日本人離れした外見である。
痩せてはいるがみすぼらしさはなく、上等な服を着ているのがよくわかる。
その手には、見覚えのある石が握られていた。
「ここに、シャルロッテ・エリンという娘がいるな?」
(ああ、この人、シャルロッテの世界の人だ)
「お迎え、ですか?」
「そんなところだ。あれはどこにいる?」
あれ、と呼ぶことに、不信感を抱いた。
「あなた、シャルロッテの何?」
「婚約者さ」
まるで夏樹を馬鹿にするように、薄笑いで答えた。
シャルロッテの言っていた、縁談の2文字を思い出す。
どうやってここに来たの、そう問おうとしたが、咳が止まらなくて、上手く言葉を紡げない。
「ああ、お前、代償になったのか」
合点がいった、と言いたげに男が呟く。
「あれは《精霊石》の本来の力を知らんからな……」
「だ、いしょうって、なにの?」
「《精霊石》だよ。ここ最近おかしなことはなかったか?花が枯れたり、猫が死んだり」
みかんの木の枯死や、海鳥の死。心当たりはあった。
「その様子じゃ、目の当たりにしたようだな。ならば、いい。教えてやろう。《精霊石》は、願いを叶える代償に、生命力を欲する。それは時に人の命さえもいとも簡単に連れ去る」
だが、とにやりと笑って男が話を続ける。
「あの娘、シャルロッテ・エリンはその代償を小さくする力を持つ。それはひとえに、リーダリアが《精霊石》の上に生きる地であるからだろうな。お前、あの女のために死ぬ気はあるか?」
突然の問いに、夏樹は何を言われているのか理解できなかった。
「答えろ。死ねるか?」
(なんで、急に。そんな、いや、だって、シャルロッテのことは、そりゃ、嫌いじゃない、嫌いじゃないけど……)
「死ねないか」
男が結論付ける。
「いいことを教えてやる。______シャルロッテ・エリンは、死人だ」
「え……?」
手を繋いだ時、たしかに彼女には温もりがあった。
「私が殺した」
なんでもないことのように、話を続ける。
「《精霊石》を軍事利用するのに、なぜ武器なんぞに埋め込まねばならない。もっと簡単に、手間をかけずにできるというのに。『殺してほしい』と願うだけでいいのだ。しかしそれにはあまりにも代償が大きすぎる。1人殺すのに4人死ぬ。それは合理的じゃあない。だが、エリンの血の者は、2人殺しても代償は1人だ。だからわざわざあんな田舎貴族に縁談を持ち掛けたというのに、あれの父はずいぶん賢くてな。こちらの真意に気づくや否や縁談の破棄を申し込んできた。仕方なしに、テーブルナイフで殺したさ」
ティッシュで虫を殺したのとなんら変わりないように、表情ひとつ変えずに話す。
「だが、シャルロッテには生きてもらわねば困るんで、それは丁寧に扱った。……だというのに。父に似て妙なところで賢い娘だ。逃げ出したのだ。すぐに捕まえたが、抵抗され、もみ合いになった。気づけば、首を絞めていた」
わざとらしく、肩をすくめる。
「死んでいたよ。我に返った頃には」
「あんた、人間じゃない」
思ったことが、そっくりそのまま口に出ていた。
「だがシャルロッテは生きているだろう?」
驚いたさ、とまた男が話を続ける。
「死んだと確認できた途端、首から下げていた《精霊石》が彼女を包み、遺体をどこかに消し去った。もちろん従者に探させたさ。だが、どういうわけか見つからない。そこで仕方なく、《精霊石》を使ってここまで辿ってきた。優秀な従者を3人も喪うはめになったがな。あれが何を望んだかは知らんが、何がなんでも連れ帰る」
「連れ帰ったって、死んでるんでしょう」
「蘇らせればいいだけのこと」
「死者蘇生はできないって、シャルロッテが言ってたわ」
「それは代償が大きすぎるせいだ。足りないんだ、命が。だが、あの娘が《精霊石》を行使し、自ら蘇生を願えば、この島の生命丸々を代償に生き返るだろう」
「この島の生命って、そんな」
「何も生命の定義は人の命に留まらない。草、花、果実、犬、猫、鳥。営みに関わる全てのものが代償となりうる。ゆえに我が国はあまたの自然を喪失した」
指先のささくれでも眺めるかのように、男が自身の手を見つめる。
「む、あれだけの代償を払ったというのに、もう時間か」
「時間って何?帰るってこと?」
「あの娘は何を代償に払ったのか……」
「答えなさいよ!」
「シャルロッテはなぜここに来たと言っていた?」
「私の質問に……」
「お前の問いに答える価値はない。さあ、私の問いに答えてもらおうか」
「知らないわよ。なんっにも知らない!」
「そうか、まあいい」
「待って、私まだ訊きたいことがある」
「自己中心的な娘だ」
「人の記憶は、代償になりうるの?」
先ほどの代償の話を聞いて、1つの仮説が夏樹の中に生まれていた。
(もし、シャルロッテの願いを叶える代償に、そう、例えば彼女自身の人生が、生命力、命と選ばれたなら。それが、記憶という形で彼女から奪われたなら)
「その口ぶり。驚いた、まさかあれは記憶喪失を起こしているのか。……なるほど、合点がいく。何度か実験で隣国の村を屠ったのと同時期に、こちらの領民が1000人単位で記憶の混濁や喪失が起きたが…あれは疫病ではなかったということか」
男の口角が上がる。なんとも下衆な笑みだ。
「まあいい。また来る。その時までに決めることだな。あれのために死ぬ覚悟を」
まるで空間が歪んだかのようにぐにゃりと身体が曲がり、そのまま男は姿を消した。
どうすればいいのか分からず、夏樹はその場に立ちつくした。
乾いた、咳き込む音だけが響いていた。
***
「お待たせしました」
井ノ坂にコーヒーを出したシャルロッテは、本棚の傍のソファに腰かけ、外を眺めていた。
この世界の文字は読めない。
それでも本の傍に座りたくなるのは、きっと屋敷の至る所に父の収集した本があったせいだろう。
何かを忘れている気がする。最近は、どうしようもなく眠ることが怖い。二度と起きれなくなるような、そんな感覚がする。
ずぞ、と音を立てながら井ノ坂はコーヒーを啜っている。
社交界では褒められた飲み方ではない。
(この方も、じゅうぶんに人間生活を送っているの思うのだけれど)
変わらず外を眺めていると、話しかけられた。
「あんた、なんでこの島に来た?」
「……この島は好き。それじゃあ駄目ですか、ミスター?」
「いや。別に深入りしたいわけじゃないんだ。ただの興味さ。自分はろくな人間じゃなかったから、ここでそれを忘れようとしていたんだ」
「忘れるのは、怖くならない?」
「覚えている方がよっぽど怖い。人間、なんでも覚えてたんじゃ狂っちまう」
話したいことは話せたのか、またコーヒーを啜る。
その後は何も話すことなく、代金を置いて去っていった。




