言質、取ったからね
望月の家は俺が思っていた以上にうちの近所にあった。
多分、自宅から歩いて三分もかからない。
よくもまあ一年も住んでいて気づかなかったと、逆に感心するくらいの近さだった。
ただ、それ以上に予想外だったのは——、
「もしかしてさ」
目の前の建物を見つめながら訊ねる。
「望月って一人暮らしなのか?」
——望月が住んでいる場所が一人暮らし向けのアパートだったことか。
二階建てで外観から考えるに間取りは恐らく1Rか1K……どちらにせよ、とてもじゃないが家族と暮らしているとは考えにくい。
「は、はい。えっとその、色々と事情がありまして……」
「なるほど」
この反応を見るに、あまり詮索されたくなさそうだな。
これまで一度も望月が一人暮らしをしている、なんて話を聞いたことがなかったから訊いてしまったが、本人が話したがらない以上、追及は避けるべきだろう。
誰だって言いたくなかったり知られたくないことの一つや二つ抱えているわけだし。
「それで、望月の部屋は何号室だ?」
「二◯二号室です」
「ってことは、二階か。……なら、そこまで送るよ。まだ階段を上がるの大変だろ」
「へっ!? いえ、ここからはわたし一人でも大丈夫ですよ! これ以上瀧澤さんに迷惑をかけるわけにはいかないですし……!」
(……そうは言われてもな)
背中越しに聞こえてくる呼吸はまだ浅く、息遣いも少し荒い。
今の体勢だと望月の表情は窺えないが、多分顔色も大して良くなっていないだろう。
一階分だけの移動とはいえ、この状態で階段を上がるのは結構辛いはずだ。
「俺が俺自身の意思で首を突っ込んだんだ。俺に迷惑がかかるとかそういうのは気にしなくていい」
「でも……」
「でも、じゃない。人に甘えられる時は遠慮せずに甘えとけ。とにかく、このまま上まで行くからな」
降ろす意思はないことをきっぱりと告げれば、暫しの沈黙を挟んでから望月は、
「……そういうことなら、あとちょっとだけお願いします」
観念したように小さく頷いてみせた。
入り口がオートロックになっていたので、開錠だけしてもらってから二階へと上がる。
目的地である二◯二号室の前に辿り着いたところで望月を降ろし、前掛けしていたバッグパックを背負い直してから、俺はすぐに彼女から離れた。
「じゃあ、また明日な。ちゃんと飯食って寝なよ」
「あっ……もう、帰るんですね」
「まあな。一人暮らしの女子の家に上がるわけにもいかないからな」
ただでさえ身勝手にお節介を押し付けているんだ。
これ以上いられても迷惑でしかないだろう。
それに当初の目的を果たした以上、もうここに残る理由も必要もない。
——ないのだが、
「……あのさ、一応の確認なんだけど、今日食べる分の飯はあるのか?」
差し出がましいことは自覚しつつも、ついお節介を焼いてしまう。
「へ?」
「ああ、いや……一人暮らしってことは、飯とか自分で用意しなきゃだろ。もし何も食うものが無かったり、準備したりするのがしんどいっていうんなら、代わりに買ったり作ってくるぞ。勿論、望月が嫌じゃなければの話だけど」
「嫌だなんてとんでもない! ですけど、何から何までしてもらうのは申し訳ないと言いますか……だから、後はわたし一人で大丈夫です。お気持ちだけありがたく頂きますね」
しまったな、逆に気を遣わせてしまったか。
こうなっては本当に恩に着せることになりかねないし、素直に身を引くべきだな。
「……そうか。でも本当に無理だけはすんなよ」
伝えて「それじゃ」と今度こそ踵を返そうとした時だ。
「っ、待って!」
望月に指先でちょんと制服の裾を掴まれ、呼び止められた。
彼女の潤んだ瞳が躊躇いがちに俺に向けられる。
——ああ、まただ。
望月と月詠の面影が重なる。
今の彼女を見ていると前世の記憶が蘇る。
「……どうかしたか?」
訊ねるも返事は返ってこない。
望月は視線を泳がせて何度も言い淀んでいたが、やがて意を決したような表情で、
「……さっきの言葉って、今回だけですか?」
「さっきの言葉……?」
「その……甘えられる時には甘えとけって言葉です。もし、わたしが今みたいな状態じゃない時でもいいんでしょうか……?」
「そんなの全然構わないだろ。望月は普段しっかりしてんだから、むしろそれくらいのスタンスでいるのが丁度いいと思うぞ。一人暮らししてるんだから尚更な」
言えば、望月は「そっか」と顔を俯かせた。
「——言質、取りましたからね」
望月の雰囲気が変わった。
深々と降り積もっていた真っ白な雪が溶け、その下に隠れていた蕾が姿を覗かせたみたいに。
心臓がとくりと鳴り、俺は息を呑む。
傍ら、望月が晴れ晴れとした様子で顔を上げる。
「それと、もう一つ聞きたいことが」
柔らかく湛える微笑にはあどけなさがあった。
それはまるで——、
「最初に声をかけてくれた時、どうしてわたしのことを——月詠って呼んだんですか?」
「っ!?」
声にならない息が漏れた。
呼び間違えたことをばっちり聞かれてしまっていた。
「あ、いや、それは……すまん、忘れてくれ——」
咄嗟に誤魔化そうとするも、
「やだ、忘れません」
ぴしゃりと遮られ、望月はにっこり破顔して続ける。
「だって、やっとあなたと巡り会えたんだもん——朝陽お兄ちゃん!」
「……は」
間の抜けた声が口から抜け出る。
あさひ、おにいちゃん……?
どくんと心臓が跳ねる。
なんで……望月がそれを知っている。
朝陽は俺の前世の名前だ。
繰り返すようだが、前世のことを周りに打ち明けたことは一度もない。
だからどうやったって知りようがないはずなのだ。
だけど、望月はそれをはっきりと口にした。
度々重なる二人の面影、彼女を背負っていた時に感じた懐かしさ、互いに知り得ないはずの人間の名前。
加えてその口調——これらの要素から結論を導くのにそう時間はかからなかった。
「まさか……望月もなのか」
俺の質問に望月はイタズラっぽく笑うと、
「またね」
小さく手を振って部屋の中へと入っていった。
俺は呆然と立ち尽くしたまま、扉が閉まるのを見送ることしかできなかった。




