前世と優等生と駆け巡った記憶
俺——瀧澤千景には、物心ついた頃からどういうわけか前世の記憶があるが、これまでの人生においてそれが何かしら大きな影響を及ぼすことは一度もなかった。
何せ今から二十年くらい前の片田舎で暮らしていた男の記憶だ。
可愛い妹がいたりと羨ましい点があったりしたものの、若くして亡くなったこともあり、特にこれといって俺の人生を劇的に変えるような何かがあるわけでもなかった。
それにどうせ気味悪がられたり見世物にされたりで碌なことにならないだろうから、前世の記憶云々を周りに打ち明けたことがないっていうのも原因の一つか。
勿論、今後も誰かに打ち明けるつもりもない。
だからまあ、漠然とではあるが、これからもこの奇怪な秘密を抱えたまま何の変哲もない生活を送り続けていくのだろうと、そう思っていた。
——学校からの帰り道、住宅街の電柱にもたれる望月詩葉に声をかけるその瞬間までは。
望月詩葉とは二年に進級した今月からクラスメイトになっただけの間柄だが、学校一の美少女と専ら評判になっていたこともあって、彼女のことは入学した頃から知っている。
背中まで癖一つなく伸びた透き通るような墨色の髪、精巧に作られた人形と見紛うほど整った鼻梁に神秘的に濡れた黒く大きな瞳、華奢な体に纏う静謐で楚々とした雰囲気。
これらが相俟ってか、まるで深い森や山の峰といった自然の一部のような美しさを誇っており、それでいて淑やかな性格や誰に対しても謙虚で丁寧に接する柔らかな物腰も彼女の人気を盤石なものへと押し上げていた。
おかげで望月のことを認知するようになるまでにそう時間はかからなかった。
そうじゃなくても彼女とは通学路が殆ど被っている。
登下校の際に何度も家の近くを歩く姿を見かければ、否応なく存在も覚えるというもの。
なので遠目からでもそこにいた女子が望月だとすぐに気づけたし、彼女がここにいることも何ら不思議ではなかった。
おかしなことがあるとすれば——、
(あいつ、あんな具合悪そうにしてたか……?)
俺の記憶が正しければ、学校ではそのような素振りは見せていなかったはず。
となると、帰っている途中で電柱に寄り掛からざるを得なくなるくらい体調が急変したか、もしくは学校にいる間ずっと痩せ我慢していたか。
……いや、それに関してはどうだっていいか。
何にせよ今やるべきは、彼女を安静にできる場所に連れて行くことだろう。
他の人に任せようにも周囲には俺以外誰もいないし、流石にこのまま放って帰るのは良心に反する。
ただ、望月とは未だまともに話したことがないので僅かばかり逡巡したものの、意を決して声をかけることにした。
彼女の傍まで歩み寄り、声を発しようとした瞬間、
『——お兄ちゃん!』
「、っ!?」
突如としてたくさんの記憶が溢れ出し、脳内を駆け巡った。
それは前世の俺とボブカットの茶発を揺らす可愛らしい女の子と過ごした日々——仲睦まじくも幼い頃に患った病気のせいで悲しき別れとなった双子の妹との記憶だった。
どうしていきなりその子のことを思い出したのかは分からない。
でも、電柱にもたれて辛そうに背中を丸める望月の姿が、彼女の面影と強烈に重なってしまった。
だからなのかもしれない。
本当に無意識に呼んでしまっていた。
「——月詠?」
前世の妹の名前を。
「あっ」
——やっべ、やらかした……!
これじゃあ完全に不審者じゃねえか……!
口走ったのとほぼ同時、思考が真っ白になりかけ激しい後悔に襲われるも後の祭り。
弁明するよりも早く望月が目を大きく見開きながら、こちらに振り向いた。
「……滝澤さん、どうかされました?」
「それはこっちの台詞だ。ものすごく顔色が悪いけど大丈夫か」
良かった、聞かれてなかった。
名前の呼び間違えを指摘されなかったことに内心胸を撫で下ろしつつ訊ねれば、望月は穏やかな微笑を浮かべた。
「ええ、お気になさらず。少し目眩がしてしまっただけなので」
(……青白い顔で言われても説得力皆無なんだが)
繕った笑顔であることは一目瞭然だった。
単純に心配をかけまいと思ってか、はたまた変な声の掛け方をした俺のことを警戒しているからなのかは知る由もないが、どちらにせよそんな反応をされてしまっては、余計に心配になるというものだ。
「いやいや、どう見たって少しじゃないだろ。無理すんな」
「……すみません」
「謝らなくてもいい。それよりも一人で歩けそうか?」
俺の質問に望月は、一瞬口を開きかけて、ふるふると控えめに頭を振った。
「そうか。だったら」
ここで一度言葉を切って、俺は背負っていたバッグパックを前に掛け、屈みながら望月に背を向ける。
「あの、何を……?」
「乗りなよ。家の前まで送っていくから」
「え、でも、それじゃあ瀧澤さんにご迷惑が……」
「俺のことはいいから。というか、こんな天候でこんなにもしんどそうにしてるやつを放って帰れるかよ」
言って、頭上に視線を遣れば、上空はどんよりとした雲が覆っていた。
確か天気予報では夕方から雨の予報だった。
空模様を見るに、いつ雨が降り出してもおかしくない。
「ほら早く。そんな状態で雨に濡れたらもっと体調が悪くなるだろ」
促せば、望月は考え込むように目を伏せたが、
「そ、それじゃあ、よろしくお願いします……」
程なくしておずおずと俺の背中に体を預けた。
細く柔らかな腕が首に回され、体重をかけられたことを確認してから慎重に立ち上がる。
「乗り心地が悪かったらごめんな。人をおんぶするなんて初めてなもんでな」
「大丈夫ですよ。……寧ろ、とても安心するくらいです。……ああ、こんな感じだったなあ」
今にも泣き出しそうな、それでいて安堵の籠もった声音だった。
「……っ、」
途端、また月詠との記憶が脳裏を掠める。
けれど、おくびにも出さないように努め、
「……そうか。あと悪いけど、細かい道案内は頼んでいいか?」
「勿論です。お手数おかけしますが、よろしくお願いします」
「おう」
望月の家へとゆっくりと歩き出す。
——そう、誰かを背負うなんて初めての経験だ。
そのはずなのに、背中に伝わる重みがとても懐かしく感じた。




