正妃
「「ギィヤ゛ア゛ァアアァァァッッッーーー!!!」」
高く、濁った叫び声が轟いた。
聞く者の悍ましさを駆り立てるような、獣の断末魔のような、そんな声が。
痛い痛い痛い痛いっ、熱い熱い熱い熱いっっっ。
激痛に苛まれながら蹲り、両手で顔を覆い俯けば、止めどなく溢れる悲鳴と両の手を伝う熱い液体。
痛みの波を幾度もやり過ごし顔を上げた。
ありったけの怨嗟と憎しみを込めて目の前の女を睨みつければ、
まるで多重奏のように幾つもの叫びが木霊した。
下げ渡された先は、老い先短い人生を尚も色に耽る醜い老人。
一目見て、吐き気を催した。
美しさの欠片もない“夫”の姿に。
だけどそれでも、すぐに正妃は思い直した。
一夫多妻制が認められる、とある国の王族の末席。
華やかな宮殿は既に出されていようと先々代の王の弟である“夫”はそれなりの財と地脈を持つ。
ならばいっそ、老い先短い相手の方が自由になるまでの時間も短いと言えよう。
幾度か我慢を重ねれば良いだけ。
多数の“妻”を出し抜いて“夫”のお気に入りとなり、晴れて自由と財産を手に入れてから若い男を探せばいい。
なんならその血脈を活かし、王に近づくことが出来ればもう一度あの輝かしい正妃の座に返り咲くことだってできるかも知れない。
「ねぇ、美しい宝石が欲しいですわ。
着飾って、誰より美しい姿をあなたに見ていただきたいのです」
「お身体を大事にして長生きしてくださいませね」
萎れた身体に腕を絡ませ、シワの目立つ首や手をさする。
艶めかしく肢体を晒し、媚びる視線を注いでは、一転、健気な良妻を気取って粥のサジを差し出しては口元をそっと拭う。
与えられる豪華な衣装や宝石に、何もが順調だとそう思っていた。
ある日廊下を歩いていた時のこと。
差し出された足につまずいて派手に転倒した。
「何するのっ?!!」
打ち付けた肘を庇いつつまなじりを釣り上げて顔を上げれば、こちらを見下ろす三人の若い“妻”たち。
「あ~ら、ごめんなさい?オ・バ・ア・さ・ん」
「ええっー?お婆さんは可哀想じゃないー?せめてオバさんにしてあげよーよ」
きゃらきゃらと無邪気な声を響かせる少女といってもいい年の女たち。
侮蔑と哀れみを刻んだ彼女たちを見て、怒りよりも激しく覚えたのは焦燥だった。
嘲りを投げ掛ける彼女たちに有り余る若さを感じて。
暫くして、また新しい“妻”が加わった。
若く、瑞々しく、美しいその“妻”に“夫”は夢中になっていった。
傲慢な蔑みを張り付けながら、“夫”の前ではそれを上手く隠すことを知った女。
陰険で嫉妬深く、自分の敵になりそうな相手を見つけては引きずり落とす、そんな蛇のような女に当然正妃も目をつけられた。
繰り返される嫌がらせ。
やってもいない罪をきせられ、周囲の評判を落とされる。
その女の姿は、 かつての正妃にそっくりだった。
そのことにさえ気づかず、正妃は憎しみを育てていった。
全てが許せなかった。
陰湿でくだらない嫌がらせも、“夫”の関心が移ったことも、周囲の蔑みや哀れみも。
何よりも許せなかったのは 彼女の若さと美しさ。
白い肌は白桃のように瑞々しく、シミもシワもない陶器のよう。
一目でハリのわかる豊満な胸に、若木を思わせるしなやかな身体。
美しさでは到底及ばないものの、あの女を見ているとかつてファウスティーナに覚えた屈辱と劣等感がとりとめもなく湧き出して止まらなかった。
その感情こそが自信を破滅へと向かわせたのだと思い出すこともないままに、正妃は嫉妬と憎しみに身を焼いた。
揉み合ったのは、宴の席。
出会いざまに女の美しい顔を思いっきり張って、頬を真っ赤に染めた女を突き飛ばした。
服の裾から小瓶を取り出し、その蓋を開けたところで猛然と立ち上がった女と揉み合いになった。
そして______
二人の頭上を小瓶が舞った。
その中身が、『塩酸』が二人の顔へと降り注ぐ。
「「ギィヤ゛ア゛ァアアァァァッッッーーー!!!」」
二重奏のように響く悲鳴。
指の間をボトボトと音を立てて流れるソレ。
ソレは 血と 涙と そして、融けた肉そのものだった。
対の鏡のように同じ動作で顔を覆って悲鳴を奏でていた二人が顔を上げた。
手が、その顔を離れる。
露わになったその顔に、
融け、爛れた悍ましいその顔の中に輝く怨嗟に満ちた瞳に、
その バケモノ の姿に
まるで多重奏のように幾つもの叫びが木霊した。
ある意味、唯一、ブレることなく悪役を貫き通してくれた人。
上昇志向が異常に高い。ただ、自分を高めるんでなく、誰かを蹴落とす方向に頑張っちゃう残念なお人。




