85. ゴブリナ
話が終わる頃に、ベットの上のゴブリンが声を漏らしながら体を動かした。そして、意識が覚醒し、上半身を起こす。
眠い目を擦って、琥珀色の瞳をリックたちに向けた。
「声が大きかったか? 起こしてすまんな」
リックはそう言った。ぼんやりとした意識の中で、周囲を見渡した後、完全に覚醒した雌のゴブリンは目を見開いて、怯えた様子で身を引いた。
「あなたたちは、誰? ここ、どこ?」
はっきりと、雌のゴブリンはそう言った。支離滅裂だとかでもなく、濁音まじりとかでもなく、人間と変わらない肉声で同じ言語を口にした。
リックは驚いた。それはこの部屋にいるほか三名もそうだ。目を見開いて、怯える雌のゴブリンに見ていた。その中でアルトリアは、「……喋った」とぼそりと呟いた。
その反応はこの場にいた全員から、ゴブリンという魔物の印象は消えた。
ほんのわずかな沈黙がその場にあった。しかし、今にでも泣きそうな目で様子を伺うゴブリンを見て我に返ったリックは口を開く。
「俺はリック。冒険者だ。意識を失った君を馬車で発見して、ここまで運んだんだ」
「馬車……」
「なにがあったか覚えていないか?」
雌のゴブリンは首を横に振り、リックは「そうか」と言った。
「怖がらせて悪かったね。君に危害を加えたりはしないよ。ただちょっと、この地域では見かけない子だったから驚いただけなんだ」
アルトリアは雌のゴブリンに近寄って目線を合わせるように屈んだ。
「自己紹介をしようか。俺はアルトリア・アールハットマン。ここザルツブルグのギルド長を務めている。君の身元はギルド長権限で保証しよう。誰も君を傷つけないよ」
続けて、アルトリアに視線で促されたアメリアは前に出る。
「私はアメリア・レインコート。ギルドで受付嬢をしてるよ。よろしくね」
続けて、椅子に座っていたエリナはゴブリンに向き直って。
「エリナ・クラークロンド。この都市で冒険者です。よろしくおねがいします」
そう紹介してエリナは軽く会釈をした。
各々の自己紹介が終わり、雌のゴブリンの視線はリックへと移った。
「あらためて。俺はリック・ガルートン。ザルツブルグに在籍する冒険者だ。よろしく」
リックはもういちど自己紹介をした。
「アルトリア、アメリア、エリナ、リック……」
雌のゴブリンは各々の名前を顔を見ながら復唱した。危害を加えない存在と雰囲気で伝わったのか、彼女の表情が和らいだ。
「君の名前はあったりするのかな?」
アルトリアは雌のゴブリンに訊ねた。
雌のゴブリンは重い口を開き、
「リオ……」
そう名乗った。
「リオって言うのか。良い名前だね。それは誰につけてもらったの?」
「おかあさん」
「そっかぁ。おかあさんが。お母さんの種族とかわかる?」
「人間……リオとは違う」
「そうなんだね。おかあさんと二人暮らし? それともほかにいるのかい?」
「おかあさんだけ」
「どこに暮らしてたの?」
「森の中……外は危ないから」
優しい口調で質問するアルトリア。反応を伺いながらではあるが、素直に答えてくれるリオのおかげで、母親の存在が明らかとなとなった。
一同は、彼女が会話できる理由に納得がいった。
「それじゃ今、おかあさんがどこにいるかわかる?」
「森。それ以外、わからない……」
「……、森かぁ」
そこで行き詰り、アルトリアは後頭部を摩った。
母親の所在地がわかれば保護することも可能だったが、わかることが森だけとなると捜索範囲も広大だ。話からするに森でひっそりと暮らしていたのだろう。人との関わりも断っていた可能性を考慮すると人海戦術も使えない。
「ブルース地方だとゴブリンはいないし、いても単体の上位種だけだろうし。リックは馬車を調べたんだよね? おおよその見当はつかない?」
アメリアはそう言いながらリックに訊いた。
ある程度の経緯はエリナから聞いたようだった。
「おそらく、西方面のどこかだ」
「西側だとすると、ブルース地方に隣接してるのは二ヵ国。そのうちの一つが人身売買とかが盛んに行われてる国ね。一部、魔物の仕入れも行ってるとかの話も聞くし」
アメリアは思い当たる国を挙げた。
「まあ、出所はそこになるよな。とするとその国と隣接してる地域が怪しいか」
二人の話を聞いたアルトリアはそう言って顎を摩った。そこで我に返ったアルトリアがリオを見て苦笑いをした。
「ごめんごめん。ここで話すような内容じゃなかったな。腹すいてないか?」
アルトリアがそう言うと、リオのお腹がそれに答えるように鳴った。
リオは恥ずかしそうに腹部を押さえて縮こまった。
「アメリア。リオになにか食べさせてやれ。料金は俺持ちで」
「わかりました」
「あとはお前らに任せた。俺はこれから調べものだ」
アルトリアはそう言って机の情報を、収納系の魔導具を使って収納した。
「その子はリックが面倒を見るってことでいいのか?」
「俺が連れてきたんで、母親が見つかるまで面倒を見ます」
「頼んだ。こっちはこっちで調べておくから気長に待っててくれ」
アルトリアはそう言って部屋から出ていった。
残った三人は、リオを連れて来客用の部屋からギルドのロビーに出た。
テーブルに着かせ、メニューから子供が好きそうなものを選んでリオに食事をさせる。余程お腹がすいていたのか、はたまた成長期なのか、よく食べた。
すでに子供の食べる量を軽く超えていた。今回はアルトリアが料金を持つということでなので、リックはリオの食べられる量の確認がてら遠慮なく食べさせてあげた。
その間に、リックはアメリアに頼んで例の物を用意してもらっていた。
エリナはリオの隣に座って、リオの「これはなに?」という質問に答えていた。
リックとエリナも晩御飯がまだだったため、自分持ちで一緒に食事している。
「そうか。リオは卵料理が好きなんだな」
「うん! 大好き!」
食事をしながら、どういう経緯でザルツブルグに来たのか、なにが好きなのか、他愛ない会話を続けてリックたちはリオと打ち解けた。
その間も、初めて食べる料理を幸せそうに食べるリオだったが、段々と周囲を取り囲むように集まってくる冒険者たちが気になって気まずそうにしていた。
「へぇ。この子がゴブリンねぇ」
「ぜんぜん見えない」
「鬼人族っぽいよね。赤い肌とか、青い肌とかいるし」
「ゴブリンにしても顔から全然違うし」
冒険者全員が敵対視することはなかったが、興味津々という様子でリオを見ていた。
リオ自身、怯える様子はなかったが、見られている状態が気になるらしい。
「お前ら。リオが落ち着いて食事ができないだろ?」
リックはいちよう冒険者全員を注意する。
「へぇ。リオちゃんって言うんだ。可愛い」
「リックがつけたのか? それともエリナちゃん?」
群衆の中にはアリナのパーティもおり、デミとコルクの姿もあった。怖がらせないように、いちよう配慮しているつもりで一定以上の距離は取っているが、視線というのは関係なくリオに釘付けであった。
「おまたせ。言われたとおり、〝天啓の白書〟を持ってきたわよ」
ちょうどリックたちが食事を終えたところで、アメリアが火ばさみに〝天啓の白書〟を挟んで戻ってきた。
「おっ。〝天啓の白書〟を持たせるんだな」
「へぇ、魔物がそれを持つところ初めて見るかもな」
すると、冒険者たちがそう言葉にする。
「って、なにやってのあなたたち。リオを怖がらせないでちょうだいよ!」
アメリアは未使用の〝天啓の白書〟を冒険者たちに近づけて追い払った。あの触れたら所有者である冒険者たちはたまったものではない。魔物同様の拒絶反応を起こすため、麻痺するほどの痛みを恐れて逃げていた。
「それはなに?」
リオは〝天啓の白書〟を見ながらリックに訊ねた。
「〝天啓の白書〟という魔導書だ。ここにいる全員が持っている」
「そうなんだ。てっきり嫌なものなのかなって」
「所有者は触れないんだ。だから持っていないリオだけが触れる」
「……いいの?」
「商品というわけでもないからな」
「でも、リオは魔物だよ?」
リオは不安そうにそう言った。どうも自分がどんな存在なのかを理解しているらしく、その本が魔物は触れられない物であることをわかっているらしい。だが。
「リオなら持てると思う。それに、今後のことを考えると持っていたほうがいい。口よりも説得力のある代物だから。それに、君のステータスで確認したい項目があるからな」
「ステータス……」
リオはそう呟くと、アメリアの前に出る。
そして、アメリアに「どうぞ」と差し出された〝天啓の白書〟に手を伸ばす。
触れた瞬間、静電気がリオを襲い、「いたっ」と思わず手を引っ込めた。
「大丈夫か?」
「うん……」
魔物を拒絶するような反応をとは違うが、なぜ静電気が起こったのかは不明だ。
リオはもういちど〝天啓の白書〟に触れると、今度はなにも起きなかった。
「魔力を送ってみてくれ」
「どうやるの?」
リックは手を、リオの手の上に置いて魔力を送る。
「わかるか?」
「うん。なんとなく」
「それを本に流し込んでくれ」
リックに言われたとおりに、リオは魔力を〝天啓の白書〟に送った。
数秒後、白書は光り出し、独りでに本が開かれ、ページがめくられていく。本から無数の光の粒子がエリナの周囲を取り囲む。そして、光は集約していってページが止まった。
「成功したようね。それが、リオちゃんのステータスだよ」
「これが、リオのステータス……」
リオは自分の白書を眺めた。周囲からも〝天啓の白書〟が無事に魔物であるリオの所有物になったことに、「おおー」と彼女が驚かせないように控えめな感動の拍手が起こった。
これでこの場にいる冒険者に、リオがこっち側の存在であることを証明になった。等級の高い冒険者も多い。これでなにがあっても大きな後ろ盾ができたことになる。
ゴブリンである彼女を守るためにもこの工程は必要だとリックは思っていたのだ。
「早速で悪いんだが、ステータスを見せてくれるか?」
「うん」
リオは頷いて自分の〝天啓の白書〟をリックに渡した。閲覧を許可された白書はリックを拒絶せずに手に渡り、内容が映し出される。
リックが見たいのは種族名だった。あまりにもゴブリンとは似ても似つかないから表記はどうなるのか気になっていたのだ。
そして、その項目にリックは目を通す。
【種族】ゴブリナ。
そう書かれていた。
「……ゴブリナ?」
聞いたことのない種族名だった。
「聞いたことあるか?」
見えていないというのにリオの白書を覗き見るデミとコルク、そしてアリナにアメリアに訊いてみたが、「ゴブリナ?」や「知らないな」と首を傾げたり、横に振った。
ほかの冒険者にも聞いてみたが、わからないようだった。
しかし、書かれているということは存在するという証だ。どこかにはゴブリナを知る者がいるということだろう。まあ、ゴブリンではない。それに似た種族であることが分かったことだけでも大きな収穫だろう。
リックは「ありがとう」と言ってリオに〝天啓の白書〟を返した。
「ただいまぁ。ふぅ、疲れたぁ」
「帰ったぞ」
すると、玄関の扉が開いてカンナとハルトの二人が依頼から帰ってきた。
「うん? どうしたの? みんなで集まって」
汗を拭うついでに、セミショートのやや明るい灰色の髪をかき上げるカンナと、
「おう、リック。帰ってくんの早えなぁ。お疲れさん」
新調したばかりのズボンの土埃を払いながらハルトは、リックたちの元に足を運んだ。そして、カンナはエリナに近づいて「ただいまぁ」と甘えるように抱き着いた。
「おつかれ。そっちもどうだった?」
リックがそう訊くと、
「いや、大変だったよ。めちゃくちゃ魔物が湧いてさ」
「そりゃ、大変だったな。怪我もなさそうでよかった」
「ヒグレっていう偶然通りかかった兜を被った黒ずくめの人に助けてもらったからね」
「そうなのか?」
「うん。たぶんヒノワの人だと思う」
「そうか。その人には感謝しないとな」
「ホントはザルツブルグに誘ったんだけどさ。なんか強い気配が睨みつけているような気がして近寄りたくない、って言って断られちゃった」
「それは残念だな。またどこかで出会うことがあれば、俺からもお礼ができたらいいな」
「そうだね。ところで、その子は?」
すると、リオに視線が向かったカンナはそう訊いた。
「ゴブリナだ」
「リック……ミガルがうつった?」
「お前も言うか。そのくだりもう三回やったぞ」
ザルツブルグもミガル王国の一部なんだよなぁ、とリックは思いながら溜息をついた。
「ふーん。そっか。ねぇ、君はなんていうの? 私はカンナ・ウォールマン」
「り、リオ」
「そっかぁ。よろしくね。リオちゃん」
そう言いながらカンナはリオを抱き着いた。
「俺はハルト・ヴァルバックだ。よろしくな」
ハルトの自己紹介に「うん」とリオは頷いた。
「ねぇねぇ。この子はリックが面倒を見るの?」
「母親が見つかるまでの間な。エリナには苦労をさせてしまったが」
「そっか。それじゃ、私たちも強力するよ。ね? ハルト」
カンナはハルトに視線を向ける。
「リックの頼みならいつでもOKだぞ」
ハルトも快諾した。
「ありがとう。そのときは頼む」
エリナの面倒を見るときも苦労はしたが、子供もまた違う苦労があるから協力してくれる者がいることはリックにとって心強かった。だが、
「おはよう」
「よう。遅いじゃねぇか」
次の日。まさか朝早くから来るとはリックは思いもしなかったのだ。




