06
「なぜ陛下はお味方してくださらない? 誠心誠意お仕えしてきたのに。今もこれほどお慕いしているというのに……」
頭を抱え、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返し続けるクラレンス侯爵の姿に、クライフは胸を痛める。
(もう現実を直視する力さえ残っておられないのか……)
フェルディナンドが宣戦布告ともとれる宣言を出した直後、クライフは早々に出頭すべきだと侯爵を必死で説得した。
いかに国内有数の財力と権力を持っていようとも、前王の後ろ盾がなければ国王軍に立ち向かうすべはない。自ら出頭して慈悲を請えば、娘共々生きながらえる道も開けるかもしれないと。
だが侯爵は、自分の危機には必ず陛下が助けにきてくださるはずだなどという夢物語を語るばかりで頷いてはくれなかった。
その結果がこの有り様だ。
もはや降伏したところで命乞いは叶わないだろう。
(なんとかして逃がしてさしあげねば)
クライフは子供の頃からずっとクラレンス侯爵に仕えてきた。
だからこそ、侯爵が心から前王アンブローズを慕い、神の如く崇拝してきたことを誰よりもよく知っている。
その思いがあまりにも強すぎて、徐々に心を病んでしまったことも……。
『陛下は、それはもう凛々しく猛々しくお強いのだ。そのお姿はまるで神の現し身のようにお美しくてあらせられなさる』
崇拝するアンブローズの側に行きたいが、剣がまるで駄目な自分ではなんの役にも立てない。ならばせめて後方で支えようと考えた侯爵は、私財をなげうって国王軍に食料や武器を送るようになった。
それと同時に彼は新たな夢も見いだしていた。
『ラヴィニアとフェルディナンド様の間に子が産まれれば、陛下と儂は、次代の国王の祖父として並び立つことができる。共に孫の成長を見守り、支えていくことができるのだ』
その夢を実現する為にフェルディナンドの婚約者達の命を奪い、ラヴィニアを王妃にすべく影で工作を繰り返すようにもなった。
(……あの頃にはもう狂っておられたのかもしれない)
やがて戦は終わり、侯爵はその献身を前王から直接讃えられた。
戦勝の宴では前王から友と呼ばれ、剣の誓いも受けた。
たぶんあの瞬間が、侯爵が一番幸せだった時だろう。
だがその直後、息子に譲位するという前王の突然の宣言によって、喜びは絶望に変わるのだ。
『なぜだ? まだお若いのに、なぜ譲位なさるのだ? 今度こそ誰よりもお側でお仕えできると思っていたのに……』
せめてお側にと考えた侯爵は、前王の蟄居先についていこうとしたが、お前には息子の支えになってもらわねばならないと前王本人に断られた。
侯爵は絶望した。
王座を譲り渡されたフェルディナンドの即位を素直に認めることができぬまま、いつか前王の役にたつかもしれないと金や力をひたすらに蓄え続ける日々。
そんな中、突然現れた遠国の姫君にフェルディナンドが心を奪われてしまう。
危機感を募らせた侯爵が排除しようと動いていたというのに、それを知らないラヴィニアが勝手な行動に出たことで事態は最悪の方向に転がり出してしまった。
(狂人に溺愛されて育った娘がまともに育つはずもないか)
王妃の器を持たないラヴィニアは、フェルディナンドに見向きもされないどころか、その愚行で自らと父親の首を絞めてしまった。
「侯爵、急いで脱出の準備をしなくてはなりません。どうか目を覚ましてください」
必死で何度も訴えたが、侯爵の耳には届かない。
ノックの音がして、入室を許可すると裏の仕事を任せている部下が入ってきて、無言のままメモを手渡してきた。
渡されたメモには、国王軍に寝返った騎士達から脱出用の隠し通路の出口を爆破されたと書かれてある。
(……これでは、もう逃げられない)
現実を直視できず、まともにものを考えることすらできなくなった侯爵を連れて陸路を強行突破するなど不可能だ。
(どうすればいい?)
クライフは悩み、そして決断した。
「侯爵、前王陛下に助けを求めましょう」
ぶつぶつと同じ言葉を繰り返していた侯爵は、この言葉に反応して顔を上げた。
「陛下に?」
「そうです。直接会って話せば、侯爵の忠義を前王陛下もきっと分かってくださいますよ」
「そうか……。おお、そうだな。あの方が儂を見捨てるわけがない。おまえの言う通りだ」
そうと決まればすぐにでも出発しなければと侯爵は張り切り出したが、クライフはそれを止めた。
「まだ猶予はございます。夜のうちに出立準備を整えておきますので、侯爵は旅に備えて今宵はゆっくりお休みください。――そうだ。寝酒に一番上等のワインを開けましょう。ここに残して、敵に飲ませてやるのはもったいない」
「おお、それはいい」
侯爵はクライフの提案をことのほか喜んだ。
そしてクライフは就寝の支度を調えた侯爵のグラスにワインを注いだ。
「お前も飲むか?」
「いえ、この後やることもありますので」
「そうか。ならば、後で残りを飲むといい。この味を覚えておいて損はない」
「ありがとうございます」
クライフは、美味そうにワインを口にする侯爵に頭を垂れた。
(初めてお会いした時から、もう三十年近く経つのか……)
クライフは、とある貴族の庶子だった。
病気になって役に立たなくなった母と共に貧民街に捨てられ、路上で飢えて死を待つばかりだったところを、侯爵に拾われたのだ。
病気だった母は結局助からなかったが、それでも適切な治療を受け、暖かな部屋と清潔なベッドを与えられて穏やかな死を迎えることができた。
後に知ったことだが、クライフの父は当時の侯爵の政敵だったようだ。クライフに差し伸べられた救いの手には、いずれ何らかの形で利用できるだろうという下心が含まれていたのだ。
だがそれがなんだというのか。
母の安らかな死を看取ったクライフは侯爵に心から感謝して、それからずっと献身的に仕え続けてきた。
(きっと私も狂っているのだろう)
愚かな狂人と知りながら、側で支えることに喜びを感じていたのだから……。
「陛下の元まで何日ぐらいかかる?」
「そうですね……。十日以上は見なければならないでしょう」
「そんなにか」
「ご心配には及びません。必ず私が侯爵を前王陛下の元までお連れいたします」
「そうか。そうか。おまえがいてくれてよかった。ラヴィニアも一緒に頼むぞ」
「わかっております」
(あんな女、誰が連れて行くものか)
笑顔で頷きながらも、心の中で舌打ちをする。
侯爵に破滅の運命をもたらしたラヴィニアは、クライフにとって敵にも等しい存在となっていたからだ。
やがて、ワインに酔った侯爵は眠気に誘われるままベッドに入った。
「必ずや御身を前王陛下の元までお届けいたします。安心してお休みください」
「ああ、頼むぞ」
「おまかせを」
横になった侯爵に毛布をかけながら、深く頷く。
そしてクライフは、ベッドに横たわった侯爵の寝息が完全に途切れるまでずっと見守り続けていた。
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次話は10日更新予定です。




