03
「ビアソンの協力で、少し長めに時間を作ってもらえた」
フェルディナンドはこれまでも暇を見つけては会いに来てくれていたのだが、ゆっくり話す時間は取れずにいたのでとても嬉しい。
「庭を散歩しますか?」
「いや、さすがにもう寒い。日中ならともかく、夜の散歩は春までお預けだ」
「そうですね。残念ですけど……」
黒の王冠のお陰でオリヴィアは風邪をひかないが、フェルディナンドはそうではない。我が儘を言って体調を崩させるわけにはいかなかった。
暖かな部屋に留まり、同じソファに隣り合って座って、魔道灯で明るく浮かび上がった庭を窓から眺めながらゆっくりお茶を飲む。
ちなみに、気遣いのできる侍女達は、お茶の支度を終えると同時に護衛のデニーを連れて部屋から出て行ってくれた。
だから今は部屋にふたりきりだ。
(聞くなら今しかない)
明日には出陣するという今このタイミングでこれを聞くことは間違ってる。
わかっているけれど、どうしても聞かずにはいられなかった。
「今さらですけれど……。王であるフェルディナンド様が前線に出る必要はあるのでしょうか? これが西の地だったら、王族は安全な場所で命令を下していると思うのです」
オリヴィアは箱庭に閉じ込められていたから、西の地の常識など知らない。
だが、前世の世界の常識ならわかる。
(トップは安全な拠点で守られていて、前線で戦っていたのは軍人だった)
フェルディナンドが必要のない出陣をしようとしているのではないかという不安で、ずっとオリヴィアの心は晴れない。
止めるべきだったのではという後悔に心を支配されて、きっと気もそぞろになり、男達の留守を守るという女の役割をまともに果たすこともできなくなりそうだ。
「ごめんなさい。明日には出陣という大切な夜にこんなことを言い出して……」
「いや、構わない。リラクシオンに来たばかりのオリヴィアが不思議に思うのも当然だ。私の身を案じてくれているのだろう?」
フェルディナンドは唐突なオリヴィアの発言に一瞬驚いた顔をしたが、すぐに気を取り直してオリヴィアの手を握り、「ありがとう」と微笑みを浮かべた。
「東の地でも王が前線に出ることはほとんどない。こんなことをするのは我が国だけだよ。というか、父上だけだな」
戦神と謳われた前王は、常に前線に身を置いて自ら剣を取って戦い、皆を鼓舞し続けた。
その剣の力で長い戦を終わらせた前王は、リラクシオンの生きた伝説、英雄でもある。
「臣下や民の心には、今も国を背にして戦う偉大なる王の姿が焼き付いているんだ。城に留まり安全な場所から指示を出すだけでは、王として認めてはもらえない」
「そんな……」
「事実だ。そもそもクラレンス侯爵の派閥があそこまで膨れあがったのも、父上の復権を望む者達が多くいたからだ」
前王アンブローズは退位するにはまだ若すぎた。
戦神と謳われ、熱狂的に支持されていた前王の突然の退位をいまだに納得していない貴族達は多い。
特にクラレンス侯爵は、フェルディナンドが在位してからも、ことあるごとに前王の復権を望む発言をし続けていたのだという。
「城に留まっていては、腰抜けの王だと誹られるだろう。国王派の者達に認めてもらう為にも、前線に赴くことは必要なんだ」
「そうだったのですか……」
ここまで事態が進行する前から、なぜ前王はひと言も発しないのかと不思議に思っていた。
フェルディナンドが動きやすくなるよう、もっと協力してくれればいいのにと……。
(きっと、あえて黙っていたんだわ)
前王は、自分が下手に声を発すれば、やはり前王陛下でなくては事態は収められないと言い出す者達がいるだろうことがわかっていたのだ。
いまだ自らの影響力が大きいことを自覚しているからこそ、息を潜めるようにして状況を見守っているのだろう。
サファイアに誓いの剣を持たせて遣わしたのも、子供世代に全て託すという意思を現していたのかもしれない。
(偉大な親を持つと子供は苦労するものなのね)
前世の世界でも、親の七光りという言葉で揶揄される子供世代がいた。
親と同じか、それ以上にならなくては認められないと、あがいている人もいたように思う。
「心配いらない」
オリヴィアが顔色を曇らせると、フェルディナンドは握った手に軽く力を込めた。
「大丈夫だ。自分の分はわきまえている。父上の幻影に惑わされず、私は自分らしく戦うよ」
「……自分らしく戦う……」
フェルディナンドの言葉が、すとんと言葉が胸に納まる。
(そうね。私もここで自分らしく戦おう)
フェルディナンドが安心して戦いの場に赴けるよう、そして笑って迎えることができるように。
「フェルディナンド様、明日はどうかこれをお守りとしてお持ちください」
オリヴィアは完成したばかりのハンカチを、フェルディナンドに手渡した。
「刺繍を習いはじめたばかりの拙い出来で、とても恥ずかしいのですが……」
「いや、嬉しいよ。林檎の紋章か……。オリヴィアらしくて可愛いな。肌身離さず持ち歩こう」
フェルディナンドはハンカチを受け取ると、指先で林檎の刺繍にそっと優しく触った。
「本当は私も一緒に行きたいのです!」
不格好な刺繍を愛おしそうに撫でるその仕草に、オリヴィアは思わずそう口走っていた。
「一緒に行って、フェルディナンド様の盾になりたい!」
「オリヴィア、それは……」
「わかっています。サファイア姫のように剣をつかえるわけではなく、馬にさえ乗れない私は足手まといにしかならないって……。わかっているんです」
「……そうか」
「だからもう我が儘はいいません。その代わり、ひとつ約束してください」
「なにを?」
「お戻りになったら、私に乗馬を教えてください」
「乗馬を?」
「はい。どこまでもフェルディナンド様と一緒に駆けていけるようになりたいのです」
こんなこと二度と起きて欲しくはない。
でも次に万が一のことが起こった時には、オリヴィアも絶対にフェルディナンドと共に行く。
そして我が身に宿る黒の王冠の力で、フェルディナンドを守ってみせる。
「わかった。教えよう。馬や馬具もプレゼントするよ。馬は……そうだな。オリヴィアの髪と同じ、艶やかな青毛の牝馬がいいか」
「色はどうでもいいです。とにかく足の速い子にしてください!」
騎乗者の未熟をカバーしてくれるような強く賢い馬が良い。
オリヴィアが鼻息も荒くそう望むと、フェルディナンドは声を出して笑った。
「我が愛しの姫君は相変わらず勇ましい」
オリヴィアを抱き寄せて、その額にキスをする。
「フェルディナンド様、無事のお戻りをお待ちしています」
そんなオリヴィアの心からの願いは、ふたりの唇の間で消えていった。
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次話は4日更新予定です。




