05
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
やがてファーストダンスの曲が終わり、オリヴィアはフェルディナンドにエスコートされるままフロアの中央から離れた。
無人になったフロアでは、手を取り合ったカップルが次々に進み出て楽団の音色に合わせて踊り出す。
久しぶりに会う友人と親しく語り合う者、そしてグラスを手に噂話に興じる貴族達。
本格的に夜会がはじまったのだ。
「なにか飲むか?」
「それでは、酒精のないものをお願いします」
フェルディナンドが用意してくれたのは果実水だった。よく冷やされていて、ダンスで火照った身体に心地良い。
「エリアスを紹介したいのだが……。当分無理そうだな」
視線の先を辿ると、今日の主賓のひとり、テレント国のエリアスがいた。
エリアスはリラクシオン国の若い貴族達に囲まれ、楽しそうに笑っている。
「人気のある方なのですね」
「そうだな。あいつは留学中から常に人に囲まれていた。あの童顔で人懐こく笑われると、みな警戒心を削がれてしまうようだ」
「わかるような気がします」
(柴犬っぽい)
エリアスはかなり小柄で華奢だ。美形というわけではないのだが、ふわふわの艶やかな栗毛の癖毛をくしゃくしゃと撫でたくなるような問答無用の可愛らしさがある。
「お幾つになられるのでしょう?」
「あれで私と同い年だ。童顔だが中身はなかなかの策士だよ。まあ、悪い奴ではないのだが、今回の件に関しては国家が絡んでいる。あの見た目に騙されて油断しないでくれ」
「わかりました」
「大丈夫。私が必ずあなたを守る」
「はい」
思わず緊張するオリヴィアに、フェルディナンドは安心させるように微笑みかける。
オリヴィアは全幅の信頼を寄せて頷き返した。
その後、フェルディナンドと志を同じにする主立った貴族の幾人かに紹介された。
こういった社交には不馴れだが、隣にフェルディナンドがいてくれて心強かったし、皆が好意的だったこともあって大きな失敗をすることなく挨拶できたように思う。
「ここまでで充分だ。後はエリサの元でゆっくりしていてくれ」
「わかりました」
顔合わせを済ませた後は、女性中心の社交の場へとエリサが案内してくれる予定になっていた。
会場内に視線を巡らせると、少し離れた場所にいたエリサが気づいて扇子を振ってくれる。
「向こうまで送ろう」
「大丈夫です。すぐそこですし」
国王であるフェルディナンドに挨拶しようと、それとなく順番待ちをしている貴族達を気遣って、オリヴィアはひとりでエリサの元に向かった。
互いの姿がしっかり見えているから、なんの問題もないと思っていたのだが……。
「きゃっ。――あっ、申し訳ありません!」
途中、振り向きざまのメイドとうっかりぶつかってしまう。
メイドの手にはワインが注がれたグラスが乗ったトレイが乗っていて、ぶつかった拍子に零れたワインがドレスにかかってしまった。
(フェルディナンド様にいただいたドレスが……)
メイドが慌てて拭いてくれたが、深緑色のドレスは赤ワインがかかったところが少し黒ずんで見えた。
布地のほうはさほど目立たないかもしれないが、銀糸で施された刺繍に染み込んだ色は残念ながら隠せない。
「ああ、本当に申し訳ありません。なんとお詫びすればいいのか……」
「いいのよ。今のは仕方ないわ。……でも困ったわね。これでは、もうご挨拶にいけないわ」
「こういう時の為に洗浄の魔道具を別室にご用意してあります。それをつかえば、すぐに汚れを落とせますが」
「まあ、そうなの? それならお願いしようかしら」
何の迷いもなく、オリヴィアはメイドに先導されるまま会場を後にした。
「その洗浄の魔道具を使えば、刺繍糸に染み込んだ汚れも取れるのかしら?」
「もちろんです。一刻以内ならば、どんな汚れでも綺麗になります」
「そう、よかった」
フェルディナンドからはじめて贈られた大切なドレスだ。
もう一度袖を通す機会があるかどうかはわからないが、オリヴィアにとって一生の宝物になるのは間違いない。
可能な限り綺麗なままにしておきたかった。
メイドの後を黙って歩いていたオリヴィアは、ふと気づく。
(いつの間にか会場から随分離れちゃってる)
楽団の音色も、もう微かにしか聞こえない。
灯りも徐々にまばらになってきていて、通路の先には薄暗がりが広がっていた。
不慮の事態でドレスを汚した貴婦人方のために洗浄の魔道具を準備してあるというのなら、もっと灯りの数があってしかるべきだ。
というか、そもそもそういうものは会場のすぐ近くに設置するはずではないか?
(……もしかして、嵌められた?)
エリサになんの合図もしないまま会場を出てきてしまった。
オリヴィアはこんなベタな罠に引っかかった自分の迂闊さを後悔した。
それでも不安は感じない。
毒も刃も効かない身体に産まれたせいで、すっかり警戒心が麻痺しているのだ。
「ねえ、あなた。随分歩いたけれど、洗浄の魔道具がある部屋まであとどれぐらいかかるのかしら?」
「も、もうすぐです。洗浄の魔道具はとても重くて大きなものなので移動が難しいんです」
(嘘ね)
答えるメイドの声はうわずっていて、やたらと早口だった。
オリヴィアはぴたりと足を止める。
「もういいわ。戻ります。長く会場から姿を消すと皆が心配するでしょうから」
「そ、そんな困ります。お客様のドレスを汚したままお戻ししたら怒られてしまいます」
「怒られたら私の名前を出してちょうだい。口添えしてあげるから」
「でも、あの……すぐそこですから」
オリヴィアが戻ろうとすると、まるで通せんぼするようにメイドが前に立ちふさがる。
それに構わず、オリヴィアが無理矢理戻ろうとした時だった。
「このふらち者めが!」
「ひいっ」
暗い通路の奥から、ひとりの男が駆け寄ってきてスラリと剣を引き抜くと、止める間もなくメイドを一刀のもとに切り伏せた。
その場にドサッと倒れたメイドは、二、三度痙攣すると動かなくなる。
慌てて駆け寄り手首の脈を取ったが、すでに事切れていた。
「なんてことを……。なぜ剣を抜いたのです? その必要があったとは思えません」
刃に恐怖心を抱かないオリヴィアは、血にまみれた抜き身の剣を持つ男を厳しく問い詰めた。
男は持っていた袋のようなもので剣の血をぬぐって鞘におさめると、胸に手を当ててオリヴィアに一礼する。
「姫君をお助けするためです。その女は、悪漢共に命じられるまま、姫君を飢えた狼共が待つ部屋へと案内しようとしていたのです。許される罪ではありません」
「だからといって、いきなり殺す必要はなかったのではありませんか? まず情報を聞き出すべきです」
少なくとも彼女は、刺客のように訓練された者の動きをしてはいなかった。きっと平民出のメイドが、貴族に命じられるか脅されるかしていただけだ。
そう、かつてのフィリダと同じように……。
それを思うと、たとえ目の前の男が自分を助けるために剣を抜いたのだとしても、どうしても許しがたく思えてしまう。
「すべて姫君の安全のためですよ。万が一のことを思えば、平民の命など安いもの」
「……あなたの蛮行を私のせいにしないで」
男は、誉められて当然といった顔で得意気に言い切る。
その態度に、オリヴィアはかっと頭に血が上った。
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