03
オリヴィアはずっとフィローンから自由になりたいと思っていた。
なにかの手違いとはいえ、都合良くフィローンから出られたこの機会に乗じて、フィローンの二の姫という身分を捨て去り平民になって自由に生きるつもりだった。
でもそれは、フィローンから逃げ隠れすること。
ちっとも自由になんてなってない。
(私、間違ってた)
前世では逃げずに真正面から戦った。
その結果、殺されてしまったけれど、戦ったことに後悔はない。
(今世のこの身体なら、絶対に殺されたりしない)
この不死の身体があれば、なにがあろうときっと大丈夫。
今世こそ、全てに勝利して幸せになってみせる。
(もう逃げない)
もしもフィローンの強欲な王族が、豊かなリラクシオンに寄生しようとしたら、絶対に阻止してみせる。
国同士の交流が深まって、フィローンでの自分が忌み子であった過去をリラクシオンの民に知られたとしても、それがどうした、今は違うじゃないかと民に思ってもらえるよう、フェルディナンドに、ひいてはリラクシオンの民に尽くそう。
――我らの王は良き妃を娶った。
リラクシオンの民から、いつかそんな風に言ってもらえるように……。
「私も、フェルディナンド様の盾となって一緒に戦います」
オリヴィアが高らかに宣言すると、フェルディナンドはぎょっとした。
「いや、それは困る」
「え?」
(あれ? もしかして私、勘違いしちゃってた?)
両思いに違いないと確信して、つい盛り上がってしまったけれど違ったのだろうか。
ラヴィニア侯爵令嬢の対抗馬としてちょうど良いと思われていただけだったのか。
一瞬で不安になったオリヴィアの手を、フェルディナンドがぎゅっと強く握った。
「危ないことは止めてくれ。気持ちだけで充分だ。これまで同様安全な結界の中にいて欲しい」
(勘違い……じゃない?)
はっきりとはわからなかったが、恋愛感情の有無にかかわらず、フェルディナンドが自分を心配してくれているのは確かなこと。
握られた大きな手の温かさにオリヴィアは安堵して微笑んだ。
「私なら大丈夫なのですよ? 言ったでしょう、毒も刃も効かないと」
「だが、悪意という心への毒は効くはずだ」
忌み子として貶められて生きたフィローンでの日々。
その日々の中、耳から吹き込まれ続けた人の悪意という毒が、オリヴィアの心を蝕んでいたのは事実だ。
「あなたには、もうこれ以上傷ついて欲しくないんだ」
「フェルディナンド様」
「……いや、自分の勝手であなたを国の問題に巻きこんでおいて言えるようなことではないが……」
「いえ、むしろ巻きこんで欲しいのです。そうすることでフェルディナンド様のお役に立てるのなら」
見つめ返してくる真摯な瞳とその言葉が、なによりの薬となってオリヴィアの心を癒してくれる。
フェルディナンドの側にいられるのなら、不死の身体を持つオリヴィアに怖いものなどなにもない。
「ありがとう」
フェルディナンドの手をぎゅっと握りしめて決意表明したオリヴィアに、フェルディナンドは嬉しそうに微笑んだ。
そして、一転して真剣な表情になると。
「オリヴィア姫、どうか私と――」
とオリヴィアに何事かを告げようとしたのだが、「お時間です」と護衛騎士のデニーが無情に断ち切る。
「……おまえ……」
じろりとフェルディナンドが睨むが、デニーは一向に気にしない。
「みなさま、主役の登場をお待ちです。お美しいオリヴィア姫をいつまで独り占めする気です?」
「……後で覚えてろよ」
地を這うような声でデニーを脅しつけたフェルディナンドは、ひとつ深呼吸してからオリヴィアに向き直った。
「それではオリヴィア姫。共に行こう。夜会という我らの戦場に」
「はい。よろこんで」
オリヴィアは、差し出された肘にそっと手を添えて、フェルディナンドと共に歩き出す。
フィリダ達侍女は護衛と共に控え室で待機だ。
「テレントの使者は、無事に到着なさっているんですよね?」
「ああ。エリアスなら昼過ぎに到着して、慌ただしく夜会の準備に取りかかっていたようだ。私もまだ会っていないんだ」
「そうですか……」
なぜテレントは、何百年も前からフィローンの王族を自国に招待したがっていたのか。
それがまだ分かっていないことが少し気にかかる。
「心配いらない。テレントがなにを言おうと、あなたはリラクシオンに……いや私の側にいればいいのだから」
「はい!」
見つめ合ってたわいのない会話を交わしながら、ゆっくりと歩くと、やがて夜会会場に到着した。
(……素敵)
会場を見下ろす二階の踊り場で、オリヴィアは感嘆の溜め息をついた。
とんでもなく広いホール自体が、まさに豪奢な芸術品だった。
ドーム型の高い天井を彩る壁画に煌びやかなシャンデリア。壁面は金銀の彫刻や花々で彩られ、広いホールの床は鏡面のように磨き上げられている。
そこに集う人々もまた華やかで美しかった。
男も女も色とりどりの美しい衣装や宝石を身に纏い、グラスを手に開場前のおしゃべりに興じている。
「皆、今宵の夜会に良く集まってくれた」
フェルディナンドの声に、人々の視線が一斉に二階の踊り場に立つふたりに向けられた。
と同時に、会場がざわざわとざわめいていくのが分かる。
「陛下の隣の女性は?」
「噂のフィローンの姫か」
「あのドレスの色を見ろ」
複数の視線が圧力となって襲いかかってくる。
オリヴィアは思わず怯えて一歩後ろに下がりかけたが、隣りに立つフェルディナンドに、「大丈夫か?」と気遣われて気持を立て直した。
「はい」
「辛くなったら言うように」
「ありがとうございます」
オリヴィアを貴族達の視線から守るように、フェルディナンドは一歩前に出た。
「今日の主賓を紹介しよう。まずは、テレント国より、エリアス・マルドネス伯爵。二年ほど我が国に留学していたから見知っている者も多いだろう」
ホールの中央あたりにいた青年が、フェルディナンドの紹介に応じるように胸に手を当てて軽く礼をする。
エリアスは栗色の癖毛が特徴的な童顔の青年だった。
「そして、西の地、フィローン国より参られたオリヴィア姫。東の地で見聞を広める為にリラクシオンに滞在しておられる」
オリヴィアもまた、フェルディナンドの紹介に応じて、カーテシーをする。
「ふたりとも、しばしリラクシオンに滞在することになっている。敬意を払い、リラクシオンの貴族としての品位ある交流を期待する。それでは皆、夜会の始まりだ。今宵は楽しんでくれ」
フェルディナンドの開会の宣言に、ホールの貴族達も一斉に頭を垂れる。
二階の踊り場からそれを見ていたオリヴィアは、ただひとり頭を垂れず、こちらを睨みつけているラヴィニアを見つけた。
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