02
翌日、フィリダが戻って来た。
弟のシモンの意識が戻り、もう大丈夫だと医師に言われたらしい。
「姫様、本当にありがとうございました。おかげさまで弟を失わずにすみました」
「いいのよ。弟さんの具合は? 怪我をしていたの?」
「いいえ、怪我はしていません。ずっと地下室に閉じ込められていたんです」
フィリダがオリヴィアに仕えるようになる前から、シモンは正妻達によって地下室に幽閉されていたのだそうだ。
食事を与えられないことも多かったらしく、救出されたときには飢死寸前だったらしい。
「ですが、もう大丈夫です」
「それならいいのだけれど……。なにか口に入れやすい物を差し入れしましょうか? パンをミルクで煮込んだり、果実をすりつぶしたりしたら食べやすいのではなくて?」
心配になってあれこれ提案したら、フィリダにくすくす笑われた。
「姫様、それならもう医院でいただいてます」
「本当に?」
「本当です。……姫様が陛下にお願いしてくださったお陰で、私も弟も、騎士団や医院でとてもよくしていただけました。本当に……本当に感謝しております」
フィリダは急にオリヴィアの前にひざまずいた。
「お優しい姫様。お願いします。どうかこの先もずっと、フィリダを姫様の侍女としてお使いください。心からの感謝と共に、永遠の忠誠をお誓い申し上げます」
まっすぐオリヴィアを見上げる目には、オリヴィア自身に対する尊敬と友愛の光が見えた。
「忠誠なんていらないわ」
困ってしまったオリヴィアが呟くと、フィリダが悲しそうな顔になる。
「私では力不足ですか?」
「いいえ。そういう意味ではないの。……ちょっと一緒に来てちょうだい」
オリヴィアはフィリダを伴って、部屋に隣接された庭に出た。
「わざわざごめんなさいね。カロリーナには聞かれたくないことだから……」
フィリダが戻った後も、カロリーナは侍女として仕えてくれていることになっている。
これから話すことは、今はまだあまりおおっぴらにはしないほうがいいことだ。
「あのね、フィリダ。私、いずれは平民になる予定なの」
「は?」
オリヴィアがそう打ち明けると、フィリダがきょとんとした顔になった。
「え? ど、どうしてです?」
「私は確かにフィローンの二の姫ではあるけれど、忌み子と罵られて育ったことは知っているでしょう?」
「はい。エリサ様とのお話を聞いてしまいましたので」
「だからね。私はフィローンから自由になりたいの」
フィローンの二の姫という立場を完全に捨てて自由になりたい。
自由になって、新しい人生を生きたい。
その為に平民になりたいのだと、オリヴィアは打ち明けた。
「え、ですが……。その……陛下はご存じなのですか?」
「もちろんよ。最初にお会いした日に、私の望みは言ってあるわ」
「そう……なんですか……。でも、陛下は……」
「でも、なに?」
「え? あ、いえ。私の勘違いだったの……かも?」
フィリダは、思いっきり首を捻っている。
「そう? とにかく、私はいずれ平民になるのよ。ひとりで生きていくつもりなの」
「では、その時はお供します!」
「え?」
「私達姉弟も父の家から出て平民になることが決まってるんです。私達が姫様に平民の暮らしをお教えします」
「まあ、嬉しい。それは助かるわ。じゃあ、こうしましょう」
オリヴィアは、ぱんと両手を叩き合わせた。
「その時が来たら、私達お友達になりましょう?」
「友達……ですか?」
「そうよ。私、今までお友達がひとりもいなかったの。フィリダは私のはじめてのお友達になるのよ」
前世ではいたが、今世では立場上恵まれなかった。
フィリダのように情の深い人が友達になってくれたら、とても嬉しい。
「そんな……恐れ多いです」
「あら、でも平民になったら、私達平等よ?」
「そうなるのでしょうか?」
「なるの! 決まりね」
はしゃぐオリヴィアを見て、フィリダはやっとうっすら微笑んでくれた。
「ところで姫様、ひとつお伺いしたいことがあったのですけれど」
「なあに?」
「姫様、ふりじゃなく、毎日本当に毒をお飲みになってましたよね?」
「ああ、そのことね」
フェルディナンドの前で本当のことを言うわけにはいかなかったから嘘をついたのだが、フィリダはずっと不思議に思っていたのだろう。
「本当に大丈夫だったのですか? 私、心配で……」
「私なら大丈夫。毒が効かない体質なのよ」
「そんな体質があるなんて、はじめて聞きました」
心配させないように嘘をついているんじゃないのか? とフィリダの目が探っているのがわかる。
「本当のことよ。フィローン王家の忌み子の体質なの。毒だけじゃなく刃も効かないわ。この前、足元に刃物が落ちていたでしょう? あれも、忌み子の呪いに弾かれて落ちたものだったのよ」
オリヴィアはフィリダに、フィローン王家に伝わる忌み子の呪いを説明した。
「……それは本当のことですか?」
「ええ。……気持ち悪いと思う?」
「いいえ! 逆です! 姫様がご無事ならそれに勝ることはありませんから」
「ありがとう、フィリダ」
まっすぐに見つめ返してくるフィリダの瞳には嘘はない。
オリヴィアは嬉しくなって微笑んだ。
「だから、もしもなにか私に危険が迫った時は、フィリダは私から離れていてね」
「それはいやです!」
「え、でも……」
「いやです! 離れませんから」
私がお守りしますとフィリダが言う。
オリヴィアは困りながらも、その一途な想いがとても嬉しかった。
その数日後、マティルダ・ラウリーニ子爵令嬢が修道院に併設された治療院に入れられたと聞かされた。
心を病み、異常行動を繰り返しているためだと……。
(切り捨てられたのね)
彼女はラヴィニア達から道具として使われた。
企みが成功しても失敗しても、きっと操り人を守る為に切り捨てられ、同じルートを辿っていたのだろう。
(まだ十代の少女だったのに……)
もちろん本人にも問題はある。
マティルダの取り巻きとして、楽しげに笑っていた姿をオリヴィアも覚えている。
きっとこれまでは、あんなふうにいつもラヴィニアの尻馬に乗って、弱い立場の令嬢達をいたぶってきたのだろう。自業自得だと考えている人も多いはずだ。
だが更正の機会も与えずに、一生を治療院で過ごさせるなんて、若い娘にとってはあまりにもむごい結末だとも思う。
政争の前では、人ひとりの人生なんて軽いものなのかもしれないが……。
(私がここにいる間にクラレンス侯爵の派閥をなんとかできればいいんだけど)
積極的に囮として振る舞わなくても、現状オリヴィアはクラレンス侯爵が排除したいと思う対象になってしまっているはずだ。
次に襲撃があったら、今度こそなんらかの証拠を見つけられればいい。
(フェルディナンド様のお役に立とう)
少しでもフェルディナンドの悩みを軽くしたい。
オリヴィアは強い決意とともにそう思った。
読んでいただきありがとうございます。




