06
(ほんと、フィローンの王族とは大違い)
フィローンの王族は傲慢で高圧的だ。上がそうなら、自然とその下につく貴族もそれに習う。
オリヴィアは箱庭で暮らしながら、貴族階級がこの体たらくならば、平民に対する扱いはかなり酷いものなのではないかと、ずっと不安に思っていた。
実際、リラクシオンへの旅の間に垣間見たフィローンの民の表情は暗かった。倦み疲れているように見えた。
それに比べてリラクシオンの人々の表情は活き活きとして明るかったように思う。
(きっとフィローンは、平和な時代が長すぎたのね)
明確な敵がいない状態で何百年も平和を享受している間に、王家や貴族は財を溜め込み、自らの地位を守ることのみに汲々として民を顧みなくなった。
今のフィローンは熟し過ぎた果実のようだ。
艶々と赤く色づいて美味しそうに見えても、その甘い香りにはほんのり腐臭も混じっている。
同じく長い平和を享受しつつも、その間に培った技術を用いて東の地とも手広く交易しているサンガルズとはあまりにも違う。
「民を思うフェルディナンド様のお心に感動しました」
ぎゅっと胸の前で両手を握りしめ、小首を傾げてフェルディナンドを見上げると、なぜかフェルディナンドはふいっと視線をそらした。
「へたれ」
軽く屈んだデニーが、フェルディナンドの耳元でぼそっと小声で呟く。
オリヴィアの耳には届かなかったその言葉に、フェルディナンドは黙ったままデニーを睨んだ。
「事実を言ったまでです。――ところで、そろそろ会議のお時間ですが」
「そうか……。では、オリヴィア姫、私はこれで。ゆっくり読書を楽しんでくれ」
「はい。ありがとうございます」
立ち上がり、デニーを伴って書庫から出て行ったフェルディナンドは、なぜかまたすぐに戻ってきた。
「どうかなさいましたか?」
「いや……。オリヴィア姫につけた護衛騎士はどこに?」
フェルディナンドは、オリヴィアの背後に控えていたフィリダに聞いた。
「姫様に護衛騎士はおられません」
「なんだと⁉ デニー、どういうことだ?」
「騎士団長には腕利きを何人か、オリヴィア姫の護衛に交代でつかせるようにと依頼しておきました」
「調査しろ」
「は」
フェルディナンドがデニーに厳しい顔で命じる。
「私でしたらご心配には及びません。こう見えて頑丈なので、病気も怪我もしませんし」
これは事実だ。
忌み子の体質なのか今まで一度も病気をしたことはないし、怪我もしない。もちろん毒だって効かない。
代々の忌み子が寿命以外で死んだという記録もないらしい。
だからこそ、小さなオリヴィアはこの先の長い人生に絶望してその心を殺してしまったのだ。
そして今のオリヴィアは、目覚めた時点で一週間以上絶食していたにもかかわらず、忌み子の体質故に死なずにすんだ。
「ならばよい子を産めそうですね」
なぜかずいっと前に出てきたデニーを、ぐいっとフェルディナンドが引っ張って後ろに下げる。
「オリヴィア姫、ここはあなたの育った箱庭ではないのです。残念ながら、ここリラクシオン内にも貴族同士の権力争いがある。なにかの拍子にあなたの身に害が及ばないとも限らない。――どうか私に、あなたを守らせてください」
胸に片手を当てたフェルディナンドが軽く頭を下げる。
(これぞまさに貴公子!)
かっこいい! と、オリヴィアは心の中で叫びながらも、立ち上がってエリサに教わったようにカーテシーで応えた。
「フェルディナンド様、お気遣いありがとうございます。全ておまかせします」
「そうか。ありがとう。あなたの身に危険が及ばぬよう、手練れの若い騎士……いや、それは駄目か。……経験豊かな熟練の騎士を派遣しよう。――それまではデニー……に任せたくはないのだが、仕方ないか……」
「いいえ、それはいけません。デニー様はフェルディナンド様の護衛騎士。国の要である王を守るべきお方です。私なら大丈夫。フィリダもおりますし、なるべく人通りの多い通路を選んで部屋まで移動するようにしますから」
「……わかった。充分に気をつけて。王城内とはいえ、暗くなる前に部屋に戻るように」
「わかりました」
ではこれで、とフェルディナンドは、名残惜しそうにデニーを伴って帰っていく。
見送っていると、フィリダに声を掛けられた。
「姫様、本は貸し出しもしておりますので、人通りの多い今のうちにお部屋に戻ったほうがいいかもしれません」
「そう? それならそうするわ」
本の貸し出し手続きをしてもらってから、ふたりで書庫を出た。
来る時同様、フィリダが先導して王宮内の通路を歩く。
オリヴィアは通路に面した庭を眺めながら、フィリダに話し掛けた。
「秋なのに花が多いわね。リラクシオンの冬は雪が降るのかしら?」
「降りますよ。といっても、つもるほどではありません。降っても数日で消えてしまいます」
「それなら、フィローンより温かいのね。嬉しいわ」
フィローンは一ヶ月ぐらい雪が降り続く。
ろくな防寒着がなかったから、箱庭を除雪するのが本当に辛かった。
その時、通路にカランと音が響いた。
「今の音は⁉」
背後から響いた音に、フィリダが慌てて振り返る。
そして、オリヴィアの足元に落ちているナイフを見つけて、蒼白になった。
「姫様! お怪我は⁉」
「私なら大丈夫よ。頑丈だって言ったでしょう?」
「頑丈でもナイフは刺さります!」
フィリダの突っ込みに、オリヴィアは軽く肩を竦めて誤魔化した。
さっき音がする直前、背中に軽い衝撃を感じた。
多分、このナイフがぶつかった音だろう。
(残念、刺さりません)
どうやらオリヴィアの身体の周囲には、危険を察して現れる見えない膜のようなものがあるらしい。これによって、オリヴィアの身体に傷がつくことはないのだ。
忌み子が怪我をしないのは、これのお陰だ。
(調理中も指を切らないから、けっこう便利なのよね)
オリヴィアの背中に傷がないか慌てて確かめているフィリダとは違い、オリヴィア自身はけろっとしている。
だが、フィリダが床に落ちたナイフを拾おうとした時は慌てて止めた。
ナイフの刃先が茶色の液体で濡れていたからだ。
「触っちゃ駄目。毒が塗られているかもしれないから」
「はい。――では、これはどうしたら?」
「そうね。……このままにしておいて、落とし物があったと警備担当の兵士に伝えておきましょうか」
忌み子の特性で身体に触れる前にナイフを弾いてしまったせいで、このナイフがオリヴィアに向けられたものだと証明することはできない。
すべて自作自演で、なにか企んでいるのではと疑われるのも面倒臭い。
なのでオリヴィアは、ただ落とし物を見つけたことにした。
「ですが、姫様。このナイフは姫様を狙ったものだと思います」
私の時と同じように、とフィリダが小声で囁く。
「たぶんそうなんでしょうね。でも大丈夫よ。私はこう見えて頑丈なの」
(見えない膜に守られているし、毒も効かないからね)
オリヴィアは、にっこり自信ありげに微笑む。
「このままエスカレートすると、いつかはお命にかかわることになるかもしれませんよ」
「大丈夫よ。でも、そうね……。もし何かあった時には、フィリダは私から離れていてね。危ないから」
「危ないのは姫様の方なんです!」
おっとりのんびり危機感のないオリヴィアを、フィリダは苛立ったように握った拳をぶんぶん振って怒鳴りつけた。
(いい子)
初日以来、フィリダは毎日あの毒入りのハチミツをオリヴィアのお茶に入れ続けている。いくらオリヴィアが平気だと言っても、毒入りのハチミツを入れる時のフィリダは本当に辛そうだ。
(この子もちゃんと解放してあげなきゃね)
誰がフィリダを脅しているのか、今はさっぱりわからない。
でも、フィリダに直接の被害が及ぶ前になんとかしたい。
「もしもフィリダの身に直接危険が迫るようなら、絶対に私に言ってね。ひとりで悩んでは駄目よ」
誰にも聞かれないようオリヴィアがこっそり囁くと、フィリダはくしゃっと泣きそうに顔を歪めた。
「わ、私の心配より、ご自分の身を案じてください」
「私なら大丈夫なのよ」
「もうっ、姫様ったら! 大丈夫じゃないんですってばっ‼」
怒ったフィリダは、とうとう地団駄を踏み始めた。
三つ編みがぴょこぴょこ揺れて可愛い。
オリヴィアが思わすその頭を撫でると、フィリダはとうとう怒ったまま泣き出してしまった。
「姫様は危機感がなさすぎますっ!」
ちょうどそこに場内の警備を担当する兵士達が見回りにきたので、オリヴィアはナイフのことを伝えた。
「どなたかが不注意で落としたにしては、刃先が不自然に汚れているでしょう? もしかしたら毒じゃないかって、侍女が怖がって泣き出してしまったわ」
調べていただける? と、両手を組んでお願いすると、「おまかせください」と兵士達は顔を赤くして力強く頷いてくれた。
(調べても、犯人までは辿り着かないだろうけど……)
本当に誰が自分を狙っているのだろう?
まだ怒っているフィリダを宥めながら、オリヴィアは見えない敵にやっと苛立ちを募らせはじめていた。
読んでいただきありがとうございます。
第二章はこれにて終了。
第三章では、悪役令嬢wが登場です。
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