第二話⦅-紅い霧の魔女-⦆1/4
深い暗闇の中。
右も左もわからない。
宙に浮いているのか、それとも水の中にいるのかさえも不確定で。
ふっとよく見れば、目の前が段々と明るくなっていくのに気が付いた。
手を伸ばそうとすれば、更に“それ”が近づいてくるような気がした。
その先に手を伸ばせば、光に近づいた指先が少し楽になったような、軽くなったような。そんな感じがする。
そのまま両手を思いっきり伸ばせば、光が更に近づいて・・・・
背後から飛んできた鎖に絡まれ、一瞬で後ろの暗闇へと引き込まれた。
そして、巻き付いた鎖は の首に絡まると・・・・
の首を、胴体から切り離し。
鎖は の胴体を残し、頭だけが鎖に引き込まれ、底へ底へと沈んでいく・・・・
胴体は光へと導かれ、ゆっくりと溶けるように消えていった。
・──────────────・
「っ!?」
意識が一気に覚醒し、僕は跳ね起きるように飛び起きた。
ベタつくような嫌な汗が、全身から一気に噴き出す。
心臓が早鐘を打ち、僕は落ち着かせるようにして深く深呼吸をした。
とりあえず・・・ここはどこだろうか。
ツリーハウスを思わせるような、柔らかな木造の室内だ。
本棚は天井に届くほど高く広く、様々な厚さの本が隙間なく敷き詰められていて。
天井からは、まるでランタンのように無数のフラスコが吊るされている。
様々な種類の形のフラスコの中には、蛍光色に光る液体や。
まるでスライムのように、気泡を発している液体。
マリモのような、ふんわりとした球体が入ったモノまである。
ゆっくり体を起こそうとしたら、ギシリと不安定に全身が揺れた。
ベッド・・・ではなく、卵っぽい形のハンモックの中で僕は寝ていたようだ。
本当にここはどこなのだろうか。なんというか・・・
僕はハーフとはいえ、一応は人外の血を引いているので、嗅覚とかは鋭い方・・・だと思う。
ここは、今までで僕が一度も嗅いだ事のない不思議なニオイいで溢れている。
なんというか、図書室と理科室と保健室のニオイが混ざった感じだ。
「おやおや、やっとお目覚めですか?」
いきなり声をかけられて、思わず声のした方へとパッと顔を向けた。
そしていつの間にか、ハンモックをのぞき込んでいる人物がいることに気が付いた。
「(人の気配なんてしなかったのに・・・)」
確かに、人の気配なんてしなかった。
周囲を見回した時も、人影すら見なかった。
この人は、一体何時からいたのだろうか。
全身を黒い服で包んだ男性だ。というより神父服・・・なのだろうか。
すらっとした黒いカソック(多分)に身を包み、腰にマフラーっぽいものを巻いていて。フード付きのケープを肩にかけている。
黒・・・というよりは、漆黒と言った方が近いのかもしれない。
縁のラインやボタンは赤い。
褐色の肌に、赤いメッシュの入った白い髪を後ろになでつけている。
そして一番目立つのは、オペラ座を思わせるような白い仮面で、顔の左半分を覆っている事だろうか。
健康的な肌の色なのに、全然健康そうには見えない。
神父というか、死神や死刑執行人のようにも見える。
にったにったと、聖職者が絶対にやってはいけないような、何処か人を馬鹿にしたような、冒涜的な笑みを顔に張り付けている。
「何ともまあ。危機感がないですねぇ。まさかここまでぐっすりと寝ているとは・・・・羊数えでもしていたのですか?」
なんともまあ、まさかここまで人を完全に馬鹿にしきっている物言いと態度は初めて見た。
サラサラと流れるように話しているが、なんともネトネトとした喋り方だ。
僕のそんな反応なんて気にもせずに、彼は更に話し続ける。
「・・・さて、ここで貴男をからか・・・遊んでいたら、そのうち雷が落ちるでしょうし。少々残念ですが」
「いやいや、訂正してるけど結局意味は変わってないよね?」
「はははは・・・そんな事はありますよー」
「あるのかよ!少しは否定しろよ・・・」
「申し訳ありません。私、 素 直 なもので」
「いや、絶対わざとでしょ」
コイツは話していて一番疲れるタイプの人間だ。
というか、これは完全におちょくられている。
「まあ・・・そろそろ、彼女がしびれを切らしていることですし。意外と短気ですからね」
「彼女?」
一体誰なのかと問おうとすれば、そいつは張り付いた笑みを更に歪ませてこう言った。
「貴男も聞いた事がおありかと、かの“赤い霧の魔女”の話を。あの“悲劇”の大戦時、波打つ約一万人もの敵兵を一瞬で血祭りにあげた恐怖の魔女を・・・・・気を付けなさい?彼女は羽虫の陰口一つでさえも、決して聞き逃す事はなく。我々の行動を随時監視しているのですから。霧に紛れて・・・ね」
赤い霧の魔女。“俺”も散々と聞かされた人物。
ルミニエールでは恐ろしい魔王、この国では戦争の奇跡の救世主。そう言われている。
きっと・・・やっている事は同じでも、捉えかたが違うのだろう。
こっそりと伺えば、神父はやはりにやにやと此方を見ているだけ・・・いや案内してくれないのかよ。
「早く行かないと、お連れの方の安全も保障しかねませんよ?彼女・・・ああ、フォスファ第一王女でしたかねぇ。若い兵士と一緒にいたのは・・・」
そこまで聞いた瞬間、“俺”はまさにバネのように跳ね起きる。
外に出られるであろう扉まで、僕は風のように一瞬で走り抜けた。
バカバカバカバカ!どうして三人がいなかったことに、彼に言われるまで気が付かなかったんだ“俺”のバカ!!
ニルスさんはハンターだったし、大戦の経験者には見えなかったから安心していた。それに実際知らなかったし。
でも他の人は違う。服装等の外見や、他で見た情報から知っている可能性だってあったのに!!
特にルミニエールに脅威として扱われている“霧の魔女”にバレたなんて・・・最悪だ。
もしかしたら。僕は兎も角、ニルスさんも仲間として見られて捕まっているのかも・・・・
そんな考えが、グルグルと頭の中を一瞬で駆け巡る。
バンッと勢いよく扉を開ければ、そこはやはり僕の見たことのない空間が広がっていた。
円を描いた只々広い空間。無数の木々が、まるで蔦のように絡み合いながらドーム状の天井を作っている。
絡み合う枝と葉の合間から、陽の光が柔く降り注いでいる。
そんな空間の真ん中に、ぽつんと一人で立っている人物がいることに気が付いた。
後ろを向いているので、正面はわからない。
わかるのは
濡れ羽色の長い髪を、結うことなく揺蕩うように遊ばせている。
と、いうことだけだ。
その人が、ゆっくりと僕の方へ振り返った。
白地に黒いラインが入った、シンプルなローブを身に包んでいる。
その顔は、てっきりSan値直葬な這い寄るナニカかと思いきや・・・そんな想像とは違い、普通に日本人っぽい顔立ちだった。
「おや・・・起きて大丈夫かい?きみ、随分と体力が消耗しているみたいだったから、起こさずにほおっておいたんだけど・・・?」
「・・・・・・・え?」
予想とはかなり違うその言葉に、口から出かかっていた言葉が一瞬で無くなる。
ちらりと、今出てきた扉をゆっくりと振り返れば。神父服に身を包んだその男は、まるで悪戯がばれた子供のように愉快そうに笑った。
「いやぁ失礼。私一度、鳥種の全力疾走をこの目で見てみたかったもので つ い ★」
「いや、そもそもお前をココに招いた記憶すらない」
テヘ☆っとでも言うように、イラッとくるペ○ちゃんスマイルを見せた神父は・・・・・魔女、らしき人物の放った水球により、遥か彼方へと吹き飛ばされた。
そのまま、サメの餌にでもなってしまえ。
・────────────・
「コホン。どうやら体調も戻ったようですね・・・まあ身体の方は、だけれども」
座りなさい。
そう言って彼女が手を地面に向けてサッと横に振れば、ポコッと三つのキノコが生えてきた。
一つは大体テーブルぐらい、残りの二つは椅子ぐらいまで大きくなる。
彼女がゆっくりと座るのを確認し、僕も恐る恐るキノコに腰掛ける。
・・・・・このキノコ、意外ともっちりしてる。
「さて。先ずは自己紹介から始めねば、先には進めないですね。私の名前はナイアといいます。またの名を、赤い霧の魔女・・・と言った方が早いでしょうか」
「ええと・・・僕の名前はゲイル、です」
「ええ、存じ上げていますよ。お母さんとは顔見知りでして、よくあなたの話を聞いてました。昔のことで覚えてはいないでしょうが、あなたが生まれる際に立ち会ったこともあります。なつかしいですね」
「え?そうなんですか?」
初耳である。
とはいえ、母さんはあまり自分の事を、僕ら子供達に話したことは一度もなかったけれども・・・
むむむ。
そう言われれば、どこか懐かしさを感じる。
と、いけないいけない、忘れていたけど・・・
「あの、僕と一緒にいた三人は一体どこに・・・」
「彼らですか?心配しないでください。ニルスは一足早く凪の島へ戻りました。残りの二人ですが、しばらく二人きりになりたいということで、近くを散策しています・・・・」
「あの、あの二人はその・・・害は無くて。追われていたのを助けたといいますかその」
「安心してください。二人がルミニエールの人間とはいえ、無害の人間に危害を加えたりはしませんよ?」
「そうですか・・・」
「ただ・・・まあ、安全の為にも黙っていた方がいいと思います。その辺は、お二人も了承してのことです」
よかった、三人が無事で。
ニルスさんは、僕が起きるのを最後まで待っていたらしい。
でも、風の島の件で一度ギルドと近衛の方で話をしなければならないらしく、後ろ髪を引かれる思いで此処を後にしたそうだ。
話をすればするほど、噂通りの人物像からはどんどんと離れていくのを感じる。
想像していたより、とても話せる人だ。
「何から何まで、ありがとうございます」
「ふふふ、私はただ拾っただけです。それに・・・この王都まであなた方連れて来たのはあの子です。介抱も、あの子に頼まれたからですよ」
「え、ココは王都なんですか!?それにあの子って・・・」
てっきり凪の島か、その周辺の小島にでもいるのかと思ってたのに・・・
ゆっくりとナイアさんが指差す方を見れば、そこには宙に浮かぶ大きな水球があった。
その中にいたのは・・・
「ワンちゃん!?」
傷だらけの白いサメ。ハクガクこと、我が島のマスコットでもあるワンちゃんが、その中で浮いていた。
前の比ではないほどに、酷い傷でいっぱいだ。
特に、古い傷の上に重なるようにして新たにできた、大きな穴の開いた痕のような傷が痛々しい。
「あの子が、凪の島からここまであなた方を連れて来たのです。大丈夫、傷はかなり深いですが、また自由に泳げるほどに回復しますよ」
「よかった・・・でも、どうして王都に?凪の島の方が近いのに」
王都は海に面した都市だ。それでも凪の島からは、普通の船で半日ほどかかるぐらいには離れている。
「なるほど・・・まあ、あなたは今まで休んでいたのだから無理もないですが・・・風の島が攻撃されてから、あれから三日は過ぎています。そして凪の島や風の島を含め、周辺の島々は厳戒態勢が敷かれていて立ち入りが禁止されています。あの子がここを選んだのも、先に凪の島にいた“化け物たち”から遠ざかるためです」
「立ち入り禁止?・・・そんな・・ことが?」
「それに、たとえ立ち入り禁止になってはいなくとも、今のあなたを島へ連れていくわけにはいきません」
「それは、どうしてですか!」
それを聞いて、僕は思わず抗議の声を上げた。
危険だから行ってはいけないと言うのは納得がいくけれども・・・流石にそう言われると納得は出来ない。
だって、もしかしたら母さんや弟妹達がいるのかも知れないのに・・・・!
「身体の方は無事でも、心・・・精神の方はそうはいきません。あなたは今、疲れているからこそそれを自覚せずに済んだ。だけれどもそれは、決してごまかせるものではない。今に大きな波がやってきます。そして抗う間もなくその波に飲まれるでしょう」
はっきり言って自覚がない。
しかしそれが一番マズイのだと言い、ナイアさんはゆっくりとその場から霧のように消えていった。
後にはそう・・・僕が座っているキノコだけしかなくなった。
神父モドキが腰に巻いている布はストラです。
霧の魔女さんも、どうやら相当ヤバいモノを抱えている様子。




