Chapter.3-5
すでに行われた選択
後悔など
夜の風は、肌だけでなく心を撫でるようにうすら寒い。空を見上げたところで虚空に映るのは常闇と月だけだ。時折、旅客機が右舷と左舷にそれぞれ緑と赤の光を灯して飛んでいるが、広大な闇景色に添える花にしては、ずいぶんと心許ない。
都会の喧騒に揉まれながら、東地ケイは物思いに耽っていた。すでに時間は深更、日付もそろそろ変わろうかというころだ。それでも人の姿は絶えることがない。遠くからは電車の音も聞こえてくる。
ケイの出生地はかなりの田舎だ。バスが一時間に一本あるかないかというほど、人も物も少ない土地だった。そんな環境に鬱屈し、教師になることを目指して関東の大学に進学し、見事に教員免許を取得した。そこまではいいものの、何の前触れもなく発現したアニマ――ネゴシエイターが、ケイの人生を大きく変えた。元より豪放磊落、悪く言えばあっけらかんとした性格のケイは、アニマの力に自己の可能性を感じ、戦いの道を選んだ。若かったな、あの頃の自分は。単に刺激を求め続けた過去を想起し、ケイはそう思った。若さと未熟はまったく異なるが、あの時分のケイは、そのどちらでもあった。
冴島ユウトほど、人類史上で数奇な存在はいないだろう。人間の魂を宿したアニマ。アニマでありながら意志を持つ人間。その戦いの覚悟は本物だ。
ケイは、過去の自分と照らし合わせて、なんとも情けない気持ちになる。だが、それも昔の話だ。今のケイには、人々を守るという目的がある。単純に戦いを求めるようなことはない。そうはいうものの、やはり自己の存在意義をかけて戦うユウトの姿には、どうしても一人の人間としてかなわない部分があるように思えた。
「……家族、か」
ユウトは親戚の仕送りで暮らしているというが、二度と手に入らない大切なものを失った傷は大きい。何よりも、彼は自分を失ってしまったのだから。
だが、それもあの少女のお陰で変わりつつある。御堂ルリネが、冴島ユウトの生きる理由となっていた。彼女が生きていること自体が。
いや、彼女自身も変わり始めている、とケイは思う。
ヴァランディンは、ではどうなるのだろうか。ユウトに最も高い適合性を示しているのは疑いようがない。それも、ユウトのアニマに頼っているという点が大きいだろう。もはやヴァランディンは彼のためのAMIAと呼んでもいい。他の人間には使いこなせまい。
だとしたら、無理にユウトからヴァランディンを奪還することもできない。適合云々以前に、ヴァランディンは彼の大きな助けになっている。生きる目的の大きな支えに。自分が、自分たちがアニマを駆使してレギオンと戦う。それと何が違うというのだ。ヴァランディンは、ユウトが欲した力だ。戦うために。守るために。人間ではない自分の存在意義を示すために。
「難しい問題だな……」
借りているマンションに帰宅する。部屋の扉を開けた瞬間に感じたのは、妙な感覚だ。何か、いつもとは違う雰囲気が漂っている。嫌な予感を抱きながらケイは奥へ進んでいった。
リビングでは、キョウカがこちらに背を向け、情報端末になにやら入力している。だが、その後姿が、いつにも増して――威圧的だ。
「なんだ、まだ起きていたのか」
平静を取り繕って声をかける。
「データの解析が終わらないんだ」
答えはいたって普通だった。いや、それにしては、なんだか声がおかしいような。
「そうかい……まあ、あまり根詰めるなよ、体壊すぞ」
ガチッ、とキーを叩く手が引っかかる。
「今やらなければならないんだっ、御堂ルリネのためにも、私のスティンガーのためにも!」
「おいおい、そんなにカリカリするなよ」
珍しくもキョウカは怒声を張り上げていた。普段は滅多に感情を表すことのない冷静沈着な彼女が。
「俺にも何かできることがあったら手伝って……お前、酔ってるな?」
悪い予感は見事に的中した。情報端末ディスプレイの横にあったのはビールの缶だ。それも、五本ほど。じっとりとした視線をケイによこしたキョウカの顔は、すでに真っ赤に出来上がってしまっている。
「酔って、何が、悪い」
苛立ちを隠さない抗議の声も、若干呂律が回っていない。
「ああ、いや、別に悪いってワケじゃあないんだが……すこし落ち着いたらどうだ? そんな調子で続けたって――」
「うるさいっ! お前に何が分かるっ!」
「お、おいおい落ち着けって」
猛然と立ち上がり、キョウカはケイに詰め寄ってくる。昔から酒を飲むとこうだ。弱いと知っていながら、気が落ち込むと飲んで気分を高揚させようとする。しかし待っているのは感情の枷を変な方向に解き放ち、結果として別人のように感情を高ぶらせたキョウカだ。あまりにも目が当てられないために普段は飲酒を控えさせているのだが、今日は運が悪かったと諦めるしかない。
「今までしてきたことはなんだったんだ……ヴァランディンを追い回していた私が馬鹿みたいじゃないか!」
「ちょっ、待てって!」
いったい何に腹を立てているのか、さっぱり見当がつかない。
「何もかもが無駄だったんだ……」
「無駄なんかじゃない、ヴァランディンを追っかけてここまできて、運よく一人の少女を救うことができた……いや、まだ終わっちゃいないが、とにかく無駄じゃないだろう?」
「それはそれだ……しかし、AMIAの理論は台無しだ! 結局は私には……人間には使いこなせないということじゃないか。私の父は……父の研究は……っ!」
父――香曽我部リョウジ。AMIA開発の第一人者として知られているが、実際にはAMIA開発のチームからの評価は高いとは言えない。実験段階で、コアを直接胸部に装着した人間は死亡し、コネクターの開発にも失敗を重ね、研究者としての権威を失墜させていった人物。プラスよりもマイナスの評価のほうがより過剰に見られてしまった、不遇の男性。
ケイが初めてキョウカと出会ったのは、彼女が一介の医学生だったときだ。その頃のキョウカは大人しいお嬢様といった風貌で、看護師になることを夢見て勉学に励んでいた、普通の少女だった。それが父の研究とその失敗を知った瞬間、大きく変わる。まるで復讐に囚われたかのように、AMIAの開発に携わり始めたのだ。キョウカが父に抱いていた感情は、まさに尊敬以上の、一種の崇拝だと言ってもよかった。絶対的な信頼、父が失敗することなどないという先入観が、キョウカをよりAMIAに固執させた。父の研究を継ぎ、必ずAMIAを完成させて汚名を雪ぐと。ゆえにキョウカは、今でもリョウジの理論を基に開発を進めているはずだった。
「キョウカ……」
「私は果たさなければならないんだ、父が遺した研究を! そのためには、悪魔にだってなる。生半可な覚悟じゃあ、人を救えない……誰も幸せになんかならないんだ……!」
「そんなこと――」
「AMIAは何のためにある? アニマは、この力は、何のためにある? 人を救うためだ……選ばれた人間しか、戦うことを許されていない。他にやる人間がいない、だから私がやるしかない。私たちが、やるしか」
「ああ、そうだ、そのとおりだ。だからこうして、今回も御堂ルリネを助けることができたんだ。まだレギオンの襲撃は終わったわけじゃないが、それでも、救うことができるんだよ。俺たちだからこそ」
「だが、ヴァランディンなしでは勝てなかった! 一回目も、二回目の戦いも。私たちには必要なんだ、あれほどの力が。だから……! それが、父が目指した研究の成果ならば、私は――!」
高まった感情をおしとどめることができなくなったのか。キョウカの頬は、かすかに落涙に濡れていた。
「教えてくれ、ケイ……私はいったい、何をしていたんだ?」
「何を、って……そりゃあ、人助けだろう。俺たちにしかできないことだ」
「本当に、私は、それを目的としていたのだろうか……私はただ、父の遺志を成し遂げたかった、そのためだけに、戦っていたんじゃないのか? 戦うフリをしていただけじゃないのか? エリナのことだってそうだ。あの子の意志も聞かないで、私たちの都合のいいように戦いに巻き込んだ。身勝手すぎたんだ、私は」
椅子に腰を下ろして、キョウカは目頭を押える。
「けれど、もう昔には戻れない。後戻りは許されない。前に進み続けるしかない、私たちは。ケイ――私には、その勇気がないんだ」
ケイを見上げる瞳の、なんとか弱いことか。
彼女と初めて出会った当時を、ケイは思い出す。まだ戦いに身を投じていない学生としてのキョウカと、未熟な青年だったケイ。共に戦うと覚悟を決めたとき、在りし日の生き方を捨てたはずだった。その決意が揺らいでいる。冴島ユウトとヴァランディン、アニマとAMIAとの完璧な適合を目にして。自分には、その境地にたどり着くことができないのだと、キョウカは恐れている。これまで積み重ねてきた研究が、戦いが、人生が、すべて否定されてしまうかのようで。
「私は……どうすればいいんだ?」
慈悲を求めるかのようなキョウカの美貌に、今までの凛然とした気高さはない。
ケイは、一拍の間を置いて、ゆっくりと答えを吐きだす。
「進むしかないだろう。そうだ、俺たちに後戻りは許されていない。だから進み続けるしかないんだよ、キョウカ。泣きながらでも、喚きながらでもいい。足を止めずに、歩き続けるんだ」
「しかし――私は――」
「置いていくものか。引っ張ってでも連れて行くぞ。俺たちには……俺には、お前が必要なんだよ」
後に戻れないのはケイも同じだった。アニマ使用者として、命の尽きるまで戦い続ける道を選んだのだ。今更引き返すなど、昔の自分にも今の自分にも顔向けができない。だからこそ、前向きに生きなければならない。下を向きながら歩いたところで、未来が明るくなるわけではない。もとより明るくなることなどないのかもしれない。それならば、自分で照らせばいい。人間には、その強さがある。理不尽に打ち克つ強さが。
「お前は、親父さんの遺志を継がなきゃならない。お前自身の意志として。だから、もう泣き言を垂れ流すのはやめてくれ。そんなお前なんざ、見たくもないな」
「ケイ――」
「それに、だ。俺がここまでやってこれたのはお前のお陰なんだぜ?」
「……は?」
「美人が応援してくれりゃ、それだけやる気が出るってもんだよ」
「……ふ、ふふ」
キョウカの口から、小さな笑みが漏れる。
「私がいつ、お前を応援したというんだ?」
「隠さなくていいさ。いつもしているだろう、心の中で」
「馬鹿を言うな。呪うことはあっても、応援したことはない」
「……呪うって、本当か?」
「冗談だ。半分はな」
「半分は本気じゃねーか。どうりでここのところ疲れが溜まるわけだ」
「それは不摂生のせいだ。体調管理ができていないお前に原因がある」
「酔っ払いに言われると、説得力がまったくないな」
他愛のない会話は、どちらともなく笑い出し、途切れる。
軽い笑いが収まった後、キョウカは目尻を小さく拭って呟いた。
「……ありがとう、ケイ」
ケイはまるで冷水を浴びせられたように目を丸くする。
「そいつぁ、その……どういたしまして」
「助けられていたのは私の方だったな。いつもいつも、こうやって馬鹿みたいな小言をかわして……感謝しているよ、本当に」
座った姿勢のまま、キョウカは顔を伏せる。ケイにしてみれば、ここまでまともに感謝の気持ちを述べられたのは初めてだった。何ともいえない、くすぐったい気持ちになってしまう。
「やめろよ、それこそお前らしくない! どう反応していいのやら……」
あたふたし始めたケイは、ふとその動きを止める。
キョウカは、静かに目を閉じたまま、かすかに規則正しい息を続けていた。
「……寝やがったな、この酔っ払いめ」
一人で盛り上がっていたような妙な空しさを感じながら、ケイは毛布を用意してキョウカにかけてやった。連日の戦いの疲労からだろうか、深い眠りに落ちているキョウカの寝顔は、普段の彼女らしくない、緊張のかけた幼げな表情だった。
その顔を見つめながら、ケイは在りし日を思い出す。もし、自分にネゴシエイターが発言していなければ。もしキョウカが看護師としての道を歩み続けていれば。今とはまったく違う人生を歩んでいたことだろう。
だが――それがどうした。
今の自分には、与えられた役割がある。自分で選んだ道を歩んでいる。後悔は許されない。それは無駄なことだった。たとえ何をどう悔やんだとしても、敵は訪れる。誰かの命が危機に晒される。現実がそこにあるのだ。無言実行。悩む前に、まず行動することだ。
「戻れないのさ、俺も、お前も……誰もが、今を生きるしかない」
アニマは、誰かを守るために与えられた。ならば、すべきことは決まっていた。
最後の戦い――何が起ころうとも、自分の意志に従うだけだ。
Chapter.3 "I hear you cry__2012.04.11" end.
賞タイトルは、AXXISの11thアルバム "Doom of Destiny"収録曲"I hear you cry"より。




