第1話:入学試験
王立魔導学園の入学試験会場は、石造りの広い部屋だった。
天井は高く、壁には等間隔に魔法灯が並んでいる。床は白い石板で敷き詰められており、その中央に試験用の魔法陣が描かれていた。直径およそ三メートルの円形陣で、八つの頂点を持つ対称形の構造だ。補助線が放射状に伸び、均等に配置された符号が円の内側を埋めている。
誰の目にも整った、美しい魔法陣だった。
アルノー・ヴァレリウスは、その陣の前に立ちながら、どうしても気になる部分を見つけてしまった。
右側の第五補助線が、ほんのわずかに外側へずれている。
目を凝らさなければ分からない程度の差だが、アルノーには砂粒が目に入ったときのような、小さくて無視できない違和感として映った。〇・三ほどのずれだろうか。計測器を当てれば正確な数値が出るだろうが、今は道具がない。
「受験番号十七番、ヴァレリウス。準備ができたら始めなさい」
試験官の老魔導士が、手元の記録紙から目を上げずに言った。
白髪交じりの眉毛が太く、声に張りがある。長年この試験を担当してきたのだろうということは、その動きの無駄のなさから察せられた。
「少し確認させてください」
アルノーは答えながら、陣の外縁を一周するように歩いた。
右の第五補助線だけでなく、全体を改めて見ておきたかった。外側から見ると、左の第二符号の角度も気になる。こちらは〇・一程度だが、第五補助線のずれと組み合わさると、魔力の流れが右側に偏る可能性がある。
「確認とは、何をするつもりですか」
試験官が初めて顔を上げた。
「陣に歪みがあります。修正してから始めてもよいですか」
しばらく沈黙があった。
「……この陣は、王立の標準様式に則って描かれています。歪みなどありません」
「右の第五補助線が外側に〇・三ほどずれています。左の第二符号の角度も、基準値から〇・一ほど傾いています」
試験官が立ち上がり、陣に近づいてきた。
しゃがみ込んで第五補助線を確認し、それから第二符号を確認する。長い沈黙の後、ゆっくりと立ち上がった。
「……修正する場合、試験時間は減りますが、構いませんか」
「構いません」
試験官が白墨を差し出した。
アルノーはそれを受け取り、まず第五補助線の一部を消した。消した部分を描き直し、左右との間隔が均等になるよう調整する。次に第二符号の角度を修正する。
どちらも、ほんの数センチの差だ。他の受験者が見れば、何をやっているのか分からないだろう。
修正を終えて立ち上がり、陣全体をもう一度眺めた。
まだ完全ではない。細かいところを挙げれば、まだ三か所ほど気になる部分がある。しかし試験時間の残りを考えると、これ以上は切り上げるべきだと判断した。
「では始めます」
アルノーは陣の前に立ち、魔力を流し込んだ。
王立の標準試験陣は、点火の術式だ。
陣の中心に炎を発生させ、その安定度と出力によって魔力量と制御精度が測定される。魔力量が多いほど炎は大きく、制御が精密なほど炎は安定して燃え続ける。
光が走り、炎が現れた。
通常の点火陣が生み出す炎は、白みがかった安定した色をしている。
アルノーの炎は、少しだけオレンジに近い色だった。大きくはない。他の受験者が出すような、天井近くまで届く派手な炎とは程遠い。
しかし、揺れなかった。
一秒、二秒、五秒。
炎は小さいまま、しかし微動だにせず燃え続けた。
試験官が記録紙に何かを書き始めた。
アルノーはそちらを見ずに、炎だけを見ていた。修正前の陣と比べて、魔力の流れが右に偏っていないことは体感で分かる。補助線のずれを直したことで、魔力が陣全体に均等に広がっている。
出力は少ないが、効率がいい。
三十秒が経過した時点で、試験官が「終了」と告げた。
炎が消えた。
アルノーは白墨を試験官に返した。
「魔力量は平均を下回ります」
試験官が記録紙を確認しながら言った。
「ただ、持続時間は今日の受験者の中で最長です。修正前の陣で計測すれば、また結果が変わっていたかもしれませんが」
「修正前のままでは、三十秒持たなかったと思います」
「なぜそう言えるのですか」
「第五補助線のずれによって、魔力が右側に偏流します。偏流が一定を超えると、陣は自壊します。私の魔力量では、修正なしに三十秒の安定を保つのは難しかったはずです」
試験官がしばらくアルノーを見ていた。
値踏みするような目ではなく、何かを確かめるような目だった。
「ヴァレリウス家の三男、でしたか」
「はい」
「家督は長男が継ぐ。次男は監視院に入ったと聞いています。あなたは何のために学園に来たのですか」
アルノーは少し考えた。
「観測のためです。この世界の魔法には、まだ発見されていない法則があると思っています。それを見つけるために来ました」
試験官は何も言わなかった。
記録紙に最後の何かを書き込んで、「下がってよろしい」と言った。
アルノー一礼して、試験室を出た。
廊下に出ると、次の受験者が順番を待って壁際に並んでいた。その中の一人が、アルノーが出てきた扉を見て言った。
「ずいぶん時間がかかってたな。何かあったのか」
「陣を修正していました」
「修正? 標準様式の陣を?」
アルノーはその少年を見た。
背が高く、首が太い。手の皮が厚いところを見ると、剣か何かを長く続けてきたのだろう。魔法使いらしくない体格だが、目に力がある。
「歪みがあったので」
少年がしばらくアルノーを見てから、小さく笑った。
「面白いやつだな。俺はレイドだ。よろしく」
アルノーは頷いた。
廊下の窓から、空が見えた。雲ひとつない、均等に青い空だ。
完全な均整。
アルノーはそれを一秒だけ見てから、視線を前に戻した。
この学園に、まだ見ぬ法則がある。
そう思いながら、廊下を歩いた。




