「違う」のは誰か
「リル、館を出てはダメだといってあるだろう?」
腕の中に納まったままのリルに、アライズが怒ると言うよりは困り顔で諭すように言うと、リルは小さく頭を下げる。
「ごめん。でもこれ、アライズにあげたかったの。」
そう言ってアライズの眼前にずいっと突き出されたのは、リルがせっせと摘んでいた黄色い花だった。
「これを、我に?」
アライズがきょとんとして尋ねると、リルは大きく頷く。
「おはな、きれいだよね。アライズの眼とおんなじいろ、してるの。」
片手に色褪せたうさぎのぬいぐるみ、もう片手に黄色の花束を抱え、リルは綺麗に笑う。その様子に思わず、アライズの顔にも笑みが浮かんだ。
「あぁ…、綺麗だな。じゃあ館に戻って花瓶に挿そうか。」
リルはうんっと返事をすると、アライズの腕の中からぴょんと飛び降り、そのまま契架の元へ駆け寄った。
「契架、たすけてくれてありがとう。契架にもあげるね!」
そう言って花束から一本抜き出した花を契架にも差し出した。
「あ、ありがとう、リル。」
契架が花を受け取りリルの頭を撫でると、リルは満足げに笑い館に向かって歩き出した。そのすぐ後ろをアライズと契架が追う。辺りは穏やかな日差しに満ちていた。
「リルー?寝る時間だよー。」
契架が呼びかけながらリビングとして使っている大広間へ入ると、出窓に腰掛け窓の向こうを見つめるアライズとその膝の上ですやすやと寝息を立てているリルが目に入った。
「そんなところで寝ちゃったんですか。」
寝ているリルに気を遣い、やや声のトーンを落として二人に歩み寄るとアライズが振り向いた。
「あぁ、色々あって疲れたのだろう。」
そう答えると、自らの膝の上で寝ている幼子の長い黒髪をそっと撫でる。リルは心なしか満足げに微笑んだように見えた。
「部屋に運びますね。」
そう言って契架が手を伸ばすと、アライズがその手を制する。
「いや、我が運ぼう。」
そっと膝の上のリルをお姫様抱っこし、立ち上がる。契架はパッと進み出て広間の大きな扉を押し開けた。
そのまま二人でリルの部屋まで歩み、再び契架が扉を開けアライズがそっとベッドへ下ろした。
「おやすみ、リル。」
優しげに囁くと、再び愛しげに頭を撫ぜ、静かに部屋を後にした。
「アライズ様、紅茶を淹れましょうか?」
アライズの半歩ほど後ろを歩きながら契架が尋ねると、アライズが頷く。
「そうだな、頼む。」
「はいっ。」
二人で大広間へ戻り、契架はそのままキッチンで紅茶の用意をし、昼間リルが摘んできた花が飾られている広間のテーブルへ茶器を並べる。その間、アライズは先程までと同じように出窓に腰掛けて外を見つめていた。
「紅茶、入りましたよ。」
契架が声を掛けるとアライズが小さくそちらを向き、すっと手のひらを上に向けた右手を伸ばしそのまま手前に引き寄せる動作をすると、テーブルに置かれたティーカップが宙に浮きそのままアライズの元まで空中を移動する。
手元まで来ると静かにカップを手に取り、立ち昇る香りにわずかに目を細めた。
「いい香りだな、ありがとう。」
しばしその香りを楽しんだ後、そっと紅茶を口にする。
契架はアライズの言葉に嬉しげに笑みを見せ、自分用に淹れた紅茶をそっとすすった。
カチャリと小さな音を立て、アライズはカップを自らの横に下ろすと再び窓の外に視線を向けてしまう。その様子に契架もカップをテーブルへ下ろすと、静かに歩み寄る。
「何かありましたか…?」
「いや…。」
アライズはイエスともノーともつかぬ返事だけで、視線を動かすことはしなかった。つられるように契架も窓の向こうを見るが、夜空に月が浮いている、いつもと変わらぬ景色以外は特に何も見当たらない。
しばしひっそりとした沈黙が流れ、それを破ったのはアライズの小さな溜め息だった。
「契架、今日は助かった。」
急な言葉に契架がアライズを見るが、アライズの視線は窓の向こうに固定されたまま。
「いえ…、僕がもう少ししっかりと助け出せれば良かったんですが…。」
契架の言葉にアライズは緩く頭を振る。
「契架が先に止めていなければ、リルは連れて行かれていたかもしれない。」
そう言うのに、何故かアライズの表情は痛々しげに見える。
「…すまなかったな、嫌な思いをさせた。」
「そんなっ、僕は別にっ…!」
契架は慌てて顔を上げ、アライズを見つめる。アライズの目に映る色は傷ついた者の色で。
「そんな事、気にしないでください。それにアライズ様だって…。」
『悪魔』
そういわれた瞬間、確かに心の深くで痛みを感じた。長らく忘れていたその痛みは、忘れていた時間の分だけ痛みを増して突き刺さる。
しかしそれはアライズだって同じはずなのに。
「…我はどう言われようと構わぬ。それが真実なのだから。だが悪魔で無いお前までそう言われる必要は無い。」
「僕は此処で十分幸せに暮らしてますから、それだけでいいんです。」
契架が静かな声でそう言うと、アライズは驚いたように契架を見た。
「僕は大丈夫です。」
ようやく目の合ったアライズに契架は笑いかけた。確かに以前の自分なら、その言葉は立ち直れないだけの衝撃となっていただろう。しかし今は痛みを覚えても、それだけに過ぎない。それに恐らく契架より傷ついたのはアライズの方なのだと思う。
笑う契架にアライズはしばし呆然とした後、痛みを押し隠すようにほんの少し笑みを浮かべた。そして再び窓の外に視線を向ける。
「明日も出掛けるが、よろしく頼む。」
「はい、了解しました。」
「ねえ、契架。『まち』ってなに?」
翌日の午後、契架が昼食の片付けを終え、リルが遊んでいるリビングへと足を向けると不意にリルが尋ねてきた。
アライズは昨晩言ったとおり、朝食後行き先を告げることなく出掛けていった。
「街?街は人が沢山暮らしているところだよ。お店があったり学校があったりして、賑わっているんだ。それがどうしたの?」
リルの側の椅子に腰掛けながら答えると、リルは声に出さずふーんと言った。
「きのうのひとたちが、ぼくを『まち』へつれていくって、いってたから。」
「あぁ…そっか。」
契架は何とも言えない気持ちになり、やや俯いた。
「…リルは街に行きたいの?」
もしイエスと言われてしまったらどうしたらいいのか、その答えを持ってはいなかったのに、考えるより先に言葉は口を突いていた。
しかし俯いた視界の端で、リルが大きく首を横に振った。
「ぼくはどこにもいかない。ずっとアライズのそばにいるの。」
リルが確固たる表情でそう言ったことに、契架は我知らず安堵の溜め息が漏れる。
「契架はまちにいかないの?アライズは?」
「え…?」
リルはいつもと同じ無表情に近い表情のまま、真っ直ぐに契架を見つめて問うた。その問いに契架は不覚にも動揺した。
「街…には、行けないよ…。」
行かない、ではなく行けないと言ってしまうのは、きっと昨日向けられた言葉がまだ消えないせいで。
「『あくま』って言われるから?」
しかし重ねられた質問に思わず息が詰まる。その言葉をリルが紡ぐ日がくるとは思ってもみなかったのだ。
「…そう、だね…。」
リルの真っ直ぐな視線から目を逸らして、どうにか平然を装って答えるが、何でもなくない事は明白で。そんな契架の様子にリルは俯いて腕の中のぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。
「ごめん…、いけないこと、きいた。」
リルのほとんど変わらないトーンの声がわずかに沈んだことに気付いた契架は、慌てて弁明のように言葉を告ぐ。
「いやっ…いいんだよ、リルが悪いわけじゃないからっ。」
するとリルは俯いたまま、ぽつりと呟く。
「ぼくはふたりとは、ちがうの…?」
その言葉に契架の目が見開かれる。
「そうじゃないよっ!」
咄嗟に契架の口から、思うより大きく強い声が出た。
「リルは違わないよ!リルが違うなんて事、絶対ないっ。」
違うのはリルではない、自分たちの方だから。
必死な様子の契架と、上目遣いに視線を上げたリルの目がぶつかる。
しばしの沈黙の後、リルが不意に笑った。
「そうだよね、おんなじだよね。だって契架もぼくもアライズのこと、すきだもんね。」
突然の笑顔と言葉に契架は一瞬面食らう。しかしリルは「おんなじー」と繰り返し呟きながら、うさぎのぬいぐるみと踊るように遊び出す。その様子に契架もふっと表情が緩んだ。
「そうだね…、お慕いしているよ。」




