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リル・ファーナが愛した悪魔  作者: 瀬河 柊
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その些細な出来事が全ての切っ掛けだった


 時間は少しばかり遡り、アライズにセルリアが報告を始めた頃。

 悪魔の森の最奥に人知れずあるのは、このような森の奥深くにある事が疑問になるほどの立派な造りの洋館だ。大きな表の扉を押し開け中から姿を見せたのは、黒髪を肩に触れるか触れないかの長さに切り揃えた黄色の眼の少年。身に纏っているのはどこかの学校の制服のようだが、首元のタイはやや緩められておりこれから学校へ行くといった風ではない。

「リルー!」

 少年は館をぐるっと取り囲む柵の内側…いわゆる庭中に響き渡るよう声を張り上げるが、どこからも応答は無い。

「困ったなぁ…、敷地から出るなって言ってるのに…。」

 少年は眉を寄せ、辺りをきょろきょろと見渡すもどこにも目的の少女の姿は見当たらない。実は、館を出る前に屋上から周辺をよく見渡してから来たので、リルが館の周辺にいないのであろう事は予測が付いていた。

 もちろん、予測が付いていたからと言って「やっぱりいないや、えへっ」と言うわけにもいかず、何処にいるとも知れない少女を自分の足で探しに行かねばならない事は明白だった。

「もう、一体どっちに……ん?」

 ぶつぶつと一人で呟きながら館の外へ足を踏み出そうとして気付く。地面にごく薄くではあるが、明らかに小さな足跡。

 悪魔の森と呼ばれるこの森のしかも最奥になど好き好んで入ってくる者はいないし、ましてやこんな小さな足跡を残すような子供など来るはずもない。しかも足跡は間違いなく、館の敷地から外に向かって伸びているのだから、誰の物かなんて火を見るより明らかで。

「リルってば…、どこに行ったんだよ…。」

 呆れながらもすんなりと手がかりが見つかったことに安堵し、そのまま小さな足跡を辿っていくことにした。


 洋館からやや離れた森の中、腰に掛かるほど長く美しい黒髪と青い眼の少女が、片手に色褪せたウサギのぬいぐるみを抱きかかえ反対の手で一生懸命に花を摘んでいる。

 あまりに夢中になり過ぎて、館から離れてしまったことに本人は気付いておらず、また近付いてくる人影が声を発するまで、その気配にさえも気付きはしなかった。

「何でこんなところに子供が?」

 そんな聞きなれない声を耳にして少女はようやく顔を上げた。少し先には見たことも無い男が二人立って、驚いた表情で少女を見ている。

「迷子…には見えないな。」

「むしろあの髪の色、悪魔じゃ…!」

 最初に喋った男がおぞましい者を見たと言わんばかりに身体を震わせたが、もう一方の男は距離を保ったまま冷静に状況を見つめた。

「ちゃんと見てみろ、眼の色が青だ。悪魔じゃない、『青眼(あおめ)』だ。」

「青眼!?何で青眼の子供が悪魔の森に?」

 そんな会話を経て、二人は少女に近付く。

「お嬢ちゃん、何でこんなところにいるんだい?」

 悪意は無いのだろう、穏やかな声音で尋ねる。しかし少女は眉根を寄せて、年端に似合わぬ剣呑な目付きで男たちを見た。

「迷子か?街に連れて行ってあげるからおいで。」

 すっと差し伸べられた手を、しかし少女は一瞥すると一歩後退した。

「…まちってなに?しらないとこには、いかない。」

「街を知らない?どういうことだ?」

 問うたところで、少女はきつい視線のまま距離を取っているし、もう一人の男も首を横に振るばかりで分かるはずもない。

 男は伸ばしていた手をそのまま自分の頭に持っていき、無造作に掻く。

「困ったな…。」

「とりあえず、街へ連れて帰ってから役人に相談なりすればいいんじゃないか?」

 その言葉にしばし思案した後、そうだなと呟くと再び少女に向き直る。

「悪いようにはしないから、一緒に行こうか。」

 しかし少女は表情を変えず、ぶんぶんと首を横に振った。

「ぼくはどこにもいかない。ずっとアライズといるの。」

 少女の言葉に男たちは顔を見合わせたが、やがて溜め息をつくと少女の腕をそっと掴んだ。

「大丈夫、何もしないよ。ちゃんと街へ連れて帰ってあげるから。」

 細腕を掴む手には、確かに必要以上の力は込められていない。だが、少女は大きく抵抗した。

「やだっ!どこにもいかないの!」

 少女が一際大きな声で叫んだ時。

「リルっ!?」

 少女が歩いてきたと思われる道の向こうからこちらへ駆けてくる少年が一人。リルがその姿に気付き、必死に呼んだ。

契架(けいか)!」

 リルを探しに足跡を辿って来た契架である。

 契架の登場に、今度こそ男たちの表情が引きつった。

「黒髪に黄色の眼…あ、悪魔だっ!」

 リルの事も悪魔だと勘違いした方の男が叫ぶ。さすがにもう一人もリルの腕を掴んだまま表情が固まっている。

「その子を離してください!」

 リルたちの近くまで来て足を止めた契架は毅然とした口調で男たちに言うが、男たちはリルの手を引いたままジリジリと後退していく。

「本当に悪魔がいる森だったなんて…。お嬢ちゃん、人間が悪魔なんかと一緒にいちゃいけない…俺達と来るんだっ。」

 おぞましいものを見たと言わんばかりの男たちの言葉が、ちくりと契架の胸を刺すが男たちがそれに気付くはずもない。

「リルを…離してください。」

 契架が一歩踏み出すと、男たちが一歩下がる。しかしすぐにでも逃げ出さないのは、この状況に男たちが混乱している事の表れだろうか。

 男たちが冷静になり逃げ出す前にリルを取り戻さなければと思うも、コレといった手立ても浮かばず、辺りは張り詰めた空気だけが漂う。

 その時だった。

「契架、動くな。」

 静寂の中、決して大きくはないのに凜とした声が契架の耳に届く。

 その声に答えるより早く、契架のすぐ右横を物凄い魔力の塊が高速で通り抜けた。その魔力は真っ直ぐに男たちを捕らえると、そのまま後方へと吹っ飛ばす。

 しかし男たちと一緒にいたリルだけは、大きなシャボン玉のようなものにすっぽりと全身を包まれ、ふわりと空中に浮かんだ。

「アライズ!」

「アライズ様!?」

 リルの嬉しそうな声と、契架の驚きの声が同時に同じ名を呼ぶ。

 契架の後方からゆっくりとした足取りで現れたのは濃紺色のローブを纏った長身の人影、アライズその人だった。ローブから零れた長い黒髪は風に揺れ、フードの下で満月のように黄色の眼が輝いている。

 アライズは歩きながら、自らの右手をくいと手前に倒す仕草を見せる。すると宙に浮いていたリルが、アライズの元まですうっと音もなく空中を滑った。シャボン玉にアライズの手が触れるとパンっと弾け、リルはその腕の中にすとんと納まった。

「アライズっ!」

 リルは嬉しそうな笑みを浮かべ、アライズの首にぎゅっと抱き付いた。

「リル、怪我はないか。」

 アライズの言葉にリルは大きく頷く。

「うん。契架がきてくれたから、だいじょうぶ。」

 そう言ってにこりと笑うリルにアライズも少しだけ笑みを返すと、隣に立つ契架に視線を移す。

「契架も無事だな。」

「はい。」

「ならいい。リルを守ってくれて助かった。」

 アライズに礼を言われ、いえと呟きながらもその表情は何処か嬉しげだった。

「あ…悪魔が、悪魔が二人も!」

 その時、未だ吹っ飛ばされた姿勢のままだった男たちが声を上げた。危うく、その存在すらも忘れかかっていた一行がそちらに視線を向ける。

 アライズがリルを抱いたまま、ほとんど足音も無く男たちへ歩み寄る。

「命までは取らぬ。しかし引き下がらねば容赦はしない。我の気が変わらぬうちに、この森から立ち去れ。」

 よく響く声でそう言うと、アライズは空いている方の手をすっと男たちに向ける。

 その行動の意味が分からず動こうとしない男たちの目の前で、アライズの手のひらにキィィィンという微かな音と共に、はっきりと眼に見えるほどの濃い魔力の塊が精製されていく。

「う…うわーっ!」

 ようやく我に返った男たちは慌てて立ち上がると、あらん限りの速さでその場から立ち去った。

 ふぅ、とアライズは小さく息を吐き、魔力を集めかけた右手を無造作に振る。すると一瞬で魔力は拡散し、森の中はまるで何事も無かったかのように穏やかな空気が満ちた。


 一人、アライズに残されたセルリアは、しばし状況が飲み込めず呆気に取られていた。

報告を兼ねてこの森を訪れるのも既に何十回目になるのか、今回こそアライズを説得し魔界へ連れ帰るつもりだった。

 しかし説得が波に乗ろうとした瞬間。

「待て。」

 言葉を継ごうとしたセルリアとは反対の方向に、アライズは唐突に首を向ける。勢い込み息を吸ったとこで止められたセルリアは、思わずむせそうになった。

「い、いきなり何を…。」

「静かに。」

 重ねてセルリアの言葉を遮り、耳を澄ますアライズの様子に思わず真似をするが、風に吹かれる木の葉ずれの音とささやかな鳥のさえずり以外の音は聞こえない。

 訝しげに眉を寄せアライズの表情へ視線を移すが、アライズは何もない中空を見つめたまま微動だにしない。しかしその表情は何処か切羽詰った緊張感に包まれている。

 謎の沈黙を破るべく、もう一度セルリアが声をかけようとした時。

「人間が何故…。」

 どう考えても独り言のトーンでアライズが呟き、小さく舌打ちをする。

「セルリア、話はここまでだ。緊急事態だ。」

 そう言うとセルリアに背を向け歩き出す。

「アライズ様!?」

 セルリアが呼び止めるとアライズは首だけで振り返り、フードの奥からちらりとセルリアに視線を寄越したが、何も口にすることは無くローブの袖を大きく振ると辺りに一陣の風が巻き起こる。

 思わず眼を閉じ、風の気配が収まった頃ゆっくりと眼を開けると、既にアライズの姿は何処にもなかった。

 そして話は呆気に取られたセルリアが一人残されたところへ戻る。

 アライズの言う「緊急事態」が何かなど分からないし、そもそも何を感じてそう判断したのかさえセルリアには分からなかった。

 とりあえず分かる事は、今日の…いや今日も説得は失敗に終わったという事だけだった。


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