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レッドファイルセカンド一話  作者: タイシ


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レッドファイルセカンド八話

第八話:決死の潜入

多摩川の濁った流れが、かつて日本の黒幕と呼ばれた男の終焉を飲み込んだように、東京の街もまた、底の見えない不気味な静寂に飲み込まれようとしていた。


テレビをつければ、アナウンサーが沈痛な面持ちで「中国大陸における未曾有の大規模地殻変動と、それに伴う電磁気異常」を報じている。キャスターの背後のモニターには、真っ暗な上海の空撮写真——実は数年前の停電時の資料映像だ——が映し出されていた。国民の多くは、隣国で起きている地獄のような惨状を、どこか遠い場所の自然災害として受け入れていた。


だが、外務省領事局の若手官僚、瀬戸口 彰は知っていた。それが「災害」などではなく、自国が放った「雷神の矢」による人為的な虐殺であることを。


1. 疑念の火種


瀬戸口は、霞が関の地下にある閉鎖的な執務室で、一通の機密電文を握りしめていた。それは、通信が途絶する直前に上海総領事館の知人から送られてきた、悲痛な叫びのような断片データだった。


「……攻撃だ。空が光った後、すべてが止まった。これは地震じゃない。東京は、一体何を——」


そのメッセージは、公式発表と真っ向から対立する。さらに瀬戸口を震え上がらせたのは、省内のデータベースから「旭」という単語を含む過去の外交記録が、リアルタイムで次々と消去されている事実だった。


「瀬戸口君、まだ帰らないのかね?」


背後から声をかけたのは、上司の黒田審議官だった。その襟元には、沈む太陽を象ったような、禍々しくも美しい金色のバッジが光っている。結社「旭」の会員章だ。瀬戸口は、自分の心臓の鼓動が耳元で鳴り響くのを感じながら、精一杯の愛想笑いを浮かべた。


「はい、中国在留邦人の安否確認に手間取っておりまして」

「ふむ。余計な心配は無用だ。すべては『適切に』処理される。君のような優秀な若者は、ただ静かに、新しい日本の夜明けを待っていればいいんだよ」


黒田の目が、冷徹な捕食者のように瀬戸口を射抜いた。その瞬間、瀬戸口は悟った。この組織は、国を守るために他国を焼いたのではない。自分たちの支配権を永続させるために、世界を闇に突き落としたのだ。


2. 共闘の夜


その夜、瀬戸口は厳重な監視を潜り抜け、銀座の路地裏にある古びたバー『ルパン』にいた。隣に座るのは、かつて東南アジアのODA疑惑を追及していた硬派なジャーナリスト、立花 結衣だ。


「……信じられる? 私の社、今日だけで三回も警察の立ち入りを受けたわ。建前は別件だけど、狙いは中国の惨状を独自に調べている記者たちのパソコンよ」


立花は震える手でウイスキーを口にした。彼女の元には、中国国家安全部の工作員から「レッドファイルのコピー」を託されたという謎の人物から、接触を求めるメールが届いていた。


「瀬戸口さん、私たちが動かなければ、この国は本当に『旭』の私物になる。彼らはEMP攻撃の責任をすべて中国側の自業自得にすり替え、次は国内の反対勢力を『スパイ』として粛清し始めるわ」


「わかっている。だが、レッドファイルは今、市谷の防衛省地下シェルターにある『旭』の臨時本部に隠されている。あそこは現在、日本で最も守りが堅い場所だ」


瀬戸口はテーブルに一枚の図面を広げた。外務省のルートで入手した、防衛省地下施設の配管図だ。


「明日、『旭』の定例会合が開かれる。東條院の後継者を決めるための集まりだ。警備が最高潮に達する反面、入館する会員たちのチェックは、バッジと顔パスという、彼ら特有の『選民意識』に頼っている。そこが唯一の隙だ」


二人の計画は無謀だった。瀬戸口が「旭」の末端構成員を装って潜入し、レッドファイルのデータを外部へ送信する。立花は地上で待機し、受信したデータを即座に海外の複数のサーバーへ分散アップロードする。日本の通信網は「旭」の検閲下にあるが、立花が用意した衛星通信キットなら、わずかな時間だけ監視の目を盗めるはずだった。


3. 奈落への潜入


翌日、市谷。

瀬戸口は、黒田審議官から密かに盗み出した予備の会員バッジを襟に刺し、仕立ての良いスーツに身を包んで防衛省の門をくぐった。


心臓が肋骨を叩く音が、周囲の警備兵に聞こえてしまうのではないかという恐怖に襲われる。だが、黒塗りの車が列をなす喧騒の中、警備員たちは「旭」のバッジをつけた男に対し、疑いもなく敬礼を送った。権威という名の盲目。それが彼らの最大の武器であり、弱点でもあった。


地下三階。重厚な鋼鉄の扉の先には、豪華なシャンデリアが輝く異空間が広がっていた。そこには、テレビで見慣れた政治家、経済界の大物、そして最高裁の判事までもが、平然と談笑していた。


「東條院翁の犠牲は、我々に真の独立をもたらした」

「大陸の暗闇は、我々の希望の光だ」


そんな会話がシャンパングラスの触れ合う音と共に聞こえてくる。瀬戸口は吐き気をこらえ、奥にある通信管理室へと向かった。


ファイルの入ったサーバーは、生体認証と物理キーで守られている。瀬戸口は、事前に用意していた「旭」の幹部名簿を使い、システム管理者の端末にバックドアを仕掛けた。指がキーボードの上で踊る。


『アクセス承認。レッドファイル:ダウンロード開始……10%……25%……』


画面に表示されるリストには、驚くべき名前が並んでいた。

「……警察庁長官……検事総長……あいつも、こいつもか……!」


日本の正義を司る機関が、組織的に一過性のカルトにも似た極右結社に汚染されている。その事実は、EMP攻撃の惨状以上に瀬戸口の心を絶望させた。


4. 露呈


「そこで何をしている、瀬戸口君」


背筋に冷たい刃を突きつけられたような錯覚に陥った。振り返ると、そこには黒田審議官と、拳銃を手にした二人の私服警官が立っていた。


「……黒田、さん」

「残念だよ。君は将来の幹部候補として、私が直々に推薦するつもりだったのに。正義感というものは、時に命を縮める猛毒になる」


黒田の合図で、警官が瀬戸口に詰め寄る。ダウンロードはまだ60%。間に合わない。


「このファイルを公開してどうなる? 中国は既に崩壊している。今さら真実を叫んだところで、国民は混乱を嫌い、強い指導者である我々に縋るだけだ。君がやろうとしていることは、ただの自己満足に過ぎない」


「自己満足かもしれない。でも、罪のない何百万という人間を闇に突き落として平然としているあなたたちを、私は『人間』とは認めない!」


瀬戸口は、隙を見て足元の消火器を蹴り飛ばした。白い煙が室内に充満する。警官が発砲した。銃声が地下室に鳴り響く。瀬戸口は肩に熱い衝撃を感じながらも、端末の「強制転送」ボタンを叩いた。


『転送完了(不完全):送信先、サテライト01』


5. 決死の脱出行


「追え! 殺しても構わん、データを回収しろ!」


黒田の怒号が響く中、瀬戸口は非常階段を駆け上がった。肩からの出血がスーツを赤く染める。視界がかすむ中、彼は事前に打ち合わせていた地下駐車場の排気ダクトへと飛び込んだ。


一方、地上で待機していた立花結衣のノートパソコンに、不完全ながらも膨大なリストと、中国攻撃の実行命令書の断片が流れ込んできた。


「……来た! 行って、世界へ!」


彼女がエンターキーを押した瞬間、背後の車のドアが開いた。

「動くな。公安だ」


銃口が立花の頭に向けられる。だが、彼女は不敵に笑った。

「遅かったわね。もう世界中のジャーナリストが、この『レッドファイル』の断片を目にしているわ」


6. 閉ざされる真実


市谷の喧騒から数時間後。

瀬戸口は、立花の隠れ家へ辿り着くことはできなかった。彼は追っ手を撒くため、新宿の雑踏の中に消えた。だが、その背後には常に、音もなく忍び寄る「旭」の刺客たちの影があった。


翌朝の新聞には、小さな記事が載った。

『外務省職員、公金横領の疑いで逃走。精神的に不安定な状態か』

そして、立花結衣の名前も、所属していた雑誌の執筆陣から消去された。


レッドファイルの欠片は確かに世界へ放たれた。しかし、国内のメディアは「フェイクニュース」としてそれを一蹴し、SNS上の拡散も「旭」が配下のIT企業に命じた高度なアルゴリズムによって、瞬時に封じ込められた。


真実を知ろうとする者、真実を語ろうとする者。それらは「国家の敵」として、静かに、確実に、社会の表舞台から排除されていく。


「……まだ、終わらせない」


東京の片隅、安宿のベッドで傷を抑えながら、瀬戸口は手元に残った最後の一片のデータを凝視していた。それは、リストの最上段に記された「真の首謀者」の名前だった。


国家という巨大な怪物の暴走を止めるための、命がけの逃亡劇は、ここから本格的な泥沼へと足を踏み入れていく。しかし、大陸から流れてくる冷たい風は、すでに東アジア全体が逃れられない「暗黒の時代」に突入したことを告げていた。

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