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レッドファイルセカンド一話  作者: タイシ


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レッドファイルセカンド三話

第3話:沈黙の閣議

1. 葬送の朝


多摩川の濁った水面に浮かんだのは、一人の老人の遺体などではなかった。それは、戦後日本がひた隠しにしてきた「影の秩序」そのものの骸であった。


東條院景虎とうじょういん かげとら。九十歳を超えてなお、日本の政財界、果ては司法の最高幹部までを跪かせてきた「旭」の総帥。その彼が、見るも無残な肉塊となり、胸には「売国奴の末路」と中国語で刻まれていた。犯行の主体が、奪取された『レッドファイル』を手にした中国国家安全部であることは、もはや疑う余地もなかった。


二日後、総理大臣官邸。

通常、閣議が開かれる地下会議室は、異様な空気に包まれていた。

入り口には、通常のSPではなく、防衛省情報本部直轄の特殊作戦群を思わせる武装兵が立ち、電子機器の持ち込みは一切禁じられた。


「……始めましょう」


内閣総理大臣、鷲尾わしおが力なく口を開いた。彼の顔は土気色で、目の下には深い隈がある。しかし、その左右に座る閣僚たちの眼光は、対照的に異様なまでの冷徹さを放っていた。

出席しているのは、財務大臣、外務大臣、防衛大臣、そして国家公安委員長。彼らは皆、左襟の裏に「旭」の紋章——日輪を模した小さな金色のピン——を秘めた同志であった。


「東條院先生の件は、承知の通りだ。これは我が国への、文字通りの『宣戦布告』と受け取るべきだろう」


防衛大臣の石堂いしどうが、机を拳で叩いた。彼は元自衛隊幹部であり、「旭」の中でも武闘派として知られている。

「敵は『レッドファイル』を盾に、我々を一人ずつ狩り始めている。司法のトップ、警察庁長官……リストにある者たちは、今や恐怖で凍りついている。このままでは、日本という国家の神経系が麻痺し、内側から崩壊を待つだけになる」


「外交交渉による解決は不可能なのか」

唯一、組織に深く染まっていない若手の官房長官が震える声で尋ねた。

その問いに対し、外務大臣の加納かのうが鼻で笑った。

「外交? 相手は我が国の支配層すべての急所を握っているのだぞ。彼らが求めるのは、尖閣でも沖縄でもない。日本の『完全な属国化』だ。我々が首を差し出すか、それとも国を売るか。その二択しかない状況で、何を話せばいい?」


会議室に、重苦しい沈黙が降りた。


2. 禁断のプロジェクト


「選択肢は、一つしかありません」

石堂が立ち上がり、一枚の機密資料を広げた。そこには「プロジェクト・タケミカヅチ」というコードネームが記されていた。


「自衛隊が長年、極秘裏に開発を進めてきた新兵器です。米軍のEMP(電磁パルス)研究をベースに、さらに特化させた『非核型・広域電磁波弾頭』。これは爆発の物理的なエネルギーではなく、高高度で炸裂させることで、特定の電子回路を焼き切ることに特化した、究極の非人道兵器……いえ、『文明破壊兵器』です」


会議室に戦慄が走った。

「非核だと? しかし、そのようなものを使えば、国際社会からどのような指名を受けるか……」

「国際社会? 誰も気づきませんよ」

石堂の声は、ますます低く、冷たくなった。

「これは物理的な破壊を伴わない。大気圏上空で炸裂し、目に見えない巨大な電磁波の壁となって、大陸の空を覆うだけです。変電所、通信網、サーバーセンター、スマートフォンに至るまで、大陸のあらゆる『神経』を焼き切る。物理的な爆撃を行わずに、国家という巨大なシステムを一瞬で中世まで引き戻すのです」


総理の鷲尾が、震える手で水を飲んだ。

「中国全土を……暗闇に沈めるというのか」


「そうです。彼らが『レッドファイル』を世界に公開しようとしても、発信する手段そのものを奪い去る。情報が遮断された大陸は、未曾有のパニックに陥るでしょう。その隙に、我々は国内の工作員を掃討し、支配権を再構築する」


それは、平和憲法の枠組みどころか、現代文明のルールそのものを踏みにじる決断だった。

「旭」のメンバーたちは、互いの顔を見合わせた。彼らにとって、自分たちの権力基盤を守ることは、すなわち「日本を守ること」と同義であった。自分たちが破滅すれば、日本もまた終わる。その傲慢な確信が、彼らの背中を押した。


「反対する者はいるか」

鷲尾が絞り出すような声で言った。

誰も答えない。

壁にかけられた時計の秒針の音だけが、不気味に響き渡る。


「……決議されました。『タケミカヅチ』の発動を承認する」


総理のその一言で、日本は後戻りのできない深淵へと踏み出した。


3. 指令、下総基地へ


閣議終了後、石堂は直ちに千葉県の下総基地、その地下深くに設置された特殊作戦司令部へと向かった。

そこは、通常の自衛隊の指揮系統からは完全に切り離された、「旭」に忠誠を誓う選りすぐりの技術者と軍人たちの聖域であった。


「準備はできているな」

石堂がモニターを見つめる将校に問う。

「弾頭の充填、慣性航法装置の入力、すべて完了しています。目標は北京、上海、広州、重慶、そして深セン。中国の主要経済・政治拠点を、同時に無効化します」


モニターには、静かに発射を待つ数発のミサイルのCGが映し出されていた。これらは既存のミサイル防衛網を回避するため、極超音速で飛翔し、宇宙空間に近い高度で炸裂するように設計されている。


「石堂大臣。これを撃てば、二度と元の世界には戻れません」

技術責任者の男が、どこか陶酔したような表情で言った。

「わかっている。だが、これは聖戦だ。東條院先生の仇を討ち、日本の誇りを取り戻すためのな」


石堂は、自身の胸元の「旭」のピンをそっと撫でた。

彼の脳裏には、多摩川で発見された凄惨な遺体のイメージが焼き付いている。中国への怒り、そして自分たちの地位を脅かす者への憎悪。それが、彼を動かす唯一の燃料だった。


4. 運命のカウントダウン


午後十一時。

日本政府は、中国に対し「重大な事態への懸念」を表明する形式的な声明を出した。しかし、その裏では、ミサイルの発射スイッチが解除されていた。


「発射まで、あと三百秒」


司令部の巨大なスクリーンに、赤いカウントダウンが表示される。

この瞬間の決断が、数千万、数億の人々の運命を狂わせることになる。病院で生命維持装置に繋がれている者、飛行機に乗っている者、エレベーターの中にいる者。電波と電力に依存した現代社会そのものが、今から標的になるのだ。


「日本よ、これが再生の光だ」


石堂が呟いた。

彼は、自分たちが国家を救うヒーローであると信じて疑わなかった。だが、その足元で、自分たちの地位を守るために「国家の暴走」という禁断の引き金を引いたという事実は、もはや正義とは程遠い場所にある。


「……五、四、三、二、一。射出」


轟音はなかった。

ただ、地下のサイロが微かに震え、数発の「矢」が、月明かりのない夜空へと吸い込まれていった。

それは、東アジアの地図を永久に塗り替え、歴史に「暗黒の時代」を刻み込むための、冷酷な光だった。


誰もいない閣議室。

そこには、ただ冷たい沈黙と、飲み干された水のグラスだけが残されていた。

日本という国家の理性が死に、復讐という名の狂気が勝利した瞬間だった。


(第4話へ続く)

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