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「ご指名ありがとうございます」婚約破棄から始まる悪役令嬢の王国攻略  作者: 小鳥遊夜乃


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作られた証拠

最初に壊れたのは、空気だった。


 言葉ではない。

 視線でもない。


 ――“間”。


 挨拶の一拍が長い。

 呼ばれる前に名前が確認される。

 背後で会話が途切れる。


 夜の世界で何度も経験した前兆。


(……仕込まれた)


 何かが完成している。

 まだ出されていないだけで。



「少しだけ、お時間を」


 丁寧な言葉。

 拒否はできる。


 だが拒否すれば、理由になる。


 私は微笑み、頷いた。


 急がない。

 遅れない。


 焦りは香りになる。



 会議室には文官三名、記録官。

 そしてベルナール家の文官。


 椅子に座る前に、盤面は読めた。


 差し出された帳簿。


 南区再開発の資金の流れ。

 フォビア家の出資。


 問題はない。


 だが余白。


 《王子承認済》


 小さな文字。


 第一王子補佐官の筆跡に、よく似ている。


 似ている。


 けれど、違う。


 だが――


 “似ている”という事実が、十分武器になる。



「ご存知ですか?」


 穏やかな問い。


 私は一拍置いた。


 考える時間ではない。

 落ち着いている時間を作る間。


「存じません」


 声は揺れない。


 だが胸の奥が冷える。


(殿下が疑われる)


 私ではない。

 彼が。


 王族は、疑われること自体が傷になる。



「南区の件は商会主導でございます」


「殿下の私的承認を得た事実はありません」


 事実だけを並べる。


 強く否定すれば感情的になる。

 弱く否定すれば図星になる。


 だから、淡々と。


 沈黙を、相手に渡す。



 扉が開いた。


 第一王子。


 彼は私の隣に立たない。


 対面に座る。


 完璧な距離。


 私的ではない証明。


 胸がわずかに痛む。


(……正解です)



「この書き込みは私の指示ではない」


 迷いなく言う。


「筆跡鑑定を行え」


 静かな命令。


 逃げない。

 隠さない。


「フォビア家に非はない」


 短い言葉。


 だが重い。


 その一言で、私は初めて息が通るのを感じた。



 会議後。


 廊下でアリシアと向き合う。


「証拠は怖いものですわ」


 柔らかな声。


「ええ」


 私は微笑む。


「作るのは、特に」


 一瞬だけ、彼女の瞳が揺れる。


 それで十分。


「殿下は調査を命じました」


「本物かどうかは、すぐに分かります」


 宣戦布告ではない。


 事実の提示。



 夜。


 執務室。


「巻き込んだ」


 彼は言う。


「いいえ」


 本当は怖かった。


 だが、飲み込む。


「試されたのは距離です」


「揺れなかった」


 彼が言う。


 その言葉に胸が痛む。


「……揺れました」


 正直に告げる。


「殿下が疑われるのは、怖い」


 言葉にした瞬間、隠せなくなる。



 彼の手が伸びる。


 迷いなく、私の手首を掴む。


「退かせない」


 低い声。


 王子ではない。


 男。


 鼓動が速くなる。


(落ちるな)


 夜職の自分が警告する。


 でも。


(もう落ちている)



 筆跡鑑定。


 偽造。


 ベルナール家文官との繋がり。


 公にはならない。


 だが王宮は理解する。


 罠は失敗。


 そして。


 第一王子は揺れなかった。



 翌朝。


 視線が変わる。


 疑念ではない。


 確信。


 あの席は、本物だ。



(夜職語録㉚

 本気の罠を越えた席は、

 二度と軽く見られない)


 窓の外を見る。


 戦いは終わらない。


 だが。


 隣の意味は、

 もう変わった。

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