表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/22

第二十話 不和のとき

果たす責務、貫く正義。それぞれが自分勝手に動けば、そこには必ず不和がうまれる…

 嘘を信じ込ませることは、真実を貫き通すことより簡単である。そう思うのは、私がひねくれているからではない。私の実体験から得た、根拠のある持論だ。


 幼なじみを守るため、警察に嘘を吐くと決めた。取り調べの最中、私は常に考えていた。何と言えば、疑われないだろうか。何と言えば、つじつまの合うストーリーを書けるだろうか。


 そうやって思考していると、不思議と口が動いた。勝手に嘘が口をつき、フィクションを創造する。それを警察は、事実として扱う。私は、真実をこれっぽっちも話さずに解放された。


 だから、この持論に至った。嘘を信じ込ませることは、ものすごく簡単である。最初は痛んだ良心も、気が付けば嘘に安堵していた。嘘が人の心を救うこともある、らしい。


 そんならしくないことを考えながら、私は由命界(ゆうめいかい)総合病院の院長室に向かう。院長秘書の栗山(くりやま)根生人(ねいと)に会釈をし、神妙な顔つきで椅子に腰かける男性に挨拶をする。


「おはようございます。寺島(てらしま)院長」


「おはよう。天王寺(てんのうじ)先生」


 ゆるりと顔を上げた院長の寺島定芽(さだめ)は、朗らかに挨拶を返してくれた。私ももう一度挨拶をし、促されるままソファに座る。客人として訪ねたので、かしこまった姿勢はとっておかなければ。


「情報漏洩、ありがとうございます」


「その言い方はいただけないね。物騒だ」


「それもそうですね。失礼いたしました」


 謝罪をし、栗山が淹れてくれた紅茶を口にする。アールグレイの爽やかな酸味が広がり、私は舌鼓を打つ。秘書という職業柄なのか、栗山の淹れる紅茶はいつも絶品だ。


「私は守秘義務を守れなかった。『白き要塞』の主としては、恥ずべきことだな」


「そうですね。ですが、あなたが教えてくださったことで、私の心は軽くなりました」


「君は部外者ではないからね。教えておく必要があると、私の勝手な独断だ」


 今日、この病院に警察の捜査が入る。目的は朝川(あさかわ)寧音(ねね)の保護と、事件の全容の把握。寺島が許可を出し、実験病棟が諸々の準備を終えた今日が勝負の日だ。


「協力の要請があってから今日まで、それなりに時間が経っていますよね? 何かありました?」


「いや。特にはないよ。強いて言うなら、実験病棟も忙しい部署だということだな」


「最近は依頼が多いんですか? 以前は、それほど忙しいようには思えませんでしたが」


 実験病棟の主な仕事は、薬剤部と各科からの調製の依頼をこなすこと。薬の組み合わせや調合を変え、担当の患者に特化した薬を作ることだ。だが、現代では新薬の開発が進んでおり、それはそこまで大事な仕事ではなくなった。


「依頼の件数は、むしろ減ってきているよ。配流(はいる)先生と陣内(じんない)先生二人のときは、どちらも優秀だからすぐに調製が終わった。配流先生一人のときも、同様だね。類を見ない優秀さだったよ」


(れい)に実験病棟での仕事量を訊くと、決まって暇だと答えるんです。でも、寺島院長がそうおっしゃるということは、かなり多忙なのでは?」


「今年度は、新人の荒牧(あらまき)先生が入って陣内先生も戻って来てくれて。人手が増えたんだけど、何故か忙しさが増したんだよね」


 寺島が不思議そうに首を傾げる。だが、寺島のことだ。もう答えは分かっているというのに、アピールとしてこんな仕草をしているに違いない。


「寧音ちゃんの件があったからですよね。寧音ちゃんがここに来たのは、玲が一人の頃。だから当時の玲は、住み込みも同然で働いていました。調薬と寧音ちゃんの治療、二つを平行して進めていた」


「天王寺先生が、朝川さんのことで配流先生に手を貸していたそうじゃないか。だから、一人しかいなくても暇だと感じたのだと思うが」


「その理論でいくなら、今も暇ということになりますよ。実際は違いますけど……」


「陣内先生から聞いた話では、配流先生は朝川さんの方に集中してもらっていたらしい。調製は陣内先生と荒牧先生が」


 それはそれで暇ではないか。そう思ったが、自分事に置き換えるとそうではないと分かる。


 タスクを箇条書きで書き出すと、あまり量がないように思える。しかし実際は、そのタスクに伴ってやるべきことが出てくる。つまり、一つの仕事にかかる時間は見た目より多くなるのだ。


「でもほら、荒牧先生は経験の少ない新人だろう。陣内先生は彼の教育をしなければならないし、荒牧先生も仕事を覚えることに必死になる。調製は二の次だ」


 どの病院でも、新人教育は急務になる。命を預かる職場なのだから当然と言えば当然だが、新人教育に精を出し過ぎてしまうのが常である。


 自分一人で出来る仕事に、経験と実力が不足している若人が付いてくる。その人に手取り足取り仕事を教えるには、もちろんそれなりの時間が必要になる。自分の仕事がはかどらないのは、当たり前のことだ。


「責任者の配流先生はそのカバーにあたり、その上で統括長の役目も果たす。あとは、君と一緒に朝川さんの治療だね」


「あら。玲、だいぶ忙しくなりましたね」


「天王寺先生も、人を茶化せるようになったみたいだね」


 詳しい仕事内容は聞いていなかったが、玲が多忙を極めていることは知っていた。だから茶化すというよりは、何だかおもしろいと感じて笑ってしまった。うちの幼なじみは、働き過ぎである。


「いつか、過労死するのではと思っていたんです。だから正直、規則正しい生活を向こうで出来ているのなら良いかなって」


「院長として、労働環境の改善を急がせてもらうよ。このままでは、配流先生の抜けた穴を埋めるために、陣内先生たちが働き過ぎてしまうからね」


「うちのバカのせいで、本当にすみません。二人で回しているから、空いている時間ができずに警察の捜査が今日になったのでしょう?」


「はっきりとは断言出来ない。なんにせ、実験病棟は前述のとおり常時多忙だからね」


 寺島の顔に笑みが戻り、その朗らかな目付きでパソコンの画面を見つめる。そこには、栗山が繋いでくれた防犯カメラの映像が表示されていた。私も横からその画面を覗き、画角に人が入るのを待つ。


「警察が来るまで、あと十分程度だ」


 腕時計を確認した寺島が、笑みを引っ込める。防犯カメラは実験病棟の入り口に設置されたもので、画面の端に白衣の一部が写っていた。その白衣が落ち着きもなく揺れている。


「寺島院長。私そろそろ帰りますね。さすがに、捜査を盗み見て良いほどの立場ではありませんので」


「そうか。残念だな」


「失礼します」


 私は寺島に嘘を吐いた。ただ居たたまれなくなっただけなのに、真面目ちゃんみたいな言い訳をしてしまった。それが自分でも悔しくて、足早に扉へと向かう。一刻も早くこの病院を去りたかった。


 こんなことになったのは、全部私のせい。私が玲に、寧音を実験病棟に連れて行けば良いと提案したから、こんなことになった。玲に一人で抱え込んで欲しくなかったから、協力者を得ようとした。寛容な寺島を信用して、玲がすべてを告白するように仕向けた。そうしたら案の定、寺島はここで寧音を治療することを許可してくれた。陣内(なぎさ)も荒牧(みなと)も、共犯者を買って出てくれた。


 玲の周りの人間が優しいから、玲に人徳があるから、そう思いたい。でも、由命界総合病院を巻き込んだのは明らかに私の責任だ。私が玲にあんなことを言わなければ、寺島は器の大きな普通の病院長で、陣内は世話焼きの優秀な外科医で、荒牧はひたむきで情熱的な新人外科医だった。


 全員の人生を壊しておきながら、その現実を直視することから逃げている。そしてそんな卑怯者な自分からも、目を逸らしている。だから、ここから去りたい。みんなを巻き込んでしまった罪を、突き付けられたくない。


 扉の付近に立つ栗山にも礼をし、ドアノブに手を伸ばす。その瞬間、触れてもいないのにノブが独りでに回った。驚きのまま突っ立っていると、扉が音を立てて動きこちら側に開く。目の前に、細身の男が立っていた。


「すまない。タイミングが被ったな」


 男がぶっきらぼうに謝った。どうやら私が退出しようとしたタイミグで、この男が入室したようだ。怪奇現象ではなかったことに、ひとまず安心する。だが、私の脇を通り過ぎようとした男を栗山が血相を変えて止めたのを見て、私はまた驚いた。


「栗山さん? 彼がどうかしました?」


「はい。院長から、絶対に通すなと言われていた人です」


 その言葉に、思わず男を見上げる。私と視線がかち合った男は、ばつが悪いような怒ったような顔をしてこちらを睨み返した。その顔の怖いこと、怖いこと。


「何故、弟に会ってはいけないのだ? 家族なのだから、会いに来ても良いだろう」


 さも当然かのように言ってのけた男を、私は知っていた。寺島登琉(のぼる)。寺島定芽の実兄で、寺島病院の院長。権力と金にがめつい、悪い意味で上昇志向の強い男。


 私が知っている姿よりシワと白髪が増えているが、眼鏡の奥の瞳は同じだった。野望に満ちて、ギラついた瞳である。その輝きだけは衰えていない。


「すみません。言葉が足りませんでした。今日だけ、ダメなのです。院長はこの後、大切な予定が入っていますので」


「予定?」


 栗山が、震える手で登琉の腕を掴む。しかしそれを邪険に振り払い、登琉は栗山を睨め付けた。自分より頭二つ分も背の高い強面に見下げられ、栗山は強張った身体を小さくする。


「ええ。ですので、本日はお引き取りいただいてもよろしいでしょうか?」


「そんなに大事な用事か?」


 縮こまってしまった栗山に代わり、私は登琉の前に進み出る。だが登琉は退くどころか、乾いた笑いで私を嘲った。完全に、私たちを下に見ている。


「警察への協力が」


 それは、登琉の口から出るはずのない言葉。実体のない衝撃が、胸を突いた。唖然とする私の脇を、登琉は今度こそ通り過ぎて行く。


「待ってください!」


 栗山が弾かれたように登琉を追う。そのおかげで我に返った私も、慌てて室内に引き返した。一歩しか遅れていないのに、私が飛び込んだときには、部屋は既に険悪な雰囲気に充ちていた。


「久しぶりだね。定芽」


「兄貴。これ以上私を怒らせたくなければ、今すぐに帰ることをおすすめするよ」


「怒っているのか? 心外だな」


 いつもの和やかさは、いったいどこに行ってしまったのか。定芽は激しい憎悪を隠すこともせず、登琉を遠ざけようとする。だが、登琉は人の言うことを素直にきかない。心底愉快そうに、笑っている。


「私の友人から聞いたよ。今日ここの実験病棟っていうところに、警察の捜査が入るそうじゃないか。そんなの、定芽が気にすることないよ。全部、そこの人たちで解決しなきゃ」


「彼らの雇い主は私だ。この病院のスタッフが罪を犯したなら、私がその責任を取る。それが院長としての責務だ」


「相変わらず真面目だな。配流が一人でやったことなんだろう。友人が言っていたが、彼の単独犯で荒牧くんと陣内くんは巻き込まれただけ。定芽もその子たちもかわいそうだ」


 私は固唾をのんだ。登琉の友人で、そこまで知っている人なんて限られている。そしてその数少ない候補の中に、最悪のパターンがある。


 藤條(とうじょう)勝磨(かつま)。現在は厚生労働大臣を務めているが、もともとは腕の立つ外科医だった。その外科医としての同期に、寺島登琉がいる。勝磨は過去のインタビューで、登琉を親友と称していた。もし、今も二人の交流が続いているならば。ありえない話ではないだろう。


「弟に親友自慢かい? はっきりと言ったらどうだ? 藤條大臣に教えてもらったと」


「はは。そうだな。だが私は藤條が伝え聞いたのを、そのまま教えてもらっただけだ。つまり、この話の出所は藤條ではない」


 藤條ではあるだろう。私は口を挟めない状況なので、心の中でツッコミを入れる。医師なら、登琉が誰からの情報を得たのか即座に理解出来る。


 厚生労働省には、病院経営の実態を調べ医療現場を改革するための部署がある。そこは直接病院におもむき実態調査をするだけでなく、警察や消防から医療現場で起きた事故、医療関係者が起こした事件などの報告を受けることも仕事になっている。


 この部署の最高責任者は、藤條勝磨の養子である藤條瑠伊(るい)。よって、医療関係者が捕まれば瑠伊に連絡がいくことになる。玲は医師なので、当然瑠伊に報告があがっただろう。それに瑠伊自身も、この事件の顛末が気になって仕方ないはずだ。自分が始めたことなのだから。


「情報が誰からのものかだなんて、これっぽっちも興味がない。配流先生が逮捕され、警察が実験病棟を調べる。どれも事実なのだからね」


「定芽、お前がいくら強がっても、それは負け犬の遠吠えに過ぎない」


「分かっている。私の責任が問われることは、百も承知だ」


 ピリピリと、頬に触れる空気が痛い。寺島兄弟はお互いを嫌い合っているから当然のことなのだが、さすがに憎悪が激し過ぎるではないか。見ているこっちが、苦しくなってくる。


「そうだな。定芽には感謝しなくてはならない」


「感謝? 兄貴のことだから、どうせろくでもないことなんだろ」


 定芽の恨み節に、私と栗山は全力で頷く。登琉というひねくれて性格の終わっている男が、心からの感謝を吐けるわけがない。誰に対してもそんな態度なので、私も栗山も玲も、こいつの底は知っている。


 あと、登琉は弟の定芽に対してかなり拗らせている。コンプレックスなのかは分からないが、理由もなく定芽を目の敵にしている節がある。登琉が定芽に感謝をすることなんてないし、定芽が登琉に優しく接することもない。


「ろくでもない、か。もう少し兄を敬ってはどうだ?」


「兄貴を? 冗談じゃない」


 短く吐き捨てた定芽に、登琉は満足そうに笑う。登琉は少々、反抗的な態度をとられることを楽しんでいる。変わった趣味嗜好をもつ男だ。


「とりあえず言っておく。配流をもらってくれて、ありがとう。定芽が私から配流を奪ったおかげで、今回の件で私が責められることはない。どうもありがとう」


「ふん。結局は自分の都合か?」


「ああ。腕は確かなのだが、協調性のかけらもなく無口で暗い。人脈を広げようという気概もない。正直、あまり良い駒にはならないと思っていたからね」


「はあ? 撤回してくださいよ!」


 さすがに、我慢出来なかった。私は拳を震わせ、登琉に食い下がる。さんざん悪口を言い、挙句の果てには人を駒扱い。それを笑ってやり過ごせるほど、私の器は大きくない。


 兄弟喧嘩は、勝手にしてもらってかまわない。だが、私の最愛の人を悪く言うことだけは許せない。撤回していただけないならば、顔面が抉れるほどの鉄拳を食らわせてやろう。


「どうして、玲にあなたの理想を押し付けるのですか? 玲は玲。一人の人間です。あなたの理想のお人形にはなりません」


「そうだな。配流はダメだ。私には不要な存在だった。だから棄てた。それの何が悪い?」


「あなた、自分の言っていること分かってます?」


 悪びれる素振りもない男に、私の怒りのボルテージが上がっていく。相手を怒らせたいとか、反抗的な姿勢をとって欲しいとか、そんなことではない。この男は、素で根っから性格が悪い。


 まるで、小学生に足し算を教えるかのようだ。こいつにとっては、当たり前のことを伝えているだけ。自分の部下は駒で、使えないなら処分する。それを疑うことなく、やってのける。


「あなたみたいな人が院長だなんて、信じられません。人として終わっています」


「君のような人の上に立てない若造の言葉なんて、私には絶対届かない。なぜなら、この世界では上に立つ者が正しいのだから」


「古くさい考えですね」


「言っていろ。私は聞かないし、聞こえない」


 登琉にも聞こえるよう、わざと大きく舌打ちをする。こんな奴のもとで二年間働いていた玲が、不憫でしかない。しかも、研修医という大事な期間だったのに。こいつから、医師として学べることなんてない。


「兄貴、私も君と同じ病院長だ。私の言葉なら、その腐った耳にも届くよな?」


「聞いてあげても良いよ、定芽」


「そうか。なら私からも感謝をしよう。配流先生を棄ててくれて、ありがとう。おかげで、優秀な医師を二人も手に入れられたよ」


 さすがは登琉の弟だ。定芽も最高に皮肉な笑顔で、兄を見返す。お互い鼻を高くし、胸を張る。いがみ合ってはいるが、似た者兄弟なのだと思う。


「二人?」


「ああ。配流先生の背中を追いかけ、配流先生を親友と慕う男だ。彼、篭野(かごの)先生も、今は凄腕の外科医だ。うちのオペのエースだよ」


「それくらい知っている。パンフレットに、執刀医としての指名件数がトップだと紹介されていたな」


「そんな篭野先生がうちに来たのは、もっと配流先生から学びたいと思ったからだそうだ。つまり、兄貴が配流先生を切り捨てたおかげで、私の病院に二人もの優秀な医師が転がり込んで来た」


 配流玲と篭野法助(ほうすけ)。医大生の頃から切磋琢磨し合い、ともに成長してきた二人。親友であり、お互いが恩人である二人。大好きな二人の実力が認められていることが嬉しくて、私は自然と笑顔になった。


「兄貴には感謝しなくてはならないな。礼を言うよ。配流先生を切り捨ててくれて、どうもありがとう」


 やはり似た者兄弟だ。片頬を上げ、定芽は皮肉たっぷりに嗤う。それを受けて登琉が、鋭い目付きを更に鋭利にした。見下している弟に意趣返しをされ、心の底から悔しいのだろう。


 登琉と定芽は睨み合う。時が止まったかのように、お互いを忌み嫌って動かない。でもその視線だけは、ずっとかち合っている。


 それは、良いことなのではないだろうか。含む感情が負ではあるが、お互いの瞳を見ていられる。この世界には、一方が一方の背中しか見られない兄弟だっている。


 瑠伊と玲。弟は兄に罪悪感を覚え、兄は弟を憎み避け続ける。去って行く兄の背ばかりを見る弟は、兄の両の瞳を見たことがない。


 寺島兄弟を羨ましいと思ってしまうのは、きっと私が一番してはいけないことなのだ。兄弟のことは、その二人にしか分からないのだから。


ーーーーー


 愛想笑いで自己紹介をすれば、堅物そうな男たちからの心証もそれなりに良くなる。俺は警察手帳を見せびらかしてくる男たちに、名刺を差し出した。


「実験病棟の医師、荒牧港です」


「同じく、陣内渚だ」


 刑事は、タヌキのような男とキツネのような男の二人組。タヌキの方が上司なのか、俺たちの名刺をキツネに投げた。そしてキツネも、名刺をジャケットの胸ポケットに乱雑に入れる。本人の前だけでも、大切に扱っていただきたいものだ。


「捜査一課の安倍(あべ)です。本日はよろしくお願いします」


北条(ほうじょう)です。さっそく、お話をうかがってもよろしいでしょうか?」


 タヌキが安倍で、キツネが北条か。俺は高身長をいかし、二人を見物してみた。安倍は丸々としたかわいらしいおじさんだが、北条は両目が吊り上がっていて、神経質な印象を与える男だ。


「それでは荒牧さんから。陣内さんは病室に案内してください」


「俺からですか? 俺、玲先生との付き合いそんなに長くないですよ」


「かまいません。あなたから見たこの事件を知りたいので」


「それは……」


 北条はこちらを気遣ってくれているようだが、目付きが鋭いせいで命令しているようにしか思えない。俺はたじろぎ、陣内に無言で助けを求める。


 このままでは確実に、陣内と別行動をとることになってしまう。俺の脳内シミュレーションでは、陣内とともに取り調べを受け、陣内とともにシラをきっていた。そこから大きく外れれば、俺は正常な判断能力を失う。なんとか陣内に、軌道修正をしてもらいたい。


「港。何をボーッとしているんだ。早く行ってこい」


「陣内先生! でも俺、どうしたら良いか」


「どうするもこうするもないだろ。お前の正義を、貫くしかない」


 陣内は俺を追い払う仕草をし、安倍を連れて階段を降りて行った。残された俺は北条から目を逸らし、ゆっくりとシミュレーションをやり直す。一人でも、やるしかない。


 陣内の言う『正義』。それはやっぱり、俺たちの自分勝手でしかないあれなのだろう。だが、嘘を信じさせることは事実を信じてもらうことより簡単なのだ。この病院の採用試験で、俺はそれを証明した。


 あのときのように、口から出任せを吐けば良い。相手は俺の言葉の真偽を確かめる術をもたないし、そもそもよほどのことがない限り人は人を疑わない。そこに甘えさせてもらおう。


「すみません。四階にある俺の部屋で良いですか?」


 北条に向き直り、先ほどまでうろたえていたのが嘘のように微笑む。北条はそんな俺を不思議がり、品定めをしてから曖昧に頷いた。


「分かりました。では」


 北条を連れ、俺は階段を上る。この別館は五階建ての建物で、一階と二階が入院病棟、三階が研究室、四階が俺たち医師の個室、五階が資料庫となっている。


 階段を上って四階に入ると、白く長い廊下が続いていた。その左右それぞれに、部屋の扉が二つずつ嵌め込まれている。向かって左側の手前が陣内の部屋、奥が俺の部屋。右手は手前が玲の部屋で、奥の部屋は給湯室として使っている。


 俺は白衣から鍵を取り出し、自室に北条を招き入れた。後ろ手に施錠を済ませ、簡易冷蔵庫に置いてある水のペットボトルを手渡す。お茶でも出したいところだが、あいにく給湯室の茶葉は切らしている。この無色透明な液体で我慢をしていただこう。


「まるでアパートですね。ここになら住めそう」


「ですよね。職場で一人一人にプライベート空間があるのなんて、由命界の中でもここだけですから」


「ここはもともと、何の目的で作られた部屋なんですか?」


 義務的な聴取ではなく、北条は個人的な興味による質問を投げかけてきた。室内を見渡す目は、分かりにくいが関心で煌めいている。


「そうですね。俺も詳しくは知らないんですけど、おそらく当直室だと思います。実験病棟は独自の治療薬を開発、処方するので、患者の状態に常に目を光らせておかないといけないんですよ。だからすぐに患者の元に駆け付けられるよう、医師が患者の近く、つまり病院そのものに暮らせるようにしたのではないかと」


 俺の推察は高確率で当たっているだろう。できた当初の実験病棟は、自分たちの薬を使用する患者を自分たちのもとに入院させていた。しかし極秘の部署だったために、患者が消えたなどという怪談話のネタにされたそうだ。それを受けて現在は、担当の科の病棟に入院してもらうようにしている。


 今ではあまり意味を成さない部屋なので、気にも留めていなかった。だが、玲にとっては本来の役割を果たしていたはずだ。患者の近くにいるための、もう一つの家。朝川寧音を回復させたいと願う玲が、ここをその目的以外で使うわけがない。玲からしてみれば、願ったり叶ったりの存在だったように思えた。


「この部屋の広さなら、シングルベッドが一つとテレビ、机、あとはこれくらいの小型冷蔵庫が置けますね。独身の一人暮らしには、最適な広さです」


「荒牧先生は、この部屋をどのように使っているのですか?」


「俺は玲先生みたいに、ここを重要視していませんよ。出勤したら荷物を置いて、休憩時間になったらここで昼食と過眠をとって。なんていうか、個人用休憩室くらいの感覚で使っています」


 急に、北条のまとう雰囲気が刑事のものに戻った。俺はそれに気付かないふりをし、さらっと玲の存在をほのめかす。北条は一応、俺に興味を示した姿勢でいるが、実際は玲にしか興味がない。分かっているから、俺はまだおちゃらけた調子でいられた。


「配流さんがこの部屋で何をしていたか、教えていただけますか? あなたのその言い方だと、かなり入り浸っていたように思いますが」


「たしかに、入り浸っていたかもしれませんね! というより玲先生、ここに住んでたんで」


「その理由、分かったりします?」


 きた。俺はバレないように緊張感を高める。北条はこの質問で、俺が玲の犯行内容をどれだけ把握していたのか、はかりとるつもりだ。院長による情報漏洩で、この二人の目的が寧音の保護であると知っている。だが書類には、玲の供述の裏付けとなる証拠集めのためと書かれていた。


 そう。警察は俺と陣内が、寧音の監禁場所を知らないと思っている。そしてもし知っていたなら、共犯者だと思うのだろう。


 陣内と話し合い、一旦は玲の単独犯と思わせる方向に決めていた。つまり、この北条からの質問で返答を間違えれば、俺たちはジエンドだ。意地でも、俺たちが寧音の存在を知っていたという事実を隠さなければならない。


「玲先生は六年前の障害事件で、PTSDになってしまって。それを知った彼の幼なじみの天王寺友加(ゆうか)さんが、玲先生と同居を始めたんです。でも玲先生、友加さんに申し訳ないと思っていたみたいで、極力帰らないようにしていたんだと思います。あとは、単純に仕事に忙殺されていたとか」


 前者は実際に、玲からそうのろけられた。家に帰れば、たくさんのおいしい料理と真っ白になった洋服が出迎えてくれる。友加も小児科医として忙しい毎日を送っているので、ありがたく思いながらも迷惑ではないかと不安に駆られていたそうだ。


 また、しばらく帰らなければ母親のような説教を食らわせられる。どうすれば良いのか答えが見付からないまま、自然と家に帰る頻度が減少していったらしい。


 事実ではあるが、真実ではない。玲が帰宅しなかった理由なんて、お察しのとおり寧音のためだ。友加のことももちろん考えていただろうが、寧音よりは優先順位が下だっただろう。玲は友加に甘えているので、彼女のために自身の行動を改めようとはしない。


「配流さんの仕事内容は?」


「統括長としての報告書の作成、会議への参加、実態調査に向けた資料作成。他は仕事ではないんですけど、玲先生は頻繁に学会や研究発表会に顔を出していたそうです」


「そうですか。新薬の開発には、携わっていないのですか?」


「ええ。それは俺と陣内先生で」


 嘘を吐く際、少しの真実を混ぜると良いというのは本当らしい。事実をベースに嘘を考えると、それなりに筋が通って楽に嘘が吐ける。北条の顔を窺うが、怪しんでいる気配は微塵もない。俺はほっと息を吐く。


「あなたから見た配流さんは、どんな方ですか?」


「そうですねえ。真面目で頑固で負けず嫌い。すぐに意地を張る、子供らしいところもあって。でも、俺の憧れなんです」


 それは、全部本当の思いだった。心の底から玲を子供みたいだと思い、心の底から尊敬する。そんな気持ちしか、抱いたことはない。


 俺がまだ玲について語ろうとしたとき、階段を駆け上がる足音が聞こえた。それはひどく慌てたもので、その一瞬後にやんでいた。今階段の前に立ち、肩で息をしている安倍がその主だったようだ。


「北条! み、見つけたぞ。すぐに朝川さんに連絡を!」


「本当ですか! かしこまりました」


 刑事のやり取りに、俺は事態を察した。落ち着いた足取りで階段を上がってきた陣内に、そっと目配せをする。俺はわけもなく首を縦に振り、陣内を困惑させる。


「あの、何が見付かったんですか? どんな証拠があったって言うんです?」


 あえて無知を装い、刑事に食い下がる。すると二人は気の毒そうに顔を見合わせ、目線で何かを譲り合った。そして結局、根負けした安倍の方が口を開いた。


「残念ながら、どんな証拠にも勝るものです。朝川寧音さんが、この建物の一階にいました。あなたの上司が、誘拐を犯したという絶対的な証拠です」


「そんな……」


「申し訳ございません」


 絶句の演技をしてみたは良いが、北条に本気で頭を下げられ俺は当惑した。見かけによらずピュアなのか、北条は俺の言葉をまるっきり信じてくれた。


 だから、憧れの上司が犯罪者だと今しがた突き付けられた、哀れな男に同情してくれているのだ。自分の目の前に、大ほら吹きが二人もいるとはつゆ知らず。


「陣内先生にも確認しましたが、あなたにも訊かせてください。入院病棟に、出入りしたことはありますか?」


「いいえ。あそこの鍵は玲先生が管理しているので、病室の前に立つことは出来ても、中に入ることは出来ません。それと、実態調査の日も玲先生が対応していたので」


「陣内先生もそう言っていましたね」


「はい。玲は意外と用心深い一面があるので、俺たちは鍵の保管場所も知りません」


 陣内がきっぱりと断言すると、安倍は納得したのか頷いてくれた。玲が用心深いのも、俺たちが鍵のありかを知らないのも本当なので、説得力があったのだろう。


「安倍さん。姉の朝川愛意(あい)さんと連絡がとれました。今からこちらに向かうそうです」


「ここに!」


 俺は反射的に、驚きの声をあげていた。訝しみの目を向けられるが、そんなことに気を取られている場合ではない。なんとかしないと、あのことがバレてしまう。


「はい。由命界にいたと伝えたら、すぐに行くと言われましたので」


「でも、ここに入るためにはカードキーが必要になるんですよ。一般人が来れるわけが……」


「ええ。ですので、先ほどのようにあなたか陣内先生のカードキーを使わせていただきます」


「でも、いろいろ器具があって危ないですし……」


「三階には立ち入らせません。彼女にはまっすぐ、妹さんのところに行っていただきます」


 良い反論が思い付かなくなった。いや、そもそも、安倍に言いくるめられている時点で良い反論ではなかった。俺は突然、宙に投げ飛ばされたかのような感覚に陥る。


 愛意と刑事が顔を合わせれば、俺と陣内が寧音の居場所を把握していたことが伝わってしまう。愛意のあのまっすぐさは、今の俺たちにとっては天敵だ。どうにかして、愛意が刑事と接触する前にこちらから接触を図りたい。


「陣内先生……」


 気持ちばかりが先行する俺は、妙案もなく陣内に泣き付く。情けない姿で恥ずかしいが、この状況で俺が頼れる人は陣内しかいない。助けて欲しいとは、口が避けても言えないが。


「港。はっきり言ったらどうだ? 患者の状態も分からないのに、家族の面会を許せるわけがないと」


「あ……」


 陣内は、当然のように俺を助けてくれた。俺と安倍の間に体を割り込ませ、安倍と相対する。俺の後を引き受けてくれたらしい。俺はその頼もしい背中に、そっと感謝した。


「すみませんが、今から朝川寧音の診察をしてもよろしいでしょうか? もし何か不安要素があるのなら、立ち会ってくれてもかまいません」


「たしかに。こちらからも、お願いしたいことですね」


「そして、朝川さんが到着したら彼女と話をさせてください。妹さんについて、医師として説明する責任があります。そのときは、刑事さんには席を外していただきたいです」


 それまで理解を示してくれていた安倍は、最後の言葉を聞いた瞬間に顔を歪めた。警察としては事件の参考人が何もしないか、見張っていたいはずだ。だから、陣内にそれを拒否されて思わず顔に出たのだろう。


「それは出来ません。こんなことは言いたくありませんが、まだあなたたちが完全にシロだと決まったわけではないんです。立ち会わせてください」


 安倍の代わりに、北条が噛み付いてきた。だが上司を悪く思わせないようにと肩代わりしたのか、それは妙に芝居くさかった。そこに陣内も目を付けたらしく、標的が北条に変わる。


「朝川寧音は年頃の少女なのでしょう。そんな子が意識のないときに、自分の体について異性の大人たちが聞き耳を立てていたなんて知ったら、どう思うでしょうかね?」


「それは、そうですけど。ですが……」


「被害者の心に傷を残すのが、警察のやり方ですか? でしたら、これ以上の捜査協力はしませんし、マスコミにネタとして提供させていただきます。被疑者さえ逮捕出来れば、それ以外を無下にするのが警察だって」


 北条が言い返すことなく、奥歯を噛み締める。俺はそれを敗北宣言ととり、陣内の後ろから刑事を睨んでおいた。虎の威を借る狐だが、俺たちの思いどおりにことを運ぶためには致し方ない。


「分かりました。そこは妥協しましょう。しかし本日中に必ず、警察にも同様の報告書をあげてください。被害者の状態が分からないと、我々も動きようがありません」


 心は折れていないのに、安倍は体裁を保つために折れてくれた。俺はその潔さに感心しつつ、陣内に腕を引かれ一階まで降りる。俺が言えたことではないが、あの二人に感謝くらい述べれば良いのに。


「港。この前書いた紹介状、すぐに出せるか?」


「はい。でも念のため、最終確認をします」


「ああ。探偵が来てからが勝負だ。あの人を説得し、真実を突きとめるために協力をもちかける。それが出来なかったら、俺たちは終いだ」


 陣内の言いたいことは分かる。愛意たちになくて、俺たちにあるもの。それがタイムリミットなのだ。玲が起訴される前に、決着をつけなければならない。


「そういえばさっきのやつ、俺たちが言えたことではありませんよね。玲先生のために、寧音ちゃんをここまで隠しておいて」


「分かってる。港、全部終わったら、俺たちも自首しよう。俺たちは、玲の共犯者になったんだから」


「そうですね。俺たちも、到底許されないことをしたので」


 俺は、世間に許されなくて良い。子供の頃に一度経験しておいたおかげで、耐性ができている。世間に吊るし上げられることも、身近な存在に石を投げられることも。そして、特定の誰かから、強い恨みをぶつけられることも。


 俺は許されなくて良い。だけどせめて、俺の大切な人は許されて欲しい。玲の決断の意味を、俺もちゃんと知りたい。そこには、優しさしかないはずなんだ。

読んでくださりありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ