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第十三話 変わるとき

幼なじみだからこそ受け入れられないこともある。友加と玲のすれ違いの話です

 人の流れに逆らい、私は白い廊下を進む。そのスピードは、今までに出したことのない最高速度だった。会う約束をした人物の顔を思い浮かべると、私の足は怒りで速くなってしまう。


「失礼します。天王寺(てんのうじ)友加(ゆうか)です」


 目当ての部屋に辿り着き、扉をノックした。室内から返事が聞こえ、私は扉を引いて中に入る。そこは相変わらず広く、由命界(ゆうめいかい)総合病院の威厳を見せつけられているようだった。


「お時間を取っていただき、ありがとうございます。寺島(てらしま)病院長」


「いや。何てことないよ。他でもない、君の頼みだからね」


 この病院の院長を務める寺島定芽(さだめ)は、回転チェアから立ち上がり私を歓迎する。しかし、この男に怒り心頭中の今は、その気持ちを受け取れなかった。


「寺島院長。確認したいことがあります」


 私は手短に済まそうと、寺島より先に口を開く。今日は彼に確認したいことができたため、そう伝えてアポを取ってもらった。私は院長の後ろに控える秘書、栗山(くりやま)根生人(ねいと)に小さく礼をする。この人の仕事は速く、正直寺島よりも信頼がおける人だ。


「ああ。栗山からそう聞いている。いったい何のことかな?」


「先日、あなたに貝塚(かいづか)璃王(りお)さんと朝川(あさかわ)愛意(あい)さんの実験病棟への出入りを許可していただくよう、頼みましたよね。それなのに二人から、実験病棟は存在しないと伝えられたと聞きました」


 五年前の反省を生かして、私は璃王たちとの初対面の後、寺島に彼らを実験病棟に通してもらうよう頼んでいた。あのとき、愛意には妹さんの居場所だと教えられなかったが、璃王には玲の職場であると伝えた。その責任を果たすために寺島に直談判したのだが、結果は得られなかったようだ。


「あなたは、してくれなかったのですね」


 呆れを通り越した失望が私を襲う。(れい)を寺島病院から引き抜いてくれたとき、私はこの男を信用出来る人だと思った。でもそれは、誤った認識だったのかもしれない。怒りと悲しみが、ちょうど半分ずつ混じり合う。


「それはすまないと思っている。しかし、私にも考えがあってのことだ」


「なら聞かせてください。その考えとやらを」


 開き直るような寺島の態度に、思わずきつい物言いになってしまう。だが寺島はそれを気にすることなく、私の目をまっすぐに見て口を開いた。


「あのときはまだ世間も今ほど落ち着いてはなく、配流(はいる)先生のことで盛り上がっていた。そのせいで追い詰められていた配流先生には、外部の人間と会うこと事態が負担になると思ったんだ」


「玲のため、ということですか?」


「ああ。しかし、君の信用を裏切ってしまった。申し訳ない」


 立ち上がり深く頭を下げた寺島に、私は何も言えなかった。どうして、寺島が謝るのだろう。謝るべきなのは、怒りに呑まれて思考を停止させていた私だ。

 勝手に自分の思いどおりになると思い込み、勝手に失望した。自分がやり直すことだけを考えて、一番大切な人のことも考えてあげられなかった。


「寺島院長。私の方こそ、失礼なことを言ってしまいすみませんでした。あなたのおっしゃるとおり、私の浅はかな考えが玲を傷つけるところだった。ありがとうございます」


 私も寺島に深くお辞儀をする。謝罪と感謝の意を込めて、ひたいが膝に触れるくらいまで腰を折った。こんなことでは足りない。そう思うほど、自分のバカさに辟易とする。


「天王寺先生。実を言うと、私もどうすれば良かったのか、これからどうすれば良いのか分からないのだ。だけど、私には院長としてスタッフのことを守る義務がある」


「それはもちろん承知しております。そして私も、絶賛迷子中なのです。玲のことを思うと、寧音(ねね)ちゃんが家族と再会するのは真相が明らかになってからの方が良い。しかし倫理的、道徳的に考えると、今すぐ朝川家を引き合わせなければならない」


 私たちは同時に顔を上げ、お互いの迷いで揺れる瞳を見せつけ合った。医師として働いていると、人の命を救うことだけ考えるようになる。しかし今の私たちは、玲を取るか朝川家を取るか、どちらか一方しか選べない状況に立ってしまった。

 今のこの段階では、玲の幸せを願えば朝川家を崩壊させてしまうし、朝川家の幸せを願えば玲の心が戻らなくなる。どちらかを救うために、どちらかを見捨てるしかない。それを分かっていながら、私は目の前にいる人を救おうとして、己の信念と行動に矛盾を生じさせている。このままでは、誰も幸せにならない。


「私は、どうすれば良いのでしょうか?」


 それを寺島に訊ねて、私はどんな答えを望んでいるのだろう。口をついた質問に、心の中で唾を吐きかける。あまりにも、自分の感情をコントロール出来ていない。むしろ、感情にコントロールされている。


「すみません。今のは忘れてください」


 なんとか言葉を絞り出し、私は首を振った。発言したという事実を掻き消すため、空気を混ぜるように首を動かす。だが相手に届いたものは取り消せないらしく、寺島はこちらを安心させる笑みを浮かべた。


「いや。先ほどのお詫びとして、君の悩みを解決させて欲しい」


「え? いや、大丈夫です。院長先生のお手をわずらわせるわけには」


「何を言っているんだ。こうやって口をつくほど、思い悩んでいるのだろう。それに、私は君に答えを示せる」


 全力で拒否してやろうと考えていたが、寺島の最後の文言にピクリと反応してしまう。答えを示してもらいたいと、私は逸る思いで身を乗り出した。しかしすぐに我に返り、一歩退いて姿勢を正す。

 はしたないことをしてしまった。そう内省して、結局期待を込めて寺島を待ってしまう。どうしたものか、この女は。


「君はすごいよ、天王寺先生。目についた人は必ず救おうとする。お父上によく似たね。だけれども、似なかったことがある。それが君を悩ませてしまった」


 寺島は、自信でギラついた瞳を私に向けた。それだけで、自分の期待が裏切られることはないと分かる。


「君に足りないのは、冷徹さと残酷さ。そして、救う人を選別する覚悟だ」


 突き付けられた事実に、私は時間が止まったように感じた。寺島が今示したものは、どれも医師として人として所持していてはいけないものだ。そんなものを存在させたら、誰も救えない愚か者に成り下がってしまう。


「ダメです! 選別なんて、医者が一番やってはいけないことですよ!」


 せっかく答えてもらったのに、私は解答に納得出来ず食い下がる。確かに、自分本位で救いたい人だけ救えば辛くなることはない。でも、それじゃダメなのだ。

 私が目指した医師は、人間は、全人類に平等に手を伸ばせて、仏のような広い心をもった人だから。だから、わがままだし力不足でもあるが、一人でも多くの人を笑顔にしたい。選別なんてしたくない。

 私は抗議のために反論の用意を始める。だが、何も思いつかなかった。浮かびはするが、すべて寺島に論破されてしまいそうなほどに脆い。ぴったりとこの葛藤を現せる語彙が、私には備わっていなかった。


「君が言いたいことは分かる。医師は人を救うことが使命なのだから、命に忖度をしてはいけない。全員を平等に救うべきだ。分かる、分かるさ。私も同じ思いだ」


 目の前の元小児科医が、悔しさに顔を歪める。私はその気持ちに勝手に共感し、頷きながら彼の話を聴いた。医師である人間は、性格が違えどみな同じ使命を持って動いている。それはわざわざ口に出さなくても分かる、暗黙の了解なのだ。


「しかし私たちは人間だ。腕は多くても二本しかない。それに対し菩薩である千手観音は、四十本の腕にそれぞれ二十五の世界を救う力が宿っている。私たちでは、生まれもったものが明らかに違うんだ。人間の方が限界を迎えるまでが早い」


「人間と菩薩様を比べるなんて、最初から勝負になりませんよ」


「そうだ。そのとおりだ。だからあえて言おう、天王寺先生。菩薩は四十本の腕で人々を救う。そして人間は、二本の腕で人を抱き締める。私は、神がそのように役目を割り振ったと考えている」


 静かな声の中に、寺島の確固たる情熱がほとばしる。だが、寺島の持論に賛同は出来なかった。神に与えられた役割だとか、菩薩様との違いだとか、いまいちピンときていない。私は疑問のまま、再び寺島に耳を傾けた。


「つまり、人間が出来ることなんてたかが知れている。それ以上のことをしようと試みると、身を滅ぼされてしまう。だから君は、悩んでしまったのではないか?」


「あ……」


 私はようやく、寺島の主張を理解した。寺島が言いたいのは、限界を知り限界まで努力をし、そこで身の丈を覚えることの重要性。私は、欲張り過ぎて身の丈に合わないことばかり望んだバカなのだと、腑に落ちてしまった。


「天王寺先生、君の心がけは殊勝だ。しかし、あえて言葉を選ばずに言おう。身の程知らずにもほどがある。出来ることと出来ないこと、やりたいこととやらなければならないこと。その区別がついていない」


 きっぱりと、私は寺島に言い切られた。きつい言い方だと思った。でも、私の現状は表されたとおりなのだ。私は今、現実を直視させられている。


「お父上はそれが区別出来ている。だから私は、彼を外科部長に推薦した。そして配流先生も、同様の理由から由命界に引き抜いた」


 そうだ。父も玲も、この男が声をかけたから由命界総合病院で働くことになった。だから私は、寺島が言外に何を伝えているのか汲み取れた。


「私は一度、こちらの採用試験を受けさせていただきました。ですが、望んだ結果は得られなかった。もしかして、あのときから私の能力を見極めていたのですか?」


 研修医の期間を終えた私は、自分の実力を見極めてもらいたくて玲の働いている由命界総合病院の試験を受けた。でも、面接試験で不採用と言われた。当時はその理由が分からなかったが、もし、昔から短所を見抜かれていたのなら。

 自慢ではないが、私はよく周りに優しい人だと言ってもらえていた。それは嬉しかったが、自分のことを表す言葉にはふさわしくないと思っていた。私のせいで傷付く人もいるから。その原因が、三十年以上生きてついに言語化される。


「面接で問われたはずだ。二人の病人がいる。一人はそこまで重篤な病気ではないが、急変してただちに処置が必要な者。もう一人は新種の病を患っていて痛みを訴えているが、数値に異常がない者。どちらを優先するべきかという問いだ」


 その瞬間、初々しかった頃の自分を思い出した。あのときの私は、何と答えたのだったか。その解答のせいで自分自身の望みを叶えられなかったというのに、まったく覚えていない。あの子の何がダメだったのか。


「当時の解答は覚えていません。しかし私なら、前者と後者に同じ数の人員を割き同時に処置を始めるべきだと、答えたのではないでしょうか?」


 つい先ほど思い付いた自身の考えを提示する。寺島の言うとおり私があのときから変わっていないのなら、同じ解答をしているに違いない。案の定、寺島は満足気に何度も首を縦に振った。


「そうだよ。君はそう答えてくれた。だから私は、君がこの病院に向いていないと思い、採用を断らせてもらった」


「普通はこういうことはダメなのですが、伺っても良いですか? この解答のどこが問題なのか」


 これを訊かなければ私は変われない。そう直感した。変わらなければならないのだ。朝川家のためにも、玲のためにも。そして、自分自身のためにも。


「ああ。いつか伝えるべきだとは思っていた。やっと君に直接言えるね」


 寺島が柔らかい口調で気を引き締めた。私はそれにつられ、息が詰まったような感覚に陥る。緊張したとき特有の震える息づかいだけが、部屋の空気を震わせた。


「君の答えには、人道的な理由が付けられる。人命は平等に救われるべきだという考えを根拠にできるからだ。君の答えは正しい。だが、この病院では間違いになってしまう。この病院が世間から求められている役割と、かけ離れてしまっている」


 役割。由命界総合病院の役割。記憶の海からなんとかそれを引っ張り出したが、これを理由に私の解答が不正解になるというのは、いささか強引ではないだろうか。私は怪訝な視線を向け、寺島の続きを待った。


「この病院の使命は、患者に未来を与えること。病や怪我を治して終わり、そんなことはない。再発防止やアフターケアなど、我々の仕事は多岐に渡る。そして、同じ病や怪我を患う人間を減らし未来を守ることも、私たちの仕事だ」


「『由命界』の由来の話ですね。確か、自()()を使える世()、でしたよね」


「そうだ。先ほどの問いで私がして欲しかった解答を言おう。まず、急変した患者には担当していた医師たちを向かわせる。そして、痛みを訴えている患者には各科から医師を数人向かわせる。天王寺先生、この理由が分かるかな?」


 いきなり寺島に話をふられたせいで、私は困惑してしまう。しかしすぐに、求められた答えを示すため思考を開始した。おそらく、あのときの私は足りなかった。寺島が求めていたものの、足元にも及ばなかった。そこを補えれば、寺島の真意を掴める。

 私は研修期間につちかった様々な知識を総動員し、実際の現場を想定する。そして、浮かび上がった結論をまとめ寺島に向き直った。


「前者に担当医を向かわせるのは、情報共有の時間を短縮するためですよね。救命の現場では、一分一秒が命取りになる。処置やアフターケアを的確に判断出来るのは、その患者と関わった医師のみ。いわゆる、少数精鋭ということです」


「そのとおりだ。では、後者はどうかな?」


 とりあえず第一関門は突破出来たらしい。私は一部の緊張を緩め、落ち着いてもう一つの答えを用意する。


「後者の場合は、人体のどこで異常が発生したのか、どこが原因となったのかを見極め対処するために、すべての科から医師を向かわせるべきだと考えます。新種の病ということもあり、対処法はすぐに見つけるべきですからね」


 そこまで答え寺島の顔色を窺うと、彼はやはり満足そうに唸っていた。私は今の解答に自信があったので、その反応に心から安堵する。


「来年度からの採用条件に、勤続十年からと入れた方が良いのかな? 経験を積むと、君のように考え方が変わる医師もいるからな」


「それは人事部長や栗山さんと話し合ってくださいね。大変なことになるかもしれませんから」


 不穏なことを言い始めた寺島に釘を刺し、私は寺島に一歩近づいた。ここからが、いわば寺島のショータイムなのだ。彼の持論が披露される。


「君の今の解答は、経験からくるものだろう。人を救うためには、平等以上にその人に的確な方法を重要視するべきなのだ。これは、医療現場だけでなく実際の人付き合いにも必要になってくる」


「ええ。患者の状態によって、割く人員と時間を変えていく。対応の方法もまた同じです。あのときの私は、命は平等だという言葉に捕らわれて、冷静に人命救助の判断が出来ていませんでした」


 解答を用意しているときには、気付いていた。どうして当時の自分が未熟だったのか、しっかりと言語化出来てしまうほどに理解した。私は視野が狭かったのだ。


「現在の君は、命を平等に救うため平等でない選択が出来ているはずだ。しかしまだそれを、現実に昇華出来ていない」


「朝川家と玲、どちらを優先することが正しいか。私は目の前にいる方を優先してきました。ですが、それで全員を苦しめていたら世話ないですね」


「話が前後してしまいすまないが、私たち人間は同時に複数人を救えるようにはできていない。だから、冷徹さと残酷さ、選別する覚悟が必要になってくる」


 寺島はデスクから離れ、私の隣に立つ。身長の関係で私を見下ろす形になるが、心理的には目線は等しい高さだった。


「朝川家と配流先生、君はどちらを救うか決めなければならない。どちらもは無理だから。だが、それでも自分が関われない方にも救う人はいる。先ほどの答えのとおりだ。人材は適材適所で使うべき」


「分かっています。ですが、どちらも見捨てられないのです。玲は昔から繊細で傷付きやすい。朝川家は家族を失ってずっと苦しんできた。どちらも、早く何とかしないといけない」


 拳が震える。寺島の言うことはもっともだ。そのとおりにすれば、私の悩みは解決される。だが、そこに踏み込めるほどの勇気が私にはない。恐怖で心臓が縮み上がった。


「天王寺先生、一つ訊かせて欲しい。君が一番救いたい人は誰だ? 君は誰かのために一生懸命になれる優しさがある。しかし、不特定多数の『誰か』のためではなく、特定の『誰か』のためにそれを発揮出来る方が楽だろう」


「玲……。私が一番大切に想っているのは玲です! 玲のためなら、私は何だってしたい」


 幼なじみの顔を思い浮かべた瞬間、私の感情が爆発した。彼の輝く笑顔を守りたい。初めて会ったときにそう決めてから、私の主軸はそのまま変わっていない。

 寺島に掴みかかる勢いで詰め寄る。寺島の眼球には、涙を散らす自分が反射していた。かわいそうなくらい、女性は必死な顔をしている。


「それなら、配流先生以外を切り捨ててみるのも悪くない。彼のことを考えて、彼のためだけに行動してみたらどうだろうか? 今ほど苦悩はしないはずだ」


 寺島の提案は天の声のようであり、悪魔の囁きのようでもあった。私はかっと目を見開き、隣の男をまじまじと見つめる。この男が正気なのかどうかだけでも、教えてもらいたい。


「何を言っているのですか?」


「君が配流先生のことを大事に想っているのは、私でも分かる。そして、君が直面した問題から解決していこうとする性癖なのも理解した。だからこれらをまとめて解決するためには、君が配流先生のことだけを考えて行動することがぴったりだという話だ」


 そうしたい。そうしたいのはやまやまだ。だがそうしたら愛意は、寧音は、どうなると言うのだ。また苦痛の日々が始まる可能性が大きいだろう。私は、そんなことにはさせたくない。彼女たちも笑顔にしたい。


「玲のことを一番に考えたら、他の人が後回しになってしまいます。あの子たちは、どうすれば良いのですか?」


「天王寺先生、落ち着いて考えて欲しい。ずっと言っているだろう」


 取り乱した私を、寺島は幼子のように宥めてくれた。肩を撫でられ、深呼吸を誘発された私はゆっくりと冷静さを取り戻し、今までのやりとりを思い出す。確かに、その答えはもう出ていた。


「適材適所。自分が救えなくても、誰かが救う」


「そう。天王寺先生も、信じてみたらどうだ? 朝川さんの周りには、ちゃんと人がいる。以前会ったとき、優秀な助手さんがいたんだ。あの人たちがいるなら、朝川さんは大丈夫だと思えた」


 私の脳内に、はつらつとした男子高校生二人が浮かんでくる。彼らとは二度会って、寺島の言うように優秀な人たちだと思った。そうだ。私の中に、忘れかけていたいつぞやかの直感が甦る。


「私も、あの子たちなら事件の真相を掴めると思いました。愛意ちゃんのことを尊敬し、自分の能力を彼女のために発揮したいと考えている。それがよく伝わりました」


「だろう? だから君が幼なじみをとっても、朝川さんが一人になることはない。だから彼らを信じて、君は配流先生を救うことに一生懸命になって良いんだよ」


 私はそれに、返事をしようとした。しかし出来なかった。いつの間にか、私は寺島に抱き締められていた。頭を撫でられ、本当に幼子と同じ対応をされてしまう。でも、これが一番人間が安心する行動なのだ。

 床がぐにゃぐにゃとしたように感じ、私は膝から崩れ落ちた。それでも寺島は、私を離さない。暖かい腕で私を包み込み続ける。


「わがままだと、思っていました。誰かに頼るのは甘えだって、あまり関わったことのない人を自分都合で信用してはいけないって」


「良いんだよ、天王寺先生。誰だって苦しいのは嫌だし、大切な人を信じたい。それはみんな一緒なんだから、君が一人で気負う必要はない」


 何故だか涙が出てきた。子供みたいにしゃくり上げて、その度に寺島に背中を撫でられる。こんなの大人としてカッコ悪いと、もう一人の自分に揶揄された。それなのに、溢れる涙は止まってくれない。

 私はしばらく泣き続けた。寺島の腕の中で、声を殺して涙を散らした。そうして正気に戻ったときには、栗山とともにエントランスホールに立っていた。


「すみません。ご迷惑をおかけして」


 私は自我を取り戻すと、いの一番に謝罪をした。私と寺島のやりとりを黙って見守っていてくれた栗山こそが、今回の陰の立役者だろう。私はその功績を讃えるため、深く頭を下げた。


「良いんですよ。院長は、たまに私にも厳しく指導をしてくださります。ですから、あまりご自身を責めないでください」


 栗山は優しく微笑み、私にハンカチを手渡した。私はそれで目尻にたまった涙を除いていく。少しばかり、視界が晴れたような気がした。


「私事ではありますが、私は院長秘書になった当初、寺島定芽が嫌いでした。彼の前任の院長が私の父で、私は父の役に立つため秘書を志しました。それなのに、秘書になった私は見知らぬ男に媚びへつらうことになった。憎まない理由がありませんでした」


 懐かしむように、栗山が思い出話を始める。その横顔には悪感情が浮かんでおらず、本気で懐かしんでいるだけだった。


「私は最低な人間です。院長が気に入らないという理由だけで、自分の仕事で手を抜きました。その結果、大きなミスを犯した。到底許されることではありません。もちろん、私は役員や幹部から非難されました。それを受け止め、ここを辞めてやろうと考えました」


 私はこの話のオチを知っていた。玲が意気揚々と話してくれたことがある。自分の職場の院長を、仰々しく自慢してくれた。


「それで院長に辞表を提出したところ、こっぴどく叱られました。それは甘えだと、逃避願望に抗い行動を改めるべきだと、熱く説教されてしまったのです。ですがそのときに、私はこの人に付いていこうと決めました」


 栗山が、壁に掛けられた歴代院長の顔写真に目を向けた。彼の父と寺島が、見つめ合うような形で掲示されている。


「人というのは単純な生き物です。かくいう私も、例外ではありませんでした。私は院長に嫌われていると、すぐに切り捨てられるだろうと思い込んでいました。ですが、あの人は私を見捨てないでくださった。こんな私を教育し、立派な秘書にすると約束してくれた。その情熱に、惚れたのです」


 栗山の瞳が、照明の光を受けて煌めいた。その輝きが、恋する乙女のような印象を与える。栗山が寺島に心酔しているのは、一目瞭然だった。しかし、危ない気配はない。純粋に主として慕っているのだ。


「そうなのですね。素敵です、栗山さん」


「はは。ありがとうございます、友加先生。ご理解いただけていると思いますが、先ほどの院長の態度は、あなたのために心を鬼にした結果です。しかし、あなたが快く思わなかったと言うのなら、私から院長に注意しておきますよ。そういうのも、秘書の役目ですから」


 栗山の言うとおり、私は寺島の優しさを理解していた。だから栗山の申し出をやんわりと断り、別れの挨拶をする。


「栗山さん。本日は何から何まで、ありがとうございました。お仕事頑張ってください」


「はい。また何かございましたら、いつでもお頼りください。必ずお力になりますよ」


「ありがとうございます」


 栗山に重ねて礼をし、私は帰路に着いた。今日は急いで帰らなければならない。玲と、大切な約束をしているから。


ーーーーー


 幼なじみから『話がある』とメールが来たとき、ついに見捨ててくれるのだと思った。でも自宅に帰って来た彼女を見たとき、一瞬でそれはありえないことだと悟った。


「お帰り、友加。悪いな、すぐに時間とれなくて」


「ううん。むしろ今日で良かった。話したいこと、変わったから」


 友加は得意気に微笑みながら、俺の目の前に腰かける。数日前にメールを受け取ったとき、俺は今すぐには無理だと返信した。あれから、友加に何か良い変化でも訪れたのだろうか。


「玲、今日私誰と会ってたと思う?」


 言葉尻を弾ませて、友加は俺に訊ねてきた。こういうことをするときは大抵、友加がテンションを無理やり上げようとするときだ。俺はそれを踏まえ答えを考えてみるが、候補が多くて一人に絞れなかった。


「分からないけど、由命界の誰かだろ?」


「そう、正解。寺島院長と会って来た」


「は? 院長と? 何話してきたんだ?」


 何てことないように言われたせいで、俺の理解は追いつかなかった。しかしすぐに朝川寧音の件で会っていたのだと分かり、警戒態勢をとる。

 友加から見捨てられるのは大歓迎だが、病院に捨てられてはたまったものではない。無職、引きこもり、幼なじみのすねかじり、性格が悪い。俺の脳内で、最悪の言葉たちがこだまする。


「玲、私変わろうと思うんだ。今までは人を救うことばかり考えていたけど、院長と話して考えが変わった。救う人は選別する」


 友加が、今までに聞いたことのないほど低い声を出した。冷たく固いそれは、本当に俺の幼なじみが出したものなのか、しばらく認識が出来なかった。目の前に座るこの女は、俺の幼なじみで当っているはすなのに。


「友加? どうした? お前、そんなこと言う奴じゃないだろ」


「うん。だから変わったの。変わらなきゃダメだって、思ったから」


 内心焦り始めた俺とは対照的に、友加は地蔵のように動じなかった。友加は変わった。そう、嫌でも分からされてしまう。


「俺のせいか? 俺がまだあの人を説得出来てないから、友加に自分が何とかしなきゃって思わせたのか? だったら、大丈夫だ。俺がちゃんと話すから」


 俺はみっともなく友加にすがり付く。こんなふうに友加を苦しめることを避けるため、引き離そうとしていたのに。どうして、こうなったんだ。


「玲、違うの。大丈夫、あなたのせいではない。私の覚悟が足りなかった。それだけの話」


「覚悟? 友加はそんなことしなくて良いんだよ。これは、俺だけの問題」


 なんだか嫌な予感がした。このまま友加の話を聞いてしまえば、友加が後戻り出来なくなる。そんな、友加の変化を肯定してしまうような予感が。


「玲、聞いて欲しい。私は私のために変わる。あなたのせいでも、あなたのためでもない」


 その言葉で納得出来るわけがない。なのに、友加がとにかく急いているのが分かり閉口するしかなかった。聞かなければならない。そう友加に思わされた。


「私はこの世界で、何よりも誰よりもあなたが大切。玲が幸せでなければ、私も幸せではない。そう思うほどに、玲のことしか考えられない」


 そんなわけない。友加は俺のことなんか気にしないで良い。勝手に幸せを見つけて、勝手に人生を謳歌していれば良い。それが、俺の望みだった。


「だから、私は玲のことしか救わない。もちろん、寧音ちゃんと愛意ちゃんのことも心配だよ。でも、やっぱり一番は玲なの。このままの状況で朝川家が再会すれば、確実に玲が傷付く。私はそれを避けたい」


 何を言っているんだ。友加が異国の言語を話しているようにしか思えない。それほど、俺が知っている友加なら絶対に言わない言葉だった。


「玲が傷付かなくなって、それで始めて事件が解決したと言えるようになる。なら、玲が笑える世界を作るのが先決でしょ」


 当たり前かのように、友加は言った。友加視点ならそうなのだろうが、あまりにも冷徹な考えだ。


「他の人は知らない。私は玲だけを想う」


「それは、本気なのか?」


 思わず、震える声で訊ねていた。今の友加は、性格が悪いと自覚している俺と同じことを思っている。たった一人の大切な人だけを考えて、他の存在を認めない。こんなの、俺の幼なじみじゃない。


「本気だよ。本気で、玲を救うためにすべてをなげうつ覚悟を決めた。だから、玲のすべてを私にさらけ出して欲しい。弱いところも全部。助けるし、支えるから」


 もう俺は、言葉を失っていた。開いた口が塞がらない。友加の覚悟を、受け入れらなかった。


 俺の幼なじみは人類愛の人間だ。すべての人を救い導く、仏のように広い心の持ち主だった。そんな彼女が、俺一人のために最も苦しんでいる人たちを見捨てると断言した。


 俺の幼なじみは、人の痛みに敏感だ。口に出さなくても、態度に出さなくても、誰かが苦しんでいたらすぐに気付く。だから俺は、彼女に傷付いている姿を見せたくない。だって絶対に、寄り添ってくれるから。俺なんかに構っている暇があるなら、他の誰かを救うべき人だから。


 だから、友加にこんな残酷なことを言って欲しくはなかった。今すぐに、考えを改めろと怒鳴りたい。でも幼なじみだから分かってしまう。この眼前の輝きは、不屈だということを。今更俺が何か言ったところで、何も変わらない。

 俺の甘さが招いた悲劇だ。こんなふうになるまで、俺は友加を無意識のうちに追い込んでいた。謝りたい。でも、もう遅い。


「玲、私は絶対にあなたを救う」


 やめろ。そんなこと言うな。言わないでくれ。頼むから。覚悟なんて、決めないでくれ。


「友加、お前、変わったんだな」


 心内とは裏腹に、落ち着いた声が出た。友加はこちらを安心させるように、ゆっくりと笑みを作る。その笑顔が、どうしてかとても不気味に感じた。


 もう戻れない。友加も、俺も。進むしかない。早くあの人を説得しないと。早く。速く。


 俺は、覚悟を決めるしかなかった。

読んでくださりありがとうございます!

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