Goodbye Cruel World
ある日のこと、カティはいつも以上にはしゃいでいた。
「武器屋のロキーさん、奥にあったドラゴンキラーを出しましょうよ。……え、ない? カビが生えたから捨てた!?」
「道具屋のジェシーちゃん、せっかくだし薬草まとめ売りとかしましょ。ええと、6個ですか。聖水もつけてまとめて50ゴールドでどうです? 絶対売れますって!」
「あー村長さん、ネクタイ曲がってますよ。いや待てよ、逆に親しみやすくてアリかもしれませんね」
村人たちの間で細かい指導を続けるカティを、僕とトリスは呆れながら見ていた。
よくもまああんなにぴょんぴょん跳ね回っておいて、シルクハットを落とさないものだ。なにせ彼女ときたら喋るか跳ねるか、常にどちらかを――大抵は両方同時に――行っているのだから。
「おおお、ダニエル夫妻じゃないですかぁ!」
誰が夫妻だ、失礼なやつめ。と、そこで僕はようやくその可能性に思い至った。もしかして僕はトリスと結婚しているのだろうか。
少し気恥ずかしくなり、トリスの横顔を盗み見る。つい先日、映画に誘って断られたばかりだというのに。
飛び込んだのが異世界への扉だったことが悔やまれる。もしも冷凍睡眠装置だったなら、眠っているうちにトリスの気も変わり、ダニエルのプロポーズを受け入れてくれたのかもしれないのに。
「ほらほら、その眠たそうな顔を早く洗ってきてください。まるでヒキガエルみたいですよ。お二人にも手伝ってもらうんですから、よろしくお願いしますねー」
早口でまくし立てるカティ。少し落ち着けと手で合図しながら、僕は聞いた。
「カティ、そんなにはしゃいで、何かあったのかい?」
「よくぞ聞いてくれましたぁ! ついにこの村に来るんです、新規のプレイヤーさんが! 今日の午後には着くそうですよ!」
なるほど、そういうことか。
カティの口からプレイヤーという言葉がでたことについては、別段驚きもしなかった。やっぱりなと思っただけだ。
プレイヤーなんてのが本当にいるのかについては、未だに半信半疑だったけど。それより気になったのは、彼女が誰から、あるいはどこからそんな情報を手に入れたのかだ。
「いやー、各地を行き来している商人のリッチーさんから、妙な冒険者の話題を聞いたんですよー」
なるほど、彼女も適当に跳ね回っていたわけではなかったようだ。
カティの話は説明というより自慢話だった。使う魔法は無詠唱で、威力も桁違いなのに本人には自覚がない。非常に上質のポーションを安物のように配る。地理や社会制度などの一般常識に疎い。などなど。
どれもこの世界でいう”普通”ではないらしい。
トリスがあくびを噛み殺しながら言う。
「嬉しいのはわかるんですけど、気合入れ過ぎじゃないんですか」
「そりゃあ頑張りますよ、ここでうまく気に入ってもらって、次の冒険者さんを呼び込まなくちゃいけないんですから! そしてゆくゆくは、始まりの村の聖地として、大勢の人がやってくるんです! くふふー」
カティはぐっと拳を握りしめ、天を突いた。ううむ、すごい温度差だ。
軽く腹ごしらえをして、着替えをし、久しぶりにひげも剃る。あとどれくらいかとカティに何度か尋ね、そのたびにあと少しと返される。いい加減待ちくたびれたあたりで、遠くに人影が見えた。
最初は何が光っているのか不思議だったが、近づくにつれ、装備している銀の鎧の光沢だとわかった。冒険者という職業を考えると、あまり目立たないほうが良いと思うのだが。この世界の”普通”というやつが、僕にはどうもわからない。
「なんだか、新入社員って感じだな」
カティの服装も奇抜だが、その男はまた別のベクトルで浮いていた。僕が連想したのは、ピカピカのランドセルを背負った小学生。うん、我ながら言い例えだ。
トリスが抱いた感想も、僕と同じだったようだ。
「なんだか素人臭いですね。ゴブリンより先に、山賊か詐欺師あたりに目を付けられそうで」
そうなのだ。装備も気になったが、表情や態度にも警戒や緊張感といったものはさっぱり感じられない。好意的に解釈するならば、警戒する必要もないくらい強いんだろう。魔法だかスキルだか知らないが、とにかくレベルが違うのだ。きっと。
最初に彼を出迎えたのは、大根農家のボブだ。カティに教えられたセリフを、棒立ち棒読みで暗唱する。
「ハマジリの村へようこそ!」
残念ながらプレイヤーはボブを一瞥すると、返事もせずに通り過ぎる。
カティは気にもしていないようで、すぐに僕らを促した。
「さて、私たちも行きましょうか。統計によると、新しい町についたプレイヤーの67%は、最初に武器屋を覗くらしいですよ」
僕とトリス、カティの三人は、武器屋に先回りするためにその場を離れた。
歩きながら、先ほど浮かんだ心配事を打ち明ける。
「なあカティ、ちょっと気になることがあるんだけどさ。冒険者が来るってことは、この村に何か事件が起きるってことかい?」
「んー、どうでしょうねえ。それもまた楽しみですねえ!」
どうか我が家に関わることじゃありませんように。気休めかもしれないが、心の中で祈っておいた。
客のふりをして店内でこっそり待っていたところ、すぐに彼がやってきた。
ちなみにこの村にある武器屋は、ここだけだ。僕のおすすめは草刈り鎌。よく切れるので重宝している。
「い、いらっしゃいませー!」
武器屋のロキーは緊張している。プレイヤーは売り物を一通り眺めたあと、懐からいくつかのアイテムを取り出す。
剣、腕輪、宝石。
ロキーは「おおこれは!」だとか「こんな高価なものを!」だとか、とにかく大げさにびっくりしている。
「ドロップ品でも売りに来たんですかねえ」
トリスがボソッとつぶやいた。
「トリス、もしかしてこういうのに詳しいのか?」
「普通ですよ。ってゆうかダニエルさんこそ、ゲームとかしたことないんですか?」
残念ながらさっぱりだった。別に嫌いというわけではないけれど、今まであまり触れる機会が無かったのだから仕方ない。
一通り商談が終わると、ロキーは奥から重たそうな箱を出してきた。開けると、中には金貨がぎっしり詰まっていた。
「驚いたな。貧乏武器屋だと思っていたロキーが、こんなにため込んでいたなんて」
驚く僕に、カティが説明してくれる。もちろんプレイヤーに聞こえないように、小声でだ。
「そりゃ一応お店ですし、ある程度のお金は置いとかないと、舐められちゃいますからねー。あ、あとからあの金庫を次の店に運ぶんで、手伝ってくださいよ。重たくって私、腕が抜けちゃいますー」
ん、聞き間違いか?
僕はカティに聞き返した。
「運ぶって、何? あの金庫を運ぶの?」
「はい」
話が見えない。なんでロキーの金庫を、他の店に運ぶんだ?
「なんでって、当たり前じゃないですか。もしプレイヤーさんが次のお店によったら、そこでの買い物や、お釣りとかをどうするんですか」
「いや、でも、別の店だろ? なんでロキーの金庫を使うんだ?」
「だって、あの金庫はこの村みんなのものですよ」
「はあ?」
意味はわかったが、わけがわからない。それじゃあ彼の生活はどうなる。売り上げは一体、どこへいくんだ?
「ロキーさんは武器屋でしょ? 武器屋のお仕事は、武器の売買です。値札分のお金をやり取りできれば、後のことは他の人の仕事でしょ」
なるほど、そんなものなのかもしれない。いや、彼女が言うならきっとそうなのだ。
そんなこんなで僕らが問答をしている間に、ロキーは金貨を一枚一枚テーブルに並べていた。どうやら数を数えようとしているようだ。
緊張でもしているのだろうか。代わりにしてやろうと手を出そうとしたその時、トリスが服の袖を慌てて引っ張った。
「ダニエルさん、ちょっと待ってください、あれはもしかして!」
トリスは何かに気付いたようだ。ついでカティも目をキラキラさせて言う。
「ああ、トリスさんもやっぱりそう思います? すごい、まさかリアルにこんな場面に出会うなんて」
冒険者がにやりと笑い、一言。
「ご主人、その数え方では日が暮れてしまいます。こうした方が早いのでは?」
言いながら金貨を10枚ずつ重ねていく。得意げに説明しながら。
「ほら、これが10の束。10が10個で100枚、わざわざ1枚ずつ数える必要はありません。
そしてこれで、320枚、21、22、……これで、代金分の324枚です」
トリスとカティも自然にテーブルに集まり、その様子を興味深そうに眺めている。
「おお、すごい! どこでこんな計算方法を?」
「おおお、初めて見ました! こんな数え方があっただなんて、びっくりですー」
「すごーい。冒険者さんって頭もいいんですねー」
何が起きているのかさっぱりわからず、僕は一人困惑していた。わかったのは、トリスが意外とノリが良いということくらい。
固まっていた僕のわき腹を、カティが肘で小突く。
(ほら、驚くんですよ! 早く!)
僕をまるで覚えの悪いニワトリみたいに、ぐっと睨みつけてくる。
仕方なしに、僕は恥を捨てることにした。自分の中の演技力を総動員させる。
「本当だ、今まで一枚ずつ数えていたのがバカみたいだー」
もうやけくそだ。
プレイヤーは金貨を布袋におさめると、満足そうに去っていく。
代金は324枚じゃなく326枚だったのだが、それについては言いそびれてしまった。後から、次回のために電卓を用意しておくように言っておこう。
その夜は接待だった。接待というとちょっと仰々しいが、ようするに酒場でこの村の冒険者として振る舞うエキストラだ。
どこから持ってきたのか、いや、たぶんロキーの店からだろうけど。とにかく、カティは僕とトリスに革の鎧を着せた。
「ほらほら、二人もこうすれば冒険者っぽいでしょう?」
「あのーカティさん、重たくてツライんですけどー」
「まあまあ、我慢してください。今夜だけでいいですから」
そうだ、僕ら三人は、今日だけは村に滞在している冒険者パーティーなのだ。トリスはグチを言っているが、ロールプレイを楽しんでいるのはバレバレだ。
この世界に来てもエキストラの役からは逃げられなかったわけだけど、環境が目新しいだけで全然やる気が違ってくる。そういえば営業部はこういうのも仕事だったなあ。懐かしい。
酒が入ると楽でいい。向こうから話しかけてくれて、一緒に飲むことになった。酒を適当に注ぎつつ、彼の武勇伝に耳を傾ける。
名前はユースケ。聞きもしないのに変な名前の言い訳をしてきた。
どうやらこの村に立ち寄ったのは、街のギルドで受けたモンスター討伐依頼の関係らしい。なんでも、ゴブリンの巣穴がこのあたりにあるそうだ。
「ダニエルさん、このあたりに詳しいんだろ? 巣穴について何かしらないか?」
「へえ、そんなの聞いたことがないけどね」
適当に答えながらグラスを傾ける。
「ユースケさんって一人で冒険しているんでしょう? ゴブリン相手に、どうやって戦ってるんです?」
トリスが質問した。ユースケはよく聞いてくれたと言わんばかりに答える。
「え、ゴブリン程度なら、火球の魔法でも使えば一発だと思いますけど」
質問を続けるトリス。
「え、で、でもゴブリンて数が多いでしょ。火球だと大変じゃないですか? ……そのー、えーと……」
隣に座っていたカティから、小さな援護がとんだ。
(詠唱ですよ、トリスさん)
「そう、詠唱。詠唱も間に合わないでしょう?」
ユースケはにやりとして、答える。
「え? 詠唱ですか? 火球程度で詠唱はいらないでしょう」
「ええっ、無詠唱で魔法を発動させるなんて聞いたことありませんよ。どうやってるんですかっ!?」
微妙な間を挟むところが、まるで中学生の演劇部だな。
茶番に付き合いきれず、僕は肉をがっつきながら酒を飲んでいた。
カティに頼まれたし、相槌くらいは打つけれど。
「なあカティ、こんなもんなのか、その、冒険者との会話って」
「ええ、そうですよ。無詠唱なのは基本ですけど、他にも酸素を集めて炎の威力を高めるのも定番ですね。」
翌日、二日酔いのまま付き合ったモンスター退治は、すぐに終わった。
ユースケは本当に強かったので、僕らはほとんど見ているだけだった。彼はいくつかのよくわからない呪文をとなえ、ゴブリンをあっさりと全滅させてしまった。
やれやれ、一日で終わってくれて助かった。
彼が何かするたびに大げさに褒める。それだけのことではあるけれど、慣れない僕にとってはどこを褒めればいいかさっぱりだった。ゴルフでも付き合う方が、褒めるポイントがわかるだけまだマシだ。
まったく、めんどくさい。