Another Brick In The Wall
暗闇の中で声が聞こえた。
「ええと、たぶん変なのはこいつだな。どうなってんだ、これ」
僕に向かって言っているのだろうか。答えようとしたが、口がうまく動かなかった。
「ちょっと待ってろよ。今、接続するから」
直後、白い火花が散った。どこで? 頭の中でのような気もするし、目の前でフラッシュをたかれたような気もする。
全身に電気を流されたような感覚もあった。ただ、鈍い痛みというか、毛布一枚隔てたような妙な感覚だ。
腕を振るときちんと動く気はするのだが、まるで作り物の腕がくっついているようだ。
これじゃまるで、夢の中だ。
ぱちりと音がして、電気がついたように、白い部屋が僕の目の前にひろがった。
白衣の男――向こうを向いていて顔は見えないが、髪も短いし、たぶん男だろう――が立っていた。
部屋はかなり広いようだけど、いくつも金属製の棚が並んでおり、圧迫感があった。棚の上に乗っかっているのは、多数の箱。
あの夢の部屋に似ているけど、あれよりも幾分殺風景かもしれない。
夢に似ているというよりも、まるで夢そのものだった。ふわふわと温い水を通したような手足の間隔も含めて、現実感ってやつがまるでなかった。
いつもと違うのは、僕の立ち位置くらいのもの。
そうだ、夢で僕は白衣を着ていた。自分の服を見ると、さっきまで着ていたスーツのままだ。
部屋には僕と彼の二人きりで、小林はいない。あいつがいると話がとっ散らかるし、別にいいけどね。
白衣の彼は背を向けたまま、モニターを凝視していた。奥のごちゃごちゃしたデスクの上には、モニターが3つ横並びに置いてある。
使い道のよくわからない機器がいくつも並んでおり、その横にはコーヒーカップ。画面にはいくつもの数字が並び、ちくちくと変動を続けていた。
声をかけたいのだけど、いきなりだと驚かせてしまいそうで。どうしたものかと考えているうちに、彼の方が先に振り向いた。
「や、お待たせ。初めまして。珍しいね、こんなしっかり意識があるタイプは」
「……はじめ、まして」
口の中が乾ききっていて、しゃべりづらかった。なんて返せばいいかさっぱりわからず、無難そうな返事で濁しておく。
彼は僕に言った。
「あまり動揺せずに聞いて欲しいんだけどさ。知らないかもしれないから教えておくけど、君の本体はこっちの箱の中。わかる? 今はちょっと特別に、ここに呼び出しているだけで」
「箱の中?」
すぐに、聞かなきゃよかったと後悔した。いい返事が返ってくるわけがないからだ。
「そうだよ、この中。見る?」
彼は返事も待たずに、箱のふたを開けた。中にはガラス容器に入った、浮かぶ人間の脳。
ああ、やっぱり見るんじゃなかった。
僕はがっくりと落胆した。
水槽の脳という言葉を思い出す。ああ、こういうことだったのか。
「でも、これはイメージ映像みたいなもんだから。あんまり気にしない方がいいよ」
彼は続けて僕に言った。ここはバーチャルだから。仮想現実。わかる?
慰めるというよりは、子供を諭すように。彼なりに気を使ってくれているんだろうか。
僕は訊ねた。
「僕は、一体誰なんでしょう?」
「知らないよ、そんなこと。名前は覚えてないの?」
「只田」
「覚えてるじゃないか。じゃ、君は只田君ね」
コーヒーを飲みつつ、彼は少しだけ眉をひしゃげた。コーヒーの苦さのせいなのか、それともこちらの質問がまずかったのか。もしかして、何度も同じようなやりとりを、他の人としてきたのかもしれない。
「ええと、自分のおかれている状況がさっぱりわからないんですけど。ここは一体どこなんです?」
「んー、難しいな。人生っていうオンラインゲームの舞台裏、かなあ」
「人生……ですか。なんかスケールが大きいですね。てっきり僕は、その、サーバールームのようなものかと」
もっと直接的に、例えば「脳みそが置かれているところでしょう」などと聞く勇気は、さすがにない。
「何か勘違いしているようだけど、今の時代、体をまともに持っている人なんかほとんどいないよ。刺激を感じるには、脳みそだけあれば十分だからね」
ああ、なるほど。
それなら何とか納得もできる。そっちが多数派だということは、異常が普通だということだ。ってことは普通が異常になるのか? まったく、混乱してくる。
てことは。
僕は確認のために聞いてみた。
「ええと、僕の今までの生活は、みんなバーチャルだったんですよね。会社も?」
彼はあっさりと言った。「そうだよ」と。何の感慨もなく。
我慢できなかった。
カッとなり、目の前の机に拳を叩きつける。乱雑に置かれている工具が落っこちる。
吐き出すように彼にまくし立てた。
「僕が今までしてきたことって、何だったんだ。バーチャルってことは、作り物ってことだろ? 毎日早起きして仕事して。そういうの全部、ムダだったってことか?」
驚きや怒りもあったけれど、一番大きかったのは、徒労感だった。
確かにつまんない毎日だとは思っていたけど、それでも我慢して過ごしてきたのは、それが現実だったからだ。それが今さらひっくり返されて、君は「はいそうですか」って言えるかい?
特にムカつくのが会社だ。この仕組みを作ったやつは、どんなに性格の悪いやつなんだろう。こんなたいそうな舞台を用意しておいて、わざわざやらせることが仕事だって? 働くために働かされてたなんて、バカな話だ。
彼はこぼれたコーヒーを拭きとりながら、僕に聞いた。
「君は今まであっちの世界にいて、現実と見分けがついてたかい?」
落ち着いた声で、少しだけ冷静になれた。
少し考えてから、答えた。
「いいえ」
現実を経験したことがないから何がリアルなのかはわからないけれど。真相を知った今でも、あのときの空気は本物と見分けがつかなかったと思う。
「だろう? じゃあ、それが現実だ。見分けがつかないなら、同じものとして扱える。誰だっけ、ほら、たぶんアインシュタインだな。彼も同じこと言ってるぜ」
それでいいんでしょうか? 僕は聞いた。
そんなもんだよ。彼は言った。
アインシュタインのくだりはわからなかったが、胸に引っかかるもやもやは消えなかった。
「君の気持はよくわからんけどさ、僕らだって似たようなもんだぜ。毎日同じ仕事場で、毎日同じような仕事をして。休日だって似たようなもんだ。君と僕を取り換えたって、どちらが本物とか思うもんかね?」
それは――。
言葉に詰まる。はっきりと、それは違うと言える自信が無かったから。
「いつからなんでしょう、脳みそなのは。例えば子供時代の記憶は、本物なんでしょうか」
「そのへんの線引きが、僕にはよくわからないな。バーチャルだとしても、現実と変わらない体験をしてるなら、それは”本物”じゃないのかい?」
脳みそがくるくる回るようだった。もしかしたら現実世界で本当に回されているのかもしれない。この白衣の男の仲間とかに。
突然、彼が妙なことを申し出た。
「君は退屈しているのかな。何か希望の世界があるなら、そっちに移してあげるけど」
「そんなことができるんですか?」
「別にいいよ。何かの縁てやつだ。まあ、僕のできる範囲でだけどね」
驚いた。そんなに簡単に別世界に行けるものなのか。
ただ、ありがたい申し出ではあったものの、特に行きたい世界なんてすぐには思いつかない。
うんうんうなっていると、 彼はキーボードをカタカタと叩く。画面が変わりいくつものリストが出てきたが、説明が無いので、ただの文字の羅列でしかない。
「思いつかないなら、普通に今一番人気の世界にしとく?」
そうだな。それが一番無難かもしれない。一番人気ってことなら、僕が気に入る可能性もきっと高いだろうし。
「どんな感じの世界なんですか?」
「ええと、中世ヨーロッパに似た感じの世界だけど、魔法とかもあって、いろいろと都合がいい世界さ」
「もしかして、そこで勇者とか魔法使いになるんですか?」
あまり知らないけど、なんとなく想像はできる。ゲームとかによくある、典型的なファンタジー世界なんだろう。
でも、魔法が使えるのはいいけど、魔王と戦ったりするのはごめんだな。痛かったり危なかったりってのは、できれば避けたい。
そんな妄想を一蹴するように、彼はあっさりと告げた。
「まさか。村人Aさ。エキストラみたいなもんだね」
彼はキーボードをいじり始める。このまま魔法の世界へと連れていかれるんだろうか。
ううむ、喜ぶべきなのか、落ち込むものなのか、それすらまだよくわからない。
村人Aか。やはり引っかかるものはあるけれど、さっきまではただの会社員だったんだから、当然の割り当てなのだろう。むしろこんな扱いをしてくれたこと自体が、普通ならあり得ないことなのだから。
かちゃかちゃと打鍵音が静かな部屋に響く。モニタの数字は相変わらず小刻みに上下し続けている。ところでこの数字たちは、まさか適当に並んでいるわけじゃないよな。
「あのう、別世界に行く前に聞いておきたいことがあるんですが」
「ん、なんだい?」
「僕が今まで暮らしてた街って、なんのためにあったんでしょう。あんな面白みのない世界をわざわざ作るなんて、理由がわかりません」
面白いかどうかは、人それぞれだからね。彼は苦笑いしつつ言った。
それもそうか。あれが楽しい人にとっては、あれでいいのだ。
でも、
「エキストラの身としては、あまり面白くありませんでした」
言ってしまったあとで、少し皮肉っぽかったなと反省した。僕があそこにいたのは彼のせいではないだろうし。
「まあ、それは仕方ないよ。いろんな役割の人がいるんだもの。それだって、現実と同じだよ」
そう言われると、そんなものかもしれない。自分が主人公だという妄想は誰でもするだろうけど、実際は才能だとか運だとか、壁はたくさんあるのだから。
「例えば僕が主人公だったとしたら、事件に巻き込まれたり、ラブロマンスがあったりしたんでしょうか」
「なんだキミ、事件に巻き込まれたかったの?」
「あ、いえ、そういうわけでは。ただ、今までに主人公みたいな人に出会ったことがありませんでしたから」
村人Aなら腐るほどいたと思うけど。むしろ村人しか見たことがないくらいだ。
彼は人差し指をぴっと立てると、左から右へと動かした。
「時間って言うのはね、文明が発展すればするほど、加速していくもんなんだ」
「……哲学的ですね」
それは彼の望む答ではなかったようで、彼は首を横に振る。
「そういうのとはちょっと違う。ええと、最近の曲ってさ、ギターソロとかが減ってるらしいぜ」
「ギターですか?」
「ギターじゃなくて、ギターソロ。イントロも短くなって、いきなりサビから始まる曲も増えたらしい。最初の食いつきが悪いかったるい曲だと、ろくに聞かずに飛ばされるのさ」
そんなこと言われても、音楽なんてあまり聴かないからわからない。
「ゲームでも一緒。地道にレベルアップしたりとか、アイテムをちびちび集めるとか、村を回ってひとりひとり話を聞くとか。そういうのは今時流行んないのさ」
ああ、なるほど。なんとなくわかってきた。
悠長に練習したり友情を育んだりというのは、省略される部分なのだ。そぎ落とされたフレーバー。それがあの街の正体ってわけだ。
求められているのは派手な戦闘やラブロマンス、しかも成功体験だ。
「ははあ、わかりましたよ。要するに私たちは、タンスの奥で忘れられた缶切りだ」
「なかなか洒落たこと言うじゃないか」
電子音が鳴った。新しくウインドウが開き、赤いボタンが表示される。
「準備ができたみたいだね。そろそろさよならだ」
「ありがとうございました」
僕は深く頭を下げた。
「そうだ、せっかくだからおまけを付けておいたよ」
おまけ? 思わぬ言葉に胸が躍る。
魔法でも使えるようにしてくれたのだろうか。それとももっと直接的に、お金とか? うまく資産運用できれば、働かずに暮らせるかもしれない。
けれど待っていた言葉は意外なもので。
「君の友達、ええと、小林だっけ。その人も一緒に送っといたから、仲良くやりなよ」
はああ? ちょっと待ってくれ。
なんであいつまで。いや、というより、それはおまけと言っていいのか?
時間切れだ。
僕の体は、エレベーターに乗った時みたいに、ふわっと浮き上がる感じがした。
あ、そうだ。最後に聞き忘れたことが。
「この脳みそたちの中に、カエル役の人って、います?」
彼はにやりと口の端を持ち上げた。
「さあ、どうだろうね」
その笑いは、まるであのときのカエル売りのような……。