11ー5 心痛に咽ぶ
目が覚めたのは、知らない場所だった。
それでも、ここがどこなのかは分かる。
周りに漂っている消毒液の匂い、鼻を刺すような何かの残り香。
つまり、どこかの治療院だろう。
ゆらゆらと揺れるカーテンが視界の端に見える。
窓から差し込んでいる陽光は、朝方を思わせて青白い。
青白い?
朝の光が青白いなんて思ったことないのに、変だ。
「……ぅう、っい」
体を動かそうとして、全身を電気のように走る痛みに呻くことしかできない。
視線だけを少し下に向けてみると、そこには包帯でぐるぐる巻きにされた上で、吊るされた状態の太すぎる両足が見えた。
ええと……どうやらオレの足は、折れているらしい。
森にいた頃は、気絶している間にマントイフェルに治されていたので、こんな風に怪我人らしい扱いをされるのは初めてだ。
骨折の治療に時間がかかると知ったのも、森を出てからだ。
視線を左右に動かすと、腕も同じように真っ白い丸太になっていた。
いや、足も腕も何か文字が書いてある気がするが、頭を持ち上げられないので読めない。
見えないけれど首も固定されているらしい。
動きたくても動けない。
その前に、痛くて動けない。
ストラックヮダーニオに全身の骨をへし折られて倒れた後、気がついた時には治っているのが不思議だったんだが、あれはきっとマントイフェル士が魔素結集魔法で治してたんだろうな。
不便だな、と思っていると、ふと頭に言葉が浮かんだ。
「『××××××××××××××』『××××××××××××××××××』」
ごく自然に声が出て、全身の突き刺さるような痛みが弱くなる。
相変わらず言葉はわからないので、骨を繋ぐための魔法か?と思っておく。
そして骨折は治っても傷までは治っていないらしく、全身に鈍く重たい痛みが残っている。
全部治すには……。
「『××××××××××××××××××』」
まるで詰めていた息を吐くように痛みが消え、思わず全身の力を抜いた。
痛みには慣れてるとはいえ、最悪の目覚めだった。
さてと、全身の傷はこれで治ったようだけれど、問題は両腕と両足のギプスをどうやって外すか?だ。
これまでは怪我をしても、まともじゃないマントイフェルの治療で寝込むことがなかった。
いや、寝込む時間なんてない、と治されていた。
ギプスってどうやって固定しているんだ?
魔術で身体強化をして、無理やり肘や膝を曲げれば壊れて外せたりするのか?
そんな無理をしなくても、誰かが来るまで待って外してもらえばいいのか。
そんなことを天井の飾り板とにらめっこしながら考えている間に、手洗いに行きたくなった。
生理現象は止められないので、急いでこれをなんとかしないと漏れる!!
「『××××××××××××』っ!」
勝手に口から飛び出した詠唱と同時に、粉々になって崩れ始めた全身を覆っていたギプスの残骸を蹴飛ばし、急いで部屋を飛び出した。
——それで、だ。
手洗い場で用を足した後、オレは鏡と対面したまま、動けないでいる。
誰だ、これ。
鏡に映っているのは、見覚えのない白い髪と瞳のオレ。
白い髪と瞳なんて聞いたことないぞ。
顔はそのままだと思うが、髪と瞳の色が違うせいで、自分の姿への違和感がすごい。
外見を偽装する魔術具をつけられていないか全身を調べてみたり、髪の根元をかき分けてみるけれど、入院患者が着るような背開きの服と下半身の下着以外身につけていなかった。
しかも、ありえないぐらい痩せてる。
肋骨の数が目視で数えられるって、どういうことだよ?!
筋肉を大人のように盛るのは無理だったけれど、これまで苦労して鍛えていたのに!
なんだよこれ、オレに何が起きた?
教師たちが、なんか黒かった?のと、何か関係があるのか?
さらに困ったことに、手洗いを出た後に気がついたのは、廊下には同じような扉が並んでいて、どこから来たのかがわからない。
手洗いの表示しか見えていなかったとはいえ、困った。
開かれている扉の中を覗いたら、どこからどう見ても病室という風情だったので、ここは初めに思った通り治療院なんだろう。
こんなに広い治療院なのに、人が全然いないのはなんでだ?
どこかに名前が書いてあるわけでもなく、殺風景な廊下を歩きながら一つずつ病室の中を覗いていたら、後ろから誰かに肩を叩かれた。
「?」
「お前ってやつは、何やってんだぁあああ!!」
ぎゃあ、本部のおっさん治療術士だ!!!
ここは本部の治療室じゃないだろ?
なんでいるんだ!!
「このアホたれがぁっ!!」
「いでぇっ!」
目から星が出る勢いでげんこつを落とされた後、襟首を掴まれて引きずられるように、オレがいたと思われる病室へと連れ戻された。
これ、オレが悪いのかよ!?
引きずられるように病室の中に入ると、何人ものそろいの服を着た治療術士か治療士?が、ギプスの残骸を片付けていた。
寝台の上がギプスの欠片や粉だらけになっているので、シーツごと全部交換しているのを見て、罪悪感に襲われる。
なんか、余計な仕事を増やしてしまってすいません。
緊急事態だったので。
生理現象に追われていたとはいえ、後先考えずに魔素結集魔法を唱えたのはまずかったかもしれない。
そういえば、ものすごく自然に魔素結集魔法の詠唱をしてしまったけれど、喉が痛くない。
知らない詠唱だったのに、どこから出てきたんだ?
言葉の意味もわからないし、魔法の恩恵を受けているのに、理解しないまま使うのは怖いな。
居心地が悪い思いをしながら、部屋の隅で大人しく立って待つことにする。
初めて部屋の中をしっかりと見てみる。
室内に固定されているのは鏡のある洗面台だけ、今室内にあるのは移動式の寝台、あとは荷物を入れる移動式の棚、以上。
ものすごく病室だ、というか、洗面台があるところが本部のオレの部屋よりも便利かもしれない。
オレの部屋よりも殺風景に見えるのは、壁や床が掃除しやすいように、つるりとした緑がかった白い素材で作られているからか。
部屋を片付けてくれた人たちは、一瞬だけこちらに目を向けたけれど、一言も話すことなく、おっさんとうなずき合って出て行ってしまった。
「座りなさい」
「え、あの」
「座りなさい」
「はい」
シーツを交換した後の寝台にオレを座らせると、手に持っていたファイルを広げて、仁王立ちする治療術士。
おっさんの元の目つきが悪いせいで、説教されている気分になる。
態度は怖いけれど、言動はいつもオレを心配してくれているものなので、何も反論できない。
本部のおっさん治療術士が怖すぎるよ!
なんかこのおっさん、オレを目の敵にしてないか?
「体調はどうだ、痛いところや動かないところはないか?
それよりもなんで歩き回れるんだ?
これは傷だけの話じゃない、一巡り以上も拘束されていて、手足が萎えて歩けるわけがないってのに。
あと、前から続いていた目眩はどうなってる?」
「体は……多分、魔法で治しました、目眩はまだわかりません」
次々と投げつけられる言葉に慌てつつ、怒られそうな恐怖から敬語で返事をして、おっさんの反応を伺う。
教師たち相手とは違う意味で怖い。
真正面から説教してくるのは、このおっさんが初めてで、対応に悩むんだよな。
「おいおい、デタラメかよ。
どうやって治したのかを説明できるか?」
「理論はともかく、やったことくらいなら」
「それでいい」
オレの話を聞きながら、ファイルに何かを書き込んでいるおっさんを見ながら、ふと思い出す。
処刑される前に、暗闇の中でずっと聞こえていた声はこの人の声だったと。
オレのことをバカと言いながら、心配してくれていた声の主だと。
「あの、一巡り以上拘束されていたと言いましたが、ずっと側にいてくれたんですか?」
「っ、さあな」
片方だけ眉を持ち上げて、目をそらしてごまかされたけど、多分そうだ。
今までは治療してもらうときくらいしか接点がなかったけれど……この人もヴュルフさんみたいに、オレのことを守っていてくれたんだろうか。
わざとらしい音を立ててファイルを閉じると、おっさんは腰を屈める。
座っているオレと視線を合わせて、何かを見抜こうとするように。
オスフェデア王国の国民らしい青色の瞳に、真摯な色が光っている。
「……よし、今から簡単に検査して、問題があってもなくても精密検査に回す。
三日はかかるぞ、覚悟しておけよ。
いくら傷を自分で治せるとしても目眩の件もある、面倒臭い検査も全部、一切合切を受けてもらうからな」
「はい」
その道の本職に逆らってもろくな事はないだろう。
手加減された拳で、時間をかけて撲殺されるよりもひどい検査はないと思うので、素直に従うことにする。
おっさんが疲れたようにため息をついたので、思わずつられて息を吐いたら、誰のせいだと思ってるんだ!とまたげんこつを落とされた。
筋力強化してるのか?ってくらい痛かった。
◆
◆
おっさん治療術士の言葉は脅しじゃなくて、検査だけで三日かかった。
血液をとったり全身を魔術で調べたり、なぜかおっさんも交えて本部で時々話をさせられていた治療士らしい男性と三人で、体調とか色々と話したり。
知識がないから、何をどう調べたのかはわからないけれど、これで終わりだといいなぁ。
ものすごく腹が減った。
検査をするからと、食事をしていないせいで。
ポーションなのか栄養剤なのか、よく分からない不味いものは数時間おきに飲まされているけれど。
そういえば、検査の時に気がついたけれど、体内の魔力回路が治っている。
治っているだけでなく、今まで以上に効率的に魔力が巡っているような気がする。
そして、ものすごくお腹が空く。
ハラヘッタ。
ふと、顔を上げると夕暮れで濃紺色に染まった窓に、頬のこけた白髪と白瞳の顔が写っている。
灰色は死人の色、白と黒は?
「お前は、誰だ?」
なんて……んん!?
ガラスに映った自分に向けて言葉にした途端に、知らない知識が滂沱と流れ込んできた。
しばらく何も考えられずに、突然のように思い出した知識を繰り返しなぞっていたが、それが与えられた知識だということは、すぐにわかった。
思い出した、としか言いようがないそれは、オレが知るはずのないことが多すぎた。
与えられた、と思うのは、全てを知るには穴が多すぎるからだ。
お互いに後悔する、と言われた意味を理解した。
オレはシライソンキと名乗った精霊いや、彼?の知識ではなんかちょっと違うけれど、とにかくセイレイ?ってやつの器になったらしい。
セイレイってのは精霊だろうか?
それと同時に、寿命も何もかも精霊である彼に引きずられて、白くなっているようだ。
教師たちと色が違うのは、教師たちは精霊に意識も体も奪われているから、らしい?
つまり、オレもシライソンキに乗っ取られたら黒くなるのか?
乗っ取られるのは嫌だな。
それに教師たちと同じようになったのなら、もしかしてオレは人間やめたことになるのか?
とはいえ、後悔はしても間違いだったとは思いようがない。
あの場で彼の問いかけを受け入れていなければ、オレは間違いなく殺されていたし、クサンデルたちやヴュルフさん、いやニュマンやフィンケのような戦える者でさえ、問答無用で殺されていたかもしれないのだ。
あの場で教師たちに勝てるものはいなかっただろう。
オレも含めて。
記憶を得て理解したけれど、シライソンキがあの場で姿を見せたのは、彼の優しさで甘さだった。
姿を見せぬ監視者として、教師たちを見張っていることだけが、彼の任務だった。
彼があの場で姿を見せる理由はなかったのに、育ての親に見捨てられたオレが哀れだという気持ちだけで、彼はオレの前に姿を現したのだ。
彼が与えてくれた記憶から、その選択が私情を多分に含んだものだというのも理解した。
彼が背負っている、本来の任務から道を外れてしまうにも関わらず、無関係のオレのために任務を犠牲にした。
もしもオレが彼だったら、同じようには動けない。
きっと無関係な国ひとつ、百万を超える人の命も簡単に見捨てていただろう。
教師たち強硬派にとって、この国、いや、この世界の人類は、駆除すべき害虫でしかなかった。
教師たちにとって、オレは将来的に使えるようになるかもしれない道具扱いだった。
それを嫌が応にも思い知らされたことは、とても辛かった。
怒りに駆られているのに、許せないと思っているのに、それでも辛くてたまらない。
これがどんな感情なのか整理できれば、辛くなくなるのか。




