11ー6 子供のように
気がつけば、朝になっていた。
周りを見回してみれば昨日と同じ病室で、昨晩はいつの間にか寝ていたらしい。
たくさん寝たはずなのに、なんとなくすっきりしないまま顔を洗おうとして、洗面台の鏡の中の自分を見つめる。
見慣れない白髪と瞳の白色、泣きながらこすったせいで赤く腫れた目元。
まるで小さな子供みたいだ。
そう思ったら、また、視界が滲んだ。
セイレイがオレに与えてくれた記憶の中に、どうしてオレが成長しないのか、があった。
そうだ、オレは成長していないのだ。
オレの身長は、四年前から(※)一エクラも伸びていない。
ずっと、成長期が来ていないからだと思っていたが、与えられた記憶を元に考えてみれば、オレの成長は四年前から止まってしまっているらしい。
そしてこれからも決して伸びない。
強硬派の精霊を受け入れ、身も心も奪われた教師たちは、成長が止まった若い姿のままで一千年以上を生き続けることになった。
アンヌンツィアータの言葉を全て信じるのであれば、だが。
彼女はどんな時でも嘘だけはつかなかった。
オレを道具扱いしていることも言わなかっただけで、嘘はついていない。
一千年も生きるというのは、どんな気持ちなのか。
中身が人ではなかったと知ると、教師たちが壊れていた理由に思い至るが、だからと言って、胸の奥の鈍い痛みは消えなかった。
何も食べていないのに、気持ち悪くて吐きそうだ。
このままの姿で、大人になることすらできないのか。
オレも一千年を生きなくてはいけないのか。
とりとめのない考えが心の中を埋め尽くしていき、息が苦しくなっていく。
体を丸くして、再び寝台の上に横になる。
室内が静かすぎて耳の奥でシーンと音がしている。
時間が止まっているような気がして、このまま世界から忘れ去られてしまいたい、と思った。
世界から忘れられてしまえば、このままゆっくりと縮んでしまうかもしれない。
寝台と一つになってしまうとか、溶けてしまうとか、存在ごと消えることができるかもしれない。
そんな時、小さく戸を叩く音がした。
現実に引き戻されて顔を上げてみれば、再びのノック。
泣いて腫れた顔を見られるのは情けないのではないか、と一瞬思ったけれど、小さな子供のように布団をかぶって寝台の中に隠れているのは、もっと格好悪いとも考える。
体を起こして座ったものの、訪ねてきた誰かを立って出迎える気になれなかった。
「……はい」
「朝早くにすまない、失礼するよ」
扉を開けて入ってきたのは、ヴュルフさんだった。
何を言えば良いのか、何を言わないといけないのか、思いつかないでいると、不意に目の前が暗くなった。
「良かった、生きていて本当に良かった……っ!」
頬に水の雫を感じ、きつく抱きしめられて呆然とする以上に、勝手に涙が溢れてきた。
嬉しいのか悲しいのか分からない。
どうしてオレはこんな出来損ないなんだろう。
ヴュルフさんに抱きしめられたまま、しゃくりあげて息ができなくなるまで泣いた。
◆
良い歳なのに、抱きしめられて泣きじゃくるなんて経験をしてしまい、ヴュルフさんの顔が見られない。
でも、記憶にある限りで初めてかもしれない。
こんな風に誰かに抱きしめられるのは、生きていて良かった、なんて言われるのは。
「フィーに外傷が治ったと聞いたので、悪いと思いましたが来てしまったよ」
オレと同じように目元を赤くしているヴュルフさんが、無理に抜けてきたから、後でバルに叱られてしまうよ、と頬を緩めてわずかに笑う。
きっとヴュルフさんも、泣いたのが恥ずかしいのだろうな、と思いながら、ゆっくり頷いた。
それで、フィーとバルって誰?
今のこの雰囲気では聞きにくい。
「本当にどこも痛くないのかい?
体が治ったからといって、すぐに動かないほうが良いのでは?」
「大丈夫です。
心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「……そんな他人行儀な物言いはよしてくれないか、私は、また君を助けてあげられなかった。
今度こそ諦めないと決めていたのに」
「諦めてなかったですよね、一番初めに声を上げてくれたじゃないですか」
あの台の上で見た光景を思い出す。
今が何月何日か知らないので、何日前のことかは覚えていないけれど、今のヴュルフさんはあの時よりは顔色が良い。
やつれてしまった頬は戻ってないが、紺鼠色の瞳には強い光が戻っている。
オレは本当にこの人に守られていたんだな、と胸が暖かくなった。
なんで気がつかなかったのかな、鈍すぎるだろ。
「足りないよ、あの場に君を立たせてしまった!」
普段の穏やかさのかけらもない表情で、歯を食いしばり拳を握りしめて、行き所のない怒りを腹の中に溜め込む姿を見て、ああ、この人は本当にオレと血が繋がっているのだな、と不意に思った。
そして、いつかのムーンさんと、きっとジェリー叔父さんも。
自分の信じることのためなら、進んで煉獄にも身を投げ出し、自らの意思で簡単に命を差し出す。
不利益を被ろうが、周囲に迷惑をかけようが自分が納得いくまで止まらない。
おそらくこれは、サイクス伯爵家の血がもたらすものなのだろう。
それをおかしいと思わないことは、普通の人から見れば狂人同然かもしれない。
なんの根拠もないけれど、そんな気がした。
今でもオレは、クサンデルたちのためなら命をかけていいと思っている。
死にかけたのに、全く懲りていないあたり、どうしようもない。
直す気がないので、手の施しようがない病人よりもタチが悪いだろう。
クサンデルたちに謝らないといけない。
今まで任務とはいえ騙してきたことを、巻き込んでしまったことを。
オレがもっと早くに、自分が人を殺すために育てられたことに気がつき、教師たちが普通じゃないと理解していれば、この国を出て関わらない選択肢もあったはずだ。
その場合、オレは荒んでいたと思うけれど。
少なくとも、オレにはこれからも生きていく理由ができそうだ。
ヴュルフさんのことを、もっと知らなくてはいけない、知りたい。
オレのためにこれまでにこの人が失って来たものを、そのままにして見ないふりはできない。
大叔父で後見人だから頼りきって良いなんて、勘違いをするつもりはない。
「ヴュルフ大叔父さん、ありがとうございました」
「大叔父さん、か、悪くないな、そう呼ばれるのは」
今は、与えられた記憶の整理が必要だ。
思い出した体をとっているとはいえ、価値観の違いや当事者ではないという思いが強い。
穏健派のシライソンキを受け入れたオレは、彼の手足として黒い精霊の行動を監視して、やりすぎないように制御しなくてはいけない。
穏健派が望むのは環境保全、世界への不干渉を持って目的を果たす。
強硬派が望むのは環境保全、世界への過干渉を持って目的を果たす。
双方とも望む目的は同じなのに、そこに至る道が異なりすぎていて、本当に同じかと疑いたくなる。
この後、オレはどうなるんだろう。
これだけの騒ぎになってしまったら、もう実働隊にはいられないだろう。
学院に通うのも無理だ。
「ヨドクス、本当に大丈夫か?」
黙ってしまったオレに心配そうな声がかけられる。
ヴュルフさんの仕事は実働隊の運営管理そのものだ、これ以上負担をかけるわけにはいかない。
今はその存在を感じない、シライソンキに心の中で話しかける。
与えられた記憶が整理できたら、ヴュルフさんに全て話してもいいか?と。
「君がこの男性を、信用するに足る人物だと評価するのであれば、いいよ」
「え、ヨドクス?」
オレの口から、言葉が勝手にこぼれて、顔が笑顔に変わる。
自分が意識していないのに体が勝手に動くのは、とても気持ち悪いかもしれない。
「残念ながら違う、サーヴュルフ」
「あなたは……白い尊貴、ですか?」
「シライソンキはこちらでの識別個体名でしかない、ヨドクスの保護者である貴方はただのシラで結構。
それと、ヨドクスと話す時と同じ口調で構わない、あなたはわたしの配下ではない」
「……分かりました。
それでは聞くけれど、白の精霊が全て白い尊貴ではないのかね?」
「いいえ、我々はただのセイレイだ」
なんだこれ、オレの意識はあるのに体が動かない。
気持ち悪いので、とりあえず身体の方へ意識を向けずにおくことにする。
自分の体とヴュルフさんが勝手に会話をするのを聞きながら、与えられた記憶へと意識を向ける。
見たことのない遊具のある広い公園。
楽しそうに遊ぶ子供?達。
笑顔と笑い声、軽やかな足音、翼の音。
……赤い血と青い空の色、緑の木々と……赤い土……枯れた灰色の草と、緑に濁った水。
どす黒い空、黒い雨。
雨に混じる針に刺されて、雨に打たれて倒れる子供たち……し——
「ヨドクス、少し寝たほうがいい」
それが自分の声だと思う前に、目の前のヴュルフさんの顔が心底不安そうだ、と思った。
一エクラ=約2ミリ




