9ー2 翻弄される
校庭に出たオレは、魔力測定の試験を受けた時と同じように、級友の中に埋もれた。
偽装済みの今の外見とオレの身長なら難しくない。
……自分で考えておいてなんだが、ひどく虚しくなるのでこれ以上はやめておこう。
実働部隊から派遣された、というからには戦闘用制服の姿だろうと、人混みに隠れたままで探していると、スッと何かが背後から近づく気配を感じた。
周囲の学院生とは明らかに異なる、冷たい風をゆっくりと漂わせるようなそれが、こちらの存在を認識しているのかを確認するために、数歩横にずれながら視線だけを背後へ向ける。
本当は〝解析〟を使いたいところだが、運動用の服にはフードがついていないので、一瞬だとしても髪色が戻るのはまずい。
というか、人の気配に疎いオレが気がつくってことは、わざと気配を垂れ流しているんだよな。
「こんにちは」
「ぇ!……こんにちは」
な、なんでこの人がここに?
青みがかった鼠色の髪はぴったりと撫で付けられていて、その顔立ちは眠たい猫のような穏やかさを感じさせる。
着用している市街地用制服は、上級隊員用の膝上丈。
これまでに何度も会っているけれど、本部の外で会うことがあると思っていなかった人物が、そこでゆったりと微笑んでいた。
そう、微笑んでいるのに、普段とは別人のようだ。
にこやかに見えるのに、冷たい風を身の回りに纏わせているような気がするのは、決して錯覚ではないはずだ。
「総員、静粛に」
数回手を打ち鳴らして注目を集めたのち、眠そうな目を少しだけ開いて周囲を見回すと、彼はにこやかな笑顔を浮かべた。
優しげで人好きのする、どこにでもいる好々爺然とした上品な面立ちだが、老人というには若い。
顔だけを見れば、日向でチェスをする老爺のように穏やかなのに、髪と同じ色の瞳は研がれたナイフのように剣呑に光っている。
これまで穏やかな好々爺の雰囲気しか見ていなかったが、それが本当の姿ではないのだろうとは思っていた。
ただ穏やかな人物に統括部隊の隊長職ができるわけがない。
統括部隊所属ということから考えると、戦闘能力は低いのかもしれないが、頭脳や立ち回りといった対人面においては、海千山千の猛者なのは間違いない。
「さて、皆さん初めまして。
実働隊本部、統括部隊の部隊長をしております、ミヒル・ヴュルフ=クショフレールと申します」
ヴュルフさんの紹介を聞いた学院生達から、歓声なのか感嘆なのかの判断が難しい声が上がり、それからすぐ側にいるオレへ視線が集まってくる。
なんで前に出ないで、オレの横で注目を集めてるんだろうか。
さっき話しかけてきたのも、きっと何か理由があってのことだろうが、理由なんて思いつかない。
学院では一般人として振る舞うように、という話じゃなかったのか。
それよりも嘘だろう?
統括部隊長?
これまでのヴュルフさんに対しての態度を思い返して、血の気が引く気がした。
実働部隊には、部隊長がいない。
理由は知らないが、各隊長の上は総隊長しか存在しない。
しかし統括部隊には、八つの隊を掌握する統括部隊長がいる。
つまり、ヴュルフさんは総隊長の直下の肩書きを持つ人物だ。
間違いなく、実働部隊の隊長よりも格上だ。
もう十年もしたら、どこにでもいそうな老人にしか見えないヴュルフさんが、統括部隊の部隊長?
諜報から情報操作、老獪で周到な作戦を平気で提案してくるような部隊の一番上?
年齢的なものではなく、あまりにもこの人の容姿とはかけ離れた肩書きに、腹の中がかき回されるような気がして、気持ち悪くなった。
質の悪い冗談、ではないのだろうか。
それとも好々爺や眠り猫のような穏やかさは、全部演技だというのか。
総隊長のように、オレに何一つ詳細を語らずに利用しようとする人じゃない、と思いたいけれど、今までのことも実はヴュルフさんの策でしたと言われたら信じてしまいそうだ。
その後で人間不信になる。
「本日は、フェランデリング学院の将来有望な学徒である皆さんに、実働隊の隊員になるために必要な心得を語りに参りました。
実働部隊の隊員の派遣ではないことに関しては、皆さんの適正によるものですので、ご理解ください。
では、この場で将来的に実働隊で働くつもりだ、と自信を持って声を上げられる方は、どうぞ手をお上げください」
いきなり何を言い出すのだろうか。
周囲を見回してみて初めて気がついたが、校庭に集められているのは一年生だけでない。
確か、幼年学科、中年学科は制服が違うはずなので、高年学科の学院生が全員集められているのか。
ヴュルフさんの言葉に手をあげる学院生はいなかった。
実働隊の隊員はなるのではなく、適正によって選ばれるものだ。
所属が本部でも支部でもそれは同じで、隊員になりたい者を無条件に受け入れていては、任務の前段階の鍛錬で死傷者が出てしまう。
ということは、フェランデリング学院の高年学科には、魔術への適性を持つ学生が存在しないってことなのか?
一人、二人くらいいてもおかしくないと思っていた。
高年学科の学院生は、一クラスが三十人前後だとして、全学年が四クラスだと仮定した場合に……一から三年生まであわせて三百六十人くらい?
属性特化型魔術の場合、百人中二割に適性があって、実際に魔術を使える可能性があるのは一割。
才能ある無能者を含めても、この場にいる中で三十人程度は、中の下以上の適性を持っていると考えられる。
三十人いれば、その内の数人は実働隊の支部や本部で働けるはず。
本部の実働部隊に配属されるためには、実戦で使える戦闘技術や戦闘系魔術を学ぶ必要があるとはいえ、誰も手を上げないのはおかしくないだろうか?
本人の希望にもよるとはいえ、全員が適性を持っていないはずがない。
オレは学業と任務で忙しく、学院を休むことも多い。
循環特化型魔術研究会に参加はしていても、学院にいるときはクラスと食堂を往復するくらいで、行動範囲が極端に狭い。
学院に通うために通る北区の大通りと、度々訪問しているクサンデルの家の周辺くらいしか区画も覚えていないし、そもそも四組以外に知りあいの学院生がいない。
もしかしたら実働部隊で働きたくない者ばかりが、この学院に集まっているのか。
いや、でも、そうなってしまうとヴュルフさんがここにきて、実働隊入隊時の心得を語る必要がない。
それに職人や上位技術者を目指しているような学院生まで集めて、実働隊隊員の心得を教えてどうするんだろうか。
これはなんのための講義だ?
ワケがわからなくなってきて混乱していると、肩に手を置かれるのを感じた。
「誰もいないのですね。
……では、北区支部所属の見習い隊員であるビズーカーくん、魔術の実演をお願いできますか」
「ぅふぇっ!?」
思わず変な声が出てしまい、顔がひきつるのを感じながら見上げたものの、笑顔のままのヴュルフさんがオレに何をさせたいのか分からない。
以前に魔術を使えない、ってアルナウトたちには言ってしまっている。
新人以下の見習いだから、魔術を使えないって。
困ったな、オレが読み込んでない設定があったのか?
ヨー・ビズーカーが魔術を使えるなんて設定には見覚えがないけれど、見落としていたんだろうか。
とにかく、ヴュルフさんの態度や言葉から、本当にすべきことを見抜かなくては。
「どうしました?」
敵対しているわけでもないのに、背筋が寒くなるような冷気を噴出しながら笑顔で見られても、全然わからない。
そもそも、実演って何すればいいんだよ!?
ヴュルフさんが穏やかで眠たそうに見えるのはいつものことだし、好々爺っぽいのもいつも通り。
いつもと違うのは、周囲に威圧するような冷気を放っていることくらいだ。
「さあ、皆さんに攻撃魔術を打ち込んでください」
「っ!?」
な、な、な?!
そんなことできない!というか、したらマズイだろ!
いやいや、まさか、これは上司としての命令か?
統括部隊長が、実働部隊の隊長に命令できる権限なんてあったか?
それとも総隊長の命令?
学院生を無差別に殺すことに、どんなメリットがあるのか思いつかないが、本音を言うといつかは人を殺す命令が来るような気はしていた。
戦争が終わったとはいえ、周辺国家が恒久的に和平の手を結んだわけじゃない。
兵器を使った物理的な戦争が終わっただけで、交渉という場における政争は激しくなるばかり、と補習をする教師のオマケ話で教わった。
食料輸出で他国からの侵略を防いでいるオスフェデア王国だが、未来のことは誰にもわからない。
掃除屋だって、直に手を下しはしなかったが、オレが殺したようなものだ。
忙しさを理由にして、従姉妹だというムーンさんと向かい合うことを拒絶して、関わりたくないと思ったのは間違いない。
連絡を取る方法さえ知らないのは、オレには関係ない、と切り捨てたからだ。
ヴュルフさんは、オレが位階十二までの魔術を使えることを知っているはずだ。
それならば期待されているのは、最も強力で広範囲の魔術だろう。
命令なら従うしかないのか?
逆らって停職になるなるだけならいいが、オレの場合イルギジャラン帝国に売られる可能性だってある。
死にたくなかったら従うしかない、ということなんだろうが、オレは死ぬことなんて怖くない。
死にたくはないけれど、人はいつかは死ぬものだ。
……それなら答えは一つ。
ここにはクサンデルたちがいる。
友達と自分の命の、どちらが大切かなんて分からないけれど、オレにとっては譲れないものだ。
譲りたくないものだ。
初めて、誰かに与えられたという形でなく、自分で手に入れたのだ。
これだけは、絶対に譲るわけにはいかない。
「お言葉で……」
「冗談です。
学院生の皆さん、今のビズーカー見習い隊員の反応を見て、理解して頂けましたね。
実働隊の隊員になる、ということはその言動に大きな影響力と責任が生じる、ということです。
統括部隊部隊長の発言だから、と一瞬でも信じてしまった人もいるのでは?
とはいえ、この学院には自らを有能だと勘違いして、実力以上に思い上がっている生徒がいないようで一安心です」
ヴュルフさんがポンっと手を叩くと同時に、張り詰めていた空気が弛緩するのがわかった。
全部冗談?
……なんで、こんなタチの悪い冗談を?
「ヨー君、さっきは「はい部隊長!」と返事をして、魔術を使おうとして盛大に失敗して笑いをとるところですよ」
ぼそりと耳元で囁かれた声には、冗談の響きはなかった。
ヴュルフさんの考えが読めなくて、血が凍るような気がした。
戦いなら負ける気はしないけれど策謀をめぐらされたら勝てる気がしない、そもそもヴュルフさんが何を考えているのかすら分からない。




