7ー7 復讐決闘
いつの間にかベーン副隊長のすぐ横には、ひょろりとした男性が立っていた。
鳥の巣を逆さにかぶせたような青碧色の頭。
目が細くてつり目で、肌が浅黒い男性……どこかで見たことがある。
着ているのは市街用の使い込まれた制服で、新人隊員ではなくどこかの隊に所属しているようだが、名前が出てこない。
どこで見たんだったか。
オレが名前と所属先まで覚えているのは、第一隊の隊員たち二十人と副隊長二人。
第一隊の外になるとサッセン第八隊隊長、あとはハーヘ総隊長くらいだ。
最近、統括部隊のどこかの隊の隊長らしいヴュルフさんのことも知った。
……知人が少ないのは、幼い頃からだ。
クサンデルが友達になってくれて、本当に良かった!!
初めての友人は大切にしないといけないな。
「実働部隊、第一隊隊長ヨドクス・ギュエスト氏と、実働部隊、第二隊副隊長フスターフ・ベーン氏、ベーン伯爵家子息の復讐決闘の正当なる開始を、今ここに宣言致します。
ベーン氏の立会いは実働部隊、第二隊所属ヒュープ・アッペル名誉男爵家子息が致します」
つり目の男性を思わず見つめる。
この男性の名前はわかったけれど、名誉男爵、ってなんだ?
困ったことに、オレには未だ知らないことが多すぎる。
十六年生きてきて、いろいろ学んできたつもりだったが、自分で思っていた以上に無知だということか。
そうなると学院に通うことになったのは大正解か。
見識も増えて友人もできたから、講義中の退屈さえつぶすことができれば、毎日北区まで通うのも悪くないし、みんなで食べる食堂のご飯も美味しい。
人混みに警戒しながら北区の街中を歩くのも慣れた。
でも、貴族相手にどう振る舞えばいいかは分からない。
礼儀作法や貴族階級のしきたりの複雑さなどは、傭兵だった教師たちにも未知の領域だったのだろう。
教師たち相手に使う敬語だけはそれなりに教わったものの、貴族相手の立ち居振る舞いなど、何をするべきか考えても何一つ思いつかない。
「ギュエスト氏の立会いは実働部隊、第一隊副隊長アヌーク・フィンケ伯爵家息女が致します!」
いつの間にか、オレのすぐそばにニュマン副隊長とフィンケ副隊長が揃っていた。
この二人は、本当に有能だ。
やっぱり、人の気配も感じられるようにならないといけないのかなぁ。
やりたいことが山積みなのに、一日が二十五時間しかないのが辛い。
一日が五十時間あったらあったで、もっと長ければ!と思うんだろうけど。
「決闘方法は、拳といたします」
「アッペル殿一方的にそのような「構わない」こと、っギュエスト殿!」
フィンケ副隊長の言葉を遮り、その場で動きにくい防寒用のオーバーコートを脱ぐ。
相手が竜種であったり、戦い方がわからない時は負傷を防ぐために着用すべきだが、拳で殴り合うのなら体が重い方が枷になるだろう。
鍛錬場内に吹き込む風は冷えているが、晴れているせいなのか日差しが花中庸めいてきている気がする。
それでもコートを脱ぐには寒すぎた。
やっぱり着ていようかな、と思い直しかけて、集まる視線にできなかった。
「預かってくれ」
コートを受け取ってくれたフィンケ副隊長の顔色が悪いのは、寒いからだろうか。
その眉間には、深すぎる縦じわがありえないくらい盛り上がっていて、本音を言ってしまうと怖い。
フィンケ副隊長の顔を見ないようにしても、妙な雰囲気というか、言外に何かを伝えようとしているような気配が伝わってくる。
一生懸命フィンケ副隊長が言葉にしない言葉を想像してみるが、険しい表情からの威圧感がすごいだけだった。
美人ってのは険しい顔まで様になるけれど、そのせいで怖い。
「 」
「 」
何か話しているところを邪魔するのは悪いが、大事な話を聞いていない。
制服だけでは寒いから、早々に初めて終わらせたい。
「ベーン副隊長、ひとつ教えてくれ」
「なんだ」
「復讐と言ったが、なんの復讐だ?」
一瞬、ベーン副隊長の顔から表情が無くなり、直後に無言で拳が飛んできた。
ん、まだ、決闘は開始していないよな?
誰かが開始を告げるんじゃないのか?
反射で〝身体強化:筋力強化〟を二割発動して、その拳を手の平で受け止めたが、あまりにも恵まれすぎている、分厚い土壁のようなごつい体格のせいなのか、副隊長の振り下ろしの拳はずっしりと重たかった。
強化なしでこれだけの力か、恵まれた体格ってのはそれだけで才能だよな。
正直、対人戦闘の経験を積むのに、上級隊員程度の相手は必要だと思っていた。
フィンケ副隊長やニュマン副隊長に頼めば、上司の命令だからと付き合ってくれるのだろうが、任務に差し支えが出てはいけない、とこれまでは遠慮していた。
オレは教師たち相手の鍛錬法しか知らないから、手加減が苦手だ。
決闘方法は〝拳〟と言っていたが、魔術の使用を禁止はされていないし〝拳のみ〟とも言われていない。
それなら魔術も使って殴り合いが普通だよな?
実際に目の前で魔術を使ったが、何も言われていないので問題ないのだろう。
「な、くそっ!?」
「思い返したが身に覚えがない、なんの復讐だ?」
「ひぎゃあああああっっっ」
オレの手の二倍はありそうな巨大な拳を、強化された力で軽く握りこむと、ベーン副隊長は大げさな悲鳴をあげた。
見上げるような大男でもこんな声が出せるのか、と驚いたのと同時にちょっとだけ嬉しくなった。
悲鳴を上げるということは、まだまだ余裕だということだ。
さすが本部の副隊長、とベーン副隊長の汗でじっとりと濡れて引きつった顔を見上げた。
「なんの復讐だ?」
戦うのはいいが、濡れ衣を着せられるのは困る。
借金生活だけで苦労しているのだから、ここに犯罪者の肩書きまで乗せられたくはない。
将来的に希望の業種を見つけて就職しようと思った時に、生活苦で犯罪に走った過去がある、なんて思われるのは嫌だ。
真っ当に働いて金を返さないと、大人になってから暮らしにくくて困る。
「わ、我が弟を愚弄したであろう!」
「弟?」
一生懸命目の前のベーン副隊長を見て、思い出そうとするが、全く心当たりがない。
「……覚えがない」
人の名前を覚えるのは苦手でも、顔は覚えられる方だと思っている。
術式を覚えるのは得意だし、視覚情報を記憶に定着させるのは、得手だと思っている。
それでも、全く思い出せなかった。
「実働隊補佐部隊、王都北区支部、副支部長ルートヘル・ベーン!
それが我が弟だ!」
手をまだらに赤黒く染めた男性が、怒りの表情で怒鳴り散らしたことで、ようやく思い出すことができた。
「売られた喧嘩を買ってやったのに、礼の一つも言わなかったウドの大木のことか」
オレのことを「チビ」と呼んだ、実働部隊で働くに相応しくない、礼節を欠いた対応をした大男だ。
一回しか会っていないのと出会いが最悪だったので、完璧に名前ごと忘れていた。
いや、覚える気がなかった。
「買う価値もない喧嘩を買ってやったのに、その礼が復讐?心底下らないな」
「なんだとっ!!」
こいつの弟に煩わされたことは、未だに覚えている。
一方的にチビと言われた怒りを忘れてはいない。
人を外見だけで判断するのは良くないんだぞ、というと子供の喧嘩っぽくなるので言わないけどな。
どう見ても成人後の弟に対し、過保護で過干渉すぎる!とベーン副隊長の評価を下方修正しながら、思いついたことを言ってみる。
「決闘を受けるのはいいが、一つ条件を出す。
自分が決闘に勝った場合、ニュマンに誠心誠意の謝罪をしてもらう。
ニュマンは庶民上がりの泥臭い副隊長などではなく、とても有能で代わりのきかない人物であり、自分には過ぎた副隊長だ」
自分でも驚くくらい、頭にきていた。
ニュマン副隊長の言う通り、疲れているのかもしれない。
任務中は感情を表に出さずに過ごすことを、いつでも意識しているのに。
「さらに愚弄するか!
庶民に下げる頭などないっ!!」
無事な方の拳を振り下ろしてくるベーン副隊長を見ながら、怒りに震える感覚に身をまかせる。
人相手に、どこまでやっていいか、を知ることのできる良い機会だ。
「ならば力ずくでも謝らせる」
「隊長!!」
「ギュエスト殿っ!」
耳の奥で沸騰するような音がする。
滝の音にも近い血流の轟音を心地よく受け止め、体内の魔力循環の速度を上げることで〝身体強化〟の強化度合いを上げた。
弟の副支部長は本気の一割で、二割でも耐えられそうだった。
それなら、兄は三割にしてやろう。
弟より強いから、本部の副隊長なのだろうし。
それなりの速さで突き出したオレの拳が、ベーン副隊長の腹に刺さる。
狙ったのではなく、身長差の関係だ。
「ぅごふっ」
筋力を強化しても速さはそう変わらないのに避けることができないのか、と残念に思いながら、一撃で終わらせるものかとも考える。
無力さを思い知れ。
こっちは学院に通えなくなって訳がわからないまま狙われて、精霊との戦い方がわかって事態を収めようとしたのに失敗、と続いて苛立ちが募っている。
タイミングが悪いから、八つ当たりさせてくれ。
ベーン副隊長の敗因は、きっとそれだけだ。
後で冷静になれば、悪いことをしたなと思うんだろうけど、今は無理だ。
二発目の拳が腹にめり込んで、ベーン副隊長の体が宙に浮き上がった所に、さらに三発目を打ち込んで重たい体を持ち上げる。
感触的にかなり固い腹筋だったが、強化された拳を生身だけで防ぐのは無理だ。
「!?っ!っ?!」
会話をする気がないのなら口を開くな。
痛みで言葉にならないのなら、いっそ黙っていればいいのに耳苦しい。
左右から打ち込んだ四発目、五発目で振り回して、とどめに頭部に振り下ろしの鉄槌打ちを打ち込んで、平らにしたばかりの鍛錬場に沈めた。
「下げる頭があったな」
オレの拳を受けた後のベーン副隊長は、顔面をぬかるみを埋めたばかりの柔らかい鍛錬場に埋め、尻を天へと突き上げていた。
顔と膝が地面についているのに尻だけ高々と突き上げているのは、どことなく前衛的な芸術作品に見えなくもないが、見事なまでの謝罪の体勢というには無理がある。
地面より下に顔を下げさせたことで、少しだけ溜飲を下げ、身体強化を解除する。
「ニュマン、すまない」
自主的に謝らせることができなかった、と悔やんでいると、肩に手が乗せられた。
見上げたそこには、これまた珍しくも血の気の引いたニュマン副隊長の顔。
「や、やりすぎですっ!!!
治療術士を、大至急呼べーっ!」
……あれぇ、叱られてしまった。
また何か失敗したらしい。
そういえば今まで知らなかったけれど、フィンケ副隊長が伯爵家の息女とか言ってたから、貴族相手の作法なんかを教えてもらえないだろうか。
次に同じようなことが起きても、副隊長たちを困らせないように動けるといいんだが。
「何やってんだぁああああっ!!」
担架を新人隊員に抱えさせ、こちらに土煙とともに向かってくる治療術士のおっさんの顔が、どこかで見た魔物のようになってるのは、気のせいだよな。
一方的に叩きのめしたベーン副隊長に対しての印象が悪いのは、教師たちに瀕死状態にされる中で悲鳴をあげると「声を出す元気があるのか」と更に鍛錬内容が追加されていた経験から
ベーン:(イッテェ!絶対骨折れた!どんな握力してんだ、このチビ!?)
ギュエスト:(声(悲鳴)をあげる=まだ叫ぶ余裕がある!ので遠慮なくボコろう!)




