7ー5 対人戦闘
ゆっくりと息を吐くと、血流が耳の奥で低く響いているのが聞こえてきた。
人相手の戦いが久しぶりすぎて緊張しているらしい。
愛用の杖は、すでに手の中にある。
魔術の発動に必ずしも杖は必要ではないが〝火〟属性など、基点があると扱いやすい攻撃魔術では戦術の幅が増えるので、常に身につけることにしていた。
全身に身体強化を発動するのも、瞬き一つの時間すら必要ない。
周囲にいた新人隊員たちには、個別に通信が入ったのだろう。
全員が蜘蛛の子を散らすように、慌てふためいて本部内へと逃げていくのを、周辺視野で確認した。
「そうか、愛称で呼んもらえないのはすごく残念だ、次はないから。
単刀直入に言うね、死んでおくれ」
「……」
困ったような笑顔を浮かべた掃除屋は、腰に提げていた鞘から、見慣れない形の刃物を抜き払った。
根元から剣先に向けて、緩やかに曲がる短めの刀身が鈍く光った。
「今になって、甥っ子が見つかったとか言われて、本当に迷惑してるんだよ。
ようやく、家族みんなが乗り越えたっていうのに、ねぇ?
×××××××××××××、×××××××」
速い!
「『土槍』」
発声発動をしてから気が付いた。
〝土槍〟は位階二の、オレが脊椎反射で扱える術式のうちの一つで、攻撃にも防御にも使えるが、鍛錬場を滅茶苦茶にしてしまう。
本部の鍛錬場の設備耐性は、国内最高の〝位階十〟の強度があると聞いている。
鍛錬場全体ではないだろうが余程のことがない限り、周囲への被害は心配ない、とはいえ、設備を損壊させたら修理費を払わなくてはいけない。
みぞれ混じりの泥を貫いて、次々と空へ向かって鋭く伸び上がる土槍を身軽に避けながら、掃除屋はこちらへ向かってくる。
手に持った剣の切っ先をゆっくりと揺らしながら、どう動くかを考えているように。
どうして精霊が攻撃するのに、近づいてくる必要があるのだろうか。
「うわお、怖いなぁ!
××××××、××××××××××××っ!」
目を興奮で充血させてぎらつかせているせいで、魔物と対峙しているような気持ちになってくるが、相手は人だ。
このまま勢いで殺してしまうのはまずい。
さらに加速して、人とは思えない勢いで近づいてくる掃除屋と、何かの気配に対して、ここで取れる手段は多くない。
〝火〟属性は、いくら魔術耐性の高い障壁があっても、本部建物への延焼の可能性がある。
〝土〟属性は、鍛錬場内が惨状になってしまう。
〝礫〟、〝陽〟は今の状況に相応しいか、と言われると難しい。
〝日〟属性の攻撃魔術は、ここで使うわけにはいかない。
「×××××××××××××××××××××っ!」
掃除屋が聞きとれない言葉を叫ぶのと同時に、その場を動かないままで〝『身体強化:筋力強化』〟、〝『物理接触反射』〟の二つを発動する。
発動用の発声を省いたせいで、使い込んでいない〝物理接触反射〟の威力は落ちてしまうが〝身体強化:筋力強化〟は使い込んでいるので問題ない。
〝精霊〟との接触は、魔術の発動と同時だった。
「っう!」
「なにっ!?」
ぬるり、と圧を感じさせる何かが、オレの上半身に絡み付こうとして〝物理接触反射〟に弾かれたのを感じた。
痛みはなかったが、濡れたスポンジを押し当てられたような不愉快な感触が残っているので、これが精霊との初接触と言っていい。
気配の後ろにいた掃除屋が、目を見開いてその場で硬直した。
「う、が、っは、ゲホッ」
「……教えてくださいませんか?
どうして、自分が死ななくてはいけないのかを」
突然、後ずさると同時に胸元を押さえて苦しみだした掃除屋へ、杖の先を向けながら声をかけた。
今の接触でフードが外れてしまった。
誰がどこで見ているかわからないので、かぶりなおしたいが、それは隙をさらすのと同じだ。
ゴーグルとネックウォーマーがあるので、素顔を見られることはない。
先ほど、何かが体に絡みつきそうになったとき、反射的に杖を持っていない方の手でそれを掴もうとしたけれど、ぬめる川魚のように指の間から逃げていったのだ。
指に何か触れた感じもしなかったのに、それが逃げていったと感じるのはおかしい。
おかしいと思っているのに、何も触らなかったのに、それがそこにいることを確信したし、手で掴めないことを理解した。
今のオレの筋力は、普通の成人男性の数倍にもなるだろうが〝精霊〟には通じないらしい。
ムーンさんに攻撃してもらった時に〝精霊〟に攻撃が通用するのか、魔術が効くのかが判別できず、分からないままだった。
〝礫〟が、何かに当たった様子がなかったからだ。
その不安は今の掃除屋の反応で解消された。
〝精霊〟にも魔術は効く。
目で見えるような効果を得られているかは分からなくても、何らかの影響を与えることはできている。
そして、こちらからの物理的な接触は難しいようだ。
攻撃を魔術で反射することに成功したということは、魔術攻撃であればダメージを与えられる可能性が高いと考えていいだろう。
対処法がわかって余裕ができ、思わず安堵の息を吐きそうになってしまう。
いまだ目前には掃除屋がいるのに、胡散臭いものと対峙しているという困惑は解消されていた。
遠距離発動の魔術で対処できるなら、杖が必要な状況にはならないだろう。
近づいて物理で殴る必要はないと判断して、不必要な〝身体強化〟は解除して〝物理接触反射〟を維持したまま〝解析〟を使って、掃除屋の適性を調べる。
……やはり、精霊施行魔術というのは面白い。
循環特化型魔術よりも、習得が簡単なのだとしたら、クサンデルたちに教えてやりたい。
ムーンさんは、その辺の知識を持っているだろうか?
「ゲホゴホッッッ、××××××××××××××、×××っ」
掃除屋が胸を押さえて苦しんでいるのは、病気の発作か何かだろうか?
解析では判断しきれない。
その時、視界が急に夕闇に包まれたように、ぼんやりとしたものになった。
目の前に薄い布をかけられたように、全てがぼやけて見えているが、音の反響と空気の動きを感じられるなら、何も困ることはない。
目隠し状態で戦うことも教師たちから教わっている。
正確に言えば、目潰し状態で物理的に嬲られているうちに、死にたくないので戦い方を覚えた。
目が見えない状況で戦うって無理だろ、と思っていた鍛錬が、こんなところで役に立つなんて、人生とは本当に複雑怪奇だ。
とりあえず掃除屋への牽制に、発声発動で視覚の補強をする。
「……!?っ『身体強化:聴覚』」
「ゲホッ××××××××××××××××××××、××××××××、ぐっ、ぅぅっ」
「『土槍』っ」
何を言っているかは分からなくても、攻撃の意思くらいは口調からわかる。
自分自身の周囲を取り囲むように、大きさを調整した〝土槍〟を何重にも張り巡らせた。
掃除屋は胸を掻きむしるように押さえて、その場で顔色を青くしていた。
ゆるく曲がった剣を手には提げているものの、それを扱う余裕があるようには見えない。
何かがこちらへと向かっているのを感じたが、オレの身長よりも高く空へと生えそびえる〝土槍〟に阻まれているのか、ぐるぐると周囲を回っている。
実体が見えないので宙を飛んでくるかと思ったが、針山のようになっている上を飛び越えては来れないらしい。
諦めるのは、いつになるだろうか。
……困ったことに、オレが魔術をわざと発声発動していることに、掃除屋はまだ気がついていないらしい。
もしかしたら属性特化型魔術のことを、よく知らないのかもしれない。
オレは魔術の発声発動なんてほとんどしない。
これは特別なことじゃない。
実働部隊には、魔術を発声発動する隊員なんていない。
いないというより、そんな隊員は実働部隊では使えない、から配属されないの方が正しいのかもしれない。
魔物相手の戦いは常に先手必勝なのに、声を出していたら見つかってしまう。
相手が竜種になると、魔術や魔術具を使って気配を消していても見つけられてしまうのに、自分から敵に向かって「ここにいるぞ」と声をあげてから攻撃するなんて、気が狂ってるとしか思えない。
正々堂々なんて言葉は、魔物の駆除の対極に存在している。
本部に所属する、主属性に適性のある実働部隊の隊員たちは、無発声での攻撃魔術発動の習得を目指す。
術式を脳裏に構築するだけで発動できるように、使用頻度の高い魔術を何回も使って反射の域まで高めるのだ。
わざわざ発声するのは、威力を上げたい時や、使い慣れていない魔術を集中して発動するときだけ。
土槍の発生範囲を少しずつ広げて、気配の方向へと槍を増やしていく。
避ける先に、次々と足元からひしゃげた円錐形の槍が伸びてくるのは、相当に怖いはずだ。
土槍が精霊に当たっているかどうかは、見えないのでわからないが、どうにかして掃除屋を傷つけずに終わりにしたい。
早々に降参してもらえないだろうか。
実を言うと、総隊長に出された命令は三つある。
一、「派手にやれ」
二、「問題の解決までは(ムーンさんを)守れ」
三、「発声発動を使って戦え」だ。
その時は相手の力量が分からないのに、無茶を言うな、と思っていた。
一体なんのために、発声発動が必要なのかも不明だ。
掃除屋なんて呼ばれるのだから、叔父さん?はさぞかし強いのだと勝手に思い込んでいた。
しかし実際に対峙した掃除屋の強さは、教師たちとは比べることもできなかった。
ただの一度でも、あの圧倒的な迫力と威圧感を持つ人々と対峙してしまうと、普通の人相手に同じ感想を抱くのは難しいようだ。




