7ー3 精霊との模擬戦闘
水を含んだ重たいみぞれが降る中でも、濃赤と緑は美しく映える。
彼女の姿は、本人が精霊と言っても信じられそうな幻想的なものだった。
腕をさすりながら、ムーンさんは口を開いた。
「×××××××××××××××××××××っ」
ひどく独特な言い回しで、全く聞き取れない言葉で歌うムーンさん。
寒さで声には伸びやかさがないものの、精霊魔術を使うのには問題ないのだろう。
——ヨーよう、お前はさぁ……——
再び頭の中でいつかの声が聞こえそうになるのを振り払い、周囲に気を配る。
オレの知っている魔術の術式とは、根本的な何かが違う。
これは、厄介だ。
どんな魔術をどんな威力で発動させる気なのか、が分からないと対応が遅くなる。
相手が何をしているのか、知るすべがない。
先手を取られるだけでも厄介だというのに。
そう思っていると、見えない何かが近づいてくる気配を感じた。
咄嗟に後ろに下がったら、足元の雪が勢いよく舞い上がり、雪混じりの竜巻になって襲ってきた。
「『礫』」
一応、発動を知らせるための発声をしながら、ムーンさんを視界の端に収めておく。
発動位置を指定していなかったので、砂礫が地面から舞い上がり竜巻へ巻き込まれていく。
すると石が混ざった小さな竜巻は雪を巻き上げながら、奇妙に動いてムーンさんの目の前で散ってしまった。
「××××××××大丈夫よ、……流石ですね」
「何が起きたのか、説明していただけますか?」
オレの目には、吹き込んだ風が雪を巻き上げて、つむじ風になったようにしか見えなかった。
だが不思議と〝精霊〟という存在が動いているのはわかった。
目には見えない何かが、動いているのを感じた。
〝精霊〟というのが生き物なのか、はたまた無機物なのかは知らないが、オレはそれを感じることができるようだ。
これがおかしなことだと分かっている。
オレには魔力探知を含む〝圧〟属性の適性はない。
〝圧〟属性の魔術の中には、大気中の魔素や大気に含まれている元素の詳細を知る方法がある。
適性のないオレでも、大量の魔力を放出されれば、威圧されているような気配を感じることはできるし、体内の魔力残量は体感でわかる。
けれど、どこで?誰が?どれだけの魔力を使った?まではわからない。
魔素の乱れの只中にいれば体調を崩すが、体調を崩してから、検知器で魔素の乱れを調べないと気がつけない。
気がつけないはずなのに、なんとなくだが、どこにいるのかが分かる。
もしかしたら〝精霊〟は、魔力や魔素とは関係のない存在なのか?
もどかしい、知識が欲しい、精霊についてどこかで学ぶことができないものか。
「ナーティは、小石をぶつけられて驚いたのです」
「……」
オレが使ったのは〝土〟属性の攻撃系魔術〝礫〟だ。
見えない精霊に石が当たったかどうかは不明だが、牽制くらいにはなったのかもしれない。
とは言え、精霊の攻撃というのは、この程度なのか?
攻撃手段が少ないと言っていたが、攻撃そのものをされていない。
「〝掃除屋〟の精霊は攻撃が得意なのですか?」
「すいません、精霊魔術士は自分の精霊の詳細を、人には教えません。
私は叔父の精霊の名すらも知らないのです」
「……そうですか」
あまりにも情報が少なすぎる。
精霊施行型魔術は、イルギジャラン帝国の秘匿中の秘匿。
簡単に対策を練れるようなものなら、戦争はもっと早く終結していたはずだ。
「ムーンさん、本日はありがとうございました。
また機会があれば、鍛錬の相手を頼むことがあるかもしれません」
心の中では、先ほどの攻撃手段や内容が嘘でなければ、ムーンさんに実戦形式の鍛錬相手は無理だろう、と思いながら口から出任せを言う。
本当なら精霊施行型魔術のことを詳しく聞きたいところだが、あまり深入りしたくないのが心情だ。
彼女がオスフェデア王国出身の、ごく普通の隊員ならこんな嘘も必要ない。
隊長に策を話した時に「派手にやれ」や「問題の解決までは(ムーンさんを)守れ」などの命令が出されたのだ。
〝部下の心を把握して安全を確保し、かつ管理するのは、隊長に必要な能力〟だとかなんとか、とってつけたような理由と一緒に押し付けられた幾つかの命令は、オレの胸の内を陰鬱にするのに十分だった。
ムーンさんはオレの部下じゃない。
本当に従姉妹なのかすら、疑わしい。
髪の色も瞳の色も違うし、顔も似ている気がしない。
それでも、昨日のサッセン隊長の態度を見てしまうと、少なくとも優しく接した方がいいのではないか、と思ってしまう。
ムーンさんの本心がどこにあるとしても、この件が収束するまでは従姉妹として振舞うことにしよう。
嘘をついている可能性もないではないが、彼女にまともな戦闘ができないと判明した以上は、これ以上の干渉は必要ない。
「あの……お気をつけてくださいね」
こちらを心配している様子の彼女の顔には、悲痛な表情が貼り付いている。
雪雲が厚く垂れ込める空から、みぞれ混じりの雨が舞い落ちてきたのを感じながら、ムーンさんの白い顔を見つめた。
「……もしも、ですが」
「はい」
本当は聞くつもりはなかった。
しかし、彼女の瞳に浮かぶ感情があまりに痛々しかったので、聞かずにはいられなくなった。
「自分が〝掃除屋〟を殺してしまったら、貴女はどうしますか?」
その逆の場合は、とは聞かない。
迎え撃つのはこちらだ。
卑怯な手や罠を使わずに、正々堂々と打ち倒すつもりではいても、相手も自分も、不測の事態で死んでしまう可能性なんていくらでもある。
「……その時は、反逆者としての処刑を覚悟の上で、叔父と共に祖国へ帰ります」
「そうですか」
この言葉で、少しだけムーンさんへの評価を上げた。
オレを心配しているのは、自らの保身のためではないらしい。
彼女は、オスフェデア王国に守ってもらえる価値が自分にないことを、ちゃんと理解しているのだ。
保身を考えるなら、先に交渉を行ってから情報を出すべきなのに、彼女は初めに全てを明かしてしまっている。
情報を晒してしまえば、もう価値がない、と判断されてもおかしくないのに。
自分の立ち位置を理解しているのなら、なぜ、己の命を危険に晒すのかが理解できない。
存在すら知らなかった従兄弟、オレを救うのに、なぜ自分の命をかけようと思うのか。
彼女の行動原理が理解できれば、彼女の言葉が真実だという確証も得られるだろうが、そんな時間はない。
のんびりと話し合っている時間も、顔も知らぬ母の昔話を聞く時間も、今は足りない。
「変なことを聞いて申し訳ありません、それでは次の機会に」
「はい」
ヴュルフさん(総隊長室付き統括部隊の隊長さん?)の話では、統括部隊内の隠密斥候隊の隊員が、ムーンさんに張り付いているそうだ。
それは、オレがこの件にケリをつけるまで。
総隊長の発言のせいで、彼らの特別出張費はオレが出すことになっているので、さっさと終わらせないといけない。
とりあえず、今日は自室に戻って単語翻訳でもしながらおとなしくしていよう。
冷えた体を温めるために、風呂に向かおうかと思いながら、これからのことに想いを馳せた。
オレが本部に住んでいることを知られていないのに、夜中の本部にやってくるとは思えないが、〝掃除屋〟が本部の警備を破って入ってこられるような男なら、それはそれで、面白いかもしれない。




