5ー5 こんなことって…… 中
「どういうことなんだよ?」
顔を引きつらせるクサンデルの呟きに、背筋が寒くなる。
上級竜種と対峙した時だって、こんなに緊張しない。
今オレは、初めての友人を失うかどうか、の瀬戸際に立っているのだ。
判断を間違えたら、学院で過ごす残り二年半弱を、孤立して過ごすことになるのが目に見えている。
……だが、頭では分かっていても、できないことがある。
任務の内容を話して、オレが懲戒を受けるだけで済めばいいが、この場で話してしまうと、サッセン隊長にまで懲戒が及ぶ可能性がある。
「任務内容に抵触するので、言えない」
「ちょ、落ち着けデル、ギュエスト隊長も、とりあえず座って、な?」
オロオロしているサッセン隊長とは、これまでに挨拶以外をしたことがなかったが、シャワーや食堂で顔をあわせることはあったので、多少は人となりも知っている。
隊長同士の交流?そんなもの無いし、上級隊員の徴集や会議の八割はニュマン副隊長かフィンケ副隊長が行ってくれる。
ハブリエル・サッセンは豪快で腹芸のできない(という評判の)、実働部隊第八隊(極小型〜中型魔物の駆除特化部隊)の隊長だ。
第一隊で一番でかいスメールデルスと同じくらいの背丈で、分厚い筋肉の鎧で全身を守っている。
青い髪に瞳で、笑顔になると目が細くなって愛嬌が……ああ、どう考えてもクサンデルの父親じゃないかよ!
なんで、オレは気がつかなかったんだ。
体格が違うからか、おっさんだからか?
「サッセン隊長、総隊長に報告は上げておくが、貴公からの報告も頼みたい。
此度の任務内容の漏洩は意図したものではない、と。
情報開示の許可も申請はしておくが、無理な場合はご子息への助言を頼んでも良いだろうか?」
「そりゃもちろん!
ですが、その、なんでうちにいるんで?」
「自分の口からは言えない」
「はっ」
さっきまでと同じ家の中とは思えない重苦しい空気の中で、覚悟を決めてイヤカフ型魔術具を外すと、伸びすぎの前髪を後ろにかきあげて流す。
そして視線をクサンデルに向けた。
クサンデルの何かを言いたそうな、見開かれた青緑色の瞳と目があうと同時に、最敬礼をする。
謝意はあっても謝罪はできない。
たとえ形骸であっても、これは任務なのだ。
「実働隊本部、実働部隊第一隊隊長、ヨドクス・ギュエストだ。
此度のことは任務であり、上層部の許可なく情報の開示はできない」
「…………」
不意にクサンデルが泣きそうだと思ったが、根拠はない。
泣く理由がないから気のせいだろう。
「サッセン隊長、無礼を詫びさせていただきたい、これで失礼する」
「あ、ああ」
サッセン隊長は困った顔をして、それでもオレが任務中なのだ、と理解してくれた。
玄関で髪と瞳の色を偽装するイヤカフ型魔術具をつけなおし、髪もボサボサに直してから外に出た。
生まれて初めて作った(つぶして混ぜただけ)マッシュポテトを食いたかったな。
腹は減ってきていたが買い食いをする気も起きず、そのまま支部に向かった。
いつもと同じように、こちらを胡乱気に見ている隊員たちを無視して、勝手に支部長室に入ると転移陣を起動する。
支部長室に誰もいなくてよかった。
今は話しかけられても、優しい言葉を返せないそうにない。
◆
◆
翌朝、最悪の気分のままで学院の制服に袖を通す。
連休二日目で、明日からの半巡りは未明から昼過ぎが勤務時間、同時に未明から朝までが待機当番になる。
正直夜中に起き出して働いた後に、日中は学院に通うとか無理な気がするが、総隊長命令なので異論を口にすることはできない。
とりあえず少しでも長く、睡眠時間を確保することにしよう。
昨夜は総隊長不在のため、統括部隊の隊長さん?に報告をして、サッセン隊長と彼の子息に落ち度はないことを強調はしておいた。
何もかも、オレが浮かれていたからだ。
学院が平和だからって、オレまで平和ボケする必要なんてないってのに。
学院を辞めないといけないんだろうか。
…………え、嘘だろ?
オレは、学院を辞めたくないと思ってるのか。
いつでも死ぬ覚悟はあった。
死にたくなくてもいつか死ぬと思っていた、だからこそ学院生活が楽しいことが辛かった。
辞めたくないと思うほど、オレは学院生活を望んでいるのか。
辛くてたまらないのに、手放したくないと思っているのか。
最悪だ。
この想いはダメだ、強い執着はいつか必ず任務に支障をきたす。
それでも、抑えられる気がしない。
どうしたらいいんだ。
普段使いのオーバーコートに袖を通してフードをかぶり、背負い鞄と戦闘用制服の一式が入った手提げを持って部屋を出たところで、廊下をこちらに向かっていた統括部隊の隊長さん?と目があった。
「おはようございます、ギュエスト隊長」
「おはようございます」
オレはこの人の名前を、未だに知らない。
学院に通えと言われるまで総隊長室に呼び出されることなど、数えるほどしかなかった。
「昨日の件につきまして、総隊長から伝言をいただきましたのでお伝えに参りました」
「はっ」
その場で略式敬礼をして、どんよりとした気持ちのままで直立不動を心がける。
「特例として、サッセン第八隊隊長とそのご子息、クサンデル・サッセンさんに、情報の開示を許可します。
ただし、これは特例であることを忘れずに、とのことです。
非番のサッセン隊長には、先ほど連絡が済んでいます」
「はっ!
ありがとうございます!」
柔和な顔に笑みを浮かべた隊長さん?は、ぽん、とオレの左肩に手を置くと、頷いた。
「友情は大切にしたほうがいい。
自分にも友がいました、とても大切な友が。
後悔だけはしないように、学院生活を楽しんでください、今を大切にしてくださいね」
「……はっ」
普段ならすぐに返す声が出てこなかった。
隊長さん?の言葉が、職務を超えた大切なものであるような、そんな気がしたからだ。
それは上司からの激励というよりも、孫を心配する祖父からの応援のように聞こえた。
そんな筈がないのに。
少しだけ軽くなった心に安堵しながら、避難経路へと足を向けた。
◆
「クサンデル、昨日はすまない。
全て自分の落ち度だ、申し訳なかった!」
教室に入ると、ちょうど振り返ったクサンデルと目があった。
視線を逸らされる前に!と慌てて告げた言葉で、クサンデルの表情が変わる。
眉を寄せたしかめ面に似ているものの、色々な感情を含んだ表情は怒っているのか、悲しんでいるのか分からない。
こんな時にはコミュニケーション能力が高ければ!と口惜しく感じる。
「なんかあったの?」
「さあ?」
「なんだよ、なんで二人で青春してんの?」
ボソボソと取り残された三人が会話する前で、クサンデルは顔を歪めたまま口を開いた。
「まだ、友達って思っていていいのか?」
「これまでに友の作り方を学んだことはない。
話しかけてもらわなければ、会話をすることもなかった」
オレからの一方的な想いだけでなく、クサンデルも友人だと思っていてくれたのだ、と知った。
苦しくなると共に歓喜が湧き上がり、心臓が喜びで跳ねる。
なんて言えば良い?
なんて言えば、友達になれたことが嬉しいと伝えられる?
「そいつは大袈裟すぎないか?」
「紛う方なき本音だ!
毎日が楽しすぎてつら、っ、いや、その——」
いつ死ぬか分からないのに、と言いそうになって、慌てて口を噤む。
これ以上はダメだ。
オレなんかの友達になってくれてありがとう、が言いたいだけなのに、血迷って変なことを口にしたら最悪すぎる。
浮かれているせいで頭の中で言葉が渦巻いてしまい、級友がいるところではこれ以上は話せる気がしない。
「俺も悪かったよ。
親父に言われたんだ、相手の立場を考えてみろって」
「いいや、悪いのは全て自分だ」
何を言っても、全てを説明できないこの場では、言葉の足りない言い訳にしかならない。
オレの阿呆さが気に入らない、どうしたらいいんだ。
クサンデルに心からのありがとうを伝えるには、どうしたらいいんだ?
「あのさ、堂々巡りする前に、仲直りは済んだのかよ?」
「えー、喧嘩してたの?いつー?」
「そんなことより、ギュエスト隊長についての新情報を聞いてくれって!!」
最後のアルナウトの言葉に、思わずクサンデルと顔を見合わせてしまう。
「……ハハッ、ハハハハハ」
「は、はははっ」
突然笑い出したクサンデルにつられるように、オレも笑ってしまう。
昨日から胸の中に居座っていた重石は、どこかに行ってしまった。
本人を前にして、ギュエスト隊長すげー!って話をしていることに、クサンデルは気がついたのだろう。
これまでにアルナウト主導で、ギュエスト隊長カッコイー!と話をしている時に、オレの反応が微妙だった理由にも思い至ったらしい。
目の前で「お前はすげーぞ!」なんて言われてるのを聞いて、落ち着いていられるはずがない、と。
すごいだろ!なんて返事したら自分が大好きな奴みたいだし、そんなことない!と謙遜するのも「なんでお前が言うんだよ」と返されたら困る。
実際、昨日は一日中いたたまれなかったし、語られる内容に対しても、どう反応していいか分からなかった。
賛同も訂正も否定もできない状況で、コミュニケーション能力が高い奴らならどうするんだろうか。
二人して笑っていると、ロキュスがニタニタと笑っている。
アルナウトとフロールは、何か言いたそうな顔でこちらを見ている。
「なんだよ?」
クサンデルが変な顔すんなよ、と声を上げると、ロキュスはイケメンが残念になるくらい、いやらしい顔をした。
「相思相愛だな」
「ふ、ふっざけんな!!」
「グブフォっ!?」
思わずロキュスの鳩尾に拳を打ち込んでいた。
本気ではないし、魔術で強化してないことを感謝しろ!
顔が熱い、なんでだよ!
オレは、恋なんてしたことない!!
……あれ、これって力説できることじゃないのか?
大げさにむせているロキュスをアルナウトが「あーあ、変なこと言うからさ」とからかい、フロールは「大丈夫?湿布あるよ、一枚百フルーリだよ」と本気なのか冗談なのかわからない言葉をかける。
それを受けたロキュスは「なんだよ熱い友情のタッグを決めた相棒は相思相愛だろうが!」と言い返し、フロールには「ちょ、高過ぎるだろ!?安くしてくれぇっ」と胸元を抑えてわざとらしい呻き声をかえす。
あっという間にいつも通りの友人たちの姿に、視界が揺れる。
泣いてない。
嬉し過ぎて、汗が垂れてきただけだ。
人前で泣くなんて、教師相手の鍛錬中なら撲殺決定事案だから、オレは泣いたりしない。
戸惑うように、クサンデルの手が肩に置かれたら、止まらなかった。
オレの人生の薄っぺらさが、少しずつ厚みを増していく。
戦うことしか教えてもらえなかった、本でしか人とのつながりを学べなかった。
そんな何にも持ってないオレに、大事な相手ができた。
こいつらと一緒にバカみたいな話をして、日々を過ごすことがオレの一番の望みなんだと、認めるしかない。
学院を辞めたくない。
ここにいたい。
——落ち着いてから、ちゃんとロキュスには謝罪した。
すまん、つい手が出てしまったけれど、次はないように気をつけるから。
初めての友人との仲直りと共に、友人を殴って、人前で泣くなんていう碌でもない経験までしてしまった。
気が緩みすぎだ。
学院生たちは実働部隊の隊員たちのように鍛えていないのに、思わず手を出してしまうなんて、本当にオレはダメなやつだ。
ヨーの行動を周囲から見た場合、仲直りできたことが嬉しくて、ちっちゃい子供みたいに泣きじゃくる、ちっちゃい男の子
この日を境に、周囲からの視線が生暖かくなったが、ヨーだけは気がつかない




