2ー7 一年四組
「あ、来ましたね」
室内に入った途端に、前に立っていた二人の人物の視線が集まるのを感じる。
ラウテルさんと、もう一人は知らない女性だ。
「みなさん、注目!授業の前に皆さんに転入生の紹介をいたします。
本日付けで四組の仲間になりましたヨー・ビズーカーさんです。
国外で育ち、これまでに学舎に通ったことがないそうですので、みなさんの知っていることでも、知らないことがあると思います。
進んで助言、手助けをしてあげてください」
ラウテルさんの凛とした声に、反射的に背筋が伸びた。
自分に利をもたらすように考えて動かなくては、ここで失敗して舐められると学院生活に響く気がする。
背筋を伸ばしたまま、両足のかかとを揃え、軽く握った両手を腰へと添える。
敬礼しそうになるのは我慢したけれど、両腕を体の脇に垂らすのは違う気がした。
顎は引いて腹筋を使って、声を張りつつも威圧はしないように。
「初めまして皆様、只今ご紹介を賜りましたヨー・ビズーカーと申します。
皆様と共にこの地にて学ぶ機会を得られましたことを、喜ばしくおもいます。
若輩者ですが、何卒よろしくお願い申し上げます」
丁寧になりすぎないように、と思いながら挨拶をしてみたが、無言で集まった視線で失敗したらしいことに気がついた。
何がいけないんだ、なんて言えばよかったんだ。
たった一言「よろしく」なのか?
ああ、一般社会の常識って難しい。
「……ビズーカーさんの席は、一番後ろの角です。
前の書写板は見えますか?」
「はい」
ラウテルさんは、学院生たちの前だからなのか、うろたえずに次に進めてくれた。
失敗を見て見ぬ振りをしてくれる人が、部下以外にもいたことに感謝しか覚えられない。
思っていたよりもラウテルさんはいい人なのだろう、なぜか怯えられているようだが。
その時限はラウテルさんと一緒にいた女性の講義時間だったらしく、既に知っている魔術の基礎について、少々的外れな見解を述べていた。
属性特化型だけでなく、全ての魔術学の基礎は体内の魔力循環を効率化する反復訓練と、魔力量増加のための高負荷鍛錬からなのに、なぜいきなり術式の記憶を始めるんだ?と反論したいが、魔術学の論争をするためにここに来たわけじゃない、と必死でこらえた。
自分の体内を巡る魔力の操作ができないのに、術式に流す魔力量の操作ができるわけがない。
もしもここの学院生たちが、この内容を全て鵜呑みにしているのなら、魔術暴走は日常茶飯事だと思う。
すでに何人か死んでいる可能性はないのか。
いや、オレが知っているのは、教師たちからの受け売りの知識だ。
オレの知識が間違ってる可能性もある?
これまで、一度たりとも暴走なんてさせてもらえなかったから、調べようがない。
今から暴走なんてさせたら、耐性のあるオレは無傷でも学院の敷地が丸ごと吹っ飛ぶ。
「ビズーカーさん。
……ビズーカーさん?」
「!、はっ」
偽名を意識していないと、呼ばれても無視しているように受け取られる。
名を呼ばれていると気がついた瞬間、無意識に略式敬礼付きで起立していた。
「ビズーカーさん、あの、問題に答えてほしいのですが」
教室中から集まった視線に悶えそうな心を押し込め、震える手を下ろす。
「……はい」
学院内は平穏かもしれないが、オレの学院生活は平穏には程遠いかもしれない。
しっかりと気持ちを切り替えておかないと、すぐにボロが出そうだ。
何もかも職業病のせいだ!
そう思わせてくれ、頼むからっ。
簡単な問題を解いてから、普段とは違う疲れにどんよりしていると、昼休みの時に聞いた鐘の音が響いた。
「では、続きは明日、予習を忘れないように」
「はい、ありがとうございました」
流れについていけないまま、全員で講師に礼を言い、女性はこちらをちらりと見てから出て行った。
どうやら、これでこの時限は終わりらしい。
この独特の時間の流れに、ついていけるようになる日は来るのか。
そんなことを思いつつ机に上半身を伏せて現実逃避していると、机をコツコツと叩く音がした。
「な、さっきのポーズさ、実働隊っぽくね?」
顔を上げたら、クサンデルが目のなくなる笑顔で、笑っていた。
なぜかそれを見ると気疲れが軽くなった気がして、設定だから話しても良いんだよな、と口を開く。
「そう感じてもらえるのは有難い、学院に通うのは、実働隊補佐部隊の王都北区支部で働くためだ」
「「「なんだってぇっ!?」」」
予期せぬ大勢の声が返ってきたことに慌てて周囲を伺うと、ほとんどすべての教室中の視線が集まっていた。
あ、これは、また失敗したらしい。
そう思いつつ、ここで逃げても三年間はごまかせないだろう、と腹を括った。
クサンデルに話すつもりで、その実、室内の全員の耳が傾けられていたようだが、オレの学院に通う設定を、教室中に浸透させることには成功した。
元は行商人の養い子で、今は学院生と支部見習いの二足のわらじを履いているという設定を。
「うわ、大変だな」
「養う相手がいるわけじゃないから、そうでもない」
実際、家族がいる隊員は、いつ何時任務で命を落としてもいいようにと、遺書をしたためている。
規則なのでオレも遺書は用意してある。
死んでしまった時は、足りないかもしれませんが貯金を借金返済にあててください、としか書いてない。
悲しむ家族もいなければ、処理に困る遺産もないから気楽なものだ。
「でもさ、在学中に見習いになるってことは、将来有望なんだよな?
なんで四組なんかに入ったんだ?」
話しかけてきた、快活そうな雰囲気の水色の髪と瞳の少年は、心底そう思っているのだろう。
「支部で働くのに卒業証明書が必要と聞いているので、成績が仕事の査定に響くことはないと思う。
いつ何時、任務が入るか分からないので、動きやすい組を志望した」
設定がどこまで細かく作り込まれているかは、統括部隊の担当に確認を取らないといけない。
ここで適当なことを勢いで答えて、後で違いました、では迷惑をかけてしまう。
「確かに、一組じゃ課外活動まで強制参加だから、副業なんてできないよね」
「そうそう、あそこって、お貴族様主導だからさー」
突然会話に割り込んで来た少女たちの存在に驚きつつ、そうなのか、とうなずくことができた。
四組の学院生は、思った以上に友好的だ。
いや、待てよ。
ここでの会話そのものが、コミュニケーション能力を高める訓練にならないか?
「課外活動とはなん——」
「え、本当に何にも知らないんだね?」
言葉を遮られ、同年代向けのコミュニケーション方法を、せめて知識として学んでおくべきだった、と後悔の最中なのを知ってか知らずか、女子学生たちに囲まれてしまった。
実働隊の隊員は、その任務内容から多くが男性なので、女性に囲まれる機会などない。
第一隊にはフィンケ副隊長の他にも四人の女性隊員がいるが、女性扱いできるような職場ではない。
そもそも彼女たちは逞しすぎるので、女性扱いすると怒られそうだ。
知識はなくても健全な青少年だという自覚はある。
厚手の制服の上からでも見て取れる、女性らしい体の線を目で追いそうになるのを堪えた。
女性は、その手の視線に敏感だ(と本で読んだ)。
「ヨー君って、本当に十六歳?」
「国外って、どこに住んでたの?」
「課外活動ってのはね、競技とか魔術とか、体術とかを授業以外で学ぶんだよ」
「ねえ、北区支部ってどこにあるの?」
「……」
周囲でキャイキャイと高い声でさえずられて、どうしたらいいか迷った末、必要に迫られて魔術を発動させた。
全員の問いが聞き取れずに答えられないというのは、よくない印象を与えると思ったからだ。
無発声で〝身体強化:聴覚〟と〝思考加速:聴覚情報〟を使う。
この術は脳の聴覚情報識別野の能力を高めることで、俗に言うところの〝カクテルパーティ効果〟を人工的に起こすことができる。
同時に何人に話しかけられても、それぞれの返事を考えることができるが、多くの聴覚情報を同時に取り込むために脳が疲労するので常用には向かない。
「間違いなく十六歳だ。
ベルラシュア王国を主要に、親戚の行商と共に各地を移動していた。
課外活動についての情報はもう少し詳細を伺いたい。
北区支部は、フェランデリング学院から北西方向に七クロタほどだ」
「……ヨー、お前すげーな」
気がつけば、クサンデルやその周りを囲む級友に変な目で見られていた。
またか、またなのか、一体オレは何を失敗したのだろう。
真面目に級友とコミュニケーションをとり会話をする努力をしたのに、おかしなことになった。
相手が女性だから、ということなのだろうか?
学院での生活が、初日から山あり谷あり過ぎて、困難すぎる。
こんなに失敗続きでは、明日から通うモチベーションがなくなりそうだ。
総隊長を恨んでやる!!




