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妄想列車  作者: 夢追人
20/23

再び秘書 真奈美 二

真奈美待望の退職が実現!

「わざわざ呼び出してすまない」

 広野専務が真奈美に詫びた。

「いえ」

 真奈美は軽く会釈をしてから、勧められたソファに腰掛けた。なぜか大熊も同席している。

 昨夜のニュースで、H2O研究所から研究データが流出したと報じられた。肌に関する個人情報が多数含まれていると、何の根拠もない報道をする、悪質な左翼系報道機関もあった。

 今朝、真奈美が出社するとすぐに広野専務に呼ばれて、専務の役員室に入ってきたところだった。

「君も知ってのとおり、我が社の研究データが漏えいしてしまった」

 広野が話を始めた。

「世間は大騒ぎしてますね。どこから漏れたんですか?」

「君には関係ない」

 横から大熊が冷たく遮った。

「え?じゃあ、私に何の用ですか?」

 真奈美はキョトンとした表情で広野を見つめる。

「実は君に我社を救って欲しい」

 広野が静かな口調で真奈美に言葉を向けた。

「どうやって?」

「漏えいの責任をとって君に辞めて欲しい」

 広野が申し訳無さそうに目を伏せて言った。

「まあ!私に孫悟空になれというの?」

 一瞬、不可解な間が流れた。

「人身御供のことか?」

 大熊が鼻で笑った。

「ああ、それそれ。でも、誰がどうやって漏えいさせたのか、真相も知らせずに協力させる積り?」

 真奈美が、大熊に挑みかかるような語気で言葉を吐いた。

「君は言われたとおりにしていれば良い」

 大熊がつっけんどんに言い放った。真奈美は、ゆっくりと深い呼吸をしてから、ピンと背筋を伸ばし、

「はあ?小熊のくせにデカイ態度取るんじゃないわよ!」

と、荒い語気で言い放って大熊を睨みつけた。大熊も広野もポカンと口を開いて真奈美の豹変に驚いている。

「漏えいさせたのは研究員でしょ!」

 一瞬で二人の表情が青ざめる。

「図星なのね?ついでに犯人は小野方さんでしょ!」

 真奈美は少し顎を突き出して、ドヤ顔で二人を見つめた。

「どうしてそれを……」

 大熊が何とか声を漏らした。

「女の情報網をなめるんじゃないわよ」

 広野と大熊は顔を見合わせてから、

「だったら話が早い」

と、意を決したように大熊が言葉を続けた。

「小野方君は活性化酵素の研究に必要な人材だ。辞めさせる訳にはいかない。だから君に身代りを頼んでいるんだ」

「私に辞めろって言うわけね」

「さっきからそう言っている」

 腕組みをした大熊が静かに頷いた。その態度に再び真奈美の目尻が跳ね上がった。

「あんた馬鹿?真相も知らせずに身代りになって辞めろってか?それに、さっきからあんたの態度は何よ、偉そうにふんぞり返って。それが他人にものを頼む時の態度なの?」

 大熊は真奈美の剣幕に押されながらも、

「別にふんぞり返っている訳じゃない。腹が出てるからこんな姿勢になってしまうだけだ」

と、言い訳をした。

「だったら痩せなさいよ、無駄な肉ぶら下げていないで」

 彼女の言葉に少々むっとした大熊が、

「君には無駄な肉は無いのか?」

と言い返した。

「な、無いわよ!むしろ足りないくらいよ。なんなら脱ぎましょうか?」

「いや、結構。見れば分かる」

 真奈美は、二人の視線を胸に感じて、

「素直に納得できないわね」

と言って頬を膨らませた。

「大熊君、真奈美君の言うことも尤もだ。全て話しなさい」

 広野の指示で、不承不承に大熊が全容を明らかにした。

 大熊の話しによると、小野方は大学との協議会の後、帰りの電車にパソコンを置き忘れてしまったらしい。幸い、パソコンの中には活性化酵素に関するプレゼン資料があるだけで、重要機密や、一部で騒いでいるような個人情報も入っていない。

 しかし、そのバソコンを拾った人が中身を調べて、興味本位でネットに公開してしまった。それを見つけたマスコミが活性化酵素のネタに飛びついて大騒ぎになっている。

「それで、辞める見返りは?」

 真奈美が前のめりになって大熊に詰め寄った。

「君の三年分の給料を払おう」

 大熊が自信ありげな表情で言った。

「三年分?話が違うじゃないの!」

と、真奈美が強い口調で訴えた。

「何の話だ?」

 大熊も広野も目を丸くしている。

「五年分は頂かないと。会社の将来のために犠牲になるんですから。ねえ、専務」

 真奈美は広野に向かって愛想笑いを送った。

「そうだな。汚名を着てもらうんだ。五年分を謝礼としよう。名目は退職金だ」

 広野が大熊に目配せをして決定を促した。

「わかりました。依願退職ということで。今日中に退職願を出してくれ」

「はーい」

 真奈美が嬉しそうに答える。

「社長には私から言っておく。明日、記者会見を開いてくれ」

 広野専務は大熊にそう言ってから、真奈美に握手を求めた。真奈美もにこりと笑って右手を差し出す。

「ありがとう。君のお陰で我社が救われる」

「広野専務も救われましたね。でも、気を付けて下さいよ、近々大変な災いが起きるかも知れませんよ」

 真奈美はそう言って部屋を出て行った。

「嫌な予感がするな」

 広野が、真奈美の出て行ったドアを見つめたまま呟いた。

「気にしなくても良いですよ、あんなバカ女の言うことを」

 大熊が吐き捨てるように言った。

「先週のゴルフコンペで私は一〇〇を叩いた」

「はあ。それが?」

 大熊は不思議そうに広野を見つめる。

「いや、何でもない」

 広野はそう言って自分のデスクに席を移った。


 真奈美が辞表を出した翌日、H2O化粧品の社長が記者会見を行い、総務部担当者が研究員のPCを運搬中に紛失した旨を公表した。そして、今後は情報管理を徹底すると言った、お決まりの言葉で締め括った。また、活性化酵素の開発は間もなく完成する旨も発表して、期待と注目を集めて記者会見を切り上げた。

 しばらくは活性化酵素の話題が世間を賑わせたが、それも数日ほどで世間の興味を失い、会社も広野も命拾いをした。

「何はともあれ、良かった良かった」

 真奈美が嬉しそうにティラミスを口に運んだ。

「何が良かったんだ?」

「そりゃあ、会社が無事に難局を乗り越えたからよ」

 真奈美の唇が少し尖った。

「最近発見したんだが、君は嘘をついた時、少しだけ唇を尖らせる癖がある」

 ラオウの指摘に慌てて唇をへの字に結んだ真奈美は、

「いつ気付いたの?」

と、目を丸くしてラオウに尋ねた。

「君が公安警察に胸をつかまれたと大嘘を吐いた時だ」

「大嘘じゃないわ。軽い嘘よ」

 そう言って再び唇を尖らせたが慌てて唇を結んだ。

「本当は、五年分の給料を貰って辞めることが出来たから喜んでいるんだろう?」

「自己犠牲の精神を少しは敬いなさい」

 真奈美はそう言って、残りのティラミスを口に放り込んだ。

 二人は新地のカフェにいる。ガラス張りで通りから中が良く見える店だ。通りを挟んだ向かいには、小洒落たフレンチレストランが電飾を放っている。

「あ~あ、お腹空いた」

 紅茶を口に運びながら、真奈美がレストランの方に視線を投げた。

「今、ケーキ食っただろう」

「メインディシュもないのにいきなりデザートなんて寂し過ぎるわ」

「仕方ないだろう、あのレストランを見張れるのはここしかない」   

 ラオウもイチゴショートの最後のひと切れを、イチゴの乗った部分を口に運ぼうとした時、真奈美の熱い視線を感じ取った。

「まさか?」

 ラオウが真奈美の視線を確認する。

「そう。そのまさか」

 真奈美がニコリと愛らしい笑みを浮かべて、ラオウのイチゴを見つめている。

「どうぞ」

 ラオウが呆れ顔でイチゴを真奈美の口に運んだ。

「ども。今度から美味しい所は最初に食べるべきね」

 真奈美がアドバイスした。

「最初に食べようが、最後に食べようが、どの道、このイチゴは君の口に入る運命だよ」

 ラオウがそう言ってコーヒーをすすった。

「美味しいもの食べてるんだろうなあ。小野方さんは……」

 真奈美がそう言って再びレストランを見つめた。

 真奈美とラオウは、今夜は小野方の後を尾行してきた。彼女は真直ぐに帰らずに、新地のあるレストランに入っていった。店で待合わせをしているようだった。

 しばらく来客者の顔をチェックしていたが、知っている顔は無かった。小野方さんより先に入店していたのかも知れない。ただ、真奈美もラオウも、小野方の相手が岡村であるような予測は抱いていた。

「そう言えば、小野方さんの住所はどこだった?」

 ラオウが、岡村を追跡した時の話題を思い出した。そもそも、あのマンションの契約者がどちらなのかを明確にしようと言う話だ。

「言いたくない」

 真奈美が視線を逸らせた。

「小野方さんの住所はあのマンションだった訳だ」

 ラオウが確めた。

「違うわ」

 真奈美はそう言って唇を尖らせた。

「わかりやすい」

 ラオウはニヤリと笑ってから、

「しかし、たった二週間で小野方さんのハートを射止めて、部屋に入るまでの関係になるとはね」

と、感心して見せた。

 するとその時、レストランからひとりの女性が出てきた。

「あら、小野方さんよ!」

 真奈美が小さく叫んで、二人は後から出てくるであろう彼女の恋人を固唾を飲んで待った。やがて、ドアが開いて中から男性が現れた。

「うっそ~!」

 真奈美が叫び、ラオウはポカンと口を開けてその男を見つめた。

「誰だ?」

「広野専務よ!」

「あれが広野専務か。思ったより若いな」

「そんなことどうでも良いでしょう、早く出ましょう」

 真奈美が慌てて身支度を整えた。


 広野専務と小野方を乗せたタクシーを追って、真奈美とラオウの二人もタクシーに乗り込んだ。

「結局、広野専務は自分の愛人のために私を犠牲にした訳ね」

 真奈美が口惜しそうに言った。

「辞めて喜んでいたのは誰だ?」

「私は会社のために辞めたのよ。愛人を救うためじゃないわ」

 そう言って真奈美は唇を尖らせた。

「ただ食事をしていただけかも知れないぞ」

 ラオウはそう言いながら、指先で真奈美の尖った唇を押し込めた。

「あれは絶対にできてるわよ」

 タクシーは一号線を走っている。

「女の勘か?」

「雰囲気でわかるわ。あの笑顔は、オヤジにおごらせるための作り笑顔じゃない」

「君の笑顔はどんな笑顔なんだ?」

「え……。素敵な笑顔でしょう?」

 タクシーは大川を渡った。

「前の時代も、小野方さんは広野専務の愛人だったのかしら?小野方さんは岡村さんと二股を掛けていたと言うことになるわね」

 真奈美がふと浮かんだ疑問を口にした。

「いや、いくら岡村にそそのかされたとは言え、愛人の広野を裏切って情報漏えいまではしないだろう」

「本当は岡村さんに気が移ってしまって、広野専務が邪魔になっていたとか?」

「そうかなあ。あの程度の情報漏洩事件では広野専務が確実に辞職するとは限らない。広野専務が多少のペナルティを背負ったとしても、かなりの確率で研究は続き、広野専務もプロジェクトの担当役員を続ける。そうなったら、愛人に裏切られた恨みが小野方さんにぶつけられて、彼女は窮地に陥るんじゃないか?だから、小野方さんは前の時代では愛人じゃなかったと考える方が自然だと思う」

「そんなの”岡村に騙されちゃったの、ごめんなさい!”とか言って涙のひとつも流したら、男なんて簡単に騙せるじゃない」

と、真奈美が平然と言った。

「何か、寒気がしてきた」

 ラオウがそう言ってプルプルと震えた時、タクシーが停車した。

「ホテル街ど真中だな」

「私の言ったとおりでしょう」

 真奈美が胸を張って勝利宣言をすると、小野方と広野はホテルに入っていった。ラオウたちもタクシーを降りる。

「派手なホテルだな」

 ラオウは二人が入ったホテルを見上げた。

「二時間は出てこないわね」

「何で二時間なんだ?」

「え?何となく。ラオウさんはもっと長いの?」

 真奈美は真面目顔で聞いている。だが、ラオウは質問には答えずに、笑顔で誤魔化してから、

「もう待つ必要もないだろう。二人の関係は明白だ」

と言った。

「そうね」

「俺たちも腹を満たしにいこう」

 ラオウがお腹を摩りながら真奈美を見つめた。

「やだ、満たすだなんて。私をホテルに連れ込む気ね?」

 真奈美はそう言って両腕で胸を隠した。

「いったい何を食ったら、そんな発想が出来るようになるんだ?」

 ラオウが呆れ顔で呟いてから、歩き出そうとした時、

「お二人はこんな所に出入りする関係だったんですか?」

と、突然、背後から声を掛けられた。驚いた二人が振り向くと、そこには公安の林が立っていた。

「違います。この人に無理やり連れ込まれそうになっていたの」

 真奈美が再び両腕で胸を隠しながら訴えた。

「あのね……」

「そうですか。豊満なお身体ですからね、男が変な気を起こしても不思議じゃない」

と言って林が鼻で笑った。

「でしょう!」

「それより、あんたこそこんな所で何してるんだ?」

 ラオウが林に質問した。

「それよりって……」

 真奈美が不満気にラオウを睨みつける。

「私は仕事の最中だ。お前たちはどうしてあのカップルを付けてきたんだ?」

 林が二人を交互に見つめている。

「まず、岡村の情報を教えるのが先だろう」

 ラオウが林を睨みながら冷たく言い放った。

「そうよ。携帯の動画を見せてあげましょうか?」

 真奈美が加勢する。

「パソコンをどこかに置き忘れるようなバカ女に大事な情報を渡せる訳がないだろう」

 林がニヤリと笑って真奈美を小ばかにした。

「そう。じゃあ、動画をネットに流してあげるから。後悔しないでね」

 真奈美がそう言ってさっさと歩き出した。

「そう言うことだ。あの女の行動は俺にも読めないから保証は出来ないが、二三日は時間をやる。良く考えろ」

 ラオウも真奈美の後を追って歩き始めた。林は二人の後姿を見つめて悔しそうな表情を浮かべていた。


 小野方さんと広野専務の関係を知ってから二日後の昼間。

「確か、この立飲み屋だったな。大熊さんからウイルス騒ぎの話を聞いたのは」

と、ラオウが懐かしそうにいって生ジョッキを口に運んだ。

「無職にも慣れたみたいね。こうして平気で昼間から立飲みで飲んでいるもの」

 真奈美が嬉しそうにラオウの横顔を見つめた。

「失業者は昼間から立飲みするというのは偏見だ」

「失業者じゃないわ、無職の人よ」

 ラオウはジョッキをカウンターに置くと、

「会社に通わないと言うのも良い感じになってきた。もう、絶対に元の生活に戻れない」

と言って、ニコリと笑いを浮かべた。

「ラオウさんもだいぶ人生がわかってきたようね」

 真奈美がそう言ってジョッキを手に取ろうとした時、落語の出囃子の音が辺りに響いた。ラオウは、電話に早く出るよう真奈美を視線で促した。

「もう、昼間から……。誰かしら」

 真奈美が面倒そうに携帯を開く。

(前と同じセリフを言ってる)

 ラオウが笑いを零しながらポテサラを口に運んだ。

「はい、そうですけど。ああ、大熊さん、こんにちは。え?口が軽い?浮気がばれたんですか?トロイの木馬に逃げられたんですか?ドジですね」

 真奈美はそう言った後、携帯を耳から少し遠ざけて顔をしかめている。何やら怒鳴り声が小さく響いている。

「大熊さんよ。ラオウさんに代わってくれって。やっぱり何か怒ってるわ。私のことを口軽女だとか、退職金泥棒だとか言ってる」

 真奈美は小首を傾げてラオウに携帯を手渡した。不思議そうに小首を傾げる時の真奈美の表情はとても愛らしい。ラオウは以前にもそう感じたことを思い起こしながら携帯を手にした。

「やはり、そんな風になってしまいましたか。残念です」

 ラオウが溜息を吐きながら携帯を真奈美に返した。

「何を怒っていたの?小熊さん」

 真奈美がタコ酢を口に運んだ。

「広野専務が、協賛カンパニーへの融資案件に賛成したそうだ」

 一瞬、真奈美の表情が硬くなった。

「え!誰が広野専務のパソコンに木馬をインストールしたの?」

「ウイルスソフトは使われていない。広野専務のところに画像が送られてきたそうだ。宛先CCに狭山専務と大熊さんも入っていた」

 真奈美は少し身を乗り出して、

「エッチな画像?広野専務の幼児プレイの画像とか?キャッ!考えたくもないわ」

 真奈美はひとりで喜んでいる。

「広野専務と小野方さんがホテルに入る瞬間の画像だ」

 ラオウの言葉に真奈美も一瞬息を飲んだ。

「恐らく、俺たちが見た場面を誰かが隠し撮りしたんだろう。その画像を狭山専務に入手されてしまった広野専務はもう無力だ」

「なるほど。それで熊が吠えていたのね、ちっちゃい男」

「やっぱり君は退職金泥棒だって」

「ひどい。頼まれて辞めたのに」

 しかし、言葉の割には真奈美はニコニコしている。そして、

「私の退職金は三年分で良いとか言ったからバチが当たったのよ」

と、付け足した。

「しかし、折角、過去をやり直したのに、結局は同じ結果になってしまったな」

 ラオウが少し肩を落として、真奈美を慰めるように優しく言った。

「ホントだ!」

 突然真奈美が大声で驚いた。

(今頃気づいたんかい)

「ホントだ。どんなに岡村さんに誘われても我慢したのに。これだったら誘いに乗れば良かったわ!」

「そう言う問題か?」

 ラオウは溜息を吐いてジョッキをあおった。

「アッ、公安の林ね。あいつが画像を送ったのよ。あいつ現場にいたじゃない。奴ならやりそうだわ」

 真奈美が、突然怒りを込めて小さく叫んでから、生ビールをグイと飲んだ。

「公安がそんなことをしたところで何の得も無い」

 ラオウはそっとジョッキを置いた。

「じゃあ、岡村さん?」

 彼女は思わず口走った自分の言葉に驚いている。

「自分の恋人の浮気現場を押さえたって訳か?」

 ラオウはそう言って思考を巡らせながらじっと真奈美を見つめた。

「二人は男女の関係じゃないわよ」

 真奈美はまだ岡村のことを信じているようだ。

「小野方さんの住所も岡村と同じマンションだったんだろ?」

 ラオウの言葉に真奈美は目を伏せて、ふっと溜息を吐いた。動かしがたい事実が、真奈美の岡村を信じたいと言う心を冷たく突き放す。

 何も反論できない真奈美はカウンターに視線を落とした。今夜はひと盛ずつ刺身盛を注文した。他に枝豆とポテサラが二人の間に置いてある。

 俯いたままでもう一度小さな溜息を吐いた彼女は、そのままそっと箸を伸ばして、ラオウの刺身盛に乗った中トロをつまんで自分の口に運んだ。

「アッ、それは……」 

「美味しい!」

 真奈美は満足げに明るい笑顔でラオウを見つめた。

「そんな仕返しするか、普通……」

 真奈美は、更に次の獲物を探して視線を走らせていたが、

「そうだわ!二人は兄妹なのよ!」

と、突然目を光らせて大声を出した。

「シッ!」

 ラオウは周囲を気にしてから、

「確かに……。あり得ない話ではないな」

と、真奈美の発想に驚きながら考証に脳を回し始めた。真奈美は何か二言三言ラオウに呟きながらビールを飲んでいたが、ラオウは考えることに夢中で耳を貸さなくなってしまった。

 真奈美は少し退屈そうに、つまみを箸で突きながらラオウの思考が終わるのを待っていたが、ふと、思い立ったように、

「あっそうだ!メールの確認を忘れてた!」

と言って携帯を取り出した。

「若い女子がメールチェックを忘れるなんて珍しいな」

 ラオウが思考の世界から戻ってきた。

「何かと忙しくてね」

「そうは見えないけど」

 だが、真奈美はラオウの言葉を聞き流してから、

「アッ、来てる来てる!」

と、嬉しそうにはしゃいだ。

「楽しそうだな。男からのメールか?」

 ラオウがビールを口に運んでから、からかい気味に真奈美を見つめた。しかし、彼女はラオウの視線には答えずに携帯を見つめたままで、

「そうよ。岡村さんから」

と、さらりと言った。ラオウはビールを噴出して、慌てて手拭で口を覆った。

「お行儀悪いわね」

 真奈美もお手ふきでカウンターを拭っている。

「何で岡村から?」

「正確には岡村さんのパソコンから」

「どう言うこと?」

 ラオウがじっと真奈美を見つめる。

「この前、岡村さんの事務所に行ったでしょ?受付の女の子に一万円もあげた日」

「よほど一万円が気になったようだな」

「あの子には勿体ないもの」

 真奈美はお手ふきを手放してから、

「あの時、岡村さんのパソコンに木馬をインストールしたの」

と、あっけらかんと言ってのけた。ラオウは真奈美の態度に驚きながら、

「USBは会社に返したんじゃないのか?」

と確めた。

「岡村さんからUSBをもらった時にコピーしておいたの」

「それで転送先を君の携帯に設定したわけか」

「ええ。インストールをすると、最初にメールアドレスを入れる所があるんだけど、最初から岡村さんのアドレスが入っていたの。これって転送先のアドレスを指定しているんだと考えて、そこに私のアドレスを設定したのよ。なかなか頭の切れる女でしょう?」

「恐ろしい女だ」

「ありがとう」

 真奈美は嬉しそうに答えてから再び携帯に目を落とし、岡村パソコンからのメールを読み始めた。

「何て書いてある?」

「待ってよ、今読んでるんだから」

 ラオウは黙ってビールを飲みながら、真奈美が読み終えるのを待っていたが、どうにも待ちきれずに、

「読むの遅いな」

と、催促した。

「仕方ないでしょ、衝撃の事実にショックを受けているんだから」

「ひとりで楽しむなよ」

「わかったわよ、我がままね」

「君に言われるとは光栄だ」

「読むから聞いていて。指令E、計画Cを実行して情報漏洩を実施せよ。指令L、情報漏洩の効果は薄かったようだ。広野とは関係を継続せよ」

 ラオウが真奈美に身を寄せ、メールを覗き込んで目を細めた。

「この日付から判断して、君が辞職した後だな」

「読めるの?」

「見えるの」

「関係を継続しろなんて命令されてるってことは、命令で愛人になったと言うことね」

「普通そうだろう、あんな爺さんが相手だぞ。漏洩作戦が失敗したから次の作戦に備えて関係を続けていろってことだ」

「指令e、いつものように広野を食事に誘え。指令P、来週の水曜に広野をホテルに誘え。作戦計画Dに従い行動せよ」

「指示が細かいな」

 真奈美はメールを読み終えて小さく吐息を吐いた。そして、

「全部岡村さんの指示だったと言う訳ね」

と、悲しそうな声で言った。

「いや、そうとは限らない。このメールはいろんなところを経由している。岡村は単に中継しているだけかも知れない。指示をしているのは恐らく別の者だ」

 ラオウがそう言って携帯から目を離した。そして、

「そう言えば、前の時代でも広野専務は浮気をしていると言ってたな?」

と、記憶の中から真奈美の言葉を引き出してきた。

「ええ、浮気の匂いには敏感なのよ」

「もしかしたら、前の時代でも小野方さんは広野専務の愛人だったのかも知れない」

「だから、私は前にもそう言ったじゃない」

 真奈美は少し勝ち誇った表情を浮かべたが、すぐに興味を失ったようで、パタリと携帯を閉じた。

「前の時代でも、もし君を使ってウイルスをインストールすることに失敗していたら、同じようにハニートラップを掛けて広野専務を陥れていたのかも知れないな」

 ラオウがそう結論付けた時、

「なかなか用意周到だな」

と、突然背後から男の声がした。驚いて振り返る二人。

「また、あんたなの。たまには正面から現れなさいよ」

「俺が正面から現れるときはターゲットを確保する時だ」

 そう言いながら林は、真奈美の横に並んだ。

「ずっと後ろからでは良いわ」

 真奈美が林のために少しスペースを空けた。

「盗み聞きとはさすが公安だ」

 ラオウが皮肉を言った。

「勝手に耳に入ってくる。前の時代とはどう言うことだ?」

「だから、私たちは未来からやって来たと言ったじゃない」

 真奈美が林を見上げた。彼はラオウよりも背が高い。

「そうか」

 林はさらりと聞き流して、

「協賛カンパニーは、お前の言ったとおりC国と密接な関係があった」

と言って生ビールを注文した。

「仕事中じゃないの?」

「酒を飲んで情報を引き出すのも俺の仕事だ」

と、林は真奈美に言ってから、

「狭山専務は協賛カンパニーの役員と頻繁に会っている。数年前から関係が深くなっていたようだ」

と、ラオウに向かって言った。

「知りたいのは岡村さんの情報よ」

 真奈美が意味ありげに携帯を指差しながら林に要求を突きつける。だが林は、

「他にどんな情報があるんだ?」

と、ラオウに向かって言った。

「無視かよ……」

 真奈美はひとりでこけている。

「本気で取引する気はあるのか?」

 ラオウが林の覚悟を確認した。真奈美は無視されたのが悔しいのか、

「ちよっとあんた、例の動画のことを忘れたの?」

と、再度林に挑みかかった。

「鷲づかみは物理的に無理だ」

 林が冷たく言い放つ。

「ぶ、物理的って……。はっきり言うわね」

 逆襲を食らった真奈美は、ひとりカウンターに向き直ってビールを口にした。

派九里(ぱくり)興業と言う、実質上C国の企業がある。今度は協賛カンパニーから派九里興業に金が流れる」

「派九里興業?どんな会社だ?」

 今度はラオウが真奈美の携帯を指差して、取引する覚悟を促した。それを見た真奈美が胸を張って思い切り胸を突き出して見せる。

「やっぱり無理だ」

 林が二人を交互に見ながら呟いた。

「オイ……。どっちの無理よ」

 真奈美が突っ掛かる。

「岡村はC国の工作員だ」

 林が覚悟を決めて取引に応じ始めた。

「やっぱこっちの無理か……」

 真奈美はちらりと自分の胸を見てから箸を手にした。

「やっぱりそうか」

 ラオウが静かに呟く。

「はあ?」

 真奈美がキラリとラオウを睨んだ。

「え?岡村の話だぞ」

 ラオウが焦って弁解する。

「そして岡村と小野方は兄妹だ」

 林がドヤ顔で取って置きの情報を二人に与えた。

「やっぱりそうか」

 今度は真奈美がラオウの口真似をした。林は少し悔しそうに真奈美を睨んだ。

「どこ見てるのよ」

 真奈美が自分の胸と林の視線を交互に見て言った。

「そのネタ引っ張り過ぎだぞ」

 ラオウが注意した。

「そうね、くどいわね」

 真奈美がニコリと笑って、ラオウの取皿に乗っている唐揚げを箸で摘んだ。

「で、二人の狙いは何だ?」

 ラオウの瞳がキラリと輝いた。

「岡村の所属していたインターナショナルコンサルティングのオーナーはC国共産党幹部の血縁者だ。国内でかなり強力な力を持っている」

「共産党幹部ってそんなに偉いの?」

「偉いんじゃない。権力を持ってるだけだ」

 林がそう言ってから言葉を続ける。

「恐らく本国からそのオーナーに命令があったのだろう。協賛カンパニーに資金を集める命令だ。総額は不明だが、岡村のような工作員を他の企業にも派遣して、資金を集める工作をしていると思われる。」

「資金を集めてどうする気かしら?」

 真奈美が林に尋ねた。

(あんた、知ってるやろ)

 ラオウが不思議顔で真奈美を見つめている。

「目的はわからない。狭山専務が数年前からC国関係者と交流を深めていることから、H2O化粧品は数年前から標的にされていたのだろう」

「小野方さんも工作員なのか?」

 ラオウがビールのお代わりを注文してから尋ねた。

「岡村はプロの工作員だが、妹の小野方は元々研究者だ。日本に留学してそのままH2O化粧品に就職している」

 ラオウと真奈美の前に新しい生ジョッキが置かれた。

「しかし、あの国のことだ。例え一般人でも、命令されたら従わなければならないだろう」

 ラオウが意見した。林は小さく頷いてから、

「H2Oが標的にされたから小野方が協力を強いられた。偶然、兄の岡村が工作員だから担当にされた訳だ」

と言って一気に生ビールを飲干した。

「もっと味わって飲めば?」

 真奈美がそう言って林のためにお代わりと刺身盛を注文してから、

「でも、いくら命令でも愛人にまでなる?」

と、疑問を口にした。ラオウも少し考え込んだ。

「二人の両親が政治犯で拘留されている」

 林が小声で呟いた。

「なるほど。お得意の手法だな」

「この件が成功したら両親は解放され、一家は海外移住を認められるらしい。オーナーの言葉だ」

 林の生ジョッキと刺身盛が運ばれてきた。

「じゃあ、ミッションを成功した今は、岡村さんファミリーは自由になった訳ね。良かった」

 真奈美は安堵したような表情で林を見つめた。

「お人好しだな」

「どうして?」

「他人の物を平気で自分の物にしてしまうような国だぞ。そんな国のために働く奴らに同情するのか?だからお人好しだと言うんだ」

 林が吐き捨てるように言ってから箸を手にした瞬間、目を丸くして真奈美の取皿を見つめた。林の中トロが乗っている。

「今の言葉は撤回する」

 林はふっと笑いを零してビールを口にした。

「協賛カンパニーから派九里興業に資金が流れる。そして最終的には派九里興業は日本海の小島を買い取る」

 ラオウが話題を本題に戻した。

「リゾートホテルを作るんだって」

 真奈美が中トロを口に運んで幸福そうな表情を浮かべている。

「派九里興業も、実質C国国営企業だ」

 そう言ったラオウを、林は半信半疑な瞳で見つめながら、

「リゾートホテルは偽装だな」

と呟いた。

「すごーい!何でわかるの?」

 真奈美が感動してみせる。

「本当の目的は何だ?」

 林は猜疑の目で真奈美を見つめた。

「原発よ!」

 真奈美の言葉に林の表情が凍り付く。真奈美はドヤ顔で更に説明を続けようとした時、

「なるほど」

と、林が納得した。

「え?もうわかるの?」

「日本海沿いにはいくつか原発がある。原発近くの島を買い取れば、そこに破壊兵器があると言うだけで日本政府は言いなりになる」

 林はそう言ってラオウを見つめ、

「どこからの情報だ?」

と、真剣な瞳で睨み付けた。

「だから、私たちは未来から来たって言ったでしょう。未来でさっき言ったことが起きたのよ。だから二ヶ月過去に戻って、協賛カンパニーへの融資を止めようとしたの。でもだめだった。結局融資は決まってしまったの。後数日で、何たら島買収のニュースが流れるわ。ついでにヒラメも頂くわよ」

 真奈美の言葉に呆然とした林は、黙ったままで真奈美がヒラメを食べて美味そうにビールを飲む仕草を見つめている。

「この際、情報源はどうでも良いだろう。とにかく派九里興業を調べてみろよ。何とか買収を止めないと大変なことになる」

 ラオウはそう言って真奈美の携帯番号を林に教えた。

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