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妄想列車  作者: 夢追人
17/23

秘書 真奈美 三

置手紙一枚残して去ってしまった岡村のことを調べる真奈美とラオウ。真奈美は思わぬ罠にはまっていた。

「真奈美ちゃんは両専務の秘書だったのか?」

 真奈美とラオウはまだ環状線電車にいる。

「社長と二人の専務に四人の常務、すべて私が面倒見ていたわ」

「両専務は冷戦関係だったそうだな?」

「狭山専務は、細胞活性化研究の件で広野専務にリードされていたからね、すこし焦燥感はあったわね」

 ガタリと電車が揺れた。

「なるほどな。だから狭山専務が手配した岡村さんが、今回の論文事件に絡んでいると広野専務は考えた訳だ。世間に叩かれて、危うく研究が中止になるところだったからな」

 社長の記者会見の後、マスコミはもう論文事件を大きく扱わなくなっていた。

「きっとあの大熊が広野専務に入れ知恵したのよ。あることないこと専務に告口して、自分を取り立ててもらおうとしている」

「君はよほど熊を嫌いのようだな」

 ラオウは真奈美の熱が冷めるまでしばらく間を置いてから、

「君は岡村さんに騙されていたことを認めたのに、いったい彼の何を信じるんだ?」

と、彼女の本音を確認しようとした。

「あっ、この駅見覚えがある!きっとこの駅よ」

 真奈美はラオウの言葉など無視して駅の風景を確認している。

「だから、環状線の駅なんてどこも似たようなものだろう」

「今度こそ間違いないわ」

「今度こそって、もう五回目だけど」

「私を信じてよ」

「君は他人のことを疑わないけど、自分のことも疑わないみたいだな」

「騙されやすいタイプなの」

「たまには自分を疑ってみるのも新鮮で良いかも」

と、ラオウの言葉が終わらぬうちに彼女は歩き始めて車両を降りた。

 改札を出た二人は数分も歩くと大型マンションが二三棟立並ぶ住宅街に辿り着いた。途中、この前真奈美が飲んでいたと言う居酒屋もあった。

「やっぱり私の記憶は正しかったわ」

 真奈美が興奮気味の口調で自分の正しさをアピールした。

「環状線を一周出来なくて残念だ」

 ラオウが皮肉を言いながらエレベータに乗った。

「少しくらい間違うこともあるわ」

「そもそも、ここの駅で降りるなら内回りの方が早いだろう。何で外回りに乗った?」

「理由なんてないわ。どっち回りでも辿り着くと思って」

 真奈美の言葉の後、六階でエレベータを降りた。マンションの中心にエレベータがあり、エレベータから両方向に真直ぐ廊下が伸びている。

 と、エレベータから五部屋目辺りの扉が開いて若い女性が姿を現した。次の瞬間、真奈美がラオウの腕を引いて非常階段に隠れた。二基あるエレベータの隣に非常階段があり、階段室と廊下の間には扉はない。

「何で俺たちが隠れるんだ?」

 ラオウが不思議そうに尋ねる。だが真奈美は携帯の動画録画機能をオンにして、非常階段室の内側に身を隠したまま、ドアの鍵を掛けている女性の姿を録画している。

「わからないの?」

 廊下に少し顔を出して撮影していた真奈美がさっと顔を引込めてからラオウに言った。

「何が?」

「”活性化酵素はあります”て、記者会見で小野方さんが言っていたでしょう?」

「ああ」

「テレビ用に濃いメイクをしてたからわからないかも知れないけど、見覚えない?」

「まさか?」

 ラオウが驚きの声を発した時、彼女の足音が近づいてきて非常階段室の前を横切っていった。瞬間、二人は忍者のように壁の内側に身体を貼り付けて息を殺した。

「そうよ、さっきの女性が小野方さんよ」

 小野方はエレベータに乗り込んだ。

「嫌な予感がするけど、岡村さんの部屋は何号室だ?」

「確かエレベータから五つ目」

 二人は部屋数を数えながら廊下を歩く。

「六〇五号室。小野方さんが出てきた部屋だ」

 ラオウが真奈美に気を配りながらも思わず言葉を漏らした。

「どう言う関係?小野方さんと岡村さん」

「娘ではなさそうだな」

「し、親戚なのよ、きっと」

 真奈美の声が上ずっている。

「親戚で同棲してるのか?」

 ラオウの言葉に真奈美は沈黙している。

「帰ろうか?」

「どうして?」

「ここで岡村さんが帰って来たら気まずいだろ」

 ラオウが真奈美を気遣った。

「岡村さんは中にいるわ」

「いないよ」

「何でラオウさんにわかるのよ?」

「さっきの女性が、部屋を出る時に振り返らなかったから。普通、誰か中にいたら振り向いて挨拶すろだろ」

「寝てるのかも」

 そう言って真奈美はインターフォンを押した。しかし、何も返答がない。それでも、彼女は激しく呼鈴を押し続ける。

「こんにゃろ出てこい!二股掛けやがって!」

 真奈美の鼻息は荒い。

「ナメンナヨ!この野郎!浮気は絶対許さないんだから!」

 引切り無しにインターフォンの呼鈴が鳴り続ける。

「純情な乙女を騙すなんて許さないわよ!」

 最後にそう叫んだ真奈美は呼鈴を押す指を止めた。

「気が済んだか?」

「まだよ」

「インターフォンの電池がなくなる前に帰ろうよ。お腹空いた」

 ラオウの言葉にふと正気に戻ったのか、真奈美はいつもの笑顔を浮かべて、

「そうね、来る途中にあった居酒屋に行きましょう。けっこう安くて美味しかったわよ」

と、何ごとも無かったかのように歩き始めた。

「まだ昼だぞ」

「じゃあ、立飲みでもいきましょう」

 真奈美がそう言ってエレベータの前に立った時、防犯のためにエレベータ内の様子を写すモニターを見上げて、

「ヤバイ、岡村さんよ!」

と、小さく叫んでラオウの腕を引いて階段室に隠れた。

「だから何で隠れるんだ?」

「良いから早く」

「直接会って確かめるんじゃなかったのか?」

 だが、真奈美はラオウを無視して携帯を録画モードにした。

「ラオウさんは女心がわからないのね」

「女心と言うより、真奈美心がわからん」

 岡村が階段室の前を通り過ぎて六〇五号室に入った。

「間違いないな、少なくとも女性と同棲している」

「同居でしょ」

 二人は部屋の前まで歩いてきている。

「どっちでも良い。で、どうする?ピンポン鳴らすか?」

「やめてよ、恥ずかしいじゃない。こんな所まで追い掛けてきたなんて」

「会って確めたいと言ったのは君だろ」

「わざわざ確めるほどのことじゃないわ」

「じゃあ、帰ろう」

「嫌よ」

(どっちやねん)

「だって悔しいじゃない」

 真奈美はギラリとラオウを睨み付けた。

「俺に怒るなよ」

「このままじゃ帰れないわ」

「どうするんだ?」

「ピンポンダッシュよ!」

 そう言った真奈美はインターフォンを押してからダッシュで逃げていった。

(マジか!)


 翌日、昨夜のイタリアン風居酒屋の隣にある和風居酒屋で三人は顔を突き合わせている。

「で、岡村の様子はどうだった?」

「手紙に書いていたとおり、岡村さんは何も知らなかった。論文事件とは無関係よ」

 堂々と嘘を吐いている真奈美を、ラオウは恐ろしく感じながら眺めている。

「手紙?」

「ええ、私にくれた手紙で、身に覚えのない疑いを掛けられて、仕事も中途半端な状態で解雇されたって。そして最後に象さんのイラストが書いてあってね……」

「オホン!。そんな話はもう良いから」

と、話のリズムに乗り始めた真奈美を遮ってから、

「俺もずっと岡村さんの表情を見ていたが、あれは嘘を吐いている表情じゃない」

と、ラオウも口裏を合わせた。ラオウは、自分の態度から嘘がばれないように、出来るだけ大熊の顔を見ないように努めた。

「まあ、小娘に尻尾を捕まれるような男じゃないだろうな」

 大熊は予想どおりの答えに大して反応はしなかった。元々期待もしていないようだ。

「小娘」

 真奈美がその言葉の響きに満足して笑顔を浮かべている。

「ところで、協賛カンパニーていう社名に覚えがあるだろう」

と、大熊が話題を変えた。

「ええ」

 真奈美は自信なさ気に頷く。

「うちの会社が大型融資を検討している会社だ」

「あ、そうだったわね」

 今度は本当に思い出したようだ。

「うちの化粧品を東南アジアに拡販するために、協賛カンパニー社と業務提携しようとしている。あちらの提示した条件が多額の融資だった。協賛カンパニーは東南アジアに強力な販路を持っているから我社としてもメリットのある業務提携だが、融資金額が大きいので役員たちも意見が分かれている」

 大熊が二人に説明をした。

「いくらくらい?」

 ラオウも興味半分に聞いている。

「確か十億」

「十億か」

 ラオウは目を丸くした。真奈美はワインを口にしながら、

「役員会でも賛成と反対が半々で、広野専務は反対派のトップ。社長も狭山専務も賛成派」

と、平然と事情を明かした。

「やけに詳しいな」

「秘書でしたから」

「他に知っていることは?」

 大熊が何か探りを入れている。

「これは邪推ですけど、この業務提携は狭山専務が進めている案件。広野専務は、活性化酵素開発でアドバンテージはあるものの、ここで狭山専務に東南アジアへの販路拡大を成功させられるのは面白くない。だから広野専務は猛反対している。そんなところですか?広野派の大熊さん」

 真奈美がワイングラスをテーブルに置いた。

(何で和風居酒屋でワインなんや?)

「それを岡村に話したのか?」

 大熊の視線が冷たい。

「話さなくても知っていたわ。狭山専務にでも聞いたんじゃないかしら。岡村さんは組織改革の原案を考案中でしたから色々知っていました」

「うちの会社の規模で海外進出など早すぎる」

「そうかしら?もうグローバルな時代よ。小娘にだってそれくらいわかるわ」

と言って真奈美が愛らしく微笑んだ。

 大熊は、仏頂面で日本酒を流し込んでから、大きな溜息を吐いた。そして、真奈美から得られる岡村の情報はもう無いと判断した大熊は、総務部に頼まれていた事務的な確認事項を持ち出した。

「総務部からの確認依頼だが、君が返却した会社備品の中にUSBメモリーがあったが、あれは何だ?会社でのUSBメモリー使用は禁止されていたはずだぞ」

 大熊はそう言って日本酒を口に運んだ。

「あら、そうなの?知らなかった、ごめんなさい。あれはパソコンの高速化ソフトなの。広野専務のパソコンが遅いので岡村さんに相談したらくれたの」

「岡村に?」

 大熊の猪口を持つ手が止まった。

「良い人でしょう?」

 真奈美はワインを口に運ぶ。

「で、インストールしたのか?」

「お陰で速くなったって、広野専務も喜んでいたわ」

と言って、彼女は大熊とラオウの冷めた表情を不思議そうに見つめた。

「やっぱり君はバカだったのか」

 大熊は急に帰り支度を始めた。

「え?」

 真奈美はキョトンとして大熊とラオウの瞳を交互に見つめている。

「それはまずいかも」

 ラオウも小声で呟いた。大熊が財布からお札を取り出してテーブルに置いた。

「今から会社に戻る」

「忙しいのね」

「忙しくさせたのは君だ」

 そう言って大熊は足早に店を出て行った。

「ちっちゃい男。二千円しか置いてないわよ」

 ラオウは小さく息を吐いてから、

「まあ良いか。君にはもう関係の無いことだ。辞めた会社のことにこれ以上関わる必要も無いよ」

と言って猪口に酒を注ぎ足した。

「どうしたの?二人とも」

 真奈美は合点のいかない様子でラオウを見つめたが、すぐに料理のメニューを開いて、

「熊が居なくなったから美味しく頂けるわ。もっと頼みましょうよ」

と、いつものペースに戻っていった。


 大熊は嫌な予感を覚えながら役員室へと足早に歩いている。昨夜、真奈美たちと別れてから一度会社に戻り、まだ残っていた総務部の社員から真奈美の残したUSBメモリーを借りた。そしてその足でシステム部課長に会い、事情を話して秘密裏にメモリーの中身の調査を依頼した。

 今朝、大熊が出勤するや、広野専務から呼び出しがあって役員室へ向かっている。

「失礼します」

 大熊は役員室のドアを開けた。

「ああ、おはよう。朝からすまない」

 広野は、全身抜け殻のような力ない表情で大熊を見つめて、

「協賛カンパニーへの融資案件は賛成することにした」

と、大熊から視線を外しながら告げた。

「どうしてですか?理由を教えて下さい。どうして急に?」

 大熊はデスクに両手を着いて大きな身体を乗り出した。

「君には申し訳ないが私たちの完敗だ。狭山は用意周到だった」

 大熊は、咄嗟に岡村が何かを仕掛けていたのだと悟った。そして、真奈美がインストールしたと言う高速化ソフトのことが脳裏を過ぎった。

「何を握られたんですか?」

 大熊の言葉に一瞬驚いた広野は、チラリと大熊の瞳を見つめたが、

「もう良い、諦めろ」

と、言葉を濁した。

「しかし、専務!」

 大熊は納得がいかない。

「君のことは狭山専務にもお願いしておく。君は私に尽くしてくれただけで罪はない。これからは狭山専務に付いていきなさい。しばらくは干されるかも知れないが、君は優秀だからすぐに活躍の場が与えられるよ」

 そう言った広野は煙草に火を点けて深く吸い込んだ。そして窓の外に視線を置くと大熊に背を向けた。その背中は全ての言葉を拒否しているかのようだった。

 大熊は説得を諦めて、小さな溜息を吐いてから役員室を後にした。

 大熊は、広野専務が考えを変えた理由を色々と想像しながら、午前中の仕事を悶々とこなした。そして昼休みを終えた頃システム部の課長が大熊を訪ねてきた。

「やはりウイルスソフトでした」

「ウイルス?やはりそうか」

「はい。トロイの木馬系です」

「どんな挙動をするんだ?」

「パソコン内のファイルを全て、指定のメールアドレスに転送します」

「全て?」

 システム課長は静かに頷く。

「どこへ転送されていた?」

「さあ、わかりません。転送先のメールアドレスは踏み台で、更に転送を繰り返しています。追跡は不可能です」

「だろうな」

 大熊の瞳の奥に怒りの炎が発火した。

「いったい、誰がどうやって広野専務のパソコンにあんなソフトを入れたんでしょう。ネット経由では侵入できないはずなんですが」

 システム課長が首を傾げている。

「あのバカ女だ!」

 怒りの炎が大きく燃え上がる。

「バカ女?」

「退職金なんて出すんじゃなかった!あんな女は懲戒免職が妥当だ!」

 大熊は小さな叫びを上げて真奈美を罵った。


「へークション!ウイイ!」

「オッサンかあ?」

「仕方ないでしょう、急に来たんだから。可愛くする暇がないわよ」

「きっと誰かにけなされている」

「可愛いって噂されているのよ」

「君は実に楽天家だ」

「これでも意外と苦労しているのよ」

 真奈美に明るい笑顔を送られると、

「そうは見えないけどな」

としかラオウは返しようがない。

「ところで、何で立飲み屋なんだ?」

「だって安いでしょう」

「どうせ君は払わないから関係ないだろう」

「ラオウさんに気を遣ってるのよ」

 ラオウはふっと笑いを浮かべてから、

「て言うか、何で立飲み屋なんだと聞いている理由は、どうして昼間から酒なんだと言う意味だ。カフェとかでも良いだろう」

と、いつも酒に誘う真奈美に注文をつけた。

「ラオウさんとカフェ?あり得ない」

 真奈美は目を丸くしている。

「そんなに驚くことか?別にオヤジがカフェに入っても罪にはならないだろう」

「無職の人は昼間から立飲みって相場が決まってるの」

「かなり偏見があると思う」

 そんな注文を付けながらも、ラオウは生ビールに口を付けた。そしてジョッキをカウンターに置くと、

「しかし、こんな怠惰な生活をしていて、元の生活に戻れるのかな?」

と、不安げに溜息を吐いた。

「逆に、あと少ししかこんな生活出来ないのよ、楽しみなさいよ」

「女は環境適応能力に優れてるな」

「ラオウさんの頭が固いのよ」

 真奈美がそう言ってジョッキを手に取ろうとした時、落語の出囃子の音が辺りに響いた。テレビでも落語はやっていない。ラオウは回りをキョロキョロと確認した。

「もう、昼間から……。誰かしら」

 真奈美が面倒そうに携帯を開いた。

(着メロかよ。それに、昼間に電話して悪いのか?)

 ラオウが笑いを零しながらポテサラを口に運んだ。

「はい、そうですけど。ああ、大熊さん、こんにちは。え?ウイルス?風邪引いたんですか?トロイ木馬に乗ってインフイルエンザに掛かった?ドジですね」

 真奈美はそう言った後、携帯を耳から少し遠ざけて顔をしかめている。何やら怒鳴り声が小さく響いている。

「大熊さんよ。ラオウさんに代わってくれって。何か怒ってるわ。私のことをトロイとか、退職金泥棒だとか言ってる」

 真奈美は小首を傾げてラオウに携帯を手渡した。不思議そうに小首を傾げる時の真奈美の表情はとても愛らしい。ラオウは密かにそう感じながら携帯を手にした。

「やはり、そう言うことでしたか。残念です」

 ラオウが溜息を吐きながら携帯を真奈美に返した。

「何を怒っていたの?小熊さん」

 真奈美がタコ酢を口に運んでから面倒そうに言った。

「君が広野専務のパソコンにインストールした高速化のソフトが、実はウイルスソフトだった」

「ウイルスソフト?何、それ。インフルエンザの治療ソフト?」

 一応聞いてはいるが、真奈美は全く興味なさそうだ。

「専務のパソコン内のファイルを全て他人に転送するソフトだ」

「あら、凄い。そんなこと出来るの?」

「世間にはたくさん出回っている。君も気をつけろ」

「そうね。でも、誰に転送していたの?」

 真奈美は生ビールをグイと飲む。

「さあ、恐らく岡村さんか、彼の会社の上層部だろう」

「じゃあ、岡村さんがくれたソフトが悪さをしたの?」

 彼女も少しは責任を感じ始めたようだ。

「ソフトもそうだけど岡村さんも悪さをした。そして君が実行犯だ」

「なるほど。それで熊が吠えていたのね」

「退職金泥棒だって」

「ひどい。頼まれて辞めたのに」

 しかし、言葉の割に真奈美はニコニコしている。

「因みに、広野専務は君の退職金は三年分で良いと言ってたらしい。それを大熊さんが五年分払うよう交渉したそうだ」

「あらまあ。良いとこあるじゃない、小熊も」

「だから余計に悔しいんだろう」

「でも、広野専務の情報が漏れただけで何でそんなに悔しいのかしら?」

 ラオウは平然と語る真奈美の鈍感さに半ば驚きながら、

「広野専務にとって不味い情報が、インターナショナルコンサルティング経由で狭山専務の手に入ったんだろう。それで反対していた融資にも賛成せざるを得なくなった」

と、解説した。

「そんなことが悔しいの?融資案件で意見が通らないくらいで、私をトロイって罵るほど悔しい訳?意見が通らないことくらいたくさんあるでしょうに」

「融資案件は二の次だ。最大の問題は、広野専務は狭山専務に弱みを握られたってことだ」

「幼児プレイが好きだとか?」

 そう言って真奈美はプッと噴出した。

「幼児プレイが好きでも役員は務まるよ」

「じゃあ、会社のお金を横領したとか?」

「それはきついな。例えばだ、そんな情報を握られたら広野専務に明日はない」

「社長にもなれないのね」

「だから、広野専務に従順だった大熊さんの出世の道も自然と閉ざされてしまった訳だ」

「それで怒っている訳ね、ちっちゃい男」

 真奈美はそう言って、カウンターに落ちている煙草の灰をピンと指で弾いた。

「怒る気持ちもわかるけどな」

 ラオウは小声でそう呟いてから、

「こうなると、そもそも岡村さんと契約したのは狭山専務の陰謀だったと言うことになるな」

と言って真奈美の横顔を見つめた。睫がカールしている。

「岡村さんは悪いことをしたかも知れないけど、悪い人じゃない」

 真奈美がカールした睫をパチクリさせた。

「かなり苦しい弁護だ」

「小熊さんにも広野専務にも悪いことをしちゃったけど、まあ、私を騙したり悟空にした人たちだからもうどうでも良いわ。彼らがどうなろうと会社がどうなろうともう関係ないもの」

「ひとみ御供だけどね」

 真奈美は生ビールを飲み干してから、

「早く未来への同期タイミングが来ないかな」

と言ってゲップをした。

(ほんまにオッサンになるぞ)


 桜ノ宮の桜並木は今満開を迎えている。毎年この時期になると、大川沿いの桜並木の下は、昼はランチを楽しむOLやサラリーマンの姿で埋め尽くされる。

 年輩のグループから幼稚園児までが散歩や食事を楽しんでいる。観光ボートも満席で昼間から酒を楽しむ者も多い。

 この桜並木の花が散り去った頃に、少し下流にある造幣局の牡丹桜が満開を迎える。

「こんなことをしていて良いのかな」

「本当に貧乏性ね。ラオウさんは、引退したら一気に老けるタイプね、仕事を取られたら何もやり甲斐がない、なんて言って」

 真奈美がニコリと笑ってラオウを見つめた。

「別に仕事はしたくない。ぼんやりしている時間が勿体ないだけだ」

「そうかしら、ぼんやり時間を過ごすなんて最高の贅沢だと思うけど」

 今度は桜の花を見上げた。

「君なら一生ぼんやりしていられそうだ」

「失礼ね、これでも何かと忙しいのよ」

 二人は空いているベンチに腰掛けて、満開の桜景色にしばし心を溶かしている。

「恋に、グルメにダイエットか?」

「オシャレが抜けてる」

「なるほど。日本は平和だ」

 ラオウがそう言った時、

「アー、やっぱり缶ビール買ってくるんだった」

と言って、愛らしい瞳でラオウを見つめ、暗に彼にパシリを命じようとしている。

(本気か?)

 ラオウが真剣に真奈美の意図を読み取ろうとした時、突然、落語の出囃子音色が辺りに響いた。ラオウはもう驚かない。

「はい。ああ熊さん、どうかしました?ニュース?派九里興業?何、それ。テレビなんか無いわよ、今お花見中だから」

 真奈美は少し首を傾げながら携帯を切った。

「いつから熊さんになったんだ?大熊さんは」

「ちっちゃい男だからよ。小熊でも良いくらい」

「その小熊が何だって?」

「下らないことでいちいち私に連絡してくるのよ。私に気があるのかしら?」

 そう言って真奈美は目を細めて笑った。

「君は世界中の人間に嫌われても生きていけそうだ」

「私は他人を嫌ったりしないから、他人からも嫌われないの」

(どの口が言う?)

「小熊のことは嫌いなんだろう?」

 ラオウが意地悪な目をして真奈美の横顔を見つめた。

「ちっちゃい男だと言ってるだけよ」

 うそぶいて桜を見上げる真奈美の仕草が可愛い。

「まあ、それは良いとして、小熊が何て言ってた?」

「小熊が言うには、派九里興業とかいう会社のニュースを見ろだって。テレビも無いのに」

 真奈美が再びラオウの方に視線を向けた。

「ネットで見ろよ」

「ガラ系は画面がちっちゃいから嫌なの。ラオウさんが見て」

 そう言って真奈美が携帯を差し出した。

「小さい字は俺の方が苦手だ」

「面倒なオヤジね。後でビール買ってよ」

(なんでやねん)

 真奈美が鼻歌交じりで携帯を操作してネットを検索している。

「ご機嫌だな」

「もうすぐビールが飲めるもの」

「もしかして、今飲み食いして身に着いた脂肪は未来に戻るとクリアされると思っているのか?」

「え?違うの?そんなの反則よ」

 真奈美は目を丸くして驚いている。

「反則かどうかは今度黒服に聞いてみろ」

 ラオウがそう言った瞬間、

「あ、これね」

と、ラオウに画面を見せてから、

「読めないの?」

と、小ばかにしてから画面の文字を読み始めた。

「読めないんじゃなくて、見えないだけだ」

「読んであげるね。大阪に本社を置く派九里興業が、福井県にある無人島を買って巨大リゾートホテルを作ると発表した」

 真奈美がヘッドラインを読みあげてから少し首を傾げた。

「景気の良い話だな。今はまだデフレ真盛りの時代だろ。どこの島に作るんだ?」

「さあ、聞いたこともない名前の島」

「そりゃあ無人島だからな。知らなくて当然だ」

「本土から近いわね、泳いででも渡れそう」

 そう言って、真奈美は携帯ニュースに載っている地図を見せた。

「これも読めない?」

「見える。でも、こんな小島にホテルを作ってどんな奴らが泊まりに来るのかな?」

「さあ、どうせ超お金持ち相手のリゾートホテルでしょ。私たちには関係ないわ」

 ちょっと呆れた口調で彼女が言った。

「五年分の給料もらったんだろ?行ってみたら?」

「ラオウさんが連れてってよ、カード精算で」

「だいぶカード使ったけど、本当に未来にはクリアされてるのか?」

「また、ちっちゃいこと言って。小ラオウと呼ばれたいの?」

 真奈美が再び呆れ口調で小ばかにした。

「他人事だと思って……。わかった、連れてってやるよ」

「あら、私をホテルに誘うの?やらしいー」

「あのね……」

「そもそも、ホテルが出来た頃には私たちはもうこの時代にいないわよ。がっかりした?」

 真奈美が悪戯ぽく笑った後、携帯を閉じようとした瞬間、

「ちょっと待って」

と、ラオウが小さく叫んだ。

「何?」

「最後の文。背後関係に不審な点があるため政府が調査している模様。と書いてある。記事は読産新聞だ」

「何だ、読めるんじゃない」

「見えるんだ」

「その文がどうかしたの?」

「政府が背後関係を調査してるってことは、国家レベルの問題が起きていると言うことだし、小熊が電話してきたのは、君と君の会社に関係があるからだろう」

「もう私の会社じゃないってば」

と、その時、再び真奈美の携帯が出囃子の着信音を鳴らした。

「そんなに落語が好きなの?」

「今度寄席に連れてってあげる」

 そう言って彼女は携帯を開いた。

「はい。ああ、小熊さん。どうしたの?」

 真奈美は携帯を耳から離してしばらく放置してから、

「それで?なーんだ。結局何もわからないのにそんな大騒ぎをして私にまで連絡して来るの?はあ?はいはいわかりました、全部私の責任です。広野専務にも狭山専務にもそう言えば!」

と、最後は不機嫌になって真奈美は携帯をパチリと閉めた。

「ほんと小さい男」

「どうした?」

「警察から色々調べが入っているらしいの、例の融資案件で」

「そんなことも君に連絡して来るのか?」

「絶対、私に気があるのよ」

「そうか、幸せで何よりだ」

 少し強い風が吹いて桜吹雪が舞った。

「小熊は何か言っていたか?」

「うちの会社が融資した協賛カンパニーと、無人島を買い取った派九里興業が裏で繋がっているとか。小熊は警察沙汰になっているのが嫌なのよ。会社の業績に響くから。それも全部私の責任だって」

「余ほど小熊に好かれているようだ」

 ラオウはそう言いながら、桜吹雪に舞う花が大川に落ちてゆく様を目で追った。そして、ぼんやりと対岸を見つめながら、

「協賛カンパニーと派九里興業が裏で繋がっていたのか。協賛カンパニーの融資に反対していた広野専務を狭山専務が岡村を使ってはめた。何か色々繋がってきたな。少し調べてみるか」

と言って真奈美に視線を戻した。

「調べると言ってもねえ。どうやって?」

「真奈美ちゃんは元新聞部だろ?」

「え?ああ、そうだったわね」

「取材は得意だろ?」

 ラオウの言葉に真奈美はニコリと笑って、何か意味ありげにじっと彼を見つめた。

「何、その笑顔?」

「取材は男子たちの仕事だったし」

 何となく真奈美が言い訳モードに入ってきたことをラオウは感じとった。

「女子は編集でもしてたのか?」

「他の女子がやっていたわ」

「じゃあ君は何やってたんだ?」

「マドンナ」

 真奈美がちょっと頬を紅くして小さく呟いた。

「え?」

「新聞部のマドンナよ。部員でいてくれるだけで良いって言われてたの」

「そ、そうか」

 言い訳から自慢モードに入った真奈美にラオウは少し腰が引けている。

「最初はね、私も色々やってたのよ。でも、すぐに皆が手伝ってくれて、そのうち君はもう何もしなくて良いって言われたの」

 真奈美は嬉しそうに学生時代を思い出している。

「それはマドンナとは言わないんじゃないか?」

「あら、そうなの?」

 真奈美は不思議そうにラオウを見つめている。

「じゃあ、真奈美ちゃんの初取材だ。まずはこの記事について新聞記者に聞いてみよう」

「相手にしてくれるかしら」

「読産新聞って、奈川君がいる新聞社だろう。彼に紹介してもらえば?」

 ラオウが真奈美の学生時代を思い起こしながら提案した。

「奈川さんて誰だっけ?」

「は?君の大学の新聞部OBで、新聞社に勤めてる人だ。この前はDNNとのパイプを使って秘密動画を公開してくれた人だ」

「ああ、割とイケメンだった人ね」

「連絡先わかるだろ?」

「知らない」

 真奈美は愛らしく笑って小首を傾けた。

「じゃあ、この番号に掛けてみろ」

「ラオウがスマホを開いて見せた」

「まあ!スマホだわ!懐かしい。早く私もスマホにしたい!」

「まだそんな時代じゃない」

 真奈美がスマホの番号を見ながら携帯のキーを押した。

「もしもし、奈川さん?ご無沙汰してます、真奈美です。いえ、姉じゃなくて、はい、どっちが可愛いと思ってました?あら、そう。じゃあ、マナで良いです。ちょっと記事の件でお話しを聞きたいのですが、今から行きます」

と言って彼女は携帯を切った。

「会ってくれるって?」

「さあ。でも今から行くと言っておいたから行きましょう」

 真奈美が明るく笑って立ち上がった。

「君はほんとに秘書をやってたのか?」

「クビになったけどね」

「会ってもらえなかったら無駄足だな」

「可愛い後輩が訪ねてくるのよ、何とかなるわよ」

「君は生粋の楽天家だ」

 ラオウもゆっくりと立上って桜吹雪に別れを告げた。

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