リバージ 1
月明かりもない暗い夜。大学構内は不気味な静けさに覆われている。BBQから戻った一同は、追跡者の目を誤魔化すために、一度それぞれの家に帰宅してから深夜に部室へ集まった。
永山の言ったとおり夕立が起こり、雷が止んだ後も断続的に豪雨が降り注いだために、校内は湿度が高くて草生す香が色濃く漂っている。
「やっぱり夜の学校ってスリルがあるな」
BBQを面倒臭がって不参加だった隆二も加わっている。
「何かエッチな感じ」
真奈美がぽそりと呟いた。
「どう言う感性してるのよ」
マナが首を傾げながら真奈美の横顔を見つめた。部室を出た五人は琴美先生の研究室へ向かっている。奈川は参加していない。DNNのチャネルとコンタクトをとる準備をしておくと言って、川原で別れた。
ライトで照らしながら研究室に入り、地下室へ下りていった五人は地下室の電灯を点けた。床の蓋を閉めておけば、外部に灯りは漏れない。
「何てパスワードだ?」
なぜか、隆二はパスワード入力係を譲らない。
「スマートフォンよ」
マナが面倒臭そうに教える。
「なんだそれ?」
隆二の言葉に真奈美が嬉しそうな表情を浮かべ、ポケットからスマフォをさっと取り出して説明しようとした瞬間、
「後にしなさいよ」
と、マナに遮断された。真奈美は少し口を尖らせてスマフォをポケットしまう。
「smartphoneだ」
俺がスペルを口にした。隆二がボタンを押し終えた時、カチンと音がした。その音に全員の期待感が一気に膨らむ。だが、扉に手を掛けた隆二は、
「開かない」
と、がっかりした口調で呟いた。すると、マナが呆れ顔で隆二と真奈美を見つめながら、
「さっき教えたでしょう、ほんとバカね。バカップルでお似合いだわ」
と吐き捨てた。
「バカップルて、私たちのこと?」
なぜか真奈美は嬉しそうだ。
「後にしましょうよ」
永山が辟易した表情を浮かべている。
「前に開けた時とは反対側に扉を開けるのよ」
マナが、隆二にゆっくりと指示をした。
「どの道、前に開けた方向なんて覚えてないよ」
隆二が捨てばちに言いながら、さっきとは反対側に扉を引張った。すると、ギギギという音がして扉がゆっくりと開いていった。
「本当だ」
隆二が素朴に驚いている。
「だから何度も言ってるでしょう。両方向に扉が開く冷蔵庫もあるそうよ」
マナが思わず真奈美の言葉を口走った。
「扉のことじゃない!本当にもう一枚CDがあった!」
「信じてなかったの?」
マナの視線は冷たい。
「これがスマホよ」
真奈美がいきなりスマホを取り出した。
「すみません、もっと後にしてもらえませんか?」
永山の口調が真奈美を強く制した。
「早くここを出て部屋に戻ろう。誰か部屋にパソコンがある人は?」
俺がせっかちな口調で皆を急がせた。
「僕の部屋に行きましょう」
そう言って永山が手を上げた。
「俺の部屋でも良いぜ」
隆二もCDを取り出しながら言った。
「部屋に女が居たらややこしいわよ」
マナが冷ややかに言い放つ。
「それもそうだ。じゃあ、永山君の部屋に行こう」
俺が選択をした。
「え、本当に女がいるの?」
真奈美が隆二を見つめている。
「冗談に決まってるでしょう」
マナが小ばかにしたように溜息を吐いた。
「とにかく急ぎましょう。こんなところを見つかったら、何かと理由をつけられて勾留されてしまいます」
永山がそう言って、マナの肩を軽く押しながら先を急がせた。隆二は真奈美の手を握って、足の遅い彼女を力強く引張っていった。
大学構内の端に学生寮がある。雨に濡れた通路を無言で通り抜けた全員が、周囲を確認してから男子寮の入口に入った。永山の部屋は三階にある。
永山がさっとドアを開けた。彼は鍵も掛けずに出ていたようだ。
「あら、きれいに片付いているわね」
真奈美が物珍しそうに部屋の中を見回している。
「誰かの部屋と大違い」
マナがしれっと隆二を皮肉った。
「あら、隆二の部屋に行ったことあるの?」
真奈美が自然な口調で尋ねた。
「あたり前でしょう。付き合っているんだから」
マナは、本棚に並んだ本の背表紙を眺めながら平然と答えている。
「はいはい。パソコンが立ち上がりましたよ」
永山が二人の女性をパソコン前に誘った。 ドライブを開いた永山がCDをセットする。プレーヤーが立上り映像が映し出された。息を飲んで画面を見つめる五人。
何度もテレビニュースで放映されていた映像が再生され、聞きなれない中国語が流れた後、通訳の流暢な日本語が皆の耳に届いてきた。そしてその言葉の意味が脳内を駆け巡った瞬間、全員の魂が怒りに震えた。真奈美までもが真顔で映像を見つめ、唇を噛み締めている。やがて永山が怒りを言葉で表した。
「民族浄化だと!バカにするのもいい加減にしろ!」
「それを真面目顔で頷いているこのバカ管を殺してやりたい!」
マナが拳で机を軽く叩いた。
「民族浄化だなんて本当に失礼ね。日本人は清潔なのよ」
と、真奈美も怒りを爆発させた。
「あの。意味が違うんですけど……」
永山が遠慮気味に言って、助けを求めるようにマナに視線を送った。キョトンと目を丸める真奈美。
「民族浄化と言うのはね、日本民族の血を絶やしてC国民族の血にしてしまうことよ」
真奈美の無知に呆れたマナが静かに説明を始めた。
「どうやって?」
「例えば、C国の男をどんどん日本に移住させて日本の女と結婚させるの」
「そんなの、女が嫌がったら無理でしょ」
真奈美の疑問に今度は俺が、
「強制する方法もあるけど、C国民にだけ色んな特権を与えるとどうなる?」
と、説明を加えた。
「さあ」
「日本国民はどんどん貧乏になってC国民ばかりが上流社会を占めるようになる。君たちだってお金持ちと結婚する方が良いだろ」
そう言って俺は二人の女性を見つめた。二人は複雑な表情で俺を見つめている。
「まあ、例えばの話だが、そんな風にしてC国民の血に変えていくのが民族浄化だ」
俺はそう言ってから、真奈美の理解度を探るように彼女の瞳を見つめた。
「ひどい話ね」
「やっと理解出来た?」
マナの語気は冷たい。
「ラオウさんや永山君が可哀想」
真奈美が小さな溜息で男たちに同情した。
「俺は可哀想じゃないのか?」
隆二が口を挟んでくる。
「隆二には私がいるから大丈夫よ。私はお金なんかで釣られないわ」
真奈美の言葉に、部屋の中が異様な緊張感に満たされた。
「はいはい、ご馳走さま」
マナは白け口調でそう言っただけで、女の闘争には結びつかなかったので、部屋の緊張が一瞬でほぐれた。と、それまで再生を止めて、民族浄化の勉強が終わるのを待っていた永山が、
「続きを再生します」
と言って再開した。すると、菅野前首相の信じられない言葉が次々と飛び出し、皆の血潮を益々沸騰させていった。
菅野の言葉は、C国民の日本への入国及び移住をし易くする法律を定めることや、日本国内での地位向上を目指すこと、外国人参政権を認める法律を通すことを約するとともに、民民党と自分の地位の安定を求めていた。そして最後に現金を受け取る場面が映し出された。
「こんな奴が首相だったなんて」
マナが唾を吐くように言い捨てた。
「でも、もう首相じゃないんだから約束は果たせないんじゃない?」
真奈美が能天気な言葉を吐いて余計にマナを苛立た。
「あんた、聞いてなかったの?これは党の決定事項だって言ってたじゃない」
マナはもう金切り声になっている。
「要するに、首相が変わっても方針は変わらないてことだ。政権与党が変わらない限りな」
俺は雰囲気を落ち着かせるように優しく言った。
「じゃあ、何とかしないとラオウさんや永山君が結婚出来なくなるわね」
「まだ言うか」
マナは真奈美を睨んだが、彼女の笑顔に反論する気も失せたようだ。
「さすがにこの映像が流れたら、日本国民も真剣に怒るでしょう」
永山の声が若干震えている。
「暴動が起きるわ」
「そうしたら、国民のエネルギーが高まって、妄想列車も動き始めるのね」
真奈美の表情はなぜか寂しげだ。
「だが、君たちが暴動を扇動したりしたらダメだぞ」
俺はマナをじっと見つめた。
「私は平和主義者よ」
「へえ」
隆二がマナを見つめて小声で漏らした。
「後は、このCDを無事にDNNに渡すことね」
マナは、隆二を完全無視して俺と永山を見つめて言った。
「この動画のコピーは出来ないの?」
ダメ元で俺は永山に確認した。
「奈川さんが言っていたとおり無理です。特殊技術で暗号化されています」
「政府の奴等は、もう何か察知しているのかしら?」
マナが静かな語気で、誰に言うとでもなく不安を零した。
「マークされているのは確かだろう。一枚目のCDを発見したのは我々だから当然だがな」
俺は皆に注意を与えるつもりで緊張感を醸し出した。
「BBQの時も周囲から見張られていたし」
永山も同意した。
「あら、あの人たちが政府の人?そんな風には見えなかったけど」
真奈美がそう言ってポケットからスマホを取り出した。
「スマホの説明はまだ要らないわよ」
マナが、嬉しそうにスマフォを取出した真奈美を冷たく制する。
「違うわよ、これを見て」
真奈美がそう言ってスマホのビデオを再生した。皆が引き込まれるように小さな画面を覗き込む。
「ほう」
カメラは、BBQをしている風景を映し出した後、彼らの周囲に佇んでいる人たちを順に映し出していった。
「いつ撮ったんだ?」
隆二が感心している。
「隠し撮りが好きなの」
「何を隠し撮りするのよ、あなた女でしょ?」
マナが驚いている。
「それよりほら、この女性、琴美先生じゃない?」
真奈美の言葉に驚いて全員が目を凝らした。体格の良い男性と腕を組んで散策している女性が、一瞬カメラの方を向いたように見える。サングラスと白いハットを着けているので判別しにくいが、背格好は琴美先生に似ている。
「微妙だな」
俺には判別出来ない。
「絶対琴美先生よ」
「だとすると、やっぱり琴美先生は政府側の人間だったのか」
永山が声を沈めた。
「偶然かも知れないだろう」
と、隆二がかばう。
「偶然?偶然私たちのBBQしているそばで、こんなイケメン男とデートしていたと言うの?周囲にいた人たちの雰囲気を、あんたも感じたでしょう?あの殺気はただ者じゃないわ」
「俺はBBQに参加してない」
マナは不完全燃焼気味に隆二を睨みつけた。
「本当、イケメンだ」
マナの怒りをからかうように、真奈美は嬉しそうに映像を覗いている。
「でも政府の諜報員なら、真奈美さんに感づかれるようなヘマはしないよ」
隆二も意地になってきたようだ。
「この天然女になら誰でも油断するでしょう」
マナも譲らない。
「これがスマホの威力よ」
二人の会話など、他人ごとのように取り合っていない真奈美が、嬉しそうに画面を操作しながら自慢した。
「録画ぐらいガラケーでも出来るわよ」
と言ったマナの目の前に、真奈美がスマホを差し出した。
「写真まで撮ったの?」
真奈美はにこりと微笑んでから指を開く。すると写真がどんどん拡大されていった。
「スゴイ!」
「でしょ」
真奈美は満足気だ。
「このヒップラインは琴美先生のような気がしてきたな」
俺は真面目に観察した結論を言った。
「そう言うところを見るのね、オヤジは」
と、ある意味感心した風に俺を見つめたマナに、
「まだ気づかない?」
と、真奈美がどや顔で挑んだ。だが、マナは再び写真に目を凝らしたまま真奈美の言葉に惑わされて、無言で焦っている。
「あなた、女でしょ?琴美先生の服装が気にならないの?」
真奈美の言葉にマナは言葉を失った。
「そうよ、ラオウさんや琴美先生と四人でお寿司を食べた時と同じワンピ。それにイヤリング」
真奈美の勝ち誇った表情に、マナは悔しそうに唇をかんだ。
「先生がどっちの人間であろうと、もう関係ないだろう。今大切なのは、この動画CDをしっかり守って確実にDNNへ渡すことだ。とにかく、俺たち以外の者は絶対に信用するな」
俺は皆に厳しく注意して、絶対に政府転覆を成功させる決意を皆に求めた。
「今度は僕がしっかり管理して必ずDNNに渡します」
永山がすぐに同調してきた。
「奈川先輩から連絡があるまでは、出来るだけ部屋を空けないでね、もしも部屋を出るときには鍵を掛けるのよ」
マナがそう言ってからチラリと隆二を睨んだ。
「俺も交代で部屋番をするよ」
仕方なさそうに隆二も加わってきた。
「寮の連中にも協力してもらうよ。いざと言う時の脱出経路を確保しないとね、力づくで来られたら太刀打ち出来ない」
「寮の連中には何て言うんだ?」
隆二が永山に確認した。
「女を連れ込んでいるから、管理人さんにバレそうになった時の脱出経路の確保だと説明すれば良い。ここは女性禁止だからな」
「あら、そうだったの」
呑気そうな表情で驚いている真奈美に、
「あなたも気をつけてよ。絶対にひとりで出歩かないで。奴等に捕まるわよ」
とマナが脅かした。
「え、捕まるの?もし捕まったらどうなるの?」
「考えればわかるでしょう」
「キャッ。もしかして拷問とかされちゃうの?膝の上に石を乗せられたり、三角木馬にまたがされたり?」
真奈美はなぜか嬉しそうだ。
「それ、いつの時代の話ですか?」
永山はポカンと口を開けている。
「とにかく単独行動は禁止だ」
俺が女の会話を締め括った。それを機に、永山はCDをパソコンから取り出してケースに仕舞った。そして保管場所を探すように部屋を見渡している。
「腹が減ってきたな、ラーメンでも食いに行くか」
隆二が永山の動きから目を逸らして真奈美を誘った。
「ええ、喜んで」
と、真奈美は笑顔で答えた。
「俺は寿司に行くけど」
俺はマナを視線で誘った。
「良いわよ、付き合ってあげる」
マナも笑顔で答えた。
「私もラオウさんと行く!」
突然真奈美が甘い声を出した。全員が呆気に取られて、ポカンと真奈美の嬉しそうな表情を見つめている。やがて気を取り戻したマナが、真奈美の口調を真似て、
「隆二には私がいるから大丈夫よ。お金なんかで釣られないわ」
と言ってから、
「誰かそんなこと言ってたわよね」
と、低い声で呟いた。
二枚目のCDを発見してから三日後の日曜日。ようやく奈川の手引きでDNNの記者に会うことになった。危険にさらされる可能性もあるので、男だけで行くと言ったがマナが従わない。マナが行くと言えば真奈美も絶対に譲らない。
なぜ彼女が譲らないのか俺にはわからない。隆二を取リ戻されるとでも感じるのか、それとも単に意地になっているのか、案外マナの身を心配しているのか。まあ、どうでも良い。
三日間の間に永山がCDの声をICレコーダーに録音し、画面をキャプチャ録画した。念のために永山は留守番をすることになった。五人が一緒に行動する必要はない。俺たちに何かあれば、永山が次の行動に移る行動計画を立てた。
「女たちを連れて行っても問題ないでしょう。さすがに、何の理由もなしに、白昼堂々と捕まえたり出来ませんよ」
女子たちを連れて行くことに不安を感じている俺に、隆二が楽観論を語った。
「大勢で行動すると目立つだろう。本当は俺と隆二の二人で良いくらいだ」
と、尚も俺はそう言って、マナに留守番を求めるように彼女を見つめた。
「平和ボケのオヤジと軽薄男じゃ心配だからよ」
思ったとおりマナの意志は強いようだ。
「もし捕まったら拷問されちゃうの?」
真奈美が嬉しそうにまた拷問を持出した。
「そうよ、木馬にまたがされて、水桶に逆さづりにされて、裸にされて、エッチなこともいっぱいされちゃうわよ!」
マナが面倒臭そうに答える。
「まあ、怖い」
だが真奈美は笑っている。
「覚悟は良いんだな?じゃあ出発だ」
女たちを説得することを諦めた俺は、不安を抱きながら、重い足取りで寮を出て行った。
校門を出ると、白いセダンが停車していた。運転席から奈川が顔を出す。
「おはようございます」
真奈美が元気よく挨拶をした。
「外面は良いのね」
マナが小声で呟いた。
「お前ももう少し愛想良くしろよ」
そんな隆二の言葉はマナに完全無視された。
「良いから早く乗れよ」
奈川の事務的な言葉に促されて、俺は助手席に、三人は後部席に乗り込んだ。
「どこまで行くんですか?」
早速隆二が奈川に尋ねた。
「南港埠頭」
彼がそう答えるや車が走り出した。奈川も若干緊張している様子だ。
「埠頭で取引なんてドラマみたい」
真奈美の声が弾んでいる。
「街中だと、車で追跡されてもわからないからな」
「埠頭なら、車も少ないし視界も広いから、同じ車が付いてきたらすぐにわかるのよ」
マナが、真奈美がバカな質問をしてくる前に説明した。だが真奈美は興味無さそうで、窓から景色を眺めている。
「わざわざ埠頭まで行かなくても、道はガラガラじゃない。私たちの社会では渋滞が普通よ」
真奈美は窓に向かって話している。
「確かに少ないな」
「閉塞した社会ではこうなるのよ。誰も外出しない」
マナは真奈美と反対側の窓を見つめている。やがて車は阪神高速に乗り、天保山を超えた。
「天保山て日本一低い山なのよ。標高四・五三メートルだって」
マナが外を見つめて言った。
「四国にはもっと低い山があるそうよ。そもそも山の定義も曖昧らしいわ」
二人の女がまた争いを始めて車内の空気を緊張させた。車は高速道路を降りてゆく。南港埠頭の堤防に沿って古い倉庫が立ち並んでいた。日曜日だけあって人は少ない。
「ほんとに麻薬取引でもやっていそうね」
マナがひとり呟いた。
「拷問とかもやっていそうね」
と真奈美も呟く。
「拷問から離れなさいよ」
マナの声が冷たく響いた時、車は古い倉庫の、半ばまで下りたシャッターを潜った。中は薄暗くて何も置いていない。ひび割れたコンクリートの床には埃が積もっている。倉庫の真中辺りで奈川は車を停車させた。
「ここで待ち合わせですか?」
隆二が不安げに奈川に確認した。
「もうすぐ現れる」
時間はちょうど十時になったところだ。
「あれじゃない?」
マナが示した方向から黒いワゴン車がゆっくりと走ってきた。 真奈美たちのセダンの前に駐車したワゴンから、スーツにサングラスという、ヤクザ映画に出てきそうな男が二人降りてきた。
「DNNて言うから外人記者が来るのかと思ってたのに」
真奈美がなぜだか残念そうに呟いている。
「記者でもなさそうよ」
マナの声は緊張気味だ。
「こちらの車に乗って下さい」
男が運転席の窓から奈川に向かって指示をした。言葉は丁寧だが強い威圧感がある。
「あんたたちDNNか?」
奈川が緊張した面持ちで確認した。
「話は後で。早く降りて下さい」
そう言った男が上着を開いて見せて、ホルダーに収まった拳銃をちらつかせた。
「マジ?」
隆二が泳いだ目で男たちの表情を確かめている。DNNの人間がふざけている訳ではなさそうだ。その冷徹な顔つきは、殺人くらい平気でやりそうだ。
「政府の回し者か?」
奈川が二人の男を睨み付けながら言った。
「誰だろうとお前たちには関係ない」
拳銃をちらつかせた男が冷たく答えた。
「ここにいてもDNNの方たちは来ませんよ」
と、もうひとりの男が、俺たちの乗ったワゴン車の後部席ドアを開けながら言って、マナたちに出るように促した。助手席の俺は自分でドアを開けて降りて、隆二も同様にゆっくりと降りた。
「ひとりで逃げるんじゃないわよ」
車から出たマナが、まだ中にいる隆二を睨んだ。
「んなことする訳ないだろう!」
「わかるもんですか、あんたは逃げるのが得意だからね」
「良いからさっさと乗り移れ!夫婦ケンカは後だ」
ドスの効いた声が倉庫に響いた。
「夫婦じゃありませんよ、この人たち!」
真奈美が身を乗り出して男に抗議しながら、マナに続いて車を降りた。俺と奈川が、警戒しながら指示されたワゴン車に乗った。真奈美は、二人のスーツ男たちを見つめながら真面目顔で、
「私たち、拷問されちゃうの?」
と言った。その言い方が可笑しかったのか、拳銃男がふっと笑いを零してから、
「言われたとおりにすれば手荒なことはしませんよ、お嬢さん」
と優しく言った。
「お嬢さんだって!」
真奈美が嬉しそうにマナの顔を見つめた。
「あんた、今の状況をわかってるの?」
マナは呆れて目を丸くしている。立ち話をしている真奈美たちを置いて、隆二もワゴン車に乗り込んだ。
「ネエちゃん、良い加減にしろよ。おしゃべりは後だ」
もうひとりの男がそう言って、マナの肩をワゴン車の方へ軽く押した。
「何で私はネエちゃんなのよ!」
マナは、不機嫌な言葉を吐きながら車に乗り込んでゆく。
「気品が違うのよ、ホホホ」
真奈美が勝ち誇った声色で笑いながら、気取った振る舞いで車に乗った。ワゴン車には、運転手がもうひとりいた。
最後列に奈川と俺が座り、中列にはマナと真奈美が並んだ。スーツ男たちは、助手席に拳銃男が、真奈美の隣にもうひとりが乗り込んだ。その男の大きな身体が真奈美の肩に触れた。
「欲情しないでね」
真奈美は嬉しそうだ。
「は?」
男はきょとんとしている。
「オバサンに欲情なんてしないわよ。それより私の美脚に興奮しないでね」
真奈美の隣からマナが口を挟んだ。マナは今日もショートパンツを穿いて、惜しげもなく美脚を披露している。
「そんな脚で興奮するのはラオウさんだけよ」
いきなり振られた俺は、ポカンとしたまま何も言えないでいる。
「どうりで、やたらとラオウさんの視線を感じると思ったわ」
マナがそう言ってから、俺をチラ見して微笑んだ。
「勝手に決めつけるなよ」
俺は弁解を始めたが、彼女たちはもう俺の話など聞いていない。真奈美がスーツ男を斜めに見上げながら、
「拳銃を突きつけて、ネエちゃん、良い胸してるじゃねえか、とか言って触ったりしないでよ」
と、嬉しそうに言った。
「絶対に言わないから」
男の声は冷め切っている。
「大して大きくないわよ、このオバサンの胸」
マナが男に助言した。だがスーツ男はそんな話には興味も示さず、
「そんなことより、皆、シートポケットにある手錠とアイマスクをしろ」
と、威圧するような鋭い目で皆を見渡した。
「手錠に目隠し?まあ、そっち系なの?」
真奈美が意味深な瞳でスーツ男を見つめている。
「どっち系でもない。良いから言われたとおりにしろ!フウ……」
スーツ男が少し疲れ始めている。
「自分でするの?」
マナが男に聞いた。
「その言い方、やらしい~」
真奈美がマナに突っ込んだ。
「は?何でそんな発想が出来るのよ。やっぱりオバサンね」
マナは真奈美に反論しながら、言われたとおりにアイマスクを付けてみてから、
「目隠ししたら手錠が見えないわよ!」
と、不満気に叫んだ。すると、先に手錠をはめていた真奈美が、
「手錠したらマスクを付けられないわよ!」
と、スーツ男に抗議した。
「面倒な女たちだ。あんたたちも大変だな」
スーツ男はそう言って、後部座席の男たちに同情の言葉を送りながら、マナに手錠をはめ、真奈美にアイマスクをした。
「こんな状態でエッチなことしないでね」
真奈美はまだエッチ系の話題から抜けない。
「何もしませんから、黙っていて下さい」
スーツ男は、もう懇願する口調になっている。そして疲れたように大きく深呼吸をした。
スーツ男の溜息のような深呼吸が車内に響いた後、ほんのしばらくの沈黙が続き、車の振動とエンジン音だけが響いていた。
「ラジオでも……」
と、真奈美が言い掛けると、
「ダメです。黙っていて下さい」
と、スーツ男が即座に言葉を制した。
「ラオウさんも何か言ってよ」
真奈美は俺に援護を求めてきた。
「俺は彼らに同情している」
俺の言葉に奈川も笑いを零した。
「男どもは当てにならないわよ」
マナが小声で囁いた。そんな会話を聞き流していた助手席の拳銃男が、
「フウ」
と大きく溜息を吐いてから、
「どうして一分と黙ってられないんだ!」
と、少し荒い声を出した時、車がガタンと揺れて、その後しばらくしてから静かに停車した。
「目隠しは外して良いぞ」
男はそう言った瞬間、自分の言葉を取り消すように、
「わかったから、何も言うなよ」
と、真奈美たちが言葉を吐くのを制してから、
「俺が外すから、前たちは黙ってじっとしていろ」
と言って、彼女たちの目隠しを外した。
「自分で出来るのに」
真奈美がそう言って手錠のはまった手で髪を整えた。
「降りろ」
「あんたが降りなきゃ、私は降りられないでしょう!」
マナが厳しく文句を飛ばした。スーツ男は大きく息を吸ってから、
「今から俺が降りるから、続いて降りてくれ。静かにな」
と言った後車を降りた。その後に真奈美が続き、マナも車を出た。
「そんなに黙らせたいのなら、ガムテープでも口に貼れば良かったのに」
マナが男に挑むように言った。
「ああ。次回からそうするよ」
すると真奈美が、
「ガムテなんて貼ったらお肌が荒れるじゃない。取る時も痛いわよ」
と意見した。
「あら、お髭でも生えてるのかしら?」
マナがからかう。
「お願いですから、あと少しだけ黙っていて下さい」
スーツ男が困惑顔で懇願している。車は小型フェリーの庫内にいるようだ。船体が静かに揺れているのがわかる。
ワゴン車以外にもう一台、黒のベンツが停車していた。真奈美たち全員はワゴン車から出された後、床の上に座らされた。
「こんな所に座るの?脚が痛いじゃないの!」
マナが不満を零しながら膝を折り畳んだ。
「少しの間だから我慢しなさい」
真奈美が偉そうに注意している。全員が座った後、スーツ男たちがベンツに向かって合図を送ると、後部座席のドアがゆっくりと開いて、中から白いワンピース姿のすらりとした女性が降りてきた。
「琴美先生!」
全員が目を丸くして、思わず大声で叫んだ。
「いつも白ワンピなのか?」
そんことを呟くのがやっとの俺たちは、信じられないと言った表情で琴美を見つめ、騙された自分たちを認められないでいる。
マナは、
「ほら、ごらん」
と言わんばかりの瞳で俺たちを一瞥したが、真奈美がまた何かを言い出しそうだったので、マナはすぐに彼女に視線を向けた。
「琴美先生!助けに来てくれたのね!」
「あのね……」
マナの口があんぐりと開いた。
「座布団とかありませんか?脚が痛くて」
真奈美は明るい声で琴美に訴えた。
「あんた、本物のバカ?てか、さっき私に我慢しなさいて言ったでしょう?」
マナは、珍しいものでも見るような目つきで真奈美を見つめた。
「ごめんなさいね、さっさと用事を済ませたら帰してあげますから」
琴美はそう言ってから、俺の顔を見つめて、
「もう一枚のCDを私たちに渡して下さい」
と、優しい声を庫内に響かせた。
「CDをどうする気だ?」
「決まっているでしょう。あんな物が世間の目に触れたらどうなると思っているの?」
今度は厳しい声をキリリと響かせた。
「あなたは、政府の人間とは関わりないんじゃなかったのか!」
隆二が怒りをぶちまけるように叫んだ。
「ホホホ。おこちゃまは黙ってなさい」
琴美はそう言ってから奈川を見つめ、
「さあ早く渡しなさい。でないと、このまま沖に出て、車ごとあなたたちを海に沈めなければならないの」
と言って瞳をキラリと輝かせた。
「早く渡しましょうよ。脚が痛いわ」
真奈美がひ弱な声で奈川に訴える。
「あんた、拷問されたいんじゃなかったの?」
そう言ったマナが鼻で笑った。
「CDを渡せば無事に帰してくれるのか?」
俺が琴美の瞳をじっと見つめて確認した。だが、琴美が言葉を発する前に、
「そんなの当然じゃない。琴美先生は良い人よ。ラオウさんだって信じていたじゃない」
と、真奈美が先に答えた。
「あんたに聞いてないの、琴美先生に聞いてるのよ!」
マナは苛立ち、琴美は真奈美をじっと見つめている。
「真奈美さん、体育座りしたら?」
琴美はにこりと笑った。真奈美は言われたとおりにしてから、
「ほんとだ。こうすると痛くないわ」
と、微笑んだ。
「そんなこと、言われないとわからないのか!」
琴美への怒りを抑えきれない隆二が、真奈美に八つ当たりをしている。
「だって、マナがお姉さん座りしてるからよ。私の方が上品なお姉さんなのに」
「私が体育座りしたらパンツ見えちゃうでしょう」
また二人の口論が始まった。
「もう、姉妹ケンカも出来なくなるわよ」
琴美が冷たい声で脅した。
「姉妹じゃないし!」
二人が声をそろえて反論した。琴美は冷やかに笑んでから奈川をじっと見つめた。
「約束するんだな」
そう言って奈川も琴美を見据えた。今となっては、皆の命の方が大切だ。
「ええ。必ず元の生活に戻してあげます。その代わりあなたたちも今日のことは口外しないように」
そう言った琴美は奈川に近寄った。
「隆二」
奈川が彼に目で合図した。隆二は不満げな表情で、
「ポシェットの中」
と、立っているスーツ男に言った。
「情けない男たちね」
マナは膨れっ面で隆二を睨んでいる。
「仕方無いだろう。サメの餌になんてなりたくない」
隆二が、今度はマナに怒りをぶつけた。
「サメの餌にもなれないぜ、車の中で腐乱するだけだ」
隆二のポシェットからCDを取り出した男が、隆二をからかってから琴美にCDを手渡した。琴美は車に戻るとすぐにPCで映像確認を始めている。
「用心深い女だ」
俺が吐き捨てた。
「あんたたちが甘すぎるのよ。少しは見習いなさい」
マナはすこぶる不機嫌だ。
「お前だって何も気づかなかったじゃないか」
隆二がマナに反論した。
「もう良いじゃない。済んだことを言い合っても仕方ないわ」
真奈美はそう言ってから、
「早くしてよ、琴美先生。今度はお尻が痛いわ」
と叫んだ。
「あんたね」
マナが溜息を吐いた。やがて琴美が出てきて、
「確かに。良く手に入れてくれたわね、ご苦労様」
と、勝ち誇った表情で二人の女性を見つめた。マナは琴美を睨みつけ、真奈美は微笑掛けている。
「じゃあ、早く帰してくれ」
奈川が琴美に向かって厳しい口調で言った。
「部長の永山君はどこにいるの?」
琴美の言葉に俺たちの背筋が凍った。CDを渡しても、まだ永山が複製を持っている。不完全だが、世間を動かすには十分な証拠だ。
「デートでしょう」
マナが惚けている。
「裏切り者の絵美ちゃんとは別れたんでしょう?」
琴美はすべてを知っているといった風に全員の表情を見渡して、「ま、良いわ。どうせ、寮でシコシコしてるんでしょう。大事な物を持って出歩くわけにもいかないものね」
と言ってクスッと笑った。
「シコシコって?」
真奈美がマナに小声で尋ねた。
「隆二に聞きなさいよ」
マナが心持頬を紅くして小声で返した。
「永山をどうする気だ?」
奈川が琴美に向かって叫んだ。
「うちのメンバーが、大勢で寮に遊びに行ったぜ」
拳銃男が低い声で言ってから、全員に立上るように指示をした。
「アイタタタ……」
真奈美もお尻を摩りながら立上る。そして再びワゴン車に乗り込むべく、車の方へ歩き始めた。
「そっちじゃなくてよ。あなた方にはもう少し船旅を楽しんで頂くわ」
琴美がそう言って、スーツ男たちに合図した。男たちはそれぞれが銃を出してから、俺たち全員をフェリーの階段に向かわせた。
「このまま海に放り込む気かしら」
マナが呟いた。
「水着着てないのに」
と真奈美も不満げだ。真奈美の言葉を聞き流したマナは、階段を上がる前に、突然真後ろにいる俺に振り返ってから、
「お尻見ないでよ!」
と注意した。
「二人とも同じ形しているな」
心外な言葉を浴びせかけられた俺はちょっとむかついて、逆に二人の尻を見つめて比べてやった。
狭い廊下を抜けて案内されたキャビンは、三等席の部屋だった。テーブルセットが四つと、三十畳くらいの畳敷きのエリアがある。
「ここでゆっくりしていて下さい」
スーツ男はそう言ってからすぐに、
「わかっている。食事は運んでくるし、飲み物も冷蔵庫にある。酒もあるぞ。アイスもあるから文句ないだろう」
と、真奈美とマナに向かって言った。
「レディースルームは?」
「皆ここで寝ろ」
「ええ?襲われたらどうするのよ」
マナが俺たちをチラリと見ながらスーツ男に訴えた。
「君たちは、ふたりとも隆二と付き合った経験があるんだから心配ないだろ」
奈川が真面目顔で言ってから、
「うん?てことは、俺とラオウさんを警戒してるのか?」
と二人の女を見つめた。ゆっくりとマナたちが頷く。
「まあ、それも含めて好きに楽しんでくれ。トイレとシャワーは突き当りの部屋だ。トランプと人生ゲームもあるぞ」
そう言ったスーツ男は、疲れた表情を残して逃げるようにして部屋を出て行った。