第1章・第6話「銅貨数枚の報酬」
カチリ。
骨の芯で、重厚な接続音が鳴り響いた。
指先から伝わる感触が、一瞬で「肉」から「機体」へと書き換えられる。
泥を噛んだ右腕が、俺の意志より一拍早く、アニマの結晶を纏って膨張した。
来た。
俺は、蛇の逆鱗を抉るようにナイフを突き立てた。
手応えは、なかった。
正確には、抵抗が霧散した。
俺が放った技術が、ブラッドバイパーの歪んだ生存法則を、強制的に上書きして破壊した証拠だ。
グシャリ、という不快な音が響き、蛇の巨体が泥の中に沈む。
赤い鱗が、内側から漏れ出すセピア色の光に焼かれ、パラパラと灰のように崩れ始めた。
最悪だ。
返り血と泥が混ざった嫌な臭いが、鼻腔を突く。
蛇の死体は、急速に霧散していった。
肉も骨も、この世界の澱んだ空気の一部へと還っていく。
あとに残ったのは、泥にまみれた一本の錆びたナイフと、地面に転がる数枚の、血のように赤い「鱗」だけだった。
「……うげぇ。生臭い! おじさん、それ触るの? 我、絶対無理だからね!」
セフィラが俺の肩から飛び降り、鼻を摘まんで泥の上を跳ね回った。
彼女の姿は、魔獣が消えたことで僅かに鮮明さを取り戻しているが、その不機嫌そうな顔は相変わらずだ。
「……仕事だ。文句言うな。これがないと、今夜のメシ抜きだぞ」
「神様に向かってメシ抜きとか、どんなブラック企業なの……。おじさん、性格がタクシーの配車係よりキツくなってるよ」
セフィラはおちゃらけながらも、俺のトランクの陰に隠れて、嫌そうに鱗を眺めている。
俺は膝をつき、泥の中から鱗を拾い上げた。
ぬめりとした感触と、指先を刺すような微かな熱。
この数枚の破片が、一匹の化け物がこの世界で貪ってきたアニマの残滓であり、俺の「初乗り」の成果だ。
トランクの中に鱗を放り込み、俺は立ち上がった。
膝が一拍遅れてついてくる。
肺の奥が、泥と熱気のせいでチリチリと焼けるように熱い。
泥だらけの靴で、ぬかるんだ道を歩き出す。
空を見上げれば、相変わらず濁ったセピア色の霞が街を覆っていた。
城壁の向こう側から響く神威庁の鐘が、ボォーン、ボォーンと、重い音で労働の終わりを告げている。
タクシーの運転手をやっていた頃、深夜三時の売上報告を終えて、誰もいない営業所を出る時のあの「空っぽの感覚」が、今の泥まみれの身体に奇妙に重なった。
生き残った。ただ、それだけのことだ。
◇
ガルトの酒場の扉を開けると、安酒の臭いとカビの冷気が俺を歓迎した。
カウンターの奥。
ガルトは、昨日と同じように汚れた布巾でグラスを磨いていた。
俺がトランクをカウンターに置くと、彼は手を止め、その濁った瞳で俺を上から下まで値踏みした。
「……戻ったか、ドブネズミ」
「まあ、そんなもんだな。……客層は最悪だったが、忘れ物だけは届けてきたよ」
俺はトランクを開け、中から血の鱗を取り出してカウンターに並べた。
変だ。
ガルトの瞳が、一瞬だけ鋭く細まった。
彼は欠けた右腕の袖を微かに震わせ、鱗の一枚を手に取った。
「……変異種の鱗か。全ステ1の坊主が、不格好なナイフ一本でこれを剥いできたってのか」
「泥を這えって言ったのは、あんただろ。おかげで、スーツは台無しだがな」
俺はおちゃらけた笑いを作って、泥だらけの服を示した。
ガルトは鼻を鳴らし、カウンターの下から音を立てて数枚の硬貨を放り出した。
チャリン、と乾いた音がして、銅色の光が鈍く跳ねる。
「銅貨三枚だ。……宿代を差し引いた、お前の今日の日給だ」
俺は、その三枚の硬貨を手に取った。
驚いた。
たった三枚。
前世なら、パンを一つ買うのが精一杯のような、ちっぽけな金属の塊だ。
けれど。
掌に乗ったその銅貨は、タクシーのハンドルよりも、クラウス家の紋章が入った礼服よりも、ずっと重く感じられた。
泥を這い、死の恐怖に喉を焼かれ、それでも「型」を保ち続けた果てに得た、俺という異分子がこの世界で初めて承認された対価だ。
これが、俺の第3の人生で稼いだ、最初の「命の対価」か。
「……悪くない。メーターがやっと動き出した気分だ」
「フン。浮かれるな。明日は倍の鱗を持ってこい。……おい、サービスだ。スープのおかわりを持っていけ」
ガルトはぶっきらぼうに言い捨てると、またグラスを磨き始めた。
俺は、隅の席に座り、運ばれてきた不味いスープに、今日の日給の一枚をそっと触れさせた。
硬いパンをスープに浸し、口に運ぶ。
相変わらずの泥の味。けれど、今はそれが、どんな高級ホテルのディナーよりも腹に落ち着く気がした。
「あーあ、おじさん、すっかり貧民街に馴染んじゃって。我の創造した世界が、どんどん泥臭くなっていくよ……」
セフィラがカウンターの上で寝そべり、俺のスープを覗き込んで溜息をついた。
「いいだろ。泥を啜ってでも生き残る。……最短ルートは、まだ先にあるんだからな」
◇
スープを飲み干そうとした、その時だった。
入り口の階段から、数人の荒事師たちが騒がしく店になだれ込んできた。
彼らは泥だらけの外套を脱ぎ散らかしながら、カウンターに向かって怒鳴る。
「ガルト! 酒だ、一番安いやつを寄こせ! ……最悪だ、今日は城壁の近くまで魔獣が湧いてやがる」
「ああ、境界の門の周辺も警備が倍になったらしい。……聞いたか? 城壁内じゃ、あのフォレスター家の令嬢が、騎士団の特務任務に指名されたって噂だぜ」
カチリ。
俺の指先が、スプーンを握ったまま固まった。
エリア。
その名を聞いた瞬間、俺の観察眼が、店内の空気の僅かな「歪み」を捉えた。
変だ。
酒場の入り口、セピア色の霧が流れ込む闇の奥。
そこから、城壁内特有の「洗練された、けれど腐敗した」アニマの気配が、一瞬だけこちらを窺ったような気がした。
エリアが特務任務?
騎士団に入ったばかりの彼女が、なぜこの時期に。
「……おじさん。あっちの空気が、また不味くなったよ」
セフィラが、おちゃらけを止めて俺の肩にしがみついた。
彼女の瞳が、警告の赤色に一瞬だけ明滅する。
最悪だ。
俺は銅貨を握り締め、窓のない地下酒場の天井を見上げた。
城壁の外で泥を這う俺と、城壁の中で光を背負うあいつ。
断絶したはずの二つのメーターが、見えない歯車で噛み合い、再び回り始めようとしている。
行き先は、まだ見えない。
だが、渋滞の予感だけは、雨の夜の無線と同じくらい鮮明に、俺の脳内に鳴り響いていた。
◇
【実績:初めての魔獣討伐(完了) を獲得しました】
【知識:貨幣感覚の深化 を獲得しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「銅貨数枚の報酬」
骨の芯で鳴り響く連続した接続音とともに、全ステータス1のおじさんが放った技術が、魔獣ブラッドバイパーの生存法則を強制上書きして粉砕!見事、初めての魔獣討伐を成し遂げました。
生臭い血の鱗をトランクに詰め、泥まみれでたどり着いたガルトの酒場。
差し出された日給は、たったの「銅貨三枚」
前世ならパン一つ買うのが精一杯なはした金
しかし、実力主義の泥の街で、死の恐怖を乗り越え、型を保ち続けた果てに自分の力だけで稼ぎ出したその三枚は、クラウス家の礼服よりも遥かに重く、おじさんの掌にズシリと残ります。
「メーターがやっと動き出した」と呟き、稼いだ金で啜る泥の味のスープは、何よりの燃料でした。
しかし、束の間の休息を破るように飛び込んできたのは、城壁内に残してきた幼馴染「エリア」の不穏な噂。
新人の彼女がなぜ、このタイミングで「特務任務」に就くのか?
セピア色の霧の奥から漂う、城壁内特有の腐敗したアニマの気配をおじさんの鋭い観察眼が見逃すはずもありません。
断絶したはずの二つのメーターが、見えない歯車で再び噛み合い、最悪な渋滞の予感が無線のように脳内に鳴り響きます――!
泥の中から始まるおじさんの大逆転劇、そして動き出す世界の運命を、ぜひ応援、レビューなどで一緒に走っていただけると大変励みになります。
次話もよろしくお願いします!




