表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/56

第3章・第22 話「不完全な積荷、逃走の最短ルート」

 視界が、不快な「警告の赤」に塗り替えられた。

 白銀の書架が地平線まで続いていた迷宮は、今や巨大なデジタル基盤のように赤く脈動し、規則正しいグリッド状の光が俺たちの逃げ道を檻のように塞ぎ始めている。

 

 最悪だ。

 

 俺の腕の中、エルフの少女は石化したように重い。

 それは単なる物理的な質量の話じゃない。彼女の身体に刻まれた、一千年分の「未払いの負債」という膨大なデータが、俺の霊殻アーマチュアを通じて、直接俺の魂の回路を圧迫しているんだ。

 

 重すぎる。

 

 前世で、土砂降りのバイパスを過積載のトラックで走らされた夜を思い出す。ハンドルが自分の意志を拒絶し、タイヤが路面の情報を拾うのを止める、あの制御不能の恐怖。

 

 ガチ、ガチ、ガチ、ガチ。

 

 背後から響く「監査人」たちの足音。

 一体じゃない。数、十数、いや、もっとか。奴らの歩みが重なるたび、迷宮の空間がアイロンをかけたように平坦に矯正され、逃げ場が削り取られていく。

 

「おじさん、真っ直ぐ! 三つ先の角を右! そこだけ、システムの書き換えがコンマ一秒遅れてる!」

 

 脳内でセフィラの悲鳴のようなナビが弾ける。

 俺の影の中で震える彼女の気配。SICの低下に伴い、彼女の輪郭が再びノイズのように透け始めている。

 

「了解だ! ……エリア、離れるなよ!」

 

「言われなくても! ……ここはあたしが『記録』してあげる!」

 

 俺の数歩後ろ。

 エリアが蒼い水の霊殻を極限まで励起させていた。

 彼女は一歩下がるごとに、自らのアニマを迷宮の床へと叩き込んでいる。

 

 カチリ。

 

 水の属性——アクア・アーカイブ。

 流動するはずのアニマを「過去の事実」としてその座標に固定する、彼女の新たな力。

 追撃してくる監査人たちの足元。

 彼女が通り過ぎた跡が、青白い氷の結晶となってガチガチと凍りつき、監査人たちの座標書き換えを物理的な「フリーズ」として阻害している。

 

 変だな。

 

 エリアの呼吸が、かつてないほど荒い。

 本来、聖騎士の加護は「守るべき対象」を物理的に弾くものだ。今の彼女がやっているのは、迷宮という巨大なシステムの一部を自らの魂で強引に「定着」させるという、負荷の塊のような行為だ。

 

 不快だ。

 

 彼女のアニマ残高が、急速に削り取られていくのが、俺の観察眼には「サイドミラーの激しいブレ」のように映っていた。

 

「エリア、無理をするな! 出力がオーバーヒートしてるぞ!」

 

「……いいから、あんたは積荷(あの子)を運びなさいよ! ……この街の『お代』を背負ってるのは、あんたでしょ!」

 

 エリアが叫び、さらに巨大な氷の壁を背後に構築した。

 監査人の一人が放った消去の光がその壁を削るが、彼女は膝を震わせながらも剣を引かない。

 

 来た。

 

 右肩。

 先程の戦闘で「消去」された座標の空白が、不気味に熱を帯びている。

 霊殻の装甲が欠損したそこを、俺は無理やり自分のアニマで補填しているが、抱えている少女の「負債データ」が、その傷口から俺の体内に流れ込んでくる。

 

 不快だ。

 

 肺の奥に熱い砂を流し込まれたような痛みが走り、視界の端で差押え進捗の数字が点滅する。

 98.2%。

 あとわずかで、この世界そのものが「債務整理」として消滅する。

 

 ……変だな。

 

 俺は、無意識に左手に力を込めた。

 少女を抱くその腕。

 彼女の冷たい頬が、俺の首筋に触れた瞬間。

 

 カチリ。

 

 骨の芯で、聞き慣れた音が、かつてないほど重厚な和音となって響き渡った。

 

 驚いた

 

 自分の右腕。

 泥のアースが、少女のアニマに反応して、勝手に駆動を開始した。

 装甲の隙間から溢れ出すのは、これまでの属性アニマとは違う、鈍く輝く「不渡り」の光。

 

「あ……おじさん、それ……!」

 

 セフィラの驚愕の声。

 俺の右腕の「空白の株」が、少女の中に眠る「星の所有権」の残滓を読み取り、勝手に書き換え(バイアウト)を開始しているのか。

 

 最悪だ。

 

 制御が効かない。

 ハンドルが勝手に回るような、凄まじいトルク。

 俺の身体を核にして、霊殻の出力が限界を突破し、周囲の赤いグリッドを強引に「泥」へと分解していく。

 

「……加速するぞ! エリア、俺の影を掴め!」

 

 俺は一歩、踏み込んだ。

 

 最短ルート。

 

 過積載の挙動を、無理やり「慣性」へと変換する。

 泥の爆圧が俺の身体を弾丸へと変え、赤く染まった迷宮の廊下を、文字通り「削り取りながら」突進した。

 

 背後で、エリアが俺の伸ばしたアニマの影を必死に掴む。

 俺たちは一条の泥の轍となって、迫りくる監査人たちの包囲網を、その演算が追いつく前に突き抜けた。

 

 ……変だな。

 

 視界が白く濁る。

 アニマを使いすぎた副作用か。

 

「……おじさん、見えた! あそこ! ハッチが開いてる!」

 

 霧の向こう。

 迷宮の「帳簿」が物理的に破れたような場所。

 そこには、ガルトが構築した不格好で頑丈な、不渡りの営業所・聖域出張所のハッチが、俺たちを待つ唯一の港として口を開けていた。

 

「……滑り込めッ!」

 

 俺は最後のアニマを足裏に集中させ、石畳を砕きながらダイブした。

 

 ドォォォォォォォォォォォォンッ!

 

 衝撃。

 鉄の床に叩きつけられる重み。

 

「ハッチ、閉鎖! アニマ遮断、最大出力!」

 

 頭上でガルトの野太い声が響き、続いて重厚なロック音が迷宮の警報を遮断した。

 

 静寂。

 

 急激に戻ってきた重力。

 俺は少女を抱いたまま、出張所の冷たい床に横たわった。

 

 ガクン。

 

 霊殻が解除される。

 

 最悪だ。

 

 全身の毛穴から熱が抜け落ち、代わりに鉛を流し込まれたような摩耗感が襲ってくる。

 膝が笑い、指先の一本も動かせない。

 

「……カイト……生きてる?」

 

 隣で同じように倒れ込んだエリア。

 彼女の水の霊殻も、霧散したアニマの粒子となって消えていく。

 彼女の金髪は汗と埃で汚れ、かつての聖騎士の面影もないほどボロボロだったが、その瞳には確かに、完走した後の「誇り」が灯っていた。

 

「……ああ。……お代の分は、きっちり運んだぜ」

 

 俺は掠れた声で答え、腕の中の積荷を確認した。

 エルフの少女。

 彼女の身体は、拠点のアニマ遮断装置のおかげか、以前より僅かに柔らかさを取り戻していた。

 

 ……変だな。

 

 俺の右腕。

 先程、彼女と共鳴した場所が、まだドクドクと不快な拍動を続けている。

 まるで、少女の持っている「記憶」という名のデータが、俺の「空白」に転写コピーされたがっているような。

 

「あー……。死ぬかと思った。創造神、引退したい。おじさん、我が消えたら、その時は我が集めてきた『不味いアニマ』、全部あげるからね……」

 

 実体化したセフィラが、俺の脇腹のあたりで力なく転がっていた。

 彼女の銀髪はくすんで灰色になり、いつものおちゃらけも、食い意地すらも、今はどこにもない。

 

「……セフィラ、無茶させたな。……あとで、何か美味いもんを作ってやるよ」

 

「……約束、だよ。……あ、おじさん……見て。あの子」

 

 セフィラが震える指で、俺の腕の中を指した。

 

 驚いた。

 

 少女の睫毛が、微かに震えていた。

 一千年もの間、石のように固まっていた彼女の唇。

 そこに、僅かな湿り気と、吐息が戻ってくる。

 


少女の顔を覗き込む。 目は、閉じられたままだ。


驚いた


その唇が微かに震え、喉の奥から、絞り出すような、か細い声が漏れ出してきた。


 

「……アイゼン……ハルト……」

 

 肺の奥が、冷えた。

 

 変だな。


その名前を、俺は知っている。帝国軍「鉄の騎士団」を率いる騎士団長の名だ。


 ――いや、まさかな。


 千年も前の「旧株主」が、今の帝国の英雄の名を呼ぶなんて。何かのバグか、それとも聞き間違いか。


不快だ。


「……嘘。……それ、嘘でしょ?」

 

 隣でエリアが、息を呑んだ。

 

「カイト、今の名前……もし、一千年前から彼が『同じ名前』で生き続けているとしたら……」

 

 最悪だ。

 

 メーターは、まだ止まってくれないらしい。

 俺たちは最短ルートで帰ってきたつもりだったが、どうやらこの積荷が運んできたのは、世界の「帳簿」を根本からひっくり返すような、特大の爆弾スキャンダルだったようだ。

 

 俺は、右腕の脈動を抑えるように強く握りしめた。

 

 運行責任者、カイト・クラウス。

 どうやら、ここからの運行は、かつてないほど「過積載」な歴史の闇を走ることになりそうだ。


 俺は薄れゆく意識の端で、ハッチの外、赤い迷宮から響く無数の足音を聞いた気がした。

 だが、今はハンドルを離させてくれ。

 五分だけでいい。


 意識が途切れる直前、ハッチの向こう、赤い迷宮の奥で、無機質な警告音がふっと止んだ気がした。


――チェックメイトだ。


 誰かの、冷淡な声が脳裏に直接響いた。だが、重い瞼を押し上げる力は、もう残っていなかった。


 俺は、泥の匂いが染みついた拠点の床で、そのまま深い眠りへと落ちていった。

【あとがき】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


「不完全な積荷、逃走の最短ルート」


迷宮という名のデジタル基盤が赤く脈動する中、カイトたちは追撃する無数の「監査人」を振り切り、聖域の出張所へと滑り込みました。


右腕に刻まれた「負債」を燃料に、文字通り迷宮を削り取りながらの突進。

エリアの命を削る氷の記憶と、カイトの「不渡り」の光。

すべてを背負ってハッチを閉じた瞬間、彼らは安堵ではなく、更なる絶望の幕開けを知ることになります。


抱えていたエルフの少女が呟いたのは、今の帝国を率いる騎士団長「アイゼンハルト」の名


「……嘘。……それ、嘘でしょ?」


王都を救い、一人の少女を救い出したカイトたちが掴んだのは、一千年の時を経て世界の裏側に潜んでいた、あまりに巨大な「スキャンダル」でした。

目的地を間違えたのか、あるいは最初からそこへ向かうための必然だったのか。


積荷を降ろす間もなく、カイトたちのメーターは更なる「過積載」の運行を開始します。


不渡りの営業所、その奥底に眠る千年の嘘。

エルフの少女が語る名は、物語をどのように書き換えていくのか。


ここまでついてきてくださった皆様、本当にありがとうございます。

王都、そして迷宮というハードルを越えた先にあるのは、かつてないほど重く、闇の深い「歴史のルート」


カイトたちの「経営再建」は、ここからいよいよ核心へと突き進みます!

皆様の評価や熱い感想が、ボロボロになったカイトたちの霊殻を癒やす最高のアニマになります。


いつもありがとうございます。

次回の運行も、どうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ