第3章・第17話「連鎖する覚悟、預けるハンドル」
右肩から伝わる衝撃が、麻痺した神経を逆なでするように熱く、そして冷たく脳を揺らした。
視界の端で、俺の霊殻の欠片が白銀のノイズとなって空へ溶けていく。
天頂に居座る黄金の「99.0%」が、耳鳴りのような高音を響かせ、世界の終わりを冷酷に告げていた。
……最悪だ。
深夜、霧の山道でガードレールを突き破り、宙に浮いた車体の中でメーターだけが虚しく回っているような、あの最悪な浮遊感が全身を支配していた。
一歩も、動けない。
門番が構える光の大剣。あれは物理的な刃じゃない。「俺が斬られる」という結果を先に帳簿へ書き込み、現実に強制適用するデッドラインだ。
俺が百年の修行で磨き上げた「回避」も「防御」も、あいつの帳簿の上では、既に支払い済みのコストとして処理されている。
最短ルートが、ない。
目的地までの道路はすべて封鎖され、俺の手の中にあるハンドルは、ただの鉄の棒へと成り下がっていた。
「——勝手に、終わらせないでよ!」
路地裏に響く衝突音のような、エリアの叫びが聞こえた。
泥と煤に汚れ、白銀の装甲を欠けさせた彼女が、あいつの絶対的な死の領域へと踏み出していく。
あいつの剣が動く。
予備動作も、重心の移動もない。「斬る」という結果の反映。
エリアの左肩に、物理的な接触を無視して、深く、重い斬撃の刻印が刻まれた。
……やめろ、エリア。
俺の喉は、止まらない冷たい汗で引き攣り、音にならない。
「あたしの行き先は……あたしが決める。神様でも、門番でも、カイトでもない……。あたしが、今、ここで決めるんだから!」
エリアの身体から、かつてないほど激しい水の飛沫が、青白い神威となって噴き出した。
それは流体ではない。
白銀のデータ空間を物理的に歪ませ、因果の糸に無理やり絡みつく、不条理な「ノイズ」の壁だった。
門番の兜の奥で、無機質な光が初めて揺らめいた。
「エリアが斬られる」という確定した結果に対し、彼女の「生きたい」という意志が、アニマを介して帳簿を物理的に汚しているんだ。
彼女の水の装甲が、門番の放つ絶対的な定義と衝突し、パチパチと激しい火花を散らす。
一秒、いや、コンマ数秒。
門番の「確定」という絶対的な運行スケジュールに、予測不能な渋滞が生じた。
俺の心臓が、ドクンと大きく波打った。
『……おい、不渡り息子! いつまでハンドルから手を離してやがる! 前を見ろ、最短ルートをエリアが作ってくれたんだぞ!』
通信機から響いたのは、親父の野太い、祈りにも似た怒号だった。
「……親父……。だが、あいつの剣は……」
『避けようとするな! あいつの理屈はな、相手が「避ける」ことを前提に結果を書いてるんだ。……いいか、カイト。避けられないなら、その「確定した結果」を丸ごと、てめえの身体に飲み込ませてやれ!』
飲み込ませる?
『てめえの霊殻の奥底に封印していた「受け止め機構」……今、遠隔で解除してやった。それはな、衝撃を受け流すんじゃねえ。……受け取って、てめえの空白の回路へ強制的に流し込むための、自殺志願者の回路だ』
親父の声と共に、俺の右腕の霊殻回路が、白熱するような熱を帯び始めた。
今まで「安全」だと思っていた壁が物理的に取り払われ、俺の魂が門番の絶対的な定義と、むき出しのままで向かい合う。
……そうか。
タクシーの運転手は、事故を避けるのが仕事だ。
だが、避けられない衝撃があるなら——車体を犠牲にしてでも、乗客を守るために、その重さをすべて自分が受け止めるのが、運行責任者の最後の仕事だ。
俺の指先が、ハンドルを握りしめる形に固まる。
「……エリア、そのまま揺らし続けろ。……親父、リミッター解除のツケは高くつくぞ」
俺の声が、麻痺していた右腕を震わせた。
『おじさん……大丈夫。……あたし、今、見てる。……エリアちゃんとガルトおじさんの無茶のせいで、あいつの帳簿に「書き直しの跡」が見えるよ……!』
セフィラの声が、魂の芯から響いてくる。
彼女の指が、俺の脳内の地図を直接なぞるように動いた。
『あいつが「斬る」って決めてから、現実に「傷」が定着するまで……ほんの、ほんの少しだけ隙間がある。……今、おじさんの頭の中に、光の筋を引くね……!』
瞬間。
俺の視界、白銀のデータが流転する無機質な世界に、一筋の細い、けれど鋭い光のラインが走った。
因果の継ぎ目。
門番が確定させた結果が、まだ現実へと固定されていない、コンマ数ミリの未決済領域。
俺が100年かけても見つけられなかった、世界の裏側の最短ルート(バイパス)が、そこには確かに存在していた。
あいつの剣が、再び振り下ろされる。
今度の標的は、疲弊しきったエリアの胸元だ。
「——カイトっ!!」
エリアの悲痛な叫び。
俺は、踏み出した。
「避ける」ための踏み込みじゃない。
エリアが作った「揺らぎ」を。
親父が解禁した「回路」を。
セフィラが見つけ出した「継ぎ目」を。
その全てを俺の「空白」に預け、仲間の命ごと運んでいくための、最後の一歩。
カチリ、カチリ、カチリ、カチリ、カチリッ!!
骨の芯で鳴り響く連続した接続音。
俺の右腕の装甲が、門番の「確定した死」を、受け皿として迎え入れるように口を開ける。
あいつの光の大剣が、俺の右腕に、いや、俺の「空白の株」に衝突した。
ドォォォォォォォォォォォォンッ!
衝撃が、神経を焼き、魂を削る。
普通の加護持ちなら、存在そのものが消去されるほどの不条理。
だが、俺の「全ステータス1」は、あいつの確定した結果を、未登録の伝票として呑み込み、流し続けていた。
門番の兜の奥で、光が凍りついた。
「斬られた」という結果が、俺の身体に定着(固定)されないことに、法則の権化であるあいつが困惑している。
「……言っただろ。……俺のタクシーは、不渡りの決済は受け付けねえんだよ」
俺の視界の中で、セフィラが描いた光の筋——『継ぎ目』が、かつてないほど眩しく輝いた。
メーターは、まだ止まっていない。
ここから先は、俺の「不渡り」の決済時間だ。
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「連鎖する覚悟、預けるハンドル」
門番が突きつける「確定された死」という絶対の理不尽に対し、チーム全員の覚悟が連鎖し、ついに一筋の「バイパス(最短ルート)」が切り開かれる、極限の共闘回となりました。
一人でハンドルを握り、通行止めの標識を前に立ち尽くしてしまったカイト
そんな彼に次々と道を指し示したのは、これまで彼が乗せてきた「乗客」であり、今や対等な「共犯者」となった仲間たちでした。
「神様でも、門番でも、カイトでもない……。あたしが、今、ここで決めるんだから!」と運命の帳簿を力ずくで汚したエリアのノイズ
「避けられないなら丸ごと飲み込ませてやれ!」と、安全装置を投げ捨ててカイトの背中を押したガルト親父の激
そして、その泥臭い執念の隙間に、世界の裏側の最短ルートである「因果の継ぎ目」を見つけ出したセフィラのナビゲーション。
「避ける」ための運転ではなく、衝撃をすべて自分が引き受けてでも乗客を目的地まで運ぶ――
カイトが「運行責任者」としての本当の覚悟を決めた瞬間、彼の「全ステータス1(空白)」は、門番の確定した結果すらも「未登録の伝票」として飲み込み、システムのバグを引き起こしました。
「……言っただろ。……俺のタクシーは、不渡りの決済は受け付けねえんだよ」
仲間の想いをすべて積み込み、ついに始まったカイトの「不渡りの決済時間」
運命を上書きする反撃の一撃が、いよいよ門番へと叩き込まれようとしています。
果たしてカイトの拳は、この強固な門を粉砕することができるのか?
次話の更新も、どうぞお見逃しなく!
皆様からの熱い応援や感想が、カイトたちの走る道を照らす最高のエネルギーになります。
いつも本当にありがとうございます。
次回の運行も、どうぞよろしくお願いします!




