第15話:他の男の入り込む隙なんてゼロ。
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ハンバーグの夜から数日後の木曜日。
学校では「湊が高校からの記憶をすべて失っているらしい」という噂が広まっていました。
【結愛視点】
湊くんが学校に復帰してから数日が経った、木曜日の昼休み。
彼が少しずつクラスの空気に馴染み始めている一方で、学校中にはある一つの噂が完全に広まりきっていた。
『2年の結城は、高校に入ってからの記憶を全部なくしているらしい』
もともと、湊くんは男女問わず好かれるタイプだったから、彼を心配する声も多かった。
けれど、その噂を聞きつけた一部の男子生徒たちから私に向けられる視線が、以前とは明らかに違うものに変わってきていることに、私は嫌な予感を覚えていた。
好奇心や心配からくるものではない。
まるで獲物を値踏みするような、ひどくねっとりとした、計算高い視線。
(……まただ)
昼食を終え、図書室に本を返しに行くため廊下を歩いていた私の前に、他クラスの男子生徒が立ち塞がった。
「神崎さん。ちょっといいかな」
連れてこられたのは、人気のない空き教室だった。
相手の男子生徒は、少しだけ頬を赤くしながら、私に向かって真っ直ぐに頭を下げた。
「ずっと前から好きだったんだ。俺と、付き合ってほしい」
私は一つだけ小さく息を吐き、感情を一切込めない、冷たい声でキッパリと答えた。
「ごめんなさい。私には心に決めている人がいるので」
お断りをして、すぐに踵を返そうとした。
しかし、男子生徒は引き下がるどころか、私の行く手を遮るように一歩前に出てきた。
「心に決めてる人って、結城のことだろ?」
「……」
「俺、聞いたぜ。あいつ、記憶喪失なんだろ? 君のことだって、綺麗に忘れてるって」
彼の口元が、わずかに歪む。
人の気も知らない、心無い言葉が空き教室に響いた。
「今までお前ら、やたら仲良かったみたいだけどさ。あいつが忘れてるなら、今のお前らはただの『顔見知り』じゃん。それって実質フリーみたいなもんだろ? 覚えてもいない男に尽くすなんて時間の無駄だって。俺なら、お前のこと絶対幸せに——」
「……いい加減にしてください」
自分でも驚くほど、低くて冷え切った声が出た。
言葉を遮られた男子生徒が、ビクッと肩を揺らす。
私は彼を真っ向から睨みつけ、はっきりと告げた。
「湊くんが忘れていても、関係ありません。私にとって、特別で大切な人は彼だけです」
「なっ……」
「誰が相手でも、どんな状況でも、私の気持ちが変わることは絶対にありません。……それと、二度と彼のことを悪く言わないでください」
ピシャリとはねのけ、私は足早に空き教室を後にした。
廊下に出て、誰もいない場所まで歩いてから、重いため息を一つこぼす。
「はぁ……これで今週、3人目……」
周りから見れば、今の私は『記憶喪失の男の子に健気に片思いをしている、フリーの女の子』に見えるのだろう。
湊くんの記憶がない今をチャンスだと勘違いした男子たちが、こうして連日のように告白してくるようになっていた。
告白されること自体はどうでもいい。
ただ、湊くんの記憶喪失を『好機』として面白がるようなその態度が、どうしても許せなかった。
(早く、教室に戻ろう。湊くんのところに)
冷え切った心を温めるように、私は彼が待つ教室へと急ぎ足で向かった。
【湊視点】
昼休みの教室。
自分の席でスマホを眺めていると、斜め前の席に座っていたクラスメイトの男子二人が、ヒソヒソと話している声が耳に入ってきた。
「おい、見たかよ。また神崎さん、他のクラスの奴に呼び出されてたぜ」
「マジで? あーあ、あの様子だとまた告白か」
「結城が記憶なくしてから、他クラスのハイエナ共がこぞって神崎さんにアタックしに行ってるらしいぜ。今まで結城がガードしてたようなもんだったからな」
「まあ、今の結城からすればただの同級生だしな。俺たちにもワンチャンあるんじゃね?」
ヘラヘラと笑い合うその声を聞いた瞬間。
——バキッ。
「……あ」
手元で嫌な音がした。
俺が無意識のうちに強く握りしめていたプラスチックのシャープペンシルが、真っ二つに折れ曲がっていたのだ。
「結城? どうした、手切ってないか!?」
「あ、いや……平気だ。ごめん、ちょっと力入れすぎた」
驚いて振り返ったクラスメイトに誤魔化しつつ、俺は折れたシャーペンをゴミ箱に捨てた。
(……なんだ、今の)
胸のずっと奥のほうで、真っ黒でドロドロとした感情が、マグマのようにグツグツと煮え滾っている。
結愛が他の男に呼び出されている。
結愛が他の男から告白されている。
結愛が、他の男のモノになるかもしれない。
そう想像しただけで、頭の血管がブチ切れそうになるほどの、激しい『独占欲』と『嫉妬』。
息が荒くなり、視界の端がわずかに赤く染まるような錯覚すら覚えた。
(おかしいだろ。なんで俺は……こんなに腹を立ててるんだ?)
今の俺は、彼女の『ただの同級生』にすぎない。
毎日ご飯を作ってくれているとはいえ、彼女の行動を縛る権利なんて何一つ持っていないはずだ。
それなのに、理屈で抑え込もうとすればするほど、身体の奥底に刻み込まれた本能のようなものが「あいつは俺のモノだ」と激しく主張してくる。
ガララッ、と教室のドアが開いた。
図書室に行っていたはずの結愛が、少しだけ疲れたような顔をして戻ってくるのが見えた。
その姿を見た瞬間、俺の中で暴れ回っていた黒い感情がスッと引いていき、代わりに、彼女を誰の手にも触れさせたくないという、強烈なまでの保護欲が湧き上がってきた。
(俺は……彼女のことが……)
記憶がないはずの俺の心が。
他の誰でもない、神崎結愛という女の子を、強烈に求め始めていた。
第15話をお読みいただき、ありがとうございました。
「あいつより俺の方が幸せにできる」なんて、結愛ちゃんからすれば「湊くんの何を知ってるの?」とウンザリしてしまう言葉ですよね。
次回も、二人の揺るがない関係性を描いていきます。引き続きよろしくお願いいたします!




