1話 名もなき父の面影
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冷たい風が、ひび割れた少年の頬をなでる。
アッシュ(12歳)は、玄関先でボロ布のような上着を羽織り、薪を拾いに行く準備をしていた。
辺境にある『ロイ村』の冬は早く、今夜を凌ぐための備えが必要だ。
「アッシュ、無理をしちゃダメよ。暗くなる前に戻っておいで」
母のエレンが、アッシュの襟元を優しく整えながら言った。
「わかってるよ、母さん。すぐ戻るから」
アッシュは力強く頷き、籠を背負って山へと向かった。
ロイ村は、国境付近にある吹き溜まりのような場所だ。
土地は痩せ、村人の誰もが貧しい。
けれど、アッシュには自分を慈しんでくれる母がいる。
それだけで、彼にとっての世界は満たされていた。
夕方、薪を背負って家に戻ると、囲炉裏の火が爆ぜる音と、質素な野菜スープの香りがアッシュを迎えた。
「おかえり、アッシュ。今日も頑張ったわね」
エレンは穏やかな微笑みを浮かべ、アッシュの冷え切った手を自分の手で包んで温めた。
夕食の粥を啜りながら、アッシュはいつものように、自分の知らない「父親」の話をせがむ。
「ねえ母さん。父さんは、本当にかっこよかったの?」
「ええ、とても。困っている人を放っておけない、太陽のように優しい人だったわ。戦地で亡くなってしまったけれど……」
エレンは遠くを見るような目で語り、首元に光る古い銀のペンダントにそっと触れた。
父はかつて軍の兵士だったが、アッシュが生まれる前に死んだと聞かされている。
「僕も父さんみたいに、母さんを助けられる優しい男になるよ」
「ふふ、ありがとう。でもね、アッシュ。あなたは健やかに生きてくれるだけでいいのよ」
慎ましい夕食を終え、二人は毛布を分け合って床に就いた。
外ではフクロウが鳴き、静寂が村を包み込んでいる。
明日もまた、今日と同じように薪を拾い、母の笑い声を聞き、穏やかに眠りにつく。
アッシュは、そんな当たり前の未来を微塵も疑っていなかった。
――だがその夜、そんなささやかな平穏は、あまりに唐突に終わりを告げた。
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