34 ぐーたら令嬢、前世に苦しむ
半ば逃げるように、廊下を立ち去った。友人の祝い事だから、笑顔は崩せない。真っ白い廊下を、彼が見えなくなるまで歩き続けた。
大した運動でもないのに、変に心臓が音を立てて苦しい。
考え得る限り最悪のことが起こった。
前回私が死んだのは18才。皇帝が未だ健在であることを考えると、6年後までビリーが皇太子でいる確率は高いだろう。皇帝になるために修めなければいけない事柄も多いだろうし、即位までに十分な時間があるのは当たり前だ。
つまり、あの男は、私が復讐しようとしていた男は、
「ビリー、か」
血の気が引くような感覚に阻まれ、入学以来初めて授業に集中できなかった。
授業を終えて、再び白い廊下を戻る。
美しいと思えていたはずの廊下はトラウマを呼び起こし、彩りを添えるために置かれたバラの赤は鮮血に見える。
乱雑に閉めた扉の音に、中で待ってくれていたヘスマンがとがめるような顔をする。が、青ざめた私の表情に気づいたのだろう。すぐさま駆け寄ってきて荷物を引き取られた。
「どうなさいました、顔色が・・・」
「うん、大丈夫・・・」
少し寝かせて、と最後までいえたか自信がない。ふらふらとベッドに近づいて、ドレスも靴も着替えずに倒れ込んだ。
「お目覚めですか」
目覚めると、心配げなヘスマンが顔をのぞき込んでくる。服はすっかり、ゆったりとした服に着替えさせてあった。靴もアクセサリーもとられ、楽にしてくれている。流石の手腕に少しだけほっとする。
ヘスマンの手を借りながら体を起こす。
「時間は?」
「もう日をまたぐ頃です。お食事をお持ちしますか?」
「なにか、軽い物にして」
「承知しました」
礼をして下がったヘスマンを見送り、枕にもたれる。
毎朝挨拶を交わし誰よりも話をした友人が、探し求めた敵だという事実はあまりに重く私にのしかかった。
私を嬉々として拷問していたあの男と、楽しそうに本の感想を話していたビリーが重なる。
あと、6年。ビリーが、私を鞭打ったあの極悪非道な男になるまで、6年だ。
この人生でのビリーは、以前のビリーと同じなのだろうか。もしかしたら、違ったりするのではないか。
ふと思い出す、日本にいた頃時々聞いた話題。『赤ん坊のヒトラーが目の前にいたらどうするか?』という質問の話。平和な日本に生きていた私は、これからどう成長するのかわからないのだし、とゆったり思っていた。
それが、今。『殺す』と答えた人たちの気持ちがわかる気がした。
あのとき私が感じた苦痛は本物で、たとえビリーがどんなに素晴らしい友人でも、この事実は変わらない。
私はこの人生を、彼に復讐するために始めたのだ。この目標のためにがんばってきたと言っても過言ではない。
どうすればいいのだろう。
「お嬢様」
食事を準備して、ヘスマンがはいってくる。
暖かいスープが湯気を立てる。トマトベースに、少しスパイスのきいた香り。
ほんの少し、食欲がわいた。
「熱いのでお気をつけください」
小さなテーブルと、その上に置かれたスープ皿。
一口飲むと、ゆっくりおなかがすいてくる。ほっとして、緊張が緩んだ。
大丈夫。今世の私は、まだ暴力を受けたわけじゃない。公爵令嬢として学園に入り、ここまで学んできたのだ。顔見知りも多くいる。状況はあのときと全く違う。
誰も、今世の私を不当に虐げられないはずだ。
ぎゅ、とシーツを握りしめたのに気づいたのだろう。
「お嬢様。お疲れのことと思いますが、確認したいことがございまして・・・」
気を紛らわそうとしてか、ヘスマンが話しかけてきた。優しさを素直に受け取って、顔を上げる。
「何?」
「学園外研修について、でございます」
「ああ・・・」
学園外研修。
その名の通り、普段学園を出ることなく学んでいる私たちが、外に出て学ぶ機会。言うなれば、修学旅行のような物だ。
とはいえ、貴族の子供が大人数でわらわらと動くのはあまりにも危ないので、数人単位のグループで期間内に指定の場所へ一定期間行く、という形である。指定される場所は数多く、かなり長いリストを今年度の初めに渡されていたのだった。
私は、せっかくの機会だし一人でのんびりと過ごしたい旨を伝え、いくつかあった誘いも断っている。社交と言うよりは、息抜きとしての旅行、という意味が大きいようなので、好きにさせてもらうことにしたのだ。
そんなわけで、早速新学期が始まってすぐ、今週末から出発の予定だったのだ。
ただ、自然の多い場所でのんびり出来ればそれでいい、という私の要望にヘスマンは頷き、すでにほとんどの準備を済ませてくれているはずだ。
「準備物のリストと当日の予定でございます」
差し出された二枚の紙に目を通す。
一面びっしりと書かれたリストに対し、予定表はスカスカだった。
「ご友人の同行はなし、とのことでしたのでほとんどはお嬢様の趣味に当てていただければと思います」
「なるほど」
たった一人、自然の中でのんびりと過ごす数日間。
それを思うと、少しだけ心が軽くなった。




